資本益というのは現在の労働から来る利益ではなく、未来の労働から来る利益と考えればいいんじゃないかと思う。
資本主義の時代よりはるか前、例えば最初に大規模な灌漑農法を計画した人は、水路を作ったり原野を切り開いたりする投資を行ったわけだが、その利益はその年の収穫に現れるわけではない。それは何年もかけて完成した暁に、その空白の何年かを取り返すような収益を上げる。
古代にあって、この投資家は企業家ではなく王様とも皇帝とも呼ばれた。文明の最初の国家を作った人たちだ。
この、遙か未来を見越した労働の始まりが、それまでの単純再生産とその生産物の交換だけによって成り立っていた「交換価値」を根本的に変えるものだった。
単純再生産による労働は、ただ生活するのに必要なための食料を得るだけの生産に留まっていた。それゆえに労働時間=生産物の交換価値という等式が成り立った。
資本の価値は資本を元になされた労働時間によっては決まらない。それが完成するまでは何の生産物も生まないからだ。完成した時にどのような結果が出るかも未知数の段階で、その労働の価値を決めることはできない。
労働価値説は現在の価値に基づいて決定されるが、資本益は未来の利益によって後から決定される。その価値は予測と期待にすぎず、価値が判明した時には次の投資に入っている。
トマ・ピケティの発見したr>gは、「未来の利益>現在の利益」と置き換えることができる。r>gの状態にあるというのは、経済が成長している証拠であり、r₌gは停滞を意味する。
MMT理論についても、これは未来への成長が前提となって初めて成立するもので、停滞した経済ではやがて破綻する。未来の生産から前借しているだけだからだ。
未来からの借金は十年先だろうが百年先だろうが、必ず返せる当てがあるなら破綻しないかもしれない。ただ返せないと誰もが思い始めた時点で破綻する。それは未来の成長を期待して高値を付けてた株価のようなもので、一種のバブルだからだ。
普通に考えればわかることだが、生産物が増えないのにお金だけたくさんばら撒いても、それで無限に物が買えるわけではない。ないものは買えない。だから通貨供給量は制限されなくてはならない。子供でも分かることだ。
ただ、たくさんばら撒いた金が消費にではなく未来の生産への投資に用いられた場合のみ、未来にたくさんの生産物が生み出されれば、いくらでも買えるようになる。だから、金融緩和は国民への直接的なばら撒きではなく、金利を限りなくゼロにして、投資資金を生むという方向でなければ意味がない。
投資に金を回さずに今ある物の購入に向かえば、ただ物価が上がるだけだ。投資に用いられるか、あるいは貯蓄に回って間接的に投資されれば、通貨供給を増やしても破綻しない。ただ、それは未来の生産増が約束されている限りにおいてそうなる。
金融緩和してもデフレが続くのは、国民に金が回ってもその多くが貯蓄を増やすのに用いられているからだとも言える。
日本の長期に渡るデフレは、外国人を含む資本家筋が日本経済に楽観的なのに対し、投資をしない日本の労働者が悲観的になっている、そのギャップが原因なのかもしれない。
給与が多少なりとも増えたとしても、それが貯蓄に向かう限り、物価を押し上げることはない。むしろ将来の生産の増大を見越すなら、物価は下がる。自ら消費を抑制することでインフレを回避している。
日本には投資教育がない。経済に疎い主婦が家計を握っている。それに加えて質素な生活を尊ぶ文化がある。これがいくら財政出動をしてもインフレにならない理由と言って良いだろう。
その一方で、日本企業は生産性を向上させ、世界に物を供給し、世界の投資資金を集めて世界を豊かにしている。日本人が取り残されているのはひとえに投資をしないからだ。
日本の経済がこれからも成長し続ける見通しを世界の多くの投資家が共有している限り、国家の赤字が増えてもさしたる問題はない。ただ、それは予測と期待にすぎない。いつでも泡(バブル)のように弾ける可能性があることは注意しなくてはいけない。
それではTwitterで呟いたなりきり奥の細道の続き。
四月八日
今日は旧暦4月7日で、元禄2年は4月8日。
また雨か。今日は灌仏会だな。修験光明寺はすぐそばだが。
山も庭にうごきいるゝや夏ざしき 芭蕉
修験光明寺はすぐそばなので、雨の中灌仏会法要を営む声がする。地元の人たちは集まってるようだ。明日にでもどんな所か見に行ってみようかな。
今日はすることないんで、この前の図書の立派な庭を句にしてみた。
城山の中なので、庭の向こうがそのまま山になっていて、庭と一続きになっている。
図書と民部には雨のせいで長逗留になってしまったので、何か残していきたいなということで、俳文を添えてみようかな。
曾良も雲岩寺の句の文章を考えている。
修験光明寺に行ってみたいと言ってたら、曾良と民部がアポを取ってくれたのか、招待状が届いた。また大勢で仰々しいことになるのかな。
まあ、向こうも都合があるから、いきなり押しかけてただ参拝だけして帰るというわけにもいかないようだ。
田や麦や中にも夏の時鳥 芭蕉
大田原から黒羽に来る間は田んぼもあれば麦畑もあったのを思い出して作った句。
田んぼは田植えがまだで春のようだし、麦は赤らんで秋のようだが、ホトトギスが鳴いて間違いなく夏だった。
四月九日
今日は旧暦4月8日で、元禄2年は4月9日。
今日も雨は止まないが、昼から修験光明寺の招待を受けている。どんな所だか。
夏山や首途を拝む高足駄 芭蕉
昼過ぎに修験光明寺にお邪魔した。
天狗の履くような高下駄があったので、この先の旅の無事を祈って、まず一句できた。
出来上がって書いてみると、首と足の文字が縁語みたいになっている。これをもう少し活かしたいな。
汗の香に衣ふるはん行者堂 曾良
「衣振る」というのは楚辞の漁父辞の言葉を使ってみた。
風呂で体を清めたら衣を着る時にも埃を払うように、自分は潔癖だから衣を着る時は埃を払って着るという意味だ。
光明寺の行者堂に入るには清い心にならなくてはいけないから、汗の香も振るい落として、とした。
翁が言うには、それだと自分は最初から潔癖だから衣だけ塵を払うと言う意味だが、煩悩の塵にまみれているから仏にすがるのが釈教の本意ではないかとのこと。
神道では我が身が清く赤き心であることを示すものだけど、仏教はなかなか難しいものだ。
鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし 芭蕉
光明寺に招かれて高足駄を拝んだ後、寺の中も一通り案内してもらった。
その中に鶴と芭蕉の描かれた絵があって、せっかく芭蕉さんが来たんだからと言うことで、画賛を頼まれた。
鶴が飛来して鳴く頃には芭蕉の葉はとっくに秋風に破れてしまってるはずだ。ということは、これはコウノトリなのか。まあどっちでも良いけど。
芭蕉の葉は西行法師の、
風吹けばあだに破れ行く芭蕉葉の
あはれと身をも頼むべき世か
の歌のように、薄物の破れやすさを本意とする。
結局修験光明寺のお坊さんの話が長くなって、民部の家に帰ったのはすっかり暗くなってからだった。
四月十日
今日は旧暦4月9日で、元禄2年は4月10日。
今朝は雨が止んで、久しぶりに日が射している。ようやくこの辺りを散策できそうだ。
犬追物の跡や玉藻の池など、行ってみたいところはいろいろある。
四月十一日
今日は旧暦4月10日で、元禄2年は4月11日。
余瀬の民部の家に戻った。
今日は小雨が降ってたが、夕方から雨が強くなってきた。
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