名月は明月とも書くように、本来明るさが命だった。
電気のなかった時代、夜は真っ暗で寝る時間だった。闇を照らすものといえば胡麻や菜種や油桐などの油に燈芯を挿して火を灯す程度で、外を照らすとなれば紙に油を染みさせた紙燭がある程度だった。
月のある夜はこうした人工の光より遥かに明るかった。そのため、夕暮れに月が出ると、そこで初めて一日の仕事の後に酒を酌み交わし、楽器の演奏をし、舞を舞ったり、余暇を楽しむ時間が生まれた。
特に、暑すぎず寒すぎず、青天率の高い中秋の頃の月は、遊ぶにはうってつけだった。
春の宵も値千金と言われるくらい遊ぶのにはちょうど良かったが、空は曇りがちで月は朧で、暗くなればせっかくの花も香りだけになる。だから陽の長い頃の夕暮れのまだ真っ暗にならないうちに急いで楽しまなくてはならなかった。それ故に「春宵一刻値千金」だった。
夏も涼しくて悪くはないが、榎本其角が言うには「蚊を疵にして五百両」だった。冬はさすがに寒い。「寒月」という言葉もある。月があっても遊ぶための月ではない。
お月見といっても、昔の人は別に静かに月を眺めていただけではなかった。月の頃は本来むしろ夜を徹して宴会を楽しむものだった。
十五夜に限らず、三日月の頃は宵の口を楽しみ、半月、十三夜と月が太るにつれ宴は夜遅くまで盛り上がり、十五夜で頂点に至る。そして、その後も月が出るのを立って待ち(立待月)、座って待ち(居待月)、寝て待ち(寝待月)、月が昇ったら宴の始まりだった。
また、月のある明るい夜は、恋の季節でもあった。いにしえの大宮人にとって、月の夜は粗末な狩衣に着替えて、こっそり女の元を尋ねて、そこで歌を詠み交わし楽器の演奏を楽しみ、そして「語りあう」のだった。
そんないにしえの都人にとって、名月は華やかな宮廷生活の象徴でもあった。だから、そんな人たちがひとたび失脚して隠棲を強いられたり、あるいは出家せざるを得なくなったりすると、やまがつの住む山奥や海人の藻塩焼く小屋のある海辺で、初めて一人寂しく月を眺めるという経験し、都の華やかな記憶との落差に涙する。ここに悲しくもあり、わびしくも有り、淋しくもある、そんなもう一つの名月がやがて一つの伝統として定着して行く。
月はもちろん宴会場だけを照らすのではない。海の山の雄大な景色を照らし、昼間見るのとは違う幻想的な世界を生み出す。そんな美しさを発見したのも、都を追われた侘び人たちだった。
姨捨山の田毎の月は、本当にたくさんの月の姿が一度に田に映るわけではない。そんなことは光学的にありえない。本来は田植え前の水を張った田んぼの風もなく静止した水面に月で明るくなった空が移り、ちょうどたくさんの窓に明かりが灯ったような夜景を生み出していたことによるものだ。今日では街頭の光にかき消されてしまうような微かな明るさでも、当時の人を感動させるには十分だった。
芭蕉の『奥の細道』の旅の動機の一つでもあった松島の月も、月明かりに光る水面に島々の姿が浮かび上がる景色を、昔の人は他では見られない貴重なものと考えていたからだ。事実、東に向って開かれたリアス地形は珍しい。象潟だと西を向いているため、明け方の月でなくてはならない。
月の光が真っ暗な中にほのかに自然の風景を浮かび上がらせる様を美とするようになったのは、宮廷をほとんど動かない平安貴族ではなく、もっと時代が下ってからの江戸時代の俳諧師の発見だったのかもしれない。
岩鼻やここにも一人月の客 去来
この句も月そのものを見るというよりは、岩鼻に登ったときに見晴らせる夜景の美しさが重要だったと思われる。そんな隠れた絶景ポイントを探し出すのを「風狂」としたのは、地方赴任のためでも興行のためでもなく、純粋に旅を楽しむようになった江戸時代の俳諧師の特権だったのかもしれない。
昔の人が月そのものの美しさというよりも月の明るさを賛美していたのは、古来和歌にも俳諧にも満天の星空の美しさを詠んだ作品がほとんどないことからも想像できる。
「星月夜」という言葉は江戸時代の俳諧にも見られるが、
打れて帰る中の戸の御簾(みす)
柊(ひいらぎ)に目をさす程の星月夜 曾良
おきて火を吹くかねつきがつま
行かへりまよひごよばる星月夜 嵐蘭
といったもので、月のない夜の闇で柊が目に刺さったり迷子になったり、闇のほうに重点が置かれていた。
星空の美しさは、おそらく当時の人にはあまりに当たり前すぎることと、闇を畏怖する感情から、むしろ星空をカント的な意味での「崇高なもの」の次元で捉えていたからであろう。
戦後の急速なエレクトリゼーションの中で、闇はすっかりこの国から駆逐されていった。かなり山奥に行っても、遠くの町の灯が昔よりも遥かに空を明るくしてしまっている。今では北朝鮮にでも行かないことには、昔ながらの闇と月の有り難さを実感することは難しいのかもしれない。
そんな中で、お月見は日頃空を眺めることの少なくなった現代人にあらためて空を見上げる機会を提供する「天体ショー」となった。
あたりが明るいのは当たり前で、ただ純粋に月の姿を鑑賞するのが今日のお月見だ。
そんな現代人に昔の人がしばしばじっと月を見つめることを忌むべきことだと考えていたことなど、想像もつかないことなのかもしれない。
中世連歌の最高峰と言われる「湯山三吟」には、
打ちながむるもあぢきなの世や
更くるまで身のうき月をいみかねて 宗長
という句があり、そこには、
「月をいむと云ふ事有り。月をさのみ執すれば、いむ事なり。然れどもかねて月をうちながむると付くる也。」
という古註がつけられている。
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