2022年7月10日日曜日

 ググってみて分かったことだが、どうやら統一教会というのは今はないらしい。
 二〇一二年に教祖の文鮮明が亡くなった後、世界平和統一家庭連合とサンクチュアリ教会に分裂したようだ。勝共連合も昔の話だし、いつの間にか世界は変わっていたんだな。
 安倍さんの暗殺も二十年前の恨みだというし。
 比例代表区に何十人という候補者の名前があっても、自分と全部同じ考えの人なんて、大抵いないんじゃないかと思う。いたら気持ち悪いし、「俺いらなくねえ?」になっちゃうわないかな。
 まあ、大抵は今の政治でこれが一番大事だと思う所で考えの似ている人を選ぶ、ということになるんじゃないかと思う。それ以外の所で結構とんでもないこと言っていても、「しゃあねえな」ってことで目をつぶるしかない。
 それができない人が「これはという人がいない」と言って、選挙に行かないんだと思う。小異にこだわる人は、結局何が一番大切かが見えていない。
 マス護美の予測が当たらないのは、最重要項目でない部分での世論調査が全くあてにならないというのをわかっていないからだ。
 同性婚は筆者も反対はしないが、世論調査で容認派が日本の過半数を占めていたとしても、それがそのまま票になるということはまずない。当のLGBTの人たちだって、投票をするときにそれを最優先するとは限らない。やはり国防の方が大事と思うかもしれない。
 前回の衆議院選挙のように野党共闘が実現すると、実は争点が単純に資本主義か社会主義かの二択になってしまうから、悩む必要がなくなってしまう。そうなると、結局モリカケ桜もコロナ対策もどっかに吹っ飛んでしまうんだよね。
 さて、今回の選挙、何か変わるのかな。安倍さんの死が何かの歴史の節目になるのか。

 それでは「くつろぐや」の巻の続き。

 初裏、九句目。

   そこなる清水橋台の露
 芋籠の下くぐり行ささら浪    正友

 芋籠(いもかご)は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は芋を洗う籠としている。芋は川で洗ったりした。

 芋を洗う女西行ならば歌よまむ  芭蕉

の句がのちの『野ざらし紀行』にある。
 ささら浪は洗うもので、

 ささら浪ひまなく岸を洗ふなり
     渚清くは来てもみよとや
              大友黒主(新千載集)

の歌がある。
 十句目。

   芋籠の下くぐり行ささら浪
 平鍋ひとつ志賀のから崎     執筆

 志賀の辛崎というと「さざなみの」だが細かいことは言わない。大友黒主の歌も『歌枕名寄』には「東山道一」で志賀の所にある。
 平鍋は底の浅い鍋で、芋の煮ころがしを作るのに用いる。志賀の辛崎といえば比良山で、それと掛けて平鍋を出す。

 さざなみの比良山風の海吹けば
     釣りする海人の袖かへりみゆ
              よみ人しらず(新古今集)

の歌がある。
 十一句目。

   平鍋ひとつ志賀のから崎
 火がふるや大宮人の台所     松臼

 志賀の都の大宮人の台所が火事になる。鍋はヘルメットの代りにもなる。
 志賀の辛崎に大宮人は、

 さざなみの志賀のから崎幸はあれど
     大宮人の船待ちかねつ
              柿本人麻呂(夫木抄)

の歌による。
 十二句目。

   火がふるや大宮人の台所
 神鳴とんとみまくほしさよ    卜尺

 延喜三年(九〇三年)に菅原道真が大宰府で亡くなったその二十七年後の延長八年(九三〇年)、清涼殿に落雷があって火事になり数人の大宮人が焼け死に、そのショックで醍醐天皇も三か月後に崩御した。菅原道真の祟りだと噂され、祟りを抑えるために北野天満宮が創建された。後に北野天満宮は連歌会所が設けられ、連歌の中心地にもなった。
 まあ、その時どんな様子だったのか、見てみたいものだ。
 「とんと」は「どーーーんと」ということであろう。
 十三句目。

   神鳴とんとみまくほしさよ
 何と何と法性坊の腰の骨     在色

 清涼殿落雷事件は謡曲『雷電』にもなっている。

 「比叡山延暦寺の座主、法性坊の律師僧正にて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.77871-77874). Yamatouta e books. Kindle 版.)

