よく、「俳句を作ったことのない人に俳句はわからない」なんてことを言う人がいる。正確には「近代俳句を作ったことのない人には近代俳句はわからない」だと思う。
近代俳句ではなく江戸時代のいわゆる「俳諧」の難しさは、時代の変化による言語や生活習慣や生活実感の違いが主な原因で、句自体は少なくとも同時代の人の多くの共感を得られるように配慮されている。
これに対して、近代俳句は基本的に個人の体験をつづるもので、それを理解するには作者についてある程度関心を持たなくてはならない。句会の席ではお互い顔見知りだから、それほど問題は起こらないかもしれないが、ひとたび句集という形で公にすると、その人間について何も知らない読者は、どう反応していいかわからない。まあ、お決まりのせりふで、「私は俳句のことはよくわかないので何も言えませんが、きっと見る人が見ればすばらしいもののなのでしょうね」ということになる。
その「俳句のことをよくわからない」というのは、結局句会に参加していないため、そこでの独特な考え方や雰囲気や乗りがわからないということで、俳句のことをわかりたかったら句会に参加しなさい、ということなのだと思う。
江戸時代の俳諧に関しては、近代俳句とまたぜんぜんルールが違うし作り方も発想も違うから、今の句会に参加していかにそうそうたる俳暦を築こうとも、はっきり言って糞の役にも立たない。昔の人の言葉に謙虚に耳を傾けるにしかない。
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