2024年2月29日木曜日

  芭蕉さんの「句調はずんば舌頭に千囀(せんてん)せよ」という言葉は『去来抄』「同門評」の句の語順の問題を論じた文脈で登場する。
 ともすると「読書百遍意おのづから通ず」的な精神論にもなりがちだが、全く未知の言語ならいざしらず、辞書や文法知識や様々な情報があれば百回読まなくても、労力を節約することができる。
 近代の人だと、百囀なんて言われると、早口で何度も唱えて澱みなく発音できれば良いようなイメージがあるかもしれないが、むしろ句をできる限りゆっくり発声した方が良い。
 そして目の前で聞いてる人を想像すると良い。
上五を読んで、間を作って次に何が来るか期待させて、果たして聞いてる人は次に

 何を期待するか。
 次の中七で期待通りに盛り上がるか。
 最後の下五できちんと落ちが決まるか。

 それくらい計算しないといけないということで、無駄に百回唱えたところで何の意味もない。
 たとえば、

 うらやまし思い切るとき猫の恋 越人

の句も、元は「思い切るときうらやまし」で、これでは「ひがみたる」ということで直したという。
 意味的には、猫の恋(は)思い切る時うらやまし、だから

 猫の恋思い切る時うらやまし

 でも良さそうだし、口の中で何度も呟いても問題はなさそうだが、前に人がいて、ゆっくりと読み上げて聞かせることを想像してみると良い。尻つぼみな感じは否めないだろう。
 この句は、

 うらやまし
 えっ、何が羨ましいんや?

 思い切る時
 思い切るいうたら苦しいもんやろ、何でうらやましいんや?

 猫の恋
 あ、なるほど

と、この聞かせ方が大事。
 越人も流石に落ちを最初に言うなんてことはなかったが、あと一歩だった。
 「句調(ととの)はずんば舌頭に千囀せよ」というのはこういうこと。
 「調う」という言葉のこの使い方は、ねずっちの謎かけの「ととのいました」という時と同じ用法と考えても良い。

 猫の恋思い切る時うらやまし

は調ってない。
 こういう語順の整え方は其角さん(晋子)も上手い。

 切られたる夢は誠か蚤の跡 其角

 切られたる
 えっ、そりゃ大変やな

 夢
 何だ夢か

 はまことか
 えっ、ほんまに切られたん?

 蚤の跡
 あ、なるほど

 実際は百回囀(ツイット)しなくても、無詠唱でできればそれに越したことはない。
 「千囀(せんてん)」はしばしば「千転」と表記され、千回口の中で転がすことだと説明されることもある。確かに早稲田大学所蔵の文政期の写本には口篇はなくて、転になっているが、千回転がすでは意味が通らないので千回囀(さえず)るの間違いだろう。杜牧の詩に「夏鶯千囀弄薔薇」の用例がある。
 囀るという言葉は源氏物語玉鬘巻でも、大夫の監の言葉が訛りがひどくて意味がわからない様子を表すのにも用いられていて、鳥の囀りは無駄に長々と訴えることを揶揄するときにも用いられるが、囀りは本来繁殖期の求婚の声だからその意味でも玉鬘巻の用法は適切だ。囀りは相手に聞かせるもので、呟きではない。
 英語のツイットは辞書を見ると、なじる、あざける、しつこい批評または文句で困らせる、とか何かろくな意味はないが、実際ツイッターの実態を見るとなるほどと思う。Xになってだいぶ良くなった。ツイッターがXになった時に詠んだ句をもう一度。

 囀るなお前はもはや鳥じゃない

 それでは「雑談集」の続き。

 「山川といふ通称七年に及びぬれどもいまだ顔だに見合せぬに、志し他なく予が一癖をうつしければ尋常の反古も捨ず、はしりがき物しけり。彼花つみといふ集はやとひて清書なさしむ。又仮初に思いよりし句ともいかがなど問ひかはせば、古詩古歌の縁に叶へるも筆まめに引出ける。其力を強ひ此集にはげめかしといへば、勤めて閑かならず。それかやとより、我宿迄も心遥かにこそと折ふしの文緒は絶えずかしこといへる。同じく志シあり。

 凩よいつたたけども君が門     山川
   火燵へぐすと起臥の楽     角
 傘をかりて返さぬ雪はれて     渓石
   在所も近く薺うつなり     山川
 傀儡の肩にかけたるおぼろ月    かしこ
   馬にのせては狐うららく    仝

 鏡を形見といへる重高の歌にや。装束つくろひて鏡の間にむかへるに、

 親に似ぬ姿ながらもこてふ哉  実生 沾蓬」(雑談集)

 山川は寺村山川(てらむらさんせん)で、コトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺村山川」の解説」に、

