今日はお彼岸の中日ということで、お彼岸の句を探したのだが、ネットで検索してすぐに出てくるのは次の二句だけだった。
老母をいざなひて物詣しけるに
風もなき秋の彼岸の綿帽子 鬼貫
きらきらと秋の彼岸の椿かな 木導
後はいわゆる近代俳句だった。
曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』には2月のところに「彼岸」という季題は出てくるけど、秋のところにはない。「秋彼岸」という季語は近代にできたもので、江戸時代には「秋」という季語と組み合わせることで秋の句にしていたと思われる。昔は季重なりにはうるさくなかったし、芭蕉の句でも他の季節の季語と組み合わせていることは珍しくない。
冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす 芭蕉
梅恋て卯花拝ムなみだかな 芭蕉
といった句も普通にある。内容から季節が明らかに特定できる場合は、他の季節の言葉を重ねても問題はない。
近代の俳句誌ともなると何万句という投稿された句を処理しなくてはならない関係上、足切りのために気重なりの禁を厳密にしたのではないかと思う。
まず最初の句、
老母をいざなひて物詣しけるに
風もなき秋の彼岸の綿帽子 鬼貫
を見てみよう。
暑さ寒さも彼岸までという言葉もあるように、秋の彼岸はようやく暑さが和らぐ程度で、そんなに寒くはない。今日は一日雨でちょっと冷え込んで肌寒い感じだが、それでもまだ半袖で過ごせないことはない。もっとも、地球温暖化の現代に比べれば寒冷期だった江戸時代は、今よりは寒かっただろう。
秋風が吹かなくても、年老いた母のことだから大事を取って、防寒用の綿帽子を被っていたのだろう。綿帽子というと今では結婚式に被るものだが、江戸時代には防寒用として女性の間で広く用いられていたという。江戸時代には綿花の栽培も盛んだった。
名月の花かと見えて綿畠 芭蕉
という句もある。月夜の綿畑だと、今では「うさぎのモフィ」だが。
老いた母をいたわる気持ちがじわっと伝わってくるこうした句は、いかにも大阪談林という感じの句だ。からっとした笑いと冷えさびた風情が売りの蕉門に対し、大阪談林は人情ネタが多い。
きらきらと秋の彼岸の椿かな 木導
これは蕉門の句。李由・許六(きょりく)撰の『韻塞(いんふたぎ)』に収録されている。
『韻塞』は十月・十一月・十二月‥‥と月別に部立てされているが、この句は八月ではなく「匀(イン)ふたぎ追加」の所に「彼岸」の句として、
百姓の娘の出たつひがんかな 許六
くぐ立の花うちこぼす彼岸哉 支考
きらきらと秋の彼岸の椿かな 木導
と並べられている。「彼岸」は春秋両方あるため通常の季題とは別枠にくくられていたようだ。
「きらきら」というのは「きらきらし」という古語から来ているもので、絹の衣などのつやつやしている様子を表す言葉だった。
椿は春の季題だがここでは秋なので椿の葉のことであろう。秋になると空気が澄んで光の反射がまぶしく感じられる。近代的な「写生」という意識ではないものの、蕉門の得意とした「あるあるネタ」は時折写生句かと見まごうものがある。
江戸時代の人の感覚からすると、「きらきらと」という言葉は俳言で「のっと日の出る」だとか「かっくりと抜けそむる歯」の延長だったと思われるし、「そういうてみれば確かに秋の椿の葉ってきらきらやな」という声が聞こえてきそうな句だ。
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