西洋、特にアメリカの人権思想というのは昔ながらの霊肉二元論で、精神のみの権利を語り、肉体を完全に無視する傾向がある。多分それがピューリタニズムと密接に結びついてるのだろう。
レイプはこうした人権思想からすると、あくまで精神に対する犯罪であり、子宮に対する犯罪ではない。そのため女性に対するレイプと男性に対するレイプを同等に考える。
また、LGBTに対する意識も、あたかも肉体の性が存在しないかのように、精神だけの性を絶対視する。
男女は肉体的に異なり、子宮を持つことと体の小さいことは大きなハンディになるがこのことは精神中心のジェンダー論では完全に無視されている。あくまで精神の平等のみで肉体の差異を考慮しないなら、結果的に男性の体を持つ者の絶対的優位が確定する。
西洋の人権論者はこの欠点を自覚する必要がある。
LGBTの差別には反対だが、肉体軽視の精神主義のジェンダー論は断じて受け入れるべきではない。
イーロン・マスクさんは「お金は情報システムの一種だ」と言ったとか。
お金を交換価値と言い換えた方が良いかもしれない。金は古典経済学では商品の一つと考えられていた。金銭的な価値は交換価値を反映するものではなく、一つの商品として相場の上下するもので、金銀銭などの変動相場の時代は確かに一つの商品だった。
これに対して古典経済学は底辺にいる労働者の最低限の生活必需物資を基本として、交換価値の基準とした。この考え方ではいかに生産性が高まろうとも、その生産物の総体の価値は増えることはなく、生産過剰になる分、物の価値は暴落することになる。これがリカードの悲観論やマルクスの革命論の根底となった。
この考え方では人は永遠に飢餓と隣り合わせの底辺労働者の生活水準に縛り付けられることになる。
西洋哲学の霊肉二元論の考え方では、欲望は肉体に発するもので有限のものとなってしまう。つまり食べ物は満腹したら終りで、性欲は子孫の生活が保障されればそれで終わり、睡眠欲は何の価値も生み出さない。この有限の欲望が労働者の最低限の生活という形で、交換価値はそれ以上増えないということになる。
そして芸術品やレアアイテムなどの希少価値は交換価値の例外として扱われる。
だが、資本主義はその後生活を一変させるような大きな社会変化をもたらし、いわゆる底辺労働者を一層していった。古典経済学が予測できなかったのは、消費体系全体が変わるということで、人は永遠に底辺労働者の生活をするわけではないということだった。
交換価値は現在の生活の継続によって決定されるのではない。交換価値は未来によって決定される。未来に今と違った生活を思い描くなら、交換価値はその生活の豊かさに応じて膨れ上がることになる。
資本主義の剰余利益はただライバルよりも優位に立つためのコストダウンにのみ向かうのではなく、新たな生活スタイルの創造による新たな需要、市場の開拓にも向けられた。これによって労働者の生活そのものが生理的欲求によって限界づけられた定数ではなく、その望む新しい生活の方から決定される変数へと変わった。
交換価値は現在の生活によって決定されるのではない。交換価値は未来から決定される。
お金は従来は金銀などの物質に基礎を持っていたが、かなり前からそうした本意制度から遊離している。お金の価値もまた未来から決定されるようになった。我々は未来の膨れ上がるべき生活を基本に交換価値を見出し、その未来から借金して、それを元手に労働をしている状態にある。
各国の通貨はその未来量と言ってもいいかもしれない。その国が豊かな未来を思い描ける状態で、それに向かって労働できる状態であれば、その通貨は相対的に高値を付ける。日本がこれだけの借金を抱えていても破綻しないのは、未来があるからだ。
この未来量の評価は何ら物質的な基盤を持っていない。それは世界中の投資家のそれぞれの不確かな感覚によって決定されている。そして金融市場はその無数の投資家の思惑に基づく需要供給の関係にすぎない。
それは極言すれば「通貨は市場に表現された需要供給関係の情報データにすぎない」ということになる。故に「お金は情報システムの一種だ」。
それでは「菖把に」の巻の続き。
十三句目
むかしを江戸にかへす道心
藤柄の鉦木をとても重からぬ 挙白
鉦木は「しもく」とルビがある。鉦を叩く撞木(しゅもく)のことであろう。
