2016年12月2日金曜日

 さて、あとは名残の裏の残す所六句。
 三十一句目。

   壁をたたきて寝せぬ夕月
 風やミて秋の鷗の尻さがり   利牛

 「鴨の尻さがり」について、『俳諧古集之弁』系には何の説明もない。『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「鷗は都鳥の事にて、尾の方のあがりたる鳥なるを、尻さがりとひねりて作りたる也。」とある。都鳥は今で言うユリカモメのこととされているが、概ねこうした水鳥は尻が上がっている。『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「尻さがりハ句作ながら、秋の高汐に引方ハ出水の流るるにひとしけれバさも有べし。」というのはわかりにくいが、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)の「尻下がりは尻の方の低くさがりたるにはあらで、流の上に向ひて浮み居り、自然と流れて後退するを云へるなり。」と同じだろう。
 多分、尻下がりは説明の必要のないことだったのだと思う。それはカモメの声を聞けばわかることで、カモメの声が尻下がりということなのではないかと思う。
 「壁をたたきて」の主語は省略されているが、擬人化ではなく人が叩いているのだろう。
 「風やミて秋の鷗の尻さがり壁をたたきて寝せぬ夕月」とした時、上句と下句は「て」止めのときと同様倒置の関係になる。
 風が止んで秋のカモメも盛んに鳴き交わしている、さっきまでは友が壁を叩いて遊びに誘い寝かせてもらえない夕月だったが、とそう読むのが良いだろう。
 そう読めば、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)の「青楼の酔をふかれに遊侠の徒のうかれ来れる升崎ハたりの風情などミゆ。変化おかし。」の註がぴたりとはまる。「青楼」は吉原のこと。「升崎」は真崎か。
 季題は「秋」。「鷗」は鳥類。

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