今日は一日ゆっくりと休んだ。
それでは「日の春を」の巻の続き。
十九句目。
命を甲斐の筏ともみよ
法の土我剃リ髪を埋ミ置ん 杉風
『初懐紙評注』には、
「筏のあやうく物冷じきを見て、身の無常を観じたる也。甲斐と云は、古人仏者の古跡等多く、自然に無常も思ひよりたれば也。剃髪埋み置作為、新敷哀をこめ侍る。」
とある。
前句の川の流れの無常に出家僧を付ける。それだけでは展開に乏しいが、剃った髪を埋めるというところに芭蕉は新味を見ている。
二十句目。
法の土我剃リ髪を埋ミ置ん
はづかしの記をとづる草の戸 芳重
『初懐紙評注』には、
「別意なし。草庵隠者の体也。さもあるべき風流なり。」とある。
剃った髪を埋めて草庵で生活する隠遁者のあるある(さもあるべき)といっていいだろう。まあ、鴨長明か兼好法師を気取ってちょっと文章を書いてみたりするが、なんか恥ずかしくなって人が来るとあわててしまったり、ありそうなことだ。
二十一句目。
はづかしの記をとづる草の戸
さく日より車かぞゆる花の陰 李下
作者を杉風とする本もある。
『初懐紙評注』には、
「前句、隠者の体を断たる也。尤官禄を辞して、かくれ住人のいかめしき花見車を日々にかぞへて居る体也。只句毎に句作のやわらかにめづらしきに目を留むべし。」
とある。かなり褒めているので後の人が杉風の方がふさわしいとして変えてしまったか。
車を使うのは平安時代の貴族で、当時の官道は道幅も広く簡易舗装がされていた。官を辞して田舎に籠れるも、花の季節となると都から花見の車がやって来る。今日は何台来たかなんてことも「はづかしの記」には記されているのだろうか。
二十二句目。
さく日より車かぞゆる花の陰
橋は小雨をもゆるかげろふ 仙花
『初懐紙評注』には、
「春の景気也。季の遣ひ様、かろくやすらか成所を見るべし。花の閉目杯は、易々と軽く付るもの也。」
とある。花の定座の後は、それを引き立たせるためにも、軽く景色を付けて流すのがいい。
花の定座は各懐紙の後ろから二番目で、懐紙を山折にして綴じた時には、定座の後の句が綴じ目に来る。
陽炎というと今では夏の炎天下のめらめらを思い浮かべがちだが、かつてはおそらく野焼きの煙で、炎が燃え上がらずにくすぶった上に生じる陽炎を本意としていたのではないかと思われる。だから小雨に陽炎もありだったのだと思う。ここで初の懐紙が終わる。
二表、二十三句目。
橋は小雨をもゆるかげろふ
残る雪のこる案山子のめづらしく 朱絃
『初懐紙評注』には、
「是又春の気色也。付やうさせる事なし。野辺田畑のあたり、残雪にやぶれたる案山子立たる姿哀也。景気を見付たる也。秋のもの冬こめて春迄残たるに、薄雪のかかりたる体、尤感情なるべし。」
とある。
これも軽く景色であしらった句で、春のまだ残る雪も珍しければ秋の案山子がまだ残っているのはさらに珍しい、とした。
二十四句目。
残る雪のこる案山子のめづらしく
しづかに酔て蝶をとる歌 挙白
『初懐紙評注』には、
「句作の工なるを興じて出せる句也。蝶をとるとる歌て酔に興じたる体、誠に面白し。」
とある。
「蝶をとるとる」という歌がこの頃はあったのだろうか。よくわからない。酔っ払って歌うのだから子供が蝶を採るのとは違うだろう。
二十五句目。
しづかに酔て蝶をとる歌
殿守がねぶたがりつるあさぼらけ ちり
『初懐紙評注』には、
「此句、附所少シ骨を折たる句也。前句に蝶を現在にしたる句にあらず。蝶をとるとる歌といふを、諷物にして付たる也。殿守は禁中の下官の者也。蝶取歌と云ふ風流より、禁裏に思ひなして、夜すがら夜明し興ありて、殿守等があけて、猶ねぶたげに見ゆる体也。」
とある。「殿守」はweblio辞書の「三省堂大辞林」の「とのもりづかさ」の項に、
「(「主殿署」と書く)律令制で、春宮とうぐう坊に置かれた役所。東宮の湯浴み・灯火・掃除などのことをつかさどった。とのもりつかさ。みこのみやのとのもりつかさ。しゅでんしょ。」
とある。皇太子のお世話をする雑用係だろうか。
蝶を見て「蝶をとるとる」と歌ったのではなく、あくまで宮廷での風流の余興で、夜を徹した遊んだ朝、殿守は眠くてしょうがないといったところか。
宮廷ネタの多さは、この頃の蕉風の特徴なのだろう。蕪村も天和からこの頃の蕉風を真似ていたのか。
二十六句目。
殿守がねぶたがりつるあさぼらけ
はげたる眉をかくすきぬぎぬ 芭蕉
『初懐紙評注』には、
「朝ぼらけといふより、きぬぎぬ常の事なり。はげたる眉といふは寝過して、しどけなき体也。伊勢物語に夙に殿守づかさの見るになどいへるも、此句の余情ならん。」
とある。
「朝ぼらけ」といえば後朝ということで、激しい夜を過ごした後はきっと書いた眉などハゲているだろうなと付ける。こういう目の付け所はさすが芭蕉さんだ。
『伊勢物語』六十五段に、「つとめてとのもづかさの見るに、沓はとりて、奥に投げ入れてのぼりぬ。」とある。在原業平が大御息所の従妹に入れあげて、宮中に帰るときに靴を奥に投げ入れて外出してなかったように見せかけているのを殿守司に見られてしまい、そのうちこの事が評判になって帝の耳に入り流罪となる。
『伊勢物語』のこの場面を知らなくても意味は通るから、本説ではなく俤と言ってもいいだろう。このころはまだ俤付けという言葉はなく、余情と言っている。
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