2023年1月23日月曜日

 昨日は旧正月。昨日から俳諧は春になる。
 大寒波が来ると言ってるけど、今年は梅の咲くのが早いから、案外その先は暖かいのかな。去年は梅が咲くのが遅かった。
 まあ、コロナもどうやら五類引き下げになり、大コロナ時代も終わりということで、あとはロシアが早く負けて楽になってくれればいいね。
 Twitterで早々と今年一年の漢字なんてやってたけど、「決」がいいね。コロナにもロシアにも早く決着をつけて、マルクスの亡霊や原理主義の迷妄にも決着をつけて、世界平和を取り戻したいものだ。
 鈴呂屋は平和に賛成します。

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。

百三十八番
   左   桜海苔 加藤 治尚
 遠干潟あまの枝折や桜海苔
   右勝  花   松尾 桃青
 先しるや義竹が竹にはなの雪
 左のあまの枝折心ゆかず候歟。干潟にみだれ桜のり枝折とみるまに汐みちなば舟さす棹のさしていづくとかあるべきや。右義竹か竹に花の雪とは一よ切にも花ちりたると吹曲の篠や覧。よだれまじりのはなの雫さもこそあらめ。海士のしほりよりはまさるべく候。

 桜海苔は紅藻類で、コトバンクのデジタル大辞泉にはオキツノリとあり、精選版 日本国語大辞典には米海苔(ムカデノリ)とあって、一定していない。おそらく紅藻類で食用とされるものを指していたのであろう。トサカノリやムカデノリは今日でも食用とされている。
 治尚の句は干潟に桜海苔が落ちていたら、それは海女がこっちへ来てと残していった枝折だ、というもの。まあ、海藻はしばしば女性の陰毛の譬えとして用いられるもので、そうなると干潟も比喩ということになる。
 まあ判にあるように、そこに船の「棹」を刺してと完全にシモネタだ。
 桃青の句の義竹は宜竹(ぎちく)という尺八や一節切を作った名工で、一節切は遊郭で小唄などの伴奏でも用いられていた。それに「花の雪」なら普通に風流だが、上五の「先しるや」が「汁」で「はな(鼻)」と縁語になっていて、花水まみれの一節切という落ちになる。この落ちはなくてもよかったか。
 判も「よだれまじりのはなの雫さもこそあらめ。海士のしほりよりはまさるべく候。」となる。シモネタ対決を何とか制した桃青さん。

百六十六番
   左持  新茶  延沢破扇子
 古茶壷や昔忘れぬ入日記
   右   時鳥  松尾 桃青
 またぬのに菜売に来たか時鳥
 左右茶つぼたとひ入日記とありとも右茶のななるべければ新茶といふ題に落題なるべし。
 右菜うりにきたりといへる郭公の折にもあらずすべて心得がたし。左右みな難あれば可為持。

 入日記はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入日記」の解説」に、

 「① 荷送りする商品に添えて入れる内容明細書。商品の在中目録。入帳(にゅうちょう)。
  ※親元日記‐寛正六年(1465)五月五日「仍長唐櫃一請取之随入日記如此一通同整之」
  ② 金銭の収支、物品の出入りなどを日ごとに記しておく帳簿。いりにっき。
  ※俳諧・玉海集(1656)四「年の内の梅の暦やいれ日記〈頼永〉」

とある。
 古い茶壷に仕入れ値を忘れないように明細書を入れて残しているという句だが、題が「新茶」というのは確かにおかしい。
 桃青の句は、ホトトギスは待っていてもなかなか来ないのに、菜売は待ってないのに明け方になるとやってくるというものだが、ホトトギスは夏のもので菜売は冬のものだから季節が合わない。
 よって「左右みな難あれば可為持」。
 なお、百五十番から夏の句になり、判者も季吟に替わる。

百九十四番
   左勝  時鳥     露沾
 一夢や千万人のほととぎす
   右   端午  松尾 桃青
 あすは粽難波の枯葉夢なれや
 左は杜牧之が阿房宮賦の詞より一こゑや千万人の心とふくめて一唱万嘆の所あり。
 右は西上人のかにはの春を俤にしてあすのかれはを想像たるもえ思ひよるまじき句体ながら猶左のたけたかきには及まじくや。

