2018年1月28日日曜日

 今日も一日曇っていて寒かった。家でお休み。
 それでは「日の春を」の巻の続き。

 三十九句目。

   弥勒の堂におもひうちふし
 待かひの鐘は墜たる草の上    芭蕉

 『初懐紙評注』には、

 「弥勒の堂といふ時は、観音堂釈迦堂など云様に、参詣繁昌にも聞えず。物淋しき体を心に懸て、鐘の地に落て葎の中に埋れ、龍頭纔に見えたる体、見る心地せらる。五文字にて一句の味を付たり。注釈に及ばず。よくよく味ひ聞べし。」

とある。
 確かに観音堂や釈迦堂はよく聞くが、弥勒堂はあまり見ないような気がする。ためしにググってみたが、「弥勒堂」だと仏壇屋が出てきてしまう。「弥勒堂 古寺」だと室生寺や慈尊院の弥勒堂がようやく出てくる。どちらもかなり地味な建物だ。
 弥勒信仰はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、

 「弥勒菩薩を本尊とする信仰。死後、弥勒の住む兜率天とそつてんへ往生しようとする上生思想と、仏滅後五六億七千万年ののち、再び弥勒がこの世に現れ、釈迦の説法にもれた衆生を救うという下生思想の二種の信仰から成る。インドに始まり、日本には推古朝に伝来し、奈良・平安時代には貴族の間で上生思想が、戦国末期の東国では下生思想が特に栄えた。」

とある。
 芭蕉の時代は弥勒信仰の流行期から外れていたので、戦国末期の流行期に建てられた弥勒堂がそのまま放置され、野に埋もれている情景がしばしば見られたのだろう。「鐘の地に落て葎の中に埋れ、龍頭纔(わずか)に見えたる体」は当時のあるあるだったか。「龍頭」は釣鐘の上部にある吊るための縄をかける部分をいう。
 「待かひ」は弥勒の再来を待つということか。その思いも今では落ちた釣鐘のように打ち臥している。

 四十句目。

   待かひの鐘は墜たる草の上
 友よぶ蟾の物うきの声    仙花

 『初懐紙評注』には、

 「友呼蟾 ちか頃珍重に侍る。草むらの体、物すごき有様、前句に云残したる所を能請たり。うき声といふにて、待便りなき恋をあひしらひたり。」

とある。前句の「待かひ」に「友呼ぶ蟾(ひき)」が付く。前句の言い残した景色を追加した体。
 ヒキガエルというと、『蛙合』に、

 うき時は蟇(ひき)の遠音も雨夜哉  曾良

の句がある。ヒキガエルの声は物憂く聞こえる。

 四十一句目。

   友よぶ蟾の物うきの声
 雨さへぞいやしかりける鄙ぐもり コ斎

 『初懐紙評注』には、

 「蟾の声といふより田舎の体を云のべたる也。雨と付る事珍しからずといへども、ひなぐもり珍し。しかも秋に云言葉にあらず。古き歌によみ侍る。惣じて句々、折々古歌古詩等の言葉、所々にありといへども、しゐて名句にすがりたるにもあらず侍れば、さのみことごとしく不記。」

とある。
 曾良の句にもあったように、蛙に雨は付き物で、蟾に雨も別に珍しくはない。
 「ひなぐもり」は岩波古語辞典には、枕詞で「日の曇る薄日の意から同音の地名「碓氷」にかかる。」とある。例として挙げられているのは、

 ひなぐもり碓日の坂を越えしだに
     妹が恋しく忘らえぬかも
              防人(巻二十、四四〇七)

 たしかに滅多に用いられない言葉で、古歌にあるといってもそんなに有名な歌ではないし、本歌とも思えない。
 雨というほどひどく憂鬱ではないが薄曇で鬱陶しいということか。蟾の鳴く田舎の景色に天候を添えている。

 四十二句目。

   雨さへぞいやしかりける鄙ぐもり
 門は魚ほす磯ぎはの寺    挙白

 『初懐紙評注』には、

 「鄙の体あらは也。濱寺などの門前に、魚干網など打かけたる体多し。曇と云に干スと附たる、都て、作者の器量おもひよるべし。」

とある。濱寺は山寺に対しての言葉か。漁村にあるお寺の門前で干物が干してある事は珍しくないということで、これはあるあるネタといっていいだろう。
 せっかく干しているのに雨とはいわないまでも薄曇りなのは残念。

