2016年12月21日水曜日

 冬至というとカボチャと柚子湯だが、これがいつからなのか、芭蕉の時代には登場しないから、そんなに古くもないのだろう。カボチャは新大陸の原産で日本に渡ったのは戦国時代だから、一般に広まったのはもっと遅かっただろう。
 ネットで調べたら、

 ずっしりと南瓜落ちて暮淋し   素堂

の句が出てきた。『番橙集(ざぼんしゅう)』(除風編、宝永元年九月刊)にあるらしい。この編者の除風は南瓜庵を名乗っていたともいう。
 南瓜は秋の季題らしい。ただ、曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には「南瓜」も「かぼちゃ」も載ってない。
 柚子湯も遡れるのはおそらく江戸末期までだろう。「柚」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の秋のところに見られるが、「柚子湯」という季語はない。
 今年に入って「ん」のつくものを食べると運が付くというのをテレビやラジオで聞くようになった。朝の番組ではうどんをプッシュしていたが、さてはうどん業界の陰謀?だとしたら失敗だろう。「ん」の付くものは多すぎるからだ。
 まず、おでん、トン汁、けんちん汁などがこの季節に合っているし、ラーメン、つけ麺など「麺」のつくもの、ご飯、チャーハン、天津飯などの「飯」のつくもの、参鶏湯、コムタンなど「湯」がつくもの、洋食ならもちろんパンがあるし、ハンバーガーもある。
 ネットで見ると「ん」のつくもの七種と言って、なんきん・れんこん・にんじん・ぎんなん・きんかん・かんてん・うんどん(うどん)というのが載っているが、これもそんなに古い謂れのあるものではないだろう。
 冬至の太陽の復活の祭りは、いまやすっかりクリスマスに取って代わられたと言っていい。クリスマスの起源ももとは北欧の土着信仰の冬至祭りで、それをキリストの生誕に強引に結びつけて、クリスチャンからの異教弾圧をのがれて今に至っているもので、キリストは本当は12月25日に生まれたわけではない。
 クリスマスは本来冬至祭りでペイガンの祭りだから、ムスリムもそんなに気にしなくてもいいのではないかと思う。それとも、多神教の祭りならもっと許せないとかなるのだろうか。イエス・キリストはイスラム教でも預言者の一人として認められているが、多神教はもっとまずいか。

それはさておき 「むめがかに」の巻、続き。

二十二句目

   江戸の左右むかひの亭主登られて
 こちにもいれどから臼をかす  野坡
 (江戸の左右むかひの亭主登られてこちにもいれどから臼をかす)

 前句はやはり、「向いの亭主の江戸より登られて、江戸の左右聞くに」と読む。江戸の話を聞きに近所の人が集まり、忙しくなるので、唐臼を貸してあげるという、隣近所の人情味ある句だ。「こちにもいれど」はの「いる」は要るという意味で、「こちらでも臼は必要だけど、先に使ってくれ」という意味。
  唐臼は餅などを搗く「搗き臼」ではなく、籾を摺るための磨り臼で、ペッパーミルを大きくしたようなもの。両側に二本の棒が突き出していて、それを二人がかりで回す。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「世情を尽せり。二句一章なり。」とある。『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「二句一章ニシテ、有ソウナコトヲ附タリ。向ヒト言ニ、コチニト言ニテ一章ナリ。」とある。
 「二句一章」というのは「二句一体」と同様、付け筋によって付けるのではなく、最初から和歌を詠むかのようにストレートに言い下すことを言っていると思われる。ただ、この場合は、「向かいの亭主」に「こちにも」という「向付け」にもなっている。
 『秘註俳諧七部集』では、八句目の、

   御頭へ菊もらはるるめいわくさ
 娘を堅う人にあはせぬ     芭蕉

の句にも、「二句一章」の言葉がある。

無季。

二十三句目

   こちにもいれどから臼をかす
 方々に十夜の内のかねの音      芭蕉
 (方々に十夜の内のかねの音こちにもいれどから臼をかす)

 「十夜」というのは十夜念仏(じゅうやねんぶつ)のこと。京都の真如堂(真正極楽寺)をはじめ、浄土宗の寺で十日間に渡って行なわれる念仏会(ねんぶつえ)で、旧暦十月五日から十五日の朝にかけて行なわれた。明治以降、旧暦の行事は禁止されたため、今日では新暦の11月六日から十五日に行なわれている。念仏の時に鳴らされる鐘の音は、初冬の風物でもあった。
  十夜念仏の頃には、ちょうど稲の収穫も終わり、籾摺の作業に入る。そんなときは、近所の家同士で臼の貸し借りもあったのだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「臼のいそがハしき用をいへり。前底の体なることを見得すべし。」とある。臼を貸すという用に十夜の鐘という体を付ける。
 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、
「こちにも入る碓(うす)といふより転じ来て、初冬稲をこきあげて米にする時節と思ひよせたり。十月と作りてはひらめになる故、一つぬきて十夜とあしらひたる也。」とある。
 ただ十月の時候を付けるだけではひらめ(平目:平板というような意味)になるので、十夜念仏の風景にして、一つの独立した体としている。
  「壬生の念仏」から四句しか隔てていないので、「念仏」という言葉は同字五句去りなので出せない。そこで「十夜」というだけで十夜念仏のこととしている。
  談林俳諧では、こうした制にかかわる言葉を抜いて式目をかいくぐる手法が多用されたため、「抜け風」と呼ばれたが、本来こうした式目の抜け方は中世連歌の時代からあったもので、『水無瀬三吟』の六十九句目の、

   うす花薄ちらまくもをし
 鶉なくかた山くれて寒き日に    宗祇

の句に、「風とはいはずして風あり此風にてすすきちり給はん」という古註がある。

季題は「十夜」で冬。「十夜」はここでは単なる十日の夜ではなく、十夜念仏のことなので冬になる。念仏なので釈教になる。釈教は三句去りで「壬生の念仏」四句隔てているので問題はない。「鐘」もこの場合は時の金ではないので釈教。「十夜念仏」は昼夜続けて行われるので「夜」の字があっても夜分ではない。

二十四句目

   方々に十夜の内のかねの音
 桐の木高く月さゆる也     野坡
 (方々に十夜の内のかねの音桐の木高く月さゆる也)

 夜分ではないにせよ「夜」の文字が出たのですかさず月を出す。季節は冬なので「さゆる」という冬の季語を用いることで冬の月、寒月のこととする。
 葉を落とした桐の木に寒月がかかる様は冷えさびていて、鐘の音はマイナーイメージで却って静寂を感じさせる。
 『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「鐘を聞居る寂莫の風情、桐の木をあしらへる所妙也。味ふべし。」とある。

季題は「月さゆる」で冬。夜分。天象。月の定座は普通は二十九句目だが、定座は式目ではなく、単なる会式の作法であるため、それほどこだわる必要はない。「桐の木」は植物。

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