 露沾は磐城平藩の殿様内藤風虎の次男で、芭蕉とはこの後も長い付き合いになり、『笈の小文』では旅のスポンサーの紹介として、

 「時は冬よしのをこめん旅のつと
 此の句は露沾(ろせん)公より下し給はらせ侍りけるを、はなむけの初(はじめ)として、旧友、親疎、門人等、あるは詩歌文章をもて訪(とぶら)ひ、或は草鞋の料を包みて志を見す。かの三月の糧(かて)を集るに力を入れず、紙布(かみこ)・綿小(わたこ)などいふもの、帽子(まうす)・したうづやうのもの、心々に送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小船をうかべ、別墅にまうけし草庵に酒肴携へ来りて、行衛(ゆくへ)を祝し、名残をおしみなどするこそ、故ある人の首途(かどで)するにも似たりと、いと物めかしく覚えられけれ。」

と一文を記している。
 まあ主催者の息子ということで勝負は見えている感じもする。
 露沾の句は、杜牧の『阿房宮賦』の、

 「鼎鐺玉石,金塊珠礫,棄擲邐迤,秦人視之,亦不甚惜。嗟乎!一人之心,千萬人之心也。」

を踏まえたもので、秦の始皇帝が建てたという阿房宮は三百里(中国の里は一里約四百メートルなので約百二十キロ)に渡る巨大な宮殿で、そこに諸国から巻き上げてきた膨大な数の宝は、見向きもされないままガラクタのように積み上げられていた。
 秦の始皇帝のこの贅沢を千万人が真似するということだが、ここではホトトギスの一声は千万人が感銘するという意味に用いる。
 一方、桃青の句は、

 津の国の難波の春は夢なれや
     葦の枯葉に風わたるなり
             西行法師

の歌を踏まえたもので、粽は笹を使うものが多いが芦の葉で包んだ葦粽というのものあった。
 難波の春の芦の若葉も刈り取って干されて、やがては粽を包むのに用いられる。
 西行法師の歌を本歌に取りながら、芦の葉の哀れさを更にそれが粽になる哀れさへ一段摺り上げて作る芭蕉の得意のパターンではあるが、相手が悪かった。「猶左のたけたかきには及まじくや」と、確かに露沾の句はストレートで力強くはある。

二百二十二番
   左   祇園会 望月 千春
 山山をかきて出たり祇園会
   右勝  五月雨 松尾 桃青
 五月雨や龍灯あぐる番太郎
 左の山々の文字発句度々に出て不珍やあらん。
 右五月雨の海をなしたる風情俳諧体によくいへり。可為勝。

 祇園御霊会は京の祇園社(八坂神社)の祭りで、山鉾巡業で知られている。
 次から次へとやってくる山鉾を「山々をかきて出たり」とするが、このネタは京の季吟にとっては特に新しいものではなく、町の人が皆冗談に言うありきたりなものだったのだろう。
 桃青の句の番太郎はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「番太」の解説」に、

 「① 江戸時代、町村で治安を守り、警察機構の末端を担当した非人身分の番人。平常は、番人小屋(番屋)に詰め、町村内の犯罪の予防、摘発やその他の警察事務を担当し、番人給が支給されていた。番非人。番太郎。番子。
  ※俳諧・当世男(1676)秋「藁一束うつや番太が唐衣〈見石〉」
  ② 特に、江戸市中に設けられた木戸の隣の番小屋に住み、木戸の番をしたもの。町の雇人で、昼は草鞋(わらじ)、膏薬、駄菓子などを売り内職をしていた、平民身分のもの。番太郎。番子。
 ※雑俳・柳多留‐二二(1788)「番太がところで一トどら御用うち」

とある。非人身分のものが警察官のような仕事につくのは江戸時代では普通のことだった。交番のお巡りさんの前身のようなものかもしれない。龍灯を灯して回るのも番太郎の仕事だったのだろう。
 龍灯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「龍灯」の解説」に、

 「① 深夜、海上に点々と見られる怪火。龍神が神仏にささげる灯火といい伝え、各地の神社に伝説があるが、特に九州の有明海や八代海で、盆の前後や大晦日(おおみそか)に見られるものが有名。蜃気楼現象で、漁火の光の異常屈折現象といわれる。不知火(しらぬい)。《季・秋》
  ※三国伝記(1407‐46頃か)六「龍燈は浪をき来て海上に浮んで熖々たり」
  ② 神社に奉納する灯火。神社でともす灯火。神灯。
  ※歌謡・淋敷座之慰(1676)地蔵の道行「齢久しき白髭の、宮居もあれに立給ふ。りうとうの光りまし、御殿を照させ給ひける」

とあり、本来は②の灯籠を灯して回るもので愛宕灯籠のことと思われるが、判辞の「五月雨の海をなしたる風情」は五月雨の中の愛宕灯籠を、さながら海の龍神の灯す龍灯のようだとして勝ちとする。

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