Kindleダイレクトパブリッシングから、新たに『古池の春』を追加しました。
正確にいつ書き始めたか覚えてないけど、「古池の春」を書いたのは二十年以上前だと思う。あの頃はまだガチに左翼だったし、中沢新一の影響もかなり受けていた。
さすがにそのままというわけにもいかなくて、大幅に書き直すことにはなった。
同じ頃 に書いた「初しぐれの夢」「見えない天道」も書き直して、「汁も鱠も」は新たに書き下ろした。
まあ、わりと真面目に論文っぽく書いた文章で、この俳話では抜け落ちてた、前提となっている部分も説明していると思う。
まあ、Kindleダイレクトパブリッシングは、よっぽどネット上の有名人でない限り一冊も売れないのが普通だというのもわかった。
まあ、できたら最初の一冊を買っていただけると有難い。つまらなかったら、思い切り酷評してほしいね。炎上商法のように逆宣伝になるかもしれないから。
世相の方は、相変わらずウクライナの方は変わらないね。
人権思想というのは結局、経済が飛躍的に成長して物が溢れている状態になって、それでいて人口増加の圧力を免れているというのが、正常に機能する条件だと思う。
経済が鳴かず飛ばずの新興国だと、いくら頑張って追いかけても追いつけないんじゃないかという不安から、独裁への逆向が生じやすい。
まして未だ人口増加の圧力にさらされているフロンティア諸国は、前近代社会と同様の命の選別をしなくてはならないから、不条理を承知でも古い秩序を維持しなくてはならない。
日本の家父長制的な旧体制が揺らぎ、人権思想の普及が飛躍的に進んだ時期が高度成長期よりも後だったというのも偶然ではない。「断絶」というのが流行語になってた時代だ。井上陽水のアルバムタイトルにもなっていた。あの時やっと日本は、物が溢れて誰も腹を空かせることもなくなったし、少子化が定着してきたから将来的に人口増加で食いつくされる不安もなくなった。
人権は闘えば手に入るといった単純なものではない。全員が何不自由なく食って行けるだけの豊かさと、人口増加による将来の不安がなくなるといった条件が整わないなら、いくら闘っても無駄に命を散らすことになる。
フロンティア国に人権を急がせてはいけない。時が来れば彼らも人権の良さを分かる時が来る。急かせば急かす程西洋が嫌いになり、独裁を長引かせることになる。ある意味ロシアや中国もその犠牲者だったのかもしれない。
この辺りの詳しいことは『恒久平和のために(仮)』も買ってね。
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