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| AI俳画 |
それでは「甲戌紀行」の続き。
宮川の上に酒送りせらるるに此花を肴にめでてとありければ
重箱に花なき時の野菊かな 其角
宮川の酒送り朝熊山に登った翌朝の23日のことと思われる。
宮川は伊勢神宮外宮の西側を流れる川で、伊勢の入口でもあり出口でもある。
旅立つ時に酒をふるまうのは、三島の菊の酒もあったし、芭蕉が貞享5年の『笈の小文』の旅から帰る時にも、
朝貌は酒盛しらぬさかりかな 芭蕉
と芭蕉庵に残してきた朝顔のことを思い出しながら旅の無事を祈って三盃を傾け、木曾から姨捨山を経由して江戸への帰途に着いたように、当時の習慣の一つだった。
折から宮川の河原には野菊が咲いていた。
送り出す時に昼飯の弁当のサービスもあったのだろう。花見でもするのかというような立派な重箱の弁当を渡され、野菊でも見ながら食べるしかないな、というところか。

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