月曜日は朝から雪がちらつき昼過ぎには本降りになった。夕方になると立ち往生した車によって至る所渋滞で動かなくなった。
渋滞の果てを隠して雪が降る こやん
この日は会社に泊った。
翌日、朝の国道246では渋滞の車がエンジンを止めライトも消して死んだようになっていた。昼になっても至る所渋滞していた。融けた雪が再び固まって路上に無数の突起を作っていて、こうなると車はすべらないようにゆっくり進むしかない。
雪融けて車体を揺する氷かな こやん
この日も結局帰りが遅くなり、昨日の寝不足もあって早く寝た。
今日は晴れたが寒かった。
さて、「日の春を」の巻の続き。
二十七句目。
はげたる眉をかくすきぬぎぬ
罌子咲て情に見ゆる宿なれや 枳風
『初懐紙評注』には、
「はげたる眉といへば老長がる人のおとろへて、賤の屋杯にひそかに住る体也。罌子は哀なるものにて、上ツ方の庭には稀也。爰に取出して句を飾侍る。是等の句にて植物草花のあしらひ、所々に分別有べきなり。」
とある。
「罌子(けし)」は一日花で儚いが、朝顔や槿と違い秋の淋しさを伴わない。また、田舎に詠むことが多い。
前句の眉のハゲを書いた眉のハゲではなく、年取って白髪になり抜けていった眉として、芥子畑のある片田舎に隠居する老人に取り成している。
二十八句目。
罌子咲て情に見ゆる宿なれや
はわけの風よ矢箆切に入 コ斎
『初懐紙評注』には、
「矢箆切といふ言葉先新し。前句民家にして武士の若者共、與風珍敷物かげなど見付たる体也。大形は物語などの体をやつしたる句也。或は中将なる人の鷹すへて小野に入、うき舟を見付たるなどのためし成ん。されども其故事をいふにはあらず。其余情のこもり侍るを意味と申べきか。」
「矢箆切(やのきり)」は矢の棒の部分である矢箆(やの)を切ることをいう。矢箆(やの)は矢柄(やがら)、矢箆竹(やのちく)ともいう。
矢箆切のために山に入ってゆくと風が木の葉を分けるように吹いて、そこからケシの花の咲く宿が一瞬目に入る。
芭蕉は『源氏物語』の「手習」の俤としている。「されども其故事をいふにはあらず。其余情のこもり侍るを意味と申べきか。」というのは、まだこの頃は「本説」に対しての「俤」という言葉を見つけてなかったからだろう。
二十九句目。
はわけの風よ矢箆切に入
かかれとて下手のかけたる狐わな 其角
『初懐紙評注』には、
「藪かげの有様ありありと見え侍る。しかも句作風情をぬきて、只ありのままに云捨たる句続き心を付べし。」
とある。
下手に掛けた罠だから、葉分けの風が吹くと丸見えになってしまう。これだけでネタとして面白いので、余計な風情で飾ったりせずそのまま詠んでいる。このあたりの笑いの壺は其角はよく心得ている。
三十句目。
かかれとて下手のかけたる狐わな
あられ月夜のくもる傘 文鱗
『初懐紙評注』には、
「冬の夜の寒さ深き体云のべ侍る。傘に霰ふる音いと興あり。然も月さへざへと見ゆる尤面白し。狐わなといふに、細に付侍るはわろし。」
ここでは狐罠を単なる冬の景色の一場面として、あられ月夜の景を付ける。
ここでいうい霰は氷霰で5ミリを越える大きなものは雹という。積乱雲が発生した時に降るので、夕立の空の片側が晴れていたりするように、霰雲も空全体を覆わずに月が照ってたりする。
氷霰だから唐傘に当たるとバラバラと音がする。これを「くもる傘」と言い表している。
月の光が射しているから下手な狐罠がはっきりと見える。その意味では「狐罠」と「あられ月夜」は付いている。隠れてない罠と隠れてない月という「隠れてない」つながりという意味では後の「響き付け」に近いが、この場合は原因結果の関係もあるので心付けといったほうがいいだろう。
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