最初に交換によって生計を立てる人のことは、さすがに人類学のフィールドワークには引っかからない。既に呪術師として生活している人は観察することができるが。だから、最初の呪術師はどうしたって想像の域を出ない。
たとえば今日でも自分の書いた絵や小説や詩、自分の作った音楽、自分たちの劇団などで「飯を食う」ということがいかに大変なことかはよくわかると思う。
なら最初の呪術師や芸能を思いついた人が、それだけで生計を立てるということがいかに困難なことかは想像に難くない。
今日の喩えで言うなら、普通にサラリーマンをやっていて売れるようになったらやめる、というのが普通なように、最初の呪術師は普通に村の中にいて、ただ特殊なパラメータを持つ人と考えるのが良いだろう。
ただ、特殊であるが故に村の中での生存権の優先順位が低く、何かのはずみで追い出される率は高くなる。
追い出されたら他の村に行って、何とかそこの一員になろうとする。それを繰り返しているうちに、いつの間にか一つの村に長く居付くこともなく、転々と旅をして暮らす呪術師が出来上がることになる。
たとえば村の中で弓矢を作るのがうますぎて、それを鼻に掛けて自慢して追放になった者がいたとしよう。仕方なく他の村に住みつこうとするがうまく行かず、転々とする。そこでようやく旅の弓職人が誕生することになる。
芸能にしても同じだろう。狩りの名手でもそれを自慢する奴はやはり追い出されかねない。
村人の多くは村の中のすべての仕事を一通りこなして、ローテーションでもって誰も突出しないように気遣いながら生活しているが、片寄った特異なパラメータ、ゲーム用語でいうなら何か一つに「極振り」したような人間にとっては、完全平等社会はどうしようもなく住みにくい。
弓矢の腕に特化した人間は、あるいは隣の村との戦争で役に立つというので呼ばれることもあるかもしれない。こうした助っ人をしながら幾つの村を転々としていれば、それが最初の武士なのかもしれない。
ただ、初期の段階では独立した集団を構成するのではなく、ただ村を転々としているだけの流れ者で、村にいる時はその村の一員としてその村の平等原理に従って謙虚に生きることを強いられることになる。
この場合の取引は極めて単純であり、村の一員になるために村の掟に従って贈与経済の一員になるというだけのことで、ここではまだ商取引といえるようなものはなく、交換価値は生じない。
職人の場合、ある場所に留まらないと良い仕事ができないことがある。例えば黒曜石を使った矢じりは黒曜石が採れるところにいなくてはならないが、それを売り歩くには広範囲を旅しなくてはならない。
あるいは土器もまた土の良し悪しが関係する。良い土器を生産するには良い土のある所に住み、それをまた広範囲に売り歩くには旅をする必要がある。
こうした職業は日本の縄文時代には既に成立していたと思われる。そして、こうして開かれた販売ルートはその後の様々な種類の職人・芸能と呼ばれる人たちに引き継がれ、やがては小国家さらには朝廷を立てるだけの大きな勢力になって行ったのだろう。
これは奇跡とも言える。
村では既に矢じりや土器は生産されていて、特に専門の作り手もいなかった。それでいてその村の人たちが食って行く分はかろうじて確保できていた。もちろん、土器がないからと言ってその日の食事に困ることもなかった。ならば、なぜあえて「外注」を選択したのだろうか。
交易には付加価値があったからではないか。
どの村でも人口増加の圧力が働いているなら、常に隣の村との戦争状態にある。それが互いに滅ぼすようなものではなく、時折儀礼的な戦争で何人かの若者が「間引かれる」程度のものであっても、少しでも自分の村の犠牲を減らすには周辺の村の情報が欲しい。
あちこちの村を渡り歩く職人・芸能の人達は、同時に近隣の村の情報をもたらしてくれる。原始時代だけだなく、中世の連歌師も同じような役割を果たしていた。
完全平等社会と言ってもそれは血縁に支えられた集団であり、どこの馬の骨とも知れぬ人間が集まってできた「地球人(アーシアン)」の集まりではない。
となると、隣の別の血縁の人達とは、一方では婚姻によって緊密な姻戚関係を結びながらも、狩場を廻ってのライバルにもなる。ここで完全平等原理は機能しなくなり、かならず自らの血縁優先を優先する。こうして必然的に血縁によって結ばれた部族社会へと発展してゆくことになる。
部族社会であれば、自分の部族に有利になる情報は価値があるため、呪術師(職人・芸能などの未分化な集団)に高く値を付けるようになる。元から地の利が良くて高い生産力を持つ集団が、こうした技術や芸能に競って高い値を付けてゆけば、それが買えない部族は弱体化し、戦争に敗れて消滅してゆく。
ここで初めて、技術を買うことで生産性を伸ばし、それを更なる技術の購入資金にするという循環が生まれる。原始的な拡大再生産が誕生するわけだ。
冷たい社会はこの原始的拡大再生産への移行が抑えられた社会であり、抑えきらなくなった地域は熱い社会へと移行してゆくことになる。その差は人口増加圧によるものであることは想像がつく。人口増加圧の強い豊かな地域では、血縁はやがて部族化し、部族対立の激化から多少の不平等を容認してでも技術革新と生産性の向上を目指さざるを得なくなる。
完全な共産主義を夢見るなら、この時点にまで歴史を逆戻りさせることになるだろう。
これまですべての生産が村の内部で完結してきた社会で、外注を選択するいくつかの集団が現れれば、職人・芸能などを含む呪術師集団は、特定の村落に属することなく、独立した集団として成立し、交換によって生計を立てる最初の人間となる。
最初のその誕生は奇跡とも言える確率だったかもしれない。ただ、一度それが起きてしまうと逆戻りはできなかった。外注の技術によって得られた生産性の向上を再び元に戻すことは、そのまま膨れ上がった集団を元に戻すことになるからだ。
生産性を元の低い状態に戻せば養える人口も減る。つまり飢餓と粛清という二十世紀で起きたのと同じことが、小規模ながらも起こることになる。それが嫌ならこのまま突き進んで、周辺の他の部族を圧倒するしかなかった。
こうして世界のあちこちに新技術に基づく生産性の革命が起き、やがて国家が誕生するに至る。特に重要な新技術は農耕と牧畜だった。
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