彼岸が江戸時代の俳諧でほとんどテーマにならなかったように、彼岸花も俳諧にはほとんど登場しない。曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には一応「曼珠沙華」と「石蒜(しびとばな)」の二つの項目があり、季題として認識されていたが、曼珠沙華や彼岸花の句が盛んに作られるようになったのは近代に入ってからだ。
一つには、この花の不吉なイメージを俳諧らしい笑いに転じるのが難しかったからではないかと思う。その数少ない句、
弁柄の毒々しさよ曼珠沙華 許六
「弁柄」は酸化第二鉄を主成分とする赤の顔料で、朱や丹ととも古くから用いられてきた。森川許六は彦根藩士で狩野安信に絵を習っているし、芭蕉にも絵を教えていたという。その関係で絵の具のことにも精通していたのであろう。曼珠沙華を描くなら朱や丹ではなく弁柄だなと思ったのだろうか。弁柄の赤は茶色がかかっていて血の色に近い。
血の色もヘモグロビンに含まている鉄が酸素と結合することによるもので、似ているのは理由のないことではない。
「毒々しさよ」には曼珠沙華に毒があることも踏まえられているのか。
曼珠沙華は今ではリコリスというおしゃれな名前でも呼ばれ、色も赤だけでなく白やピンクやいろいろな色がある。ヒガンバナ属を表すlycorisはスペインカンゾウ(licorice)とまぎらわしい。
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