今日は久しぶりに本降りの雨だった。
ICANのフィン事務局長は核について議論することが大事だと言っていた。
核兵器はないにこした事はないが、ただ核兵器の禁止は地雷はクラスター爆弾の禁止とは明らかに違う。特に威力という点で、生化学兵器をもはるかに凌ぐ。
地雷をいくら保有しても世界征服は無理だが、核の力があればひょっとしたら可能なのではないのかという誘惑は、どこの国の独裁者にもあるのではないかと思う。
今年のキム・ジョンウンの新年の辞でも、「チュチェ革命偉業の最後の勝利をなしとげるまで闘争と前進を止めるつもりはない」と言っている。その行き着くところは結局永久革命だろう。北朝鮮一国に留めることなく、チュチェ思想が世界を支配する時代を作ろうとしている。
そしてこの人は世界征服の最大のライバルであるアメリカと同胞である南朝鮮以外の国のことは何一つ語っていない。世界を支配するのはアメリカか北朝鮮か、と頭の中にはそれしかないのだろう。
こういう独裁者は、たとえアメリカ・ロシア・中国・インドが一斉に核を放棄したとしても核開発はやめないだろう。そしてそれらの国の核抑止力があるにもかかわらず未だに北朝鮮の核開発は止められないのだから、それがなくなったらどうなるのかは推して知るべしだ。
別にあの国に限ったことではない。世界征服の野心を持つ者が核開発を始めたとき、それを止める手段はあるのだろうか。それがないなら今すぐに手放しに核兵器禁止条約を批准するのはかえって危険ではないかと思う。
むしろ愚案ずるに、核兵器禁止条約の前に独裁政治禁止条約を作るべきではないかと思う。
じゃあ、それでは気分を変えて「日の春を」の巻の続き。
七句目。
炭竃こねて冬のこしらへ
里々の麦ほのかなるむら緑 仙化
仙化はちょうどこの頃芭蕉の古池の句を句合わせの形で発表する『蛙合』の編纂をしてたのではないかと思う。その第一番では、
左
古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉
右
いたいけに蝦つくばふ浮葉哉 仙化
此ふたかはづを何となく設たるに、四となり六と成て一巻にみちぬ。かみにたち下におくの品、をのをのあらそふ事なかるべし。
と編者である仙化自身の句を芭蕉の古池の句と並べている。
さて七句目の方だが、『初懐紙評注』には、
「付やう別条なし。炭竃の句を初冬の末霜月頃抔の体に請て、冬畑の有様能言述侍る。その場也。」
とある。前句の炭竃に神無月の末から霜月にかけての景色を付けている。特に変わった趣向はないが、「麦ほのかなるむら緑」は冬の畑の様子をよく言い表している、というのが芭蕉の評価のようだ。
八句目。
里々の麦ほのかなるむら緑
我のる駒に雨おほひせよ 李下
李下といえば天和元年の春、当時まだ桃青と名乗っていた芭蕉が深川に隠棲するというので、その新たな住居の庭に芭蕉を植えたことで知られている。ここから深川の新たな住居は「芭蕉庵」と呼ばれ、桃青もまた「芭蕉庵桃青」と名乗るようになった。ここに今日一般に知られている「芭蕉さん」の呼び名が誕生することになった。
さてこの句は『初懐紙評注』には、
「是等奇意也。何を付たるともなく、何を詠めたるともなし。里々の麦と言より旅体を言出し、むら緑などうるはしきより雨を催し侍る景色、弁口筆頭に不掛。」
と評されている。
付き物に寄せて付けるのではなく、里々の景色に旅体、むら緑にそれを際立たせる雨を付け、馬に雨覆いをせよとしている。
百韻なので九句目から初裏に入る。
九句目。
我のる駒に雨おほひせよ
朝まだき三嶋を拝む道なれば 挙白
挙白は『奥の細道』の旅立ちの際、芭蕉に餞別として、
武隈の松みせ申せ遅桜 挙白
の句を贈っている。芭蕉は実際に武隈の松の所に辿り着いた時、
桜より松は二木を三月越し 芭蕉
の句を詠む。
さて、九句目の方は、『初懐紙評注』には、
「是さしたる事なくて、作者の心に深く思ひこめたる成べし。尤旅体也。箱根前にせまりて雨を侘たる心。深切に侍る。」
とある。
小田原を朝未明に出て、箱根八里を越えて三島に至る道なれば、雨は困ったものだ。箱根を越えたことのある人なら痛切に感じる所だろう。
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