2024年2月20日火曜日

 
 今日はおおいゆめの里の河津桜を見に行った。
 花は満開で、一部はもう散り始めていた。この前は五分咲きと聞いて、いつか見に行こうと思ってたが、土日は混むからと後回しにして、昨日は雨で今日は何とか花の盛りに間に合った。
 富士山は雲がかかって、なかなか全体の姿を現さなかったが、霞と雲の合間に何とか見ることができた。
 花見の人も多く、平日とは思えない賑わいだった。

 それでは「雑談集」の続き。

 「あすは桃のはじめに人心うつろひ安からんも覚つかなしと、上野の桜みにまかりしに、門主例ならず聞えさせ給へば、山の気色いと閑なるに花もうれふるにやと心うごかす。霞の底もしめやかに鳥の声定まらざりし。日比にかはることいたづらになせそと、亦とがむる人をも心つかひせしかば、興なくかへりぬべきに成て、風雲の私にひかれ、大師の御座清水の糸ざくらなど、只おぼかたに詠みけるに、彼さくらの木に添て、舞台の右の方に鐘かけたり。片枝はさながら鐘をきくばかりにほころびたれば、

 鐘かけてしかも盛りのさくら哉  角」

 「桃のはじめ」は後でこの日が弥生の二日なのがわかるから、三月三日の桃の節句のことであろう。この日は海に潮干狩りに行き、獲れた海産物をお供えする。延宝の頃の芭蕉の句に、

 竜宮もけふの鹽路や土用干し   桃青

の句がある。
 せっかく桜の季節だというのに、移ろいやすい江戸っ子の心はすっかり潮干狩りムードで、それならと、其角は上野寛永寺の桜を見に行く。花見の名所だった。
 寛永寺の門主の所を訪ねて行ったのだろう。この日は人も少なく上野山は静かで、「花もうれふる」というくらい寂しかった。
 晩春の霞の中に鳥の声もはっきりとは聞こえない。今までとうって変わった景色だし、門主からも何やらお咎めがあったのか、すっかり興も醒めてしまった。
 だったらと「風雲の私にひかれ」というのは、ちょっと別の所を散歩してみようくらいのことか。風雲といっても旅というほどのものでもあるまい。
 「大師の御座清水の糸ざくら」は上野山を西側に降りた不忍の池の北側にある谷中清水稲荷社のことだろうか。弘法大師が掘り当てた清水の伝説がある。
 この糸桜(枝垂桜)の木の横に鐘が掛けてあった。半鐘か何かだろうか。「片枝はさながら鐘をきくばかりにほころびたれば」とあり、この糸桜も綺麗に咲いていたのだろう。

 鐘かけてしかも盛りのさくら哉  其角

ということになる。

 「入相と聞えしほどに門主も薨御のよしをふれて、鳴り物とどめさせ給へば、悲き哉やかるる日かかる時ありて、かくは世をさとしめ給ふことよと仏身非情草木にいたる迄、さてのみこそは侍りけれど愁眉沙汰する事をおもひて、

 其弥生その二日ぞや山ざくら   角」

 夕方の入相の鐘の頃になって再び寛永寺に戻って来たのだろう。ここでお寺が静かだった原因が薨御(こうぎょ)にあったことを知らされる。
 薨御はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「薨御」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 親王、女院、摂政、関白、大臣などの死去すること。
  ※太平記(14C後)一三「兵部卿宮薨御(コウキョ)事」

とある。
 ウィキペディアを見ると寛永寺の項に、

 歴代寛永寺貫首(輪王寺宮)
  1.天海
  2.公海
  3.守澄法親王(第179世天台座主。輪王寺宮門跡の始まり。後水尾天皇第3皇子)
  4.天真法親王(後西天皇第5皇子)

とある。この4の天真法親王はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天真法親王」の解説」に、

 「1664-1690 江戸時代前期,後西(ごさい)天皇の第5皇子。
  寛文4年7月28日生まれ。母は清閑寺共子。延宝元年得度。8年東叡山(とうえいざん)輪王寺貫主となる。日光の大火のおり被災した住民に食料をほどこしたという。元禄(げんろく)3年3月1日死去。27歳。俗名は幸智。幼称は益宮(ますのみや)。法名ははじめ守全。法号は解脱院。」

とある。元禄三年三月一日死去とあるから、其角が上野に花見に行ったのはおそらくその翌日であろう。
 なお、この句は『五元集』には、

   辛未の春上野にあそべる日
   門主薨御のよしをふれて世上一時に
   愁眉ひそめしかば
 其弥生その二日ぞや山ざくら

とある。
 辛未は元禄四年で『雑談集』の成立した年とされていて、巻末に「元禄辛未歳内立春日筆納往而堂燈下」とある。つまり元禄四年の師走に書き上げられたことになる。西暦では年が改まって一六九二年になる。
 そうなると、この辛未の春は元禄四年の春(一六九一年)ということになり、この時に皇族関係で亡くなった人がいたかということになるが、『五元集』が後に編纂されたことを考えるなら、元禄三年庚午の間違いと見て良いのではないかと思う。
 愁眉沙汰するの愁眉はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「愁眉」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 心中の悲しみや心配が表われた、しかめたまゆ。悲しみや心配のありそうな顔つき。
  ※傀儡子記(1087‐1111頃)「女則為二愁眉啼一、粧二折腰歩齲歯咲一」
  ※新撰朗詠(12C前)下「縦ひ酔へる面の、桃競ふこと無くとも暫く愁眉の柳与開くること有り〈慶滋保胤〉」 〔後漢書‐五行志〕」

とある。桜が今を盛りと咲き誇っているのに、今日は悲しんで顔をしかめるべき日ということで、

 其弥生その二日ぞや山ざくら   其角

の句を追悼に捧げることとなった。

0 件のコメント:

コメントを投稿