三十三句目。
鯉の鳴子の網をひかゆる
ちらばらと米の揚場の行戻り 芭蕉
「ちらばら」は「ちらばる」ということで、多分「ちりちりばらばら」というのも同じ所から来たと言葉なのだろう。「ちらほら」とか「ちらりほらり」とかいう言葉とも類縁なのか。
『俳諧古集之弁』系の註釈だとこの言葉は斜陽の人影の水面に映る様だという。貞享元年の『冬の日』の句、「ひのちりちりに野に米を刈る 正平」の「ちりちり」に近いのか。「はらはら」も乱れ落ちてゆく様を言うから、光がゆらゆらしながら降り注ぐ様を「ちらばら」と言ってた可能性は無くもない。
幕末系の註釈は舟の往来のちらほらだとか、揚場から行き戻る人のちらほらだとか、ほぼ今日のちらほらの意味で解釈している。
『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)は「ちらほら」の誤りだというが、それは明治の感覚で、「ちらばら」だとか「ちらはら」という言い方をこの頃にはしなくなっていたからだろう。
『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は「人多く往来するさま」としているから「ちらほら」というわけでもない。むしろ「ぱらぱら」だろう。
芭蕉の時代に「ちらばら」がどういう意味で用いられていたかは、ここからではわからない。辞書を見たら用例が芭蕉のこの句だった。これではどうしようもない。
米の揚場とは言っても大きな港のような所ではないのだろう。人もまばらで辺りに鯉の生け簀があるような所だから、町外れの川沿いの開けた所か。
とりあえずここでは、鯉の鳴子の網の情景にその原因の鷗が付いていたのを原因とは切り離して単純な風景として、米の揚場の風景に転じたと見ておくことにしよう。「ちらばら」が人なのか影なのかは、保留する。
無季。「揚場」は水辺。水辺が三句続くが、「鷗」「鯉」は水辺の用で「揚場」は体だから輪廻にはならない。『俳諧古集之弁』系に「体用の変あり。」とあるのはそのことか。
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