2016年12月25日日曜日

 一日遅れだけどとりあえず、はぴほり。
 世界の多種多様な文化を、互いに抑制することなく共存できる寛容な世界が理想だけど。まだそれには遠い。シリア難民のヨーロッパへの大量流入は去年のことだったが、それによって行過ぎたグローバル化に待ったが掛かったのが今年だった。
 グローバル化は一歩間違うとお互いの文化に不快感ばかり表明しあって、無色透明の没個性な世界にしてしまう危険をはらんでいる。他の文化との接触を新たな刺激として積極的に受け止め、自らの文化を高めることでお互いを高め合う方向に向かわなくてはいけない。互いに抑制しあうなら別々に暮らした方がいい。
 日本も昔から中国や半島やオランダなどから刺激を受けて発展してきた。そして日本の文化もまた世界を刺激している。これからも日本文化が発展を続け、真のグローバル化に貢献できることを祈りながら‥‥、今日も「うめがかに」の巻の続き。二裏に入る。

三十一句目

   なハ手を下りて青麦の出来
 どの家も東の方に窓をあけ      野坡
 (どの家も東の方に窓をあけなハ手を下りて青麦の出来)

 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に、「加茂堤のほとりなる乞食村のもやうにも似たり。」とあり、『俳諧七部集弁解』(著者・年次不詳)にも同様の記述がある。
 日本の家屋は通常南向きに作るから、東向きの家というのはかなり特殊なもので、あるいは被差別民の村にそのようなものが見られたのかもしれない。古代日本では太陽を崇拝していたため、東の方角は神聖な意味を持っていたから、その名残をとどめていたのかもしれない。
 西洋でも「朝日の当る家」というのは娼館のことをいうが、一般的には、空調設備のなかった時代には、東向きの家は朝から直接日が当るため、夏場は特に気温が上昇しやすく、非衛生的で嫌われる傾向にあったのだろう。
 江戸時代には白米の文化が広がり、都市の人間はいわゆる「銀シャリ」を食うようになったが、田舎では麦や粟・稗など、雑穀を混ぜて食うのが普通だった。前句の「青麦」から、米よりも雑穀を多く食う貧しい村を連想したのだろう。

無季。「家」は居所。

三十二句目

   どの家も東の方に窓をあけ
 魚に食あくはまの雑水     芭蕉
 (どの家も東の方に窓をあけ魚に食あくはまの雑水)

 家を東向きに建てるというのは、もう一つの可能性として、西側に海があり、潮風の害を防ぐために家を東向きにしたということが考えられる。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「前句を漁村と見ることハやすく、附句のほそミを得ることハ難し。」とあり、『月居註炭俵集』(著者・年次不詳)には、「西風をいとふ海辺なるべし。」とある。
 曲斎著の『七部婆心録』(曲斎著、万延元年奥)によれば、「食ひあく」というのは、飽きるまで食うという意味で、「船中にて活間(いけす)の魚死(あが)り売場なき時ハ、切懸干しにして置、常の雑炊用とす。又直にならぬ雑魚多き時ハ、肉醤に作て雑炊にも用る也。」とある。漁村では生簀で死んで売り物にならなくなった魚を干物にして、雑炊の具とし、雑魚で作る肉醤(しょっつるやナンプラーのようなものか)で味付けし、明け方の漁の前に腹いっぱい食うのだという。
 「ほそミ」というのは『去来抄』によれば、

 「去来曰く、句のしほりは憐れなる句にあらず。細みは便りなき句に非ず。そのしほりは句の姿に有り。細みは句意に有り。是又證句をあげて弁ず。

 鳥どもも寐入って居るか余吾の海   路通

 先師曰く、此句細み有りと評し給ひし也。」

とあるように、句の意味の中にある。
 鳥が寝ているところを見ているわけではないのに、それを気遣う心の中に細みがあるように、この付け句にも貧しい漁村の人たちの心を思いやる細みが感じられるということか。

無季。「魚」と「はま」は水辺。

三十三句目

   魚に食あくはまの雑水
 千どり啼一夜一夜に寒うなり     野坡
 (千どり啼一夜一夜に寒うなり魚に食あくはまの雑水)

 漁村の食生活を詠んだ前句に冬の季節を付けて軽く流したという感じだ。
 『月居註炭俵集』(著者・年次不詳)には「海辺の雑炊に付て、一夜一夜に寒うなりといへり。」とある。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「客中の趣ありと見て、衣の薄き意をふくミいへるや。郷愁かぎりなし。」とあり、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「流浪ノ人ト為テ、夜ノ物ノ薄キナドモ寒ウノ語ニ聞ヘタリ。とあり、漁村を渡り歩く旅人の俤を読み取っている。

季題は「千どり」で冬。鳥類。水辺。「一夜一夜に」は夜分。

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