さて、それでは予告通り、磐城平藩の殿様、内藤風虎の企画した『六百番俳諧発句合』(延宝五年)を見ていくことにしよう。テキストは『俳諧句合集』(明治三十二年刊、博文館)を用い、ネット上の檀上正孝さんの「『六百番俳諧発句合』の研究─内藤家所蔵「稿本」の紹介をかねた若干の考察─」も参考にしてゆく。
判者は任口、季吟、維舟の三名で、任口は芭蕉の『野ざらし紀行』の旅でも訪ねて行った伏見西岸寺の住職で、季吟と共に伊賀にいた頃からの交流があったのではないかと思われる。
季吟は言わずと知れた芭蕉の師匠とも言うべき人だ。談林の平俗に流されず、古典の心を重視した姿勢は季吟から学んだものであろう。
維舟は松江重頼の別号で御年七十五歳の重鎮だ。
『六百番俳諧発句合』は六十人の参加者が左右三十人づつに分かれて、それぞれ二十番勝負を行うもので、桃青は右だから左の作者三十人の内二十人と当たることになる。
句合は本来は順位をつけるものではないが、仮にサッカーの勝ち点に倣って点数を付けて行くとするとこうなる。勝=3、良持=2、持=1、負=0で計算してみた。
言水VS久明は勝負保留になっているが、これも持として計算する。
左
風虎 56 虎竹 36 野双 32 正立 39 紫塵 29 吟松 26
行林 31 研思 18 保俊 30 千之 27 幽山 33 宗旦 34
忠知 30 春良 28 万年子23 如白 21 似春 34 元好 27
千春 33 露沾 52 破扇子32 治尚 23 由平 34 守常 23 春澄 39 露幽 23 松寸 30 正藤 27 久友 23 言水 21
右
曲言 30 林元 24 三昌 20 衆下 26 紀子 15 方格 18
久明 20 塵言 32 正成 17 朝徹子31 好元 18 酔鶯 23
繁常 16 重安 21 一欠 27 友也 24 木子 25 意朔 33
信章 22 幽明 21 以仙 22 従古 21 如流 13 勝政 18
泰徳 24 桃青 33 由可 23 初知 22 有安 23 聞也 16
順位はこのようになる。
1.風虎 56
2.露沾 52
3.正立 39
3.春澄 39
5.虎竹 36
6.宗旦 34
6.似春 34
6.由平 34
9.幽山 33
9.千春 33
9.意朔 33
9.桃青 33
13野双 32
13破扇子32
13塵言 32
16行林 31
16朝徹子31
18保俊 30
18忠知 30
18松寸 30
18曲言 30
22紫塵 29
23春良 28
24千之 27
24元好 27
24正藤 27
24一欠 27
28吟松 26
28衆下 26
30木子 25
31林元 24
31友也 24
31泰徳 24
34万年子23
34治尚 23
34守常 23
34露幽 23
34久友 23
34酔鶯 23
34由可 23
34有安 23
42信章 22
42以仙 22
42初知 22
45如白 21
45重安 21
45幽明 21
45従古 21
45言水 21
50三昌 20
50久明 20
52研思 18
52方格 18
52好元 18
52勝政 18
56正成 17
57繁常 16
57聞也 16
59紀子 15
60如流 13
こうやって見ると主催者の風虎・露沾の親子は別格として、桃青(芭蕉)の9位は堂々たる成績といえるだろう。信章(素堂)は42位。言水は45位だった。
六百番全部読むのはなかなか大変なので、まずは桃青の登場する所を見てゆくことにする。
二十六番
左持 元日 矢吹 路幽
万歳のこゑのうちにや君がはる
右 門松 松尾 桃青
門松やおもへば一夜三十年
左の内にや右の一夜同じさまにうたれきこころばへは持とす。
芭蕉が三十になったのは寛文十三年のことで、句合の為に二十句提出する際には、全部が描きおろしではなく、旧作も混ざっていたのだろう。
正月になれば一つ年を取るので、大晦日から元旦にかけて一夜明ければ三十歳になっているとすれば普通のことだが、「一夜三十年」というと一瞬一夜にして三十年が経過したみたいな印象を与える。えっと思わせて、ちょっと考えて「何だ三十になったってだけか」となる考え落ちと言って良いだろう。
路幽の句は角付け芸人の万歳がやって来て、その声に春が来たのを感じるというものだが、これも「万歳」と最初に切り出すことで一万歳とまではいかなくても長寿を連想させ、ちょっと考えて、「そっちの万歳か」と落ちになる。
ありきたりな歳旦の趣向に一工夫という点ではこの二句は似ていて甲乙つけがたい、という任口さんの判断であろう。
五十四番
左勝 水掛祝 青木 春澄
きのふこそ寒こりみしか水あみせ
右 霞 松尾 桃青
大比叡やしの字を引て一かすみ
左きのふこそ寒垢離行者の床も新まくらの夜床明るわびしき水あみせも慚愧懺悔六恨清浄殊に清め所あるべく候。右のしの字文字は直して心横へ引たるにや愚なる者悟りかたし人皆発明せずは黒闇地獄に堕在々々寒垢離こそ清からめ。
春澄は翌延宝六年秋、松島から京へ帰る途中に江戸に立ち寄って、「のまれけり」の巻、「青葉より」の巻、「塩にしても」の巻の三吟を似春とともに巻いている。
延宝九年刊信徳編の『俳諧七百五十韻』に参加し、その時の、
鳫にきけいなおほせ鳥といへるあり 春澄
の句に応じるように、『俳諧次韻』に、
春澄にとへ稲負鳥といへるあり 其角
を発句とする百韻が収められている。
その春澄の句は、昨日寒中に冷水を浴びて身を清める寒垢離をしている人を見たから、俺も水浴びしよう、という句。
これに対し芭蕉の句は仮名草子『一休ばなし』のネタで、大文字で長々と書けと言われて一文字「し」を書いたという話から、比叡山は霞も「し」の字にたなびくとする。
ただ、「し」の字は縦に線を引くものだが、霞は横にたなびくので無理がある。「心横へ引たるにや愚なる者悟りかたし」と読むほうも意味がすぐに分からない。桃青の負け。
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