2022年7月9日土曜日

 ついこの間のニュースでれいわ新選組の山本太郎さんの応援演説でぜんじろうさんの発言が炎上したというのがあったな。確か、

 「『麻生、安倍、森の飛行機が墜落。助かったのは日本国民』れいわ新選組の応援演説での“不謹慎ジョーク”に批判殺到」

だったっけ。
 まあこういう雰囲気があったのも確かだ。随分古い話だけど「安倍死ね」と呟いて炎上した人もいたっけね。まあ、こういう雰囲気に煽られる人がいてもおかしくない状態だった。本人は冗談のつもりでも、必ず本気にする奴っているからね。
 左翼は大衆にわかりやすいようにということで、難しい理屈を言うのではなく、何か一つ象徴を決めて、そこにヘイトを集中させるという戦略を取る。
 安倍さんの暗殺については今は選挙中だから、マス護美としては選挙に「悪い影響」を与えるということであまり詳しい情報が出てこない。選挙が終わってからいろいろ情報が出て来るのではないかと思う。
 あと、「月に柄を」の巻鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは無事京に到着した所で、久しぶりに俳諧を読んでいこうと思う。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)から『談林十百韻』の第五百韻で、発句は、

 くつろぐや凡天下の下涼み    卜尺

で、芭蕉さんもお世話になった小沢さんの句。
 「天下の」という言葉には、「公認の」というニュアンスがある。今でも道を私物化している人に、「ここは天下の公道だ」という言い回しをする。暑い時には木陰で下涼みをしてくつろぐのは、御上も認める、誰もが認めることだ。恥じることはない。
 まあ、いつの時代でも、暑いからといって一休みしていると、何サボってるんだという輩はいるのだろう。まあ熱中症の危険もあるし、現代の御上も休息を取れと言っている。暑い時の下涼みは権利だ、ということだろう。「かまわぬ(自由)」の精神だ。
 脇。

   くつろぐや凡天下の下涼み
 民のかまどはあふぎ一本     松臼

 前句を軍(いくさ)も飢饉もなく平穏な天下の様に取り成して、今日も民の竈から煙が上がっている、とする。

   貢物を許されて、国が富んだのを御覧になって
 高き屋にのぼりて見れば煙立つ
     民の竈は賑はひにけり
              仁徳天皇(新古今集)

の歌を踏まえたものだが、
 まあ、煙を立てるくらいなら扇一本あれば足りるもので、お安い御用だ。
 第三。

   民のかまどはあふぎ一本
 はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん 一朝

 扇一本あれば、それで拍子を取って流行の小唄なども歌える。
 延宝六年の「さぞな都」の巻にも、

 さぞな都浄瑠璃小哥はここの花  信章

の発句があるように、当時様々な小唄が流行していた。弄斎節や片撥、投節は既に時代遅れだったようだが、「さぞな都」四十五句目に、

   舞台に出る胡蝶うぐひす
 つれぶしには哥うたひの蛙鳴   桃青

の句があるように唱和形式の連れ節は流行っていたのだろう。
 延宝六年の「のまれけり」の巻七句目に、

   与作あやまつて仙郷に入
 はやり哥も雲の上まで聞えあげ  春澄

の句もあるから、丹波与作と関のこまんの恋物語の歌も当時まだ流行っていたか。
 竈の前で炊事しながら、扇一本あれば小唄の一つもも唄える。
 四句目。

   はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん
 乗かけつづくあけぼのの空    在色

 「乗かけ」は乗掛馬で旅体になる。乗掛馬が一斉に出て行く朝の宿場でも、みんな流行の小唄を口ずさんでいる。
 五句目。

   乗かけつづくあけぼのの空
 遠山の雲や烟のきせる筒     雪柴

 あけぼのに遠山は、

 眺めやる景色ぞいつも哀れなる
     遠山もとのあけぼのの空
              源師光(新続古今集)

であろう。ただここでは、遠山の雲かと思ったら煙草の煙だったという落ちになる。
 一斉に旅立つ乗掛馬の列に遠山が霞んでいると思ったら、みんな朝の一服で、煙管の煙がもうもうと立ち込めているだけだった。
 六句目。

   遠山の雲や烟のきせる筒
 杣がうちわる峰の松風      一鉄

 杣は木材にする木を切り出すことを職業としている人で、峰から松風が吹いてこないと思ったら、松の木を伐採作業が行われていた。遠山の雲だと思ったのは、その作業員の吸う煙草だった。
 雲に峰の松風は、

 紫の雲路にさそふ琴の音に
     憂き世をはらふ峰の松風
              寂蓮法師(新古今集)
 峰の雲麓の霧の色暮れて
     空も心も秋の松風
              藤原定家(夫木抄)

などの歌に詠まれている。
 七句目。

   杣がうちわる峰の松風
 岩がねやかたぶく月に手木枕   志計

 手木枕(てこまくら)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「梃子枕」の解説」に、

 「〘名〙 梃子の下にあてがって支える木。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「杣がうちわる峰の松風〈一鉄〉 岩がねやかたぶく月に手木枕〈志計〉」

とある。
 林業従事者が峰の松を伐採して、それを梃子の枕として、沈む月を止めようとしている。シュールネタになる。

 冬の夜の月は稲葉の峯越えて
     なほ山の端に松風の声
              藤原範宗(建保名所百首)

の歌がある。
 八句目。

   岩がねやかたぶく月に手木枕
 そこなる清水橋台の露      松意

 橋台(けうだい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「橋台」の解説」に、

 「① 橋の両端にあって、橋を支える台状のもの。きょうだい。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「駒とめて佐保山の城打ながめ〈雪柴〉 朝日にさはぐはし台の波〈松意〉」
  ② 橋のそば。橋際。橋もと。
  ※洒落本・客衆一華表(1789‐1801頃)丹波屋之套「こっちらの橋台(ハシダイ)の酒ゃア算盤酒やといって名代でございやす」

とある。
 清水の湧き出る傍で架橋工事が行われる。朝早く作業が始まり、梃子枕で橋台を持ち上げると、清水の露に濡れる。

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