とワキが名乗りを上げるところから始まる。後半は菅原道真の怨霊とのバトルシーンとなり、能役者の体幹の強さの試される所だ。 
 十四句目。

   何と何と法性坊の腰の骨
 比叡の山よりやいとの烟     一朝

 和歌の最後を四三で止めるのは万葉集には見られるが、古今集以降の和歌では嫌われ、連歌や俳諧にも受け継がれている。若干例外が見られるのが談林の流行期だ。
 「やいと」はお灸の頃で、腰を痛めた法性坊は比叡山でお灸をする。
 十五句目。

   比叡の山よりやいとの烟
 吹をろす杉の嵐の味噌くさい   一鉄

 比叡山といえば杉林で、お坊さんが住んでいるから吹き下ろす風は味噌臭い。肉や魚を食わないお坊さんは味噌の大豆でたんぱく質を取っている。
 十六句目。

   吹をろす杉の嵐の味噌くさい
 雑炊腹にきくほととぎす     雪柴

 味噌雑炊であろう。粥腹がお粥だけで満たした腹のことだから、雑炊腹も雑炊しか食べてないということで、味噌臭くなる。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「粥腹」の解説」に、

 「〘名〙 粥を食べただけで腹をみたすこと。多く、力のはいらない腹をいう。
  ※洒落本・残座訓(1784)「かゆばらは養生訓のおしえなり」

とあるから、雑炊腹も力の入らないということであろう。
 ホトトギスは山に鳴くものだから杉に縁があり、「過ぎ」と掛けて用いられる。

 郭公三輪の神杉過ぎやらで
     訪ふべきものと誰を待つらむ
              源通光(続古今集)
 五月雨の布留の神杉すぎがてに
     小高く名乗る郭公かな
              藤原定家(続後拾遺集)

などの歌がある。
 十七句目。

   雑炊腹にきくほととぎす
 村雨の空さだめなきつかへもち  松意

 「つかへもち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「痞持」の解説」に、

 「〘名〙 さしこみが持病であること。また、その人。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「村雨の空さだめなきつかへもち〈松意〉こはひ夢見し露の世の中〈志斗〉」
  ※黄表紙・色競手管巻(18C後‐19Cか)三「持病のつかへもちと成給ひぬ」

とある。「さしこみ」は「世界大百科事典内のさしこみの言及」に、

 「…普段はまったく無症状であるが,過食,脂肪食の後や,ときになんらの誘因もなく,発作的に強い上腹部痛(疝痛発作)を起こす。これは,〈しゃく〉〈さしこみ〉といわれる激痛で,苦悶状の顔貌で冷や汗をかき,前屈姿勢でうずくまるが,ときに苦痛のため七転八倒する。同時に軽度の黄疸がみられる場合もある。…」

とある。雑炊を食いすぎたのかさしこみをを起こす。
 ホトトギスに村雨は、

 心をぞつくしはてつるほととぎす
     ほのめくよひの村雨のそら
              藤原長方(千載集)
 声はして雲路にむせぶ郭公
     涙やそそぐ宵の村雨
              式子内親王(新古今集)

などの歌がある。
 十八句目。

   村雨の空さだめなきつかへもち
 こはひ夢見し露の世の中     志計

 露の世は露のように儚く消える世ということで、人生は夢とも言うので、死を暗示させる。
 前句の「つかへもち」を餅が喉につっかえたとしたか。「こはひ」は強飯(こはいひ)と掛けて餅の縁語になる。
 十九句目。

