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| AI俳画 |
今日は小田原へざる菊を見に行った。
それでは「甲戌紀行」の続き。
原回頭
朝霧や空飛ぶ夢を富士颪 其角
「回頭」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「回頭」の解説」に、
「① 頭をめぐらすこと。ふりむくこと。
※正法眼蔵(1231‐53)仏性「長老見処麽と道取すとも、自己なるべしと回頭すべからず」
② 船、飛行機などが進路を変えること。変針。転進。
※官報‐明治三七年(1904)六月二七日「我艦隊は一斎に右八点に回頭し」
とある。この場合は①の方で、原を過ぎて富士の方を振り向くという意味であろう。特に進路を変えた形跡はないし、おそらく②は近代に入ってからの意味であろう。
沼津では富士山は愛鷹山に隠れてよく見えないが、原の辺りに来るとよく見えるようになる。その辺りで富士山の方を向いてということか。
三島から原までは三里くらいで、暗いうちに三島を出たなら、朝霧が晴れる頃だ。
朝霧の中ではどのみち手前の愛鷹山も見えないが、心の中では空を飛んで富士の姿を思い浮かべる。
芭蕉の『野ざらし紀行』の、
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉
の句を思い出させる。
そして実際に原に着いて実際の富士山が見えると、ちょうど富士から吹き下ろす風も強く、空に放り出されたような気分だったのだろう。
このあと富士川、清見が関では其角の句はなく、「甲戌紀行」には何も記されてない。
その次の「しづはた」だが、前に書いた時には気付かなかったが、このしつはたは静岡の賤機山(しづはたやま)のことだ。
東海道の道筋は賤機山の南端にある浅間神社の南の平野部を通り抜けるため、わざわざ賤機山の山路を通ったというわけではあるまい。おそらく、これから行く宇津の山の山路を前に、府中宿の紙子屋に「冬は」と問うたという意味だろう。
紙子は風を遮るので冬の防寒具として優れているが、ぼろぼろになった紙子は乞食のイメージでもある。
歌枕は掛詞として用いられることが多いため、一応一般名詞としての「しつはた」を見てみよう。
「しつはた」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「倭文機」の解説」に、
「〘名〙 (古くは「しつはた」) 倭文を織る織機。また、それで織った織物。しず。
※書紀(720)武烈即位前・歌謡「大君の 御帯の之都波(シツハタ) 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに」
とある。
賤機山からシツハタの連想で、これから行く山路に冬の防寒対策を案じる。「冬はと問」はまだ冬は来てないがこれから来る冬を問うということだから、秋の季語になる。

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