言葉は音声や文字などの単なる記号から何かを作り出したりすることはできないんで、ただその記号が人の記憶を引き出した時のみ意味を持つ。つまり、共通体験がない所では言葉は何も伝えることができない。
同時代、同じ文化圏で生きているは簡単に伝わる言葉でも、これまでの生涯で体験してきたことと大きく異なる時代や文化の言葉は伝わらなくて当たり前なんだ。それは読解力の問題なんかじゃない。むしろ読解力の欠如なんていうのは世代ギャップの別名、あるいは文化的ギャップの別名と言ってもいい。
芭蕉の句の多くはおそらく享保の頃にはかなり分かりにくくなってたと思う。支考が『梟日記』の旅の時に座頭から浄瑠璃姫ではなく按摩を連想したように、芭蕉の若い頃にはまだ琵琶や三味線で浄瑠璃姫を語る座頭が記憶にあったが、それが元禄の終わり頃には失われていたのだろう。
貞享の頃には多くの人の共通体験だった古池も、元禄の頃には少なくなっていったのかもしれない。
芭蕉の句を詠むには、その背景にある生活体験の共有が不可欠なんだが、残念ながら我々はそれを共有できないし、ただ文献などから考証し推測するしかない。
ただ一ついい方法があるとしたら、芭蕉の時代を物語として体験することではないかと思う。「呟き版 芭蕉発句集」は考証というかたちではなく、短い物語の形にする一つの試みでもある。
それでは久しぶりに俳諧を読んでいこうと思う。
今回は『虚栗』から、挙白、其角、松濤による三吟二十五句、「菖把に」の巻。
初表
発句
重伍
菖把に競-曲中を乗ルならん 挙白
難しい発句で、把に「スガリ」とルビがあるだけで読み方もよくわからない。
「乗ル」とあるから競馬(くらべうま)のことか。端午の節句に行われる。そうなると、曲中は城の曲輪(くるわ)の中ということか。
「菖すがり」もよくわからない。菖蒲の葉を束ねて馬の偽物を作るということか。
「らん」で終わっているので、菖蒲を束ねて馬を作り、それに乗って曲輪の中を競って乗るのだろうか、と疑いで終わる。実際にはそんなことはない、あくまで冗談だということになる。
題の「重伍」は五を重ねるということで五月五日の端午の節句のこと。
脇
菖把に競-曲中を乗ルならん
粽をしばる鬼の尸 其角
発句が冗談なので、端午の節句を題材にした冗談で付ける。粽は笹で包むが、芦の葉で包んだ時代もあった。いずれにしても包んでそれを縛り、その縛られた姿が捕らえられた鬼のようで、鬼の代りとして食べるというのであろう。
第三
粽をしばる鬼の尸
龍ヲよぶ白雨乞ヒの跡荒て 松濤
前句の粽を鬼の代りの生贄として、龍神様に捧げて雨ごいにする。
季節は夏なので白雨乞いになるが、雨は降ったのはいいが、雷が落ちて大変なことになる。
四句目
龍ヲよぶ白雨乞ヒの跡荒て
御歩みかろき雲の山橋 挙白
「御歩み」はルビがあって「みあゆみ」と読む。敬語を付けているので前句の龍神様の歩みであろう。山と山の間に雲の橋を架けて軽々と進んでゆく。
五句目
御歩みかろき雲の山橋
錦干ス木の間の月のすて冑 其角
冑は「よろひ」とルビがある。
前句を合戦後の天子様の歩みとして、その多分血で汚れた錦の衣を洗って干して木の間に掛けて乾かし、鎧はいらなくなったので捨てて行く。
六句目
錦干ス木の間の月のすて冑
蔦の茵に猿疵ヲ吸 松濤
茵(しとね)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「茵・褥」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 すわったり寝たりする時、下に敷く敷物。使途により方形または長方形で、多くは布帛製真綿包みとし、ときに藺(い)の莚(むしろ)や毛織物の類を入れ、周囲を額(がく)と称して中央とは別の華麗な布帛をめぐらすのを常とした。
※西大寺流記資財帳‐宝亀一一年(780)一二月二五日「褥二床」
※源氏(1001‐14頃)初音「唐のきのことごとしきはしさしたるしとねに、をかしげなる琴うちおき」
とある。
猿だから蔦をねぐらにして、傷をなめ合う。前句を猿の軍(いくさ)とする。
初裏
七句目
蔦の茵に猿疵ヲ吸
露をへて鵃舊都に歎きけり 挙白
鵃は「みさご」とルビがある。英語でオスプレイと呼ばれる鳥で、ホバリングからの急降下で獲物を捕らえるが、雎鳩(しょきゅう)という場合は、コトバンクの「普及版 字通 「雎鳩」の読み・字形・画数・意味」に、
「みさご。〔詩、周南、関雎〕關關たる雎鳩は 河の洲(す)に在り 窈窕(えうてう)たる淑女は 君子の好逑(かうきう)」
とある。
遥か異国に嫁がされる上臈とその御供の者をミサゴご猿に喩えたのだろう。
八句目
露をへて鵃舊都に歎きけり
漁笛はあれど瑟しらぬ蜑 其角
上臈の田舎の旅ということで、宮廷同様の遊び(音楽)を求めるが、漁師の吹く笛の音はあっても、海女は二十五絃の瑟を弾けない。
漁笛はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「漁笛」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 漁夫の吹く笛。
※黙雲詩藁(1500頃)掀篷梅図「漁笛声々昏月後、暗香吹度打レ頭レ風」 〔杜牧‐登九峯楼詩〕」
とある。
九句目
漁笛はあれど瑟しらぬ蜑
忘れ松娘がうはさ云出て 松濤
「忘れ松」は男に忘れ去られてもなお待つ娘という意味だろうか。そこに浮いた噂が流れるが、それは言い寄っても頑なに昔の男を待ち続ける女に腹いせで流したのものか。
前句を笛吹けど踊らずの意味に取り成す。
十句目
忘れ松娘がうはさ云出て
馴ぬふくさを敷て旅寐し 挙白
袱紗(ふくさ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「袱紗・服紗・帛紗」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 糊(のり)を引いてない絹。やわらかい絹。略儀の衣服などに用いた。また、単に、絹。ふくさぎぬ。
※枕(10C終)二八二「狩衣は、香染の薄き。白き。ふくさ。赤色。松の葉色」
② 絹や縮緬(ちりめん)などで作り、紋様を染めつけたり縫いつけたりし、裏地に無地の絹布を用いた正方形の絹の布。贈物を覆い、または、その上に掛けて用いる。掛袱紗。袱紗物。
※浮世草子・好色一代男(1682)七「太夫なぐさみに金を拾はせて、御目に懸ると服紗(フクサ)をあけて一歩山をうつして有しを」
③ 茶道で、茶器をぬぐったり、茶碗を受けたり、茶入・香合などを拝見したりする際、下に敷いたりする正方形の絹の布。茶袱紗、使い袱紗、出袱紗、小袱紗などがある。袱紗物。
※仮名草子・尤双紙(1632)上「紫のふくさに茶わんのせ」
④ 本式でないものをいう語。
※洒落本・粋町甲閨(1779か)「『どうだ仙台浄瑠璃は』『ありゃアふくさサ』」
とある。
ここでは噂を立てられた娘が家に居れなくなって旅に出て、①の意味の袱紗を敷いて旅寝するということか。
十一句目
馴ぬふくさを敷て旅寐し
情ある不破の関屋の小哥哉 其角
旅寝ということで、不破の関屋に泊めてもらう。不破の関はこの時代にはないが、関所に泊めてもらうことはよくある事だったのだろう。
前句を関所への付け届けの袱紗として、関を抜ける遊女の出女としたか。
十二句目
情ある不破の関屋の小哥哉
むかしを江戸にかへす道心 松濤
前句の小唄を発心して尼になった遊女の小唄とする。京で出家して江戸に戻る。
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