 四十三句目。

   門は魚ほす磯ぎはの寺
 理不尽に物くふ武者等六七騎   芳重

 『初懐紙評注』には、

 「此句秀逸也。海辺軍乱たる体也。民屋寺中へ押込て狼藉したる有様、乱国のさま誠にかく有べし。世の中おだやかに、安楽の心ばへ、難有思ひ合せて句を見るべし。」

とある。
 芭蕉はこうした武士の横暴や武家社会の堅苦しさなどの風刺を好む所がある。その意味では芭蕉好みの句といえよう。
 国が乱れれば軍のモラルも下がり、民間人に対する略奪などが横行する。やはり平和がいい。

 四十四句目。

   理不尽に物くふ武者等六七騎
 あら野の牧の御召撰ミに   其角

 『初懐紙評注』には、

 「前句の勢よく替りたり。野馬とりに出立たる武士の体、尤面白し。三句のはなれ、句の替り様、句の新しき事、よく眼を止むべし。」

とある。
 これは略奪から一転して道草の句に。荒野の牧場にお殿様の乗る馬を選びにきたものの、そんな簡単なことではない。むちゃ振りというか、理不尽な命令にすねた武者等が道草食う。
 江戸中期になると「三句の渡り」なんてことが言われるが、本来連歌も俳諧も三句に渡ってはいけないもので、「三句のはなれ」が正しい。「句の替り様」こそ連句の醍醐味といっていい。

 四十五句目。

   あら野の牧の御召撰ミに
 鵙の一声夕日を月にあらためて  文鱗

 『初懐紙評注』には、

 「段々附やう、文句きびしく続きたる故に、よく云ひなし侍る。かやうの所巧者の心可附義也。夕日さびしき鵙の一声と長嘯のよめるに、西行の柴の戸に入日の影を改めて、とよめる月をとり合せて一句を仕立たる也。長嘯のうたを、本歌に用ゆるにはあらず侍れども、俳諧は童子の語をもよろしきは、借用侍れば、何にても当るを幸に、句の余情に用る事先矩也。」

とある。
 長嘯は戦国武将の木下勝俊で、歌人としては長嘯あるいは長嘯子と呼ばれていた。

 鉢叩あかつき方の一こゑは
     冬の夜さへもなくほととぎす
                 長嘯子

の歌から、芭蕉は、

 長嘯の墓もめぐるか鉢叩き    芭蕉

の句を元禄二年に詠んでいる。「夕日さびしき鵙の一声」は『芭蕉の人情句: 付句の世界』(宮脇真彦、二〇一四、角川選書)によれば、

 野辺見れば尾花が末にうち靡く
     夕日も薄し鵙の一声
                長嘯子

だという。
 「西行の柴の戸に入日の影を改めて」も同書によれば、

 射し来つる窓の入日を改めて
     光を変ふる夕月夜かな
                西行法師

だそうだ。
 「鵙の一声夕日を月にあらためて」の句は確かにこの二つの歌を合わせた句だ。「鵙の一声」に「夕日も薄し」と「入日を改めて」「夕月夜」を合わせれば、この句になる。
 紺屋に馬を探しに来て日も暮れるというだけの句だが、二つの和歌を引いてきてここまで作るというのは巧者としか言いようがない。
 貞門談林では俗語を一語入れなくてはならないのだが、蕉門ではそうした制約を撤廃したから和歌の言葉だけで構成してもかまわない。「俳諧は童子の語をもよろしきは、借用侍れば、何にても当るを幸に、句の余情に用る事先矩也。」と、使える言葉は何でも使えということだ。

 四十六句目。

   鵙の一声夕日を月にあらためて
 糺の飴屋秋さむきなり    李下

 『初懐紙評注』には、

 「洛外の景気、尤やり句也。月夕日に其地を思ひはかりて見ゆ。」

とある。
 前句が時候なので、それにふさわしい場所として京都の賀茂川と高野川の合流点付近に思いをはせる。下鴨神社があるので飴屋もあったのだろう。夕暮れともなれば店じまいか。

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