小松左京の『日本沈没』は実のところ読んでないけど、ラジオドラマでは最後の所で、今まで日本は四方海に囲まれた自然的条件によって国土が守られてきたが、それを失ったとき、ユダヤ人のような苦難の歴史が待ち受けている、と語る場面があった。
昨日の日本のシナリオは左翼の人たちからすればおそらくベストシナリオだろう。なにしろ無血で日本人が救われたのだから。下手な抵抗をするよりも、このシナリオがベストだと思うだろう。
ただ、その後のことはわからない。日本人のイメージで占領下というと、進駐軍がやって来てチョコレートを配ってくれた、やさしいアメリカ人だ。中国人やロシア人の支配も同じだろうか。
食うに困れば女はパンパンになって生き延びればいい。日本には長いこと遊郭の遊女の苦しみが風流のテーマになっていたから、売春婦を社会から厳しく排除する習慣はない。戦時下には赤線から駆り出された沢山の日本人従軍慰安婦がいたし、戦後進駐軍を相手に売春をしていた女もたくさんいた。ただ、彼女らにオモニの家を作る必要はなかった。多少の差別や偏見はあったとしても、日本ではどこかしら生きていける場所があった。
仮に日本が中国やロシアに占領された場合、筆者としてはレジスタンスはお勧めしない。多分旧右翼の生き残りと日本共産党はやるかもしれないが、多分ほとんどの人は偽中国人、偽ロシア人になろうとするだろう。
抵抗するものは容赦なく収容所送りになるだろう。待っているのはウイグルだ。ただ真面目に中国語やロシア語を学び、その習慣に馴染もうとする人たちに銃を向けることはあるまい。街で喧嘩を売られてボコられたり、女は路地裏に連れ込まれて回されたり、時折ヘイトクライムでいきなり殺されたりとか、それくらいのことはあるだろう。
おまわりにつかまれば、有無も言わさず殴られたり、撃たれたり、店に入ろうとしただけで通報されたり、それくらいのこともアメリカの黒人を思えば可愛いものだ。今のヤンキーだって似たようなもんじゃないか。
そして三十年後には中国人やロシア人に同化したふりをしたなんちゃって中国人やロシア人が、いつの間にか社会の中枢部を握っている状態になり、生粋の中国人やロシア人はあたかも顔面腫に人格を乗っ取られるような苦しみを味わうことになるだろう。
ただ断っておくが、これはベストシナリオではない。ベストシナリオは無血でこの国を守り切ることだ。前日のシナリオは消極策による失敗例だ。
日本が戦意を見せないないなら、ロシアが攻めてくる前にアメリカが見放すというシナリオがあるということだ。日本の防衛をアメリカに丸投げではアメリカ人の方がお断りだろう。むしろ今までよく付き合ってくれたことに感謝すべきだ。
ただ、無血で占領されるというシナリオと戦って独立を守り抜くというシナリオのどちらがいいかは難しい。戦った場合の損失と秤にかけることになるが、それはやってみなくてはわからない。後から結果論で非難することは誰にでもできる。
最悪は占領されてから戦って虐殺されるというパターンだ。真面目なあの党の人たちが貧乏くじを引かなければいいが。
ウクライナの人たちも今までよく戦ったし、それはいくら称賛してもし過ぎることはないが、西側のロシア包囲網が総崩れになったなら、降伏して何十年何百年でも次のチャンスを待つのも手だ。ロシアがヨーロッパにまで攻め込むなら、志願してドイツに復讐するのもいいかもしれない。会津の抜刀隊だ。
言っておくが筆者は思想で動く人間ではなく、状況判断で動いているので、状況が変われば前言を翻すことはある。コロナの時もそうだったが、ワクチン接種の進捗とウイルスの弱毒化など、状況が変わった時は前言を翻すのも躊躇しない。
それでは「くつろぐや」の巻の続き。
三裏、六十五句目。
狐飛こすあとの夕露
かうばしう爰に何やら野べの色 正友
秋も深まると草も枯れて、野辺も油揚げの色になる。
六十六句目。
かうばしう爰に何やら野べの色
柴の折戸にすりこぎの音 在色
野辺に立つ草庵からは擂鉢で何かを擂る香ばしい香りがする。
六十七句目。
柴の折戸にすりこぎの音
去間ひとり坊主の朝ぼらけ 松臼
「坊主」は「ぼつち」とルビがある。出家したばかりの坊主を新発意(しんぼち、しんぼっち)というからか。今日でいう「ぼっち」も漢字を充てると坊主か発意になるのか。まあ世俗を断ってはいるが。
去る間というから、一時的に小坊主が一人で留守番して、その時は朝寝していたが、主人が帰って来たので今日からまた早朝の擂粉木が復活した。
六十八句目。
去間ひとり坊主の朝ぼらけ
いやいや舟にはあとのしら波 一朝
『西行物語』の渡し舟に乗ってた西行が、あとからやって来た武士たちが来た時に船がもう満員だったため、あの「法師降りよ」としたたか打ち据えられて船から降ろされてしまう場面だろう。
いやいやひどい目にあった。
世の中をなににたとへむ朝ぼらけ
漕ぎゆく舟のあとのしら浪
沙弥満誓(拾遺集)
による。
六十九句目。
いやいや舟にはあとのしら波
革袋たしか桑名の泊まで 一鉄
東海道の七里の渡しは宮(熱田)と桑名を結ぶ。
銭を入れた革袋は確か桑名を出た時にはあったんだが、船で居眠りしている間にすられたか。気付いた時にはあとの白波。
七十句目。
革袋たしか桑名の泊まで
古がねを買ふなみ松の声 雪柴
なみ松は松並木で街道には付き物。
古がねはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「古鉄・古金」の解説」に、
「〘名〙 (「ふるかね」とも)
① 金属器具の使いふるしたもの。または、その破片など。
※本福寺跡書(1560頃)大宮参詣に道幸〈略〉夢相之事「かぢやはかじとしにかま・なた・ふるかねをやすやすとうるをかいとめ」
※日葡辞書(1603‐04)「Furucaneuo(フルカネヲ) ヲロス」
② 「ふるがねかい(古鉄買)」の略。
