昨日の五十句目、「金山がほら」がまちがって「金山がはら」になっていたので訂正した。
さてここから先は『初懐紙評注』の助けなしでおぼつかないが、とにかく行ってみよう。
三表、五十一句目。
さかもりいさむ金山がほら
此国の武仙を名ある絵にかかせ 其角
武仙は歌仙からの発想だろう。三十六歌仙屏風は戦国時代からしばしば製作されているし、三十六歌仙絵巻は鎌倉時代まで遡れる。
盗賊の頭領の金山八郎左衛門なら、三十六歌仙ならぬ三十六人の武将を描いた三十六武仙なんかを描かせて飾りそうだなということで、この句になったのだろう。天和的な発想の名残を感じさせる。
五十二句目。
此国の武仙を名ある絵にかかせ
京に汲する醒井の水 コ斎
「醒井(さめがい)の水」は洛中三銘水の一つ。同じ名前の水が滋賀県米原市にもあり醒井宿という中山道の宿場になっている。こちらの方は日本武尊の伝説がある。
おそらく武仙から日本武尊を連想し、武仙の絵を飾りながら京の醒井の水でお茶でも立てようというのだろう。醒井の水は千利休にも好まれたし、戦国武将も多くこの水を好んだ。
五十三句目
京に汲する醒井の水
玉川やをのをの六ツの所みて 芭蕉
井手の玉川は宇治の南にあり、平成の名水百選にも選ばれている。
かはづ鳴く井手の山吹散りにけり
花の盛りにあはましものを
よみ人知らず(古今集)
の歌にも詠まれている。
ただ、玉川は京都(山城)だけでなく、近江の野路の玉川、摂津の三嶋の多摩川、武蔵の調布の玉川、陸奥の野田の玉川、紀伊の高野の玉川と合わせて「六玉川」と呼ばれていた。
六つの玉川の水をそれぞれ見て歩いたが、やはり京の醒井の水が一番ということか。
五十四句目。
玉川やをのをの六ツの所みて
江湖江湖に年よりにけり 仙花
江湖は長江と洞庭湖に限らず広く五胡四海の広い世界を表していたという。風光明媚な川や湖の景色を訪ね歩き、六つの玉川も見て、旅をしているうちに年取ってしまった。水辺が続く。
五十五句目。
江湖江湖に年よりにけり
卯花の皆精にもよめるかな 芳重
『校本芭蕉全集第三巻』によれば「精」は「しらげ」と読む。精白米、つまり銀シャリのこと。
この本の注釈には、
卯の花のみな白髪とも見ゆるかな
賤が垣根は年よりにけり
という無名抄の歌を引用している。卯の花に白髪というと元禄二年の『奥の細道』で芭蕉に同行した曾良が、
卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曾良
と詠んでいる。
卯の花を白髪に喩えるのは、わりとありきたりなことだったのだろう。ここでは白髪ならぬ精げに喩える。言い間違いの面白さを狙ったか。
五十六句目。
卯花の皆精にもよめるかな
竹うごかせば雀かたよる 揚水
これは諺のような句だ。文和千句第一百韻の「植ゑずはきかじ荻の上風 長綱」を思わせる。
竹を動かせば雀が動いてない竹の方に集まるように、卯の花が銀シャリに似ていると誰かが言えば、みんな「そうだそうだ」となる、ということか。雀は米に集まる。
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