2018年1月5日金曜日

 今日は寒い一日だったが、雪にならなくて良かった。
 「馬に寝て残夢月遠し」の句で芭蕉が菊川に泊って未明に出発したとなると、やはり『野ざらし紀行』の伊勢までの日程が気になる。
 出発が八月の中頃で伊勢で「三十日月なし」の句を詠んでいるとすると、大体二週間くらいの旅だったことになる。
 旧街道ウォーキング「人力」というサイトに載っている各宿場間の距離を参考に、大体一日四十キロ前後進む(歩いたにしても馬に乗ったとしてもスピードは変わらないものとして)なら日本橋から大井川の手前の島田までは六日間。菊川から四日市までは五日間、四日市から伊勢までは二日と思われる。これで十三日。それに大井川で足止めされた日数が加わる。
 『野ざらし紀行』には、

 「大井川越る日は終日雨降ければ、

 秋の日の雨江戸に指おらん大井川  ちり」

とある。そして小夜の中山の所には「廿日余の月かすかに見えて」とある。
 「終日雨降ければ」が大井川をわたる予定の日に一日雨が降り、やむなく島田に一泊し、翌日の夕方にようやく川を渡って菊川に着いたとなれば、無駄にしたのは一日ということになる。つまり江戸を発って八日目に小夜の中山を越えたことになる。もっとも
 伊勢の三十日から逆算するなら、二十九日に四日市を出て翌日伊勢に着いてその夜真っ直ぐに参宮したとするなら、菊川を出たのは二十四日ということになる。それだと江戸を出たのは十七日となる。
 十七日に旅立って戸塚に泊り、十八日に小田原泊、十九日に沼津泊、二十日に興津泊、二十一日に藤枝泊、翌二十二日に大井川を渡る予定が島田一泊になり、翌二十三日の夕方にようやく川止めが解除され菊川泊。これで計算が合う。
 芭蕉の小夜の中山の句はもう一句ある。

 忘れずば小夜の中山にて涼め   芭蕉

 これは『野ざらし紀行』に旅立つ二ヶ月前の六月、松葉屋風瀑が江戸から伊勢に帰郷する際の餞別句で、八月三十日には伊勢で再会することになる。

 命なりわづかな笠の下涼み    芭蕉

という延宝四年に芭蕉が詠んだ句を踏まえたもので、小夜の中山を通る時にこの句を忘れてなかったら笠の下に涼んで下さい、という意味だろう。

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