※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)「釘五六舛こけらもる月〈信章〉 ふる里のふるかねの声花散て〈芭蕉〉」
とある。②の意味で「なみ松の古がねを買ふ声」の倒置であろう。街道に古金買がいて、財布を無くした旅人が旅刀を売ってその場をしのぐ。辞書の例文は延宝四年の「梅の風」の巻二十一句目。
七十一句目。
古がねを買ふなみ松の声
焼亡は片山里にきのふの雲 松意
焼亡は「ぜうまう」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼亡」の解説」に、
「〘名〙 (「もう」は「亡」の呉音。古くは「じょうもう」)
① (━する) 建造物などが焼けてなくなること。焼けうせること。焼失。しょうぼう。
※田氏家集(892頃)中・奉答視草両児詩「勝家焼亡曾不レ日、良医傾没即非レ時」
② 火事。火災。しょうぼう。
※権記‐長保三年(1001)九月一四日「及二深更一、西方有二焼亡一」
※日葡辞書(1603‐04)「Iômǒno(ジョウマウノ) ヨウジン セヨ」
[語誌](1)「色葉字類抄」によると、清音であったと思われるが、「天草本平家」「日葡辞書」など、室町時代のキリシタン資料のローマ字本によると「ジョウマウ」と濁音である。
(2)方言に「じょうもう」の変化形「じょーもん」があるところから、室町時代以降に口頭語としても広がりを見せたと思われる。」
とある。
焼け出された家があれば、焼け残った金属製の物を買い取りに古金買がやってくる。
「きのうの雲」は煙に通じる。
七十二句目。
焼亡は片山里にきのふの雲
糑にくみこむ滝の水上 志計
糑(だく)は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「餅米を煎って粉にした非常食。水で練って団子にする」とある。康煕字典には粉餌とあるから、本来は家畜の飼料だったのかもしれない。
七十三句目。
糑にくみこむ滝の水上
そげ者はやせ馬引て帰る也 卜尺
そげ者はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「削者」の解説」に、
「〘名〙 かわりもの。変人。奇人。また、人をののしっていう語。そげ。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「にくみこむ滝の水上〈志計〉 そげ者はやせ馬引て帰る也〈卜尺〉」
※人情本・閑情末摘花(1839‐41)一「アノ慈母(おふくろ)が思ひの外不通(そげ)もんででも有やせう」
とある。
日ノ岡峠の義経蹴上水だろうか。義経がまだ牛若丸だった頃、金売吉次(かねうりきちじ)とともに奥州平泉に向かう時、京から山科へ行く日ノ岡峠の道ですれ違った平家武者の馬の跳ね上げた水がかかったということで喧嘩になり、切り捨てた後、峠の坂の上の方にあった清水で刀を洗ったという。
七十四句目。
そげ者はやせ馬引て帰る也
談合やぶる佐野の秋風 正友
痩せ馬に佐野といえば「いざ鎌倉」の佐野源左衛門で謡曲『鉢木』に登場する。
ただ、ここでは約束と違って、鎌倉に駆けつけたけど何ももらえず、すごすごと帰って行く。物語は出来すぎで、現実はこんなもの。
七十五句目。
談合やぶる佐野の秋風
ぬすまれぬかねこそひびけ月の下 在色
盗まれた金と鐘の鳴るを掛けている。
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『船橋』を引いている。
「古き者の申したりし事を語つて聞かせ申し候べし。昔この所に住みし者、忍び妻にあくがれ、所は川を隔てたれば、更け行く鐘を境にて、此の橋のほとりに出でたりしを、二親深くこれを厭ひ、この橋の板を取り放つ。それをば夢にも知らずして、かけて頼みし橋の上より、かつぱと落ちて空しくなる。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.53615-53622). Yamatouta e books. Kindle 版. )
まあ、ストーカー退治の物語か。怨霊となったストーカーの魂を成仏させるというのは、この頃から江戸時代にかけての恋物語の一つのパターンでもある。「一心二河白道」もその一つ。
かみつけぬ佐野の船橋とりはなし
親はさくれどわはさかれがへ(万葉集巻十四 上野国歌)
が元になっている。
句の方はそれを思い起こしつつも、約束と違って騙されて金を盗まれた話に作り替える。
七十六句目。
ぬすまれぬかねこそひびけ月の下
目ざとく見えてうつから衣 松臼
眠れなくて夜中に唐衣を打っていたから、泥棒に入られなくて済んだ。
月に衣打つは、
子夜呉歌 李白
長安一片月 萬戸擣衣声
秋風吹不尽 総是玉関情
何日平胡虜 良人罷遠征
長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。
秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関の心。
いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。
による。
七十七句目。
目ざとく見えてうつから衣
花は根に夫はいまだ旅の空 雪柴
李白の「子夜呉歌」が三句にまたがってしまう形だが、一応「花は根に」とすることで、
花は根に鳥は古巣にかへるなり
春のとまりをしる人ぞなき
崇徳院(千載集)
を逃げ歌にする。
七十八句目。
花は根に夫はいまだ旅の空
思ひは石のつばくらのこゑ 一鉄
燕は岩に巣を掛ける。今は建物の軒や橋の下などにもよく見られる。元は岩場に巣を掛けていた習性による。
雛が親鳥の帰りを待って鳴いているように、旅に出た夫の帰りを待つ。
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