 「?-? 江戸時代前期の武士,俳人。
  伊勢(いせ)津藩士。榎本其角(きかく)(1661-1707)の門人。通称は弥右衛門。」

とある。七年来の弟子というから、天和の終わり頃からの弟子なのだろう。天和三年刊其角編の『虚栗』にその名はなく、貞享四年刊其角編の『続虚栗』には、

 草まくら薺うつ人時とはん     山川
 子の泣てしばし音やむ砧哉     同

の句が見られる。他に嵐雪編元禄三年刊『其袋』、其角編元禄三年刊『いつを昔』、路通編元禄四年刊『俳諧勧進牒』などにもコンスタントに入集している。
 其角の弟子として活躍していながら、「いまだ顔だに見合せぬ」という状態だったようだ。直接教えを受けなくても、其角の書いたものを何一つおろそかにせずに勉強したようだ。
 それが認められて、其角編元禄三年刊『華摘』の清書を務めることとなった。
 ここに記された表六句は特に『華摘』にあるものではない。
 発句。

 凩よいつたたけども君が門     山川

 君が門は其角門のことであろう。会いに行こうとするといつも留守で、なかなか会えなかったということだろうか。会いに行っても凩だけが吹いている。
 脇。

    凩よいつたたけども君が門
 火燵へぐすと起臥の楽       其角

 「ぐすと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ぐすと」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘副〙 いいぐあいにすっかりはいったり、また、円滑に抜け離れたりするさまを表わす語。すっぽり。するり。
  ※名語記(1275)五「かしらや、又、さしいでたる物を、くすとひきいるなどいへる、くす如何」
  ※咄本・鹿の子餠(1772)比丘尼「菖蒲革染をぐすとぬぎかへ、ぬっと二階へあがり」

とある。発句を家の中にいて木枯らしが戸を叩くという意味に取って、寒い日は火燵に出たり入ったりと一人気楽に過ごす。

 応々といへどたたくや雪のかど   去来

の句はもう少し後になる。去来の句は戸を叩く音がしても生返事するだけで出て行かないという「あるある」だが、ここでは起臥とあるから、木枯らしの戸を叩く音に、一応起き上がって確かめには行くのだろう。
 留守中に来たという知らせを聞いて、会えなくて残念だったという気持ちも暗に込められているのだろう。戸を叩いたなと思ったらもういなかった、という意味で。
 第三。

   火燵へぐすと起臥の楽
 傘をかりて返さぬ雪はれて     渓石

 第三は発句を離れて大きく展開する。傘は「からかさ」。旅の時に被る「笠」ではなく、柄のある傘を区別してそう呼んだ。
 雪が降ったので傘を借りて帰り、そのままだった傘を、雪が晴れたので返しに行く。
 四句目。

   傘をかりて返さぬ雪はれて
 在所も近く薺うつなり       山川

 再び山川の句となる。場面を田舎に転じ、雪の晴を正月の七草の頃とする。
 「精選版 日本国語大辞典 「薺打つ」の意味・読み・例文・類語」に、

 「陰暦正月七日の前夜から早朝にかけて、摘んできた春の七草を刻む。《季・新年》
  ※俳諧・青蘿発句集(1797)春「薺うつ遠音に引や山かづら」

とあり、七草叩きともいう。ナズナを刻む時にそのリズムに合わせて七草歌を歌うが、拍子が各々自分の叩く拍子なため、合ってなかったりする。

 君がため春の野に出でて若菜摘む
    我が衣手に雪は降りつつ
               光孝天皇(古今集)

の歌の縁で雪と薺は付け合い。
 五句目。

   在所も近く薺うつなり
 傀儡の肩にかけたるおぼろ月    かしこ

 傀儡はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「傀儡」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 人形の一種。歌などに合わせて踊らせるあやつり人形。かいらい。〔新訳華厳経音義私記(794)〕
  ② 「くぐつまわし(傀儡回)」の略。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
  ③ (くぐつまわしの女たちが今様などを歌い、売春もしたところから) 舞妓や遊女。あそびめ。くぐつめ。てくぐつ。
  ※殿暦‐長治元年(1104)七月七日「今日不二出行一、密々にくくつにうたうたはす」
  [語誌]→「くぐつ(裹)」の語誌」

とある。正月にはこうした芸人も回って来たりしてたのだろう。
 六句目。

   傀儡の肩にかけたるおぼろ月
 馬にのせては狐うららく      かしこ

 「かしこ」は合略仮名で表記されている。其角・嵐雪などの集に見られる名だ。二句続く。
 「うららく」は麗(うらら)の動詞化であろう。春の季語になる。狐は近代では冬の季語だが、この時代は無季。馬と狐は稲荷様(お狐様)の初午で縁がある。初午は旧暦二月の最初の午の日で、その縁日には傀儡師がやってきて興行したりしたのだろう。

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