2018年1月19日金曜日

 トランプ大統領就任から一年とテレビで言っていた。ネットで見たCNNのニュースでは「トランプ米大統領の就任から間もなく1年。世界から見た米国の指導者への支持率が過去最低水準に落ち込んでいることが19日までに分かった。」とあったが、そのあとに「米ギャラップが134の国と地域を対象に行った世論調査で明らかになった。」とある。なんだ、アメリカでの支持率ではないのか。さすがアメリカの朝日新聞と言われるだけのことはある。
 トランプ大統領爆誕は言いに付け悪いに付け、古い時代の終わりと新しい時代の始まりを象徴する出来事だと思う。
 安倍首相も盛んに戦後レジームの終わりということを言ってきたが、トランプ大統領爆誕も戦後の米ソの二極支配から冷戦崩壊後のアメリカ一極支配、それに対抗する国連主義、こうした「一つの世界」をめぐる覇権争いの終わりを意味する。アメリカは世界の覇者たることを放棄し、普通の国になることを選んだ。
 一方の極が失われると、それに対抗してきた国連主義のリベラルも行き場を失い迷走する。世界はゆっくりと覇権の時代から多元主義の時代へと進んでゆく。世界は単なる「分断」で終らず、果てしなく細分化してゆくだろう。ただ、それは人間の個々の多様性を考えるなら、最も自然なことだ。
 西洋的な理性の独裁が終る時、日本の古い文化も見直されるに違いない。そんな希望を胸に抱きながら、それでは「日の春を」の巻の続き。

 十四句目。

   有明の梨子打ゑぼし着たりける
 うき世の露を宴の見おさめ  筆

 筆は主筆(あるいは執筆)のことで、興行の際の審判兼記録係だが、慣例として一巻に一句詠むことが多い。挙句の場合が多いが、ここでは連衆が一巡した所で詠んでいる。
 『初懐紙評注』には、

 「前句を禁中にして付たる也。ゑぼしを着るといふにて、却て世を捨てるといふ心を儲たり。観相なり。」

とある。
 前句の梨子打ゑぼしを宮中の公式行事の際の烏帽子ではなく、退出する際の普段着の烏帽子としたか。
 江戸時代ではみんなちょん髷頭を晒しているが、中世まではちょん髷頭をさらすのは裸になるよりも恥とした。職人歌合の博徒のイラストには素っ裸のすってんてんになった博徒の頭に烏帽子だけが描かれている。
 禁裏を退出して出家するにも、髪を剃るまでは烏帽子をかぶっている。「うき世の露を宴の見おさめ」と出家をほのめかす言葉に「梨子打ゑぼし着たりける」とすることで、烏帽子を着るという行為が却って出家の心となる。

 十五句目。

   うき世の露を宴の見おさめ
 にくまれし宿の木槿の散たびに  文鱗

 『初懐紙評注』には、

 「宴は只酒もりといふ心なれば、世のあぢきなきより、恋の句をおもひ儲たり。木槿のはかなくしほるるごとく、我が身のおもひしほるといふより、にくまれしと五文字置なり。恋の句作尤感情あり。」

とある。出家の情から恋に転じる。
 女の所を訪ねてみたけども速攻ふられてしまい、ちょうど槿の花が一日にして散るように、我が恋も一夜にして散った。一夜の浮かれた心も露のように儚く消え、この宿も見納めとなる。

 十六句目。

   にくまれし宿の木槿の散たびに
 後住む女きぬたうちうち   其角

 『初懐紙評注』には、

 「後住女は後添の妻といはん為也。にくまれしといふにて後添えの物と和せざる味を籠めたり。砧打々と重たるにて、千万の物思ひするやうに聞え侍る。愁思ある心にて、前句をのせたる也。翫味浅からず。」

とある。
 「後住む女」は後妻のことで、夫に嫌われて毎日毎日槿の花が咲いては散ってゆくように、砧を打って儚い期待を胸に秘めながら夫の帰りを待つ。
 まあ、其角の句も芭蕉の評も、ちょっと男の女はかくあるべしという期待が入っているかなという感じはするが。

 十七句目。

   後住む女きぬたうちうち
 山ふかみ乳をのむ猿の声悲し   コ斎

 『初懐紙評注』には、

 「砧は里水辺浜浦等に多くよみ侍る。尤姥捨更科吉野など山類にも読侍れば、砧を山類にてあしらひたる也。乳を呑猿と云にて、女といふ字をあしらひたる也。幽かなる意味、しかもよく通じたり。」

とある。
 砧の句の恋の情から逃げるには、その舞台となる場所を付けるというのが常套手段なのだろう。ここでは山類を付ける。
 砧打つ女に「乳をのむ猿」をあしらうことで、この女にも子供がいることをほのめかす。
 猿の声は本来中国の長江以南の地にかつて広く生息していたテナガザルのロングコールのことで、哀愁を帯びたその声を聞くと断腸の思いになるという。ただ、ここにいる連衆の人たちは漢籍を通じて知識として知っているだけで、本物は聞いたことがなかったにちがいない。
 所詮は頭の中だけの猿の声だから、その猿が「乳をのむ猿」だという空想を容易に膨らますことができる。ただ、こうした漢籍に依存した知識の中だけの趣向は、やがて芭蕉が「軽み」の体に向うと敬遠され、もっとリアルな日常の趣向を重視するようになる。
 元禄五年、其角が、

 声枯れて猿の歯白し峯の月   其角

の句を詠んだ時には、芭蕉は空想の猿ではなく、同じ情をもっと日乗卑近なもので言い換えようと試みる。それが、

 塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店   芭蕉

だった。

 十八句目。

   山ふかみ乳をのむ猿の声悲し
 命を甲斐の筏ともみよ    枳風

 『初懐紙評注』には、

 「猿の声悲しきより、山川のはげしく冷敷体形容したる付やう。尤山類をあしらひたる也。」

 中国の六朝時代の無名詩に、

 巴東山峡巫峡長  猿鳴三声涙沾裳

 巴東の山峡の巫峡は長く、
 猿のたびたび鳴く声に涙は裳裾を濡らす。

という詩がある。今では三峡ダムという巨大なダムのある巴東山峡だが、それを日本に移せば甲斐の国の筏ということか。
 『江湖集鈔(こうこしゅうしょう)』には、「霊隠でさびしき猿声を聞きぬ鐘声を聞たことは忘れまじきそ。猿声や鐘声は無心の説法に譬るそ。無心の説法を聞て省悟したことは忘れまじきそとなり。」とあり、猿の声に悟りを開いた広聞和尚のことを思い起こし、猿の声の悲しさに人の命を甲斐の筏のように頼りなく儚いものだと思い知れ、ということか。

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