9月18日に伊勢に着き、翌19日は外宮と内宮を回ることになる。
内宮
浮屠の属にたぐへてこゝろへだちたる五十鈴川より遥かに拝す
身の秋や赤子もまゐる神路山 晋子
内宮が僧形だと入れないのは芭蕉の『野ざらし紀行』にも、
「我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず。」
とある。其角も僧形で旅をしていたのがわかる。宇治橋を渡ることができなかった。
「身のあき」は宇津保物語の、
待つ人の袖かと見れば花すすき
身のあき風になびくなりけり
か。秋と飽きが掛詞になる。今日の「飽きられた」というだけでなく「厭われた」という意味を含む。
赤ちゃんでも参拝できるのに、何で僧形というだけでこの身を厭うのか、という意味。

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