2016年9月27日火曜日

   律の調べ

 秋は空気が澄んでいるということで、音楽の季節でもあった。
 一日の仕事を追え、月のある夜は楽器を持ち寄り、雅楽の演奏を楽しむのが王朝時代で言う「遊び」だった。『源氏物語』で「あそび」という言葉が出てくると、まずこの音楽のことだった。
 英語でも楽器の演奏はplayと言うから、発想は同じなのだろう。日本人はいつから音楽を「遊」ばなくなったのだろうか。
 雅楽は西洋音楽の概念だと「ヘテロフォニック」に分類されるらしい。基本的にはみんなでおなじ一つのメロディーを奏でるのだが、ユニゾンのような単純に同じ音程で演奏するのではなく、その楽器特有の節回しや装飾音などが入るため、そのつど不協和音が生じては同じメロディーに解消されるということを繰り返す。
 そこには西洋的なハルモニアは存在しない。むしろ楽器同士の壮絶なバトルが展開される。
 竜笛や篳篥などの管楽器は主旋律を競い合い、弦楽器は管楽器の息継ぎの空白を埋めるかのように合いの手を入れてくる。太鼓も役割としては似ている。黒人系の音楽のようなビートを刻むわけではない。
 笙はまた独自の役割を担っている。それは制御されたノイズといっていい。それは今日のブラックメタルなどのギターの奏法に近い。いわば音の洪水を作り出すのがその主な役目だ。
 ノイズというのは自然界の音だ。木々のざわめき、皮の音、滝の音、波の音、雨の音、雷鳴、すべてホワイトノイズとピンクノイズのブレンドだ。
 昔見たテレビの番組で、滝の映像が流れていて、その映像が急に工場の中の映像に変わるというのがあった。ノイズを快く感じるか不快に感じるかは意味論的な問題だ。
 芭蕉の句にも、

 綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥

という句があったが、これは綿弓を琵琶に聞きなして慰めるという意味で、気持ちの持ちようでは綿弓のブンブンいう雑音も風雅な琵琶の音に聞こえるというものだ。
 笙の音色も基本的には自然界の音を模したものであろう。自然界にはよほどの偶然がない限り協和音は存在しない。熱帯の朝の様々な鳥達の声や秋の夜の虫の音はしばしば自然のオーケストラに喩えられるが、どれも定まった音程があるわけではなく、すべて不協和音だ。
 自然の持つノイズや不協和音を快いとする感性は、本来多神教文化の中に普遍的に存在していたのではないかと思われる。
 古代ギリシャのピタゴラス教団やプラトン学校が数学的秩序を神として崇拝し、それがやがてキリスト教の唯一絶対の神に結びつくことによって、西洋ではハーモニー中心の音楽が発達し、やがて近代になって平均率が確立されることによって一つの完成に至る。
 平均率に小さい頃から慣れ親しみ、絶対音感を身につけた者には、虫の音なども不快なノイズに聞こえるらしいし、西洋以外の音楽もノイズと不協和音だらけでどうにも我慢のできないものになってしまったようだ。
 明治の日本にやってきた西洋人達も、日本のきらびやかな建築や絵画を見てワンダフルを連発しても、音楽だけはどうしようもなく不快だったようだ。
 青い目の外国人に「日本のあれ、音楽ではありませーん。ただの騒音でーす。」なんて言われると、明治の西洋崇拝の文化人達は顔から火が出るほど恥ずかしくなってこの音楽をひたすら隠し、「明治より前には日本には音楽はなかった、節しかなかった。」というキャンペーンをしたのだろう。その甲斐あってか、民謡以外の伝統音楽は急速に廃れていった。
 そういうわけで、今日では伝統音楽と言うと正月に聞く琴(正しくは「筝」)の音色のイメージで、雅楽は結婚式の時に聞く「越天楽」くらいになった。その雅楽も、宮内庁雅楽寮では西洋音楽を学ぶことが義務付けられたことによって、かなり西洋化しているものと思われる。まして現代ポップスとの融合となれば、なおさらのことであろう。どっちかといえばブラックメタルやアンビエントと融合させた方が良いと思うのだが。中国のブラックメタルZuriaake(葬尸湖)を聞くと、水墨画のジャケットともあいまって、雅楽を感じさせる。
 ヘテロフォニックの音楽の大きな利点は、メンバーが揃わなくてもたまたま揃った楽器だけで十分な演奏が楽しめるということだ。しかも、競い合うように演奏するため、音合わせのために何度もリハーサルをする必要もない。楽器を持った人が何人か集ればすぐにその場で演奏が始められる。『源氏物語』でも何度となくそういう場面が描かれている。
 もちろん大きな祭などの儀式のさいの演奏は盛大で、特設舞台での舞などの伴い、そういう時は入念にリハーサルを行なったようだ。賀茂神社の臨時祭の前ともなると、宮中のあちこちからリハーサルの音が聞こえ、中にはふざけて本来殿上人の担当ではない打楽器を打ち鳴らしたり、どこか学園祭前のようなのりを感じさせる。
 大宮人にとって雅楽は決して畏まった音楽ではなく、「あそび」という言葉がふさわしいように、かなり気楽にいつでもどこでも楽しんだ、むしろ貴族達の最大の娯楽だったと言ってもいいのではないかと思う。

 ところでこの「律の調べ」という季題だが、未だに古典の作例を知らない。
 曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には、

 「律の調:策隠曰、按ずるに律十二あり。陽六を律とす、黄鐘、太簇、姑洗、蕤賓、夷則、無射。陰六を呂とす、大呂、夾鐘、中呂、林鐘、南呂、応鐘、是也。名づけて律といふ。○貞徳曰、りちのしらべ秋也。しかれば、呂の声は春になるべき道理なれ共、其さたなければ、呂は雑とす。」(『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫、p.71~72)

とあるから芭蕉よりはるかに前の松永貞徳の時代には既にあったようだ。

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