ワクチンに副作用があることも、マイナカードのコンピュータシステムに入力ミスやエラーがあることも、誰もが知ってる当たり前なことなんで、それを考慮しても社会全体に有益だからやってること。
反ワクや反マイナの人達って、自分たちだけがそれを知ってるとでも思ってるのかな。
交通事故で毎年たくさんの人が亡くなっても車の使用をやめないとと同じでしょ。
陰謀説にすぐ引っかかる人というのは、自分だけが真実を知ってて、大衆は無知蒙昧だと思っている人なんだと思う。常に自分は何も知らないのかもしれないと思っている謙虚な人は引っかからない。
性自認の問題だが、「性別は精神の自由のみで決まらず、肉体の構造のみで決まらず。欲情の結果がすべて。」ってのはどうだろうか。
まあ、性別を性自認で決めた所で、それとはまったく別に子宮を持つ者はペニスを持つ者から守られなければならない。
また、スポーツの男女の別は体格、体力などの差を考慮したもので、肉体的な差異に根拠があるのだから、心が男であろうと女であろうと肉体がどちらなのかで決定されなくてはならない。
西洋の人権派もみんながみんな馬鹿ではないと思うし、こういう問題に当然気付いていると思う。
日本は西洋の良い所は取り入れても、悪い所まで取り入れる必要はない。日本は先進国として西洋と対等だという誇りを持つべきだ。
それでは「武さし野を」の巻の続き。
十三句目
治郎にくだす盞の論
金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ 一晶
金谷は字数からすると「かねたに」だろうか。かねたにの-なみだをかたび-らにそそぐ、こういう切り方は近代俳句でも真似されているが。
何となくそういう武将がいそうだなという感じで「かねたに」にしたのだろう。息子との涙の別れか。楠木正成の桜井の別れのような。
十四句目
金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ
荒しや姑蘇の風呂臺に入 其角
姑蘇(こそ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「姑蘇」の意味・読み・例文・類語」に、
「中国、江蘇省蘇州市近郊にある呉県の古名。西南に姑蘇山があり、その山頂には姑蘇台がある。〔張継‐楓橋夜泊詩〕」
姑蘇台は、
「中国、春秋時代の呉王夫差が姑蘇山(江蘇省呉県の西南)上に築いた台の名。夫差は越を破って得た美人西施など、千人の美女を住まわせて栄華をきわめたという。姑胥台(こしょだい)。蘇台。
※和漢朗詠(1018頃)下「強呉滅びて荊蕀あり 姑蘇台の露瀼々たり〈源順〉」 〔史記‐呉也家〕」
とあり、和漢朗詠集にもあるから有名だったのだろう。ただ、風呂臺はおそらく白楽天『長恨歌』の西安華清池の、春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂のイメージと組み合わせたものか。
その温泉台も荒れ果てて涙を流すというのは、前句の金谷殿を玄宗皇帝に見立てたと思われる。
十五句目
荒しや姑蘇の風呂臺に入
乱往昔古首つるべより上る 才丸
往昔には「そのかみ」とルビがある。荒れ果てた風呂台の跡はその昔乱があって、その時の首が釣瓶に乗って上げられた、ということであろう。昔の首だったら、完全に髑髏になっているのだろう。
十六句目
乱往昔古首つるべより上る
主人の瑞を告し初鶏 翠紅
乱を起こした邪君は既に排除され、我が大君が天下泰平をもたらす瑞兆の鶏の声がする。
十七句目
主人の瑞を告し初鶏
花の比都へ連歌買にやる 其角
吉兆があったので花の都で連歌会を催す。中世ならありそうなことだ。「買いにやる」というのは、地下の連歌師たちを多額の報酬をやって集めてくるということか。善阿、周阿。救済のような。
まあ、其角も自ら「詩あきんど」と言っているし。
十八句目
花の比都へ連歌買にやる
桜まだみぬ島原につよし 一晶
花の都と言えば島原の遊郭。連歌師を呼ぶはずが、桜にはまだ早いと言って、結局遊郭で使いこんでしまうという落ちか。
「つよし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「強」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘形口〙 つよ・し 〘形ク〙
