『むめがかに』の巻の続き。
四句目
家普請を春のてすきにとり付て
上(かみ)のたよりにあがる米の値 芭蕉
(家普請を春のてすきにとり付て上のたよりにあがる米の値)
上方の方面の情報で米の値が上がっているので、春の農閑期に家の改築に着手して、となる。「て」止めはこうした倒置的な用い方をする。
『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)に「これハ炭俵の一体なり。家普請を春の手すきにとり付たる人ハ、米商人(こめあきむど)の仕合よくて買こむだる米も次第に値上りするさま也。」とあるように、この句は前句の家の改築をする人を、農家ではなく、米問屋に転じたものだというところに、注意する必要がある。収穫直後は米の在庫が豊富にあるので、特に豊作の年は米の値は下がるが、春になり、やや品薄感が出てくると米の値はじわじわと上昇し、秋風の吹く頃には、
十団子も小粒になりぬ秋の風 許六
となる。
春の農閑期に入る頃から米の値が上がり出すとなると、夏には米が不足しがちになり、かなりの高値がつきそうだと見込んで家の改築をやっているのである。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「さがるとせバ死句ならん。」とあり、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「上るといふに意味あり。さがるとせバ死句ならん。」、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)にも「上ルト言ニ普請ノ意味有。下ルトセバ死句ナラン。」とある。米が値下がりしたなら家普請どころではない。値下がりで家普請をするとしたら、米を金で買っている町人だろう。農家や武家や米問屋は値上がりを喜ぶ。
無季。
五句目
上のたよりにあがる米の値
宵の内ばらばらとせし月の雲 芭蕉
(宵の内ばらばらとせし月の雲上のたよりにあがる米の値)
前句の米の値上りを、春になって順調に米相場が上昇するという意味ではなく、収穫直前であれば、ちょっとした天候の変化に敏感に米相場が変動する、という意味に取り成す。今でも首都圏でちょっと雪が降ったりすると、たちまち野菜が値上りすることを考えればいい。実際に流通に支障をきたすほどの雪でなくても、心理的な要因で、相場は敏感に反応する。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)の「根のなきあげと見てあしらハれけん。抑揚自在といふべし。」とあるが、「根のなきあげ」はそうした心理的な相場の変動のことか。『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)にも、「稲の花ざかり頃は、鬢の毛三本動く風吹ても相場の狂ふ事、夜と日とたがふ其おもむきを月の雲にてあしらひたる也。」とある。
季題は「月」で秋。夜分、天象。「ばらばらとせし」は雨のことなので降物。
六句目
宵の内ばらばらとせし月の雲
藪越はなすあきのさびしき 野坡
(宵の内ばらばらとせし月の雲藪越はなすあきのさびしき)
「藪」は森でも林でもなく、手入れのされていない木や草の茂る場所をいい、古くは水の流れていない沢のことだったという。田舎でもさびれた荒果てた村を連想させる。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「在所の気やすきさまならん。夜も又静かになりけらし。」とあり、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「秋の寂寞、農家の気安きさま成べし。但し、世にいふ二百十日の前後無難にあれかしの話しならん。」とある。「在所」はここでは郷里のことで、特に被差別部落ということでもなさそうだ。
月の雲に藪越の顔を合わすこともない会話は、響くものがある。どちらも隠れていて見えないという共通点があり、響付けといえよう。『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、「月の雲といふさびしびの余韻をうけて、藪ごしに噺すとあしらひたり。言外の味あじはひなり。」とある。
季題は「あき」で秋。「藪」は植物。発句から四句隔てている。
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