   こはひ夢見し露の世の中
 たまいだる女の念力月ふけて   卜尺

 「たまいだる」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「魂消(たまぎ)たる」の音便とある。魂消るは今日でも用いる「たまげる」。
 念力は今日のようなサイコキネシスではなく、一心に祈るその心の強さをいう。
 て留の時は倒置にして「こはひ夢見し露の世の中、たまいだる女の念力月ふけて」と読ませる場合がある。怖い夢を見てすっかりたまげてしまった女が、露の世の無常に一心に来世のことを祈りながら夜も更けてゆく。
 ニ十句目。

   たまいだる女の念力月ふけて
 挙銭のかねうごく秋風      正友

 挙銭(あげせん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「挙銭・上銭・揚銭」の解説」に、

 「① 中世、利子をとって金銭を貸し出すこと。また、その金銭。こせん。
  ※吾妻鏡‐延応元年(1239)四月二六日「挙銭を取て、まづ寺家に令二進納一後」
  ② 営業権を他人に貸して、受けとる貸料。うわまえをはねて取る金。
  ※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前「目鼻がなけりゃアわさびおろしといふ面(つら)だから、かながしらから揚銭(アゲセン)を取さうだア」
  ③ 小揚げの賃金。労賃。
  ※浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)中「九間のおろせがあげせんの、残りもけふはすっきりと取って九両二歩のかね」
  ④ =あげだい(揚代)
  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「恋しやと見にこそ来たれ上銭の金は持たずもなりにけるかな」

とある。
 この場合④の意味で、「精選版 日本国語大辞典「揚代」の解説」に、

 「〘名〙 遊女、芸妓などをよんで遊興するときの代金。揚げ銭。揚げ代金。あげしろ。
  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)七「六年以来(このかた)俺が娘を女房にして、慰(なぐさみ)者にしてゐる。サア揚代(アゲだい)囉(もら)ふ」

とある。
 この場合は、老の秋風を感じた遊女が一心に祈った結果、多額の金で買い手がついた、ということか。
 二十一句目。

   挙銭のかねうごく秋風
 口舌には花も紅葉もなかりけり  一朝

 口舌(くぜつ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「口舌」の解説」に、

 「① 口と舌。〔日葡辞書(1603‐04)〕〔易経‐説卦〕
  ② もの言い。ことば。弁舌。また、口先だけのもの言い。くぜつ。くぜち。
  ※令義解(718)戸「凡棄レ妻。須レ有二七出之状一。〈略〉四 口舌〈謂。多言也。婦有二長舌一。維厲之階。是也〉」
  ※東寺百合文書‐を・正長二年(1429)正月鎮守八幡宮釜鳴動占文案「今月七日卯時、鎮守御供釜鳴、吉凶 占之、火事、年内自二月至十月慎之〈略〉又云、有口舌事、兼被致祈請、自旡其咎乎」
  ※吾輩は猫である(1905‐06)〈夏目漱石〉四「人生の目的は口舌ではない実行にある」 〔史記‐蘇秦伝〕
  [補注]②は、挙例「東寺百合文書」のように公私の場における占い(占文)の卦(け)の用語ともなっており、怪異吉凶を占うと、疾病・闘諍・失火・盗賊・口舌・訴訟、その他の災厄の卦が出ることがあり、そのひとつにあげられている。」

とある。
 口先だけでいくら色良い事を言っても、遊女にとってやはり大切なのはお金。お金をくれないのに誰が好きこのんで抱かれるものですか。
 「花も紅葉もなかりけり」は言わずと知れた三夕の歌の一つ、

 見わたせば花も紅葉もなかりけり
     浦の苫屋の秋の夕暮れ
              藤原定家(新古今集)

による。
 二十二句目。

   口舌には花も紅葉もなかりけり
 のきぎりの身は谷の埋木     松臼

 「のきぎり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 「家財道具の少ないときなど、妻を家に残し離別すること。」

とある。漢字を充てるなら「退き切り」であろう。追出すのではなく自分が出て行く。
 埋木は川底で炭化した木で、

 名取川瀬々の埋木あらはれば
     如何にせむとかあひ見そめけむ
              よみ人しらず(古今集)

などの歌に詠まれている。
 口論の末に分かれ、家に一人取り残された女は埋木のようだ、ということになる。

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