① 丈夫で力がある。また、勢いがある。
※書紀(720)神武即位前(熱田本訓)「勁(ツヨキ)卒(いくさ)を駈馳せて」
② 勇気・意志力・忍耐力などが十分にある。また、気丈夫である。
※続日本紀‐神護景雲三年(767)一〇月一日・宣命「先の人は謀(はかりごと)をぢなし、我は能(よ)く都与久(ツヨク)謀りて、必ず得てむ」
③ あることが得意である。あることによく通じている。また、あることに耐える力がある。「将棋が強い」「法律に強い人」「熱に強い材質」
※東京の三十年(1917)〈田山花袋〉ある写真「国木田も飲むからな。それに、天渓君だって強い」
④ ゆるみがない。堅い。堅固だ。
※東大寺諷誦文平安初期点(830頃)「唯し菩提樹下のみ堅(ツヨク)全(また)くして振ひ裂けず」
⑤ はげしい。きびしい。するどい。
※源氏(1001‐14頃)末摘花「人のいふ事はつようもいなびぬ御心にて」
⑥ 程度が著しい。はなはだしい。きわだっている。
※源氏(1001‐14頃)玉鬘「詠みつきたる筋こそ、つようは変らざるべけれ」
といろいろな意味があるが、ここでは③の意味で、島原を熟知してるということでいいかと思う。
二表
十九句目
桜まだみぬ島原につよし
地女の袂みじかき染の帯 翠紅
地女はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「地女」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙
① その土地の女。
② 商売女に対してしろうとの女をいう。
※俳諧・虚栗(1683)上「桜まだみぬ嶋原につよし〈一晶〉 地女の袂みじかき染の帯〈翠紅〉」
※浮世草子・好色二代男(1684)八「今迄太夫見つくせども、〈略〉若地女(ヂをんな)に美人もありや、諸国を尋出し、色町をやめんと」
とある。
今でもプロの風俗嬢は私生活では地味な格好をしてるもんで、素人の方が大胆だったりする。この場合の強しは際立つの方か。
二十句目
地女の袂みじかき染の帯
小六に祈る郎よかれと 才丸
小六はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「小六」の意味・読み・例文・類語」に、
「[一] 小六節(ころくぶし)にうたわれた馬方の小六のこと。慶長(一五九六‐一六一五)頃の人。江戸赤坂に住み、西国生まれの美男で小唄の名手という。
※糸竹初心集(1664)下「ころく生れは西のをくに、ころくそをだちやほほほんほほほん」
[二] 「ころくぶし(小六節)」の略。
※俳諧・ひさご(1690)「うつり香の羽織を首にひきまきて〈珍碩〉 小六うたひし市のかへるさ〈同〉」
とある。
郎は「とのこ」とルビがある。馬方の小六のような美少年が生まれることを祈るということか。
二十一句目
小六に祈る郎よかれと
御手洗や両国橋の生れぬ世 一晶
両国橋はウィキペディアには、
「両国橋の創架年は2説あり、1659年(万治2年)[1]と1661年(寛文元年)である、千住大橋に続いて隅田川に2番目に架橋された橋。」
とある。いずれにしても小六の時代よりは大分後になる。前句の祈りを両国橋誕生前の話とする。
二十二句目
御手洗や両国橋の生れぬ世
垂樹渡江松九本あり 其角
「垂樹江を渡る松」と読む。
両国橋ができる前には川を渡るくらいの横に太い枝を垂れた松が九本あった、と昔話めいてるが真偽不明。
二十三句目
垂樹渡江松九本あり
蒹焦て番屋は雷に霹らん 才丸
蒹は「よし」とルビがある。芦のこと。
九本あった松の木は雷が落ちて、辺りの芦も燃えて河原にあった番屋は倒れた松の下敷きになった。
二十四句目
蒹焦て番屋は雷に霹らん
もるに書ヲ葺閑窓の夜 罔兩
雨漏りした箇所を本で塞いで何事もなかったかのようにふるまう隠士がいた、ということだろう。杜甫の茅屋為秋風所破歌の、
床頭屋漏無干處
雨脚如麻未断絶
の心であろう。
この少し前に、
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 芭蕉
の句があり、前年の天和二年刊千春編『武蔵曲』に収録されている。
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