さて、「むめがかに」の巻は二表に入る。
十九句目
門で押るる壬生の念仏
東風々(こちかぜ)に糞(こへ)のいきれを吹まはし 芭蕉
(東風々に糞のいきれを吹まはし門で押るる壬生の念仏)
ここでまた壬生念仏の様子を付けると輪廻になって展開しないので、背景を付けて流したと言っていいだろう。
「門で押るる壬生の念仏」の句は、一句が独立しすぎて、他の意味に取り成すことが難かしく、展開しにくい。時期も舞台も登場人物も限定されていて、発展性がない。こういうときには、芭蕉といえども逃げ句になるのはやむをえない。
ここでふたたび壬生念仏を見る群集の景色に戻ってしまっては、輪廻になる。壬生寺が畑の中にあるところから、まわりの畑の景色に転じるというのが、一つの付け筋となる。打越に「町衆」という人倫の言葉があるから、人物を登場させることはできない。ただ、春風に畠の肥臭い匂いを付けるだけにとどめる。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「壬生寺ハ畠中なり。○此附二句がらミに似たれど、全く前句の用といハん。」とある。
二句がらみというのは壬生念仏のつらりと酔うた町衆の情景に声の匂いを加えて三句連続のイメージではないかというものだが、そうではなく壬生念仏の群衆の押し寄せる様を体として、それに付随するものとして肥えの匂いを付けただけで、打越の酔った聴衆とは離れているというものだという。三句にまたがっていけないのは本来連歌俳諧の基本なのだが、江戸後期ともなるとかなりそれが忘れられている。だから、これを「二句がらみ」という人も結構いたのだろう。
前句の用というのは、たとえば川に橋を付けるようなもので、一つの趣向をこらした情景に対し、それに従属するような言葉を添えることを言う。壬生念仏に酔った町衆は体に体を付けているが、壬生念仏に春風は体に用を付けるということになる。
『去来抄』「先師評」に糞尿の句は嫌う必要はないが、「百韻といふとも二句に過ぐべからず。一句なくてもよからん」と、むやみに多用することを戒めている。ここでは、ただ春風だけでは発展性がないので、一つの趣向を立て、句の俳味を出すためにも、意味のある「糞(こえ)」の使い方だと言ってもいいだろう。
季題は「東風々(こちかぜ)」で春。
二十句目
東風々に糞のいきれを吹まはし
ただ居るままに肱(かひな)わづらふ 野坡
(東風々に糞のいきれを吹まはしただ居るままに肱わづらふ)
春風が肥えの匂いを吹きまわす頃はまだ農閑期で、農家の人はやることのないまま体がなまって肘などを痛めたりする。これはわかりやすい展開だ。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「田家の正月などミゆ。」とあり、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、「糞のいきれといふより転じ来て、百姓の此時節農隙(のうげき)ありて、ぶらぶら遊び居る体と思ひよせたり。日に日にはたらき馴れし身をあまり隙に居る故に、却て肱などいたしといふさま折々見聞処也なり。」とある。
「折々見聞処」つまりあるあるネタ。
無季。
二十一句目
ただ居るままに肱わづらふ
江戸の左右(さう)むかひの亭主登られて 芭蕉
(江戸の左右むかひの亭主登られてただ居るままに肱わづらふ)
「左右(さう)」というのは古語辞典によれば「かたわら」「あれこれ」「結果」といった意味があり、なかなか多義な言葉だったようだ。単にみぎひだりを言うのではなさそうだ。
この句は「向いの亭主登られて江戸の左右(聞く)」の倒置で、左右はあれこれという意味になる。「ただ居るままに肱わづらふに、むかひの亭主登られて江戸の左右を聞く」というのが二句通した意味。
『月居註炭俵集』(著者不明、年次不明、文政七年江森月居没す)に「前句の人、立病ミのぶらぶらして、向ひの亭主に江戸の左右抔(など)を聞也。」とある。
前句は農閑期の百姓のことだったが、ここでは京に住む店の奉公人に取り成されている。『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「店奉公の楽過たる趣をおかしくいへる按排に、前句を換骨し給へり。妙々。」とある。
無季。「亭主」は人倫。十八句目の「町衆」から三句隔てている。
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