2018年1月12日金曜日

 昨日の「雑ノ説」の中に嵐蘭のことが出てきていたが、おなじ『風俗文選』の誄類のところに芭蕉の「嵐蘭ノ誄」というのがあった。
 誄は音読みだと「るい」で本家の『文選』にも誄類はある。この場合は「るいるい」と読むのだろう。訓読みだと「しのびごと」になる。
 その中で、

 「今年仲の秋中の三日。由井金沢の波の枕に月をそふとて。鎌倉に杖を曳。其かへるさより。心地なやましうして。終に息絶ぬ。」(『風俗文選』伊藤松宇校訂、一九二八、岩波文庫p.117)

という一節がある。
 『風俗文選』で気になるのは、短いセンテンスで「。」を打って区切っているところで、ネットで見た酒田市立光丘文庫所蔵の風俗文選を見ても、確かに丸が打たれている。
 これを行分けして書くと近代詩のようになって面白い。こんなふうになる。

 今年仲の秋中の三日
 由井金沢の波の枕に月をそふとて
 鎌倉に杖を曳
 其かへるさより
 心地なやましうして
 終に息絶ぬ

 「由井金沢」は由比ガ浜、金沢八景のことか。
 芭蕉の誄は短く簡潔な文章だが、去来、許六の誄となると、もう少し詩に近づく。

 あるは杖を横たへ
 落柿舎を叩て飛込だままか都の子規とも驚かされ
 予も彼山に這のぼりて
 脚下琵琶湖ノ水
 指頭花洛山と
 眺望を共にし侍りしを
 人は山を下らざるの誓ひあり
 予は世にただよふの役ありて
 久しく逢坂の関越る道もしらず
    (去来「丈草ヵ誄」)

 病ありて
 起臥のさびしさをしらずとかや
 猶思ふ人のなきにしもあらで
 此事かの事仕果してむ
 今宵は森の下露わけそぼちて小萩がもとに袂をしぼらんと
 玉だれのひまもとむるに
 あらぬあさはりのみ出来がちにて
 初夜過る雪駄の音も程なく静まり
 夜かれのみぞおほかる
    (許六「去来ヵ誄」)

 誄ではなく歌類の所の支考「落柿舎先生ノ挽歌」も、行を分けて書けばこんな感じになる。

 ことしはいかなる年なれば
 かくあぢきなき人をのみ見るらん
 去年の神無月は
 浪化の君にわかれて
 霜の光に名をしたひ
 粟津の丈草は
 此きさらぎの願ひにみちて
 花の陰に帰り給ひぬ
    (支考「落柿舎先生ノ挽歌」)

 さらに後半に歌が記されている。

 家は聖護院の森にかくれて
 名は落柿舎の梢に残りて
   世ははたいかならん

 寒き梟の声に驚き
 空しき秋の色を恨む
   我はたかくならん

 窓のあらしに燈をまもり
 軒のしづくに影をしたふ
  おしむべし アア かなしむべし アア
    (支考「落柿舎先生ノ挽歌」)

 こうした追悼文は、蕪村の「北寿老仙をいたむ」に先行する作品として注目してもいいのではないかと思う。試しに「北寿老仙をいたむ」を『風俗文選』風に表記するとこうなる。

   北寿老仙ヲ悼
 君明日に去ぬ夕の心千々に。何ぞはるかなる。君をおもふて岡野辺に行つ遊。岡野辺何ぞ悲しき。蒲公の黄に薺の白う咲たる。見る人ぞなき。雉子のあるかたひなきに鳴を聞ば。友ありき河を隔て住にき。‥‥以下略‥‥

 蕪村の新しさは表記法の新しさだったのかもしれない。

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