藤柄は「ふぢつか」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「藤柄」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 (「ふじづか」とも) 藤蔓を巻いてある刀の柄。きわめて質素で、いかついもの。
※俳諧・虚栗(1683)上「むかしを江戸にかへす道心〈松濤〉 藤柄の鉦木(しもく)をとても重からぬ〈挙白〉」
とある。
前句を出家した武士として、刀のツカを撞木に加工して持ち歩いてるということか。
「とても」はかつては否定の言葉を伴うことが多く、否定の強調になる。「さりとても」から派生したか。
刀は重かったが、撞木になったからには藤の蔓が巻いてあってごついけど、だからと言って重いわけではない。
刀の重さは重量だけでなく、人を生殺を預かる精神的な重圧もある。
十四句目
藤柄の鉦木をとても重からぬ
破蕉老たる化ものの寺 其角
破蕉は秋風に破れた芭蕉の葉で、荒れ果てた感じがする。深川の芭蕉庵にも植えられていて、その薄物の破れやすさは庵主の好みだが、ここでは特に関係はあるまい。
前句の「藤柄の鉦木」を軽々とという所から、大きな化物が棲み着いているとする。
十五句目
破蕉老たる化ものの寺
蟹ひとり月ヲ穿ツの淋しげに 松濤
「月夜の蟹」という諺があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「月夜の蟹」の意味・読み・例文・類語」に、
「(月夜には、蟹(かに)や貝類は月光を恐れて餌をあさらないので、やせて身(肉)がつかないといわれているところから) やせていて肉の少ない蟹。転じて、身がない、内容がないの意のしゃれ。また、知能程度の低い人のたとえ。つきよがに。
※雑俳・水加減(1817)「案に相違・月夜の蟹な蔵構」
とある。
月を恐れて穴を掘って隠れるように蟹のように寺に籠る化け物。あるいは言水編延宝九年(一六八一年)刊『東日記』所収の、
夜ル竊ニ虫は月下の栗を穿ツ 芭蕉
の影響があったかもしれない。隠士の比喩と見ていい。
十六句目
蟹ひとり月ヲ穿ツの淋しげに
詩人の餌の鱸魚ヲ憎シト 挙白
中国の詩人は鱸魚を好むということか。名高い松江鱸魚はスズキではなくヤマノカミのことだという。
蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)という言葉もあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「蓴羹鱸膾」の意味・読み・例文・類語」には、
「〘名〙 (「晉書‐文苑伝・張翰」の「翰因レ見二秋風起一、乃思二呉中菰菜蓴羹鱸魚膾一、曰、人生貴レ得レ適レ志、何能覊二宦数千里一以要二名爵一乎、遂命レ駕而帰」による語で、張翰(ちょうかん)が故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷したという故事から) ふるさとの味。故郷を思う気持のおさえがたさをたとえていう。蓴鱸。
※露団々(1889)〈幸田露伴〉九「蓴羹鱸膾(ジュンカウロクヮイ)炉辺に半日を酒徒と楽しむに如んや」
とある。張翰(ちょうかん)は呉の人で、長江下流域の松江鱸魚が好物だったと思われる。
松江鱸魚ばかりがもてはやされると蟹は恥じて穴に隠れる。上海ガニがもてはやされるようになったのは意外に最近のことなのか。
十七句目
詩人の餌の鱸魚ヲ憎シト
花ヲ啼美女盞を江に投て 其角
「花ヲ啼美女」は楊貴妃で白楽天『長恨歌』の「玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帯雨」のことか。
ここは仙境に離れ離れになった楊貴妃の悲劇とは無関係に、詩人が鱸魚で酒飲むばかりでかまってくれないから、盃を投げ捨てたということか。
十八句目
花ヲ啼美女盞を江に投て
なびくか否か柳もどかし 松濤
前句を吉原の太夫か何かにしたのだろう。江は隅田川になり、靡くとも靡かないともはっきりしない男にイラついている。
二表
十九句目
なびくか否か柳もどかし
世は蝶と遁心思ひ定めける 挙白
柳に喩えられる靡くかどうか思いの定まらないのを女の方として、男なんてどうせ蝶のように浮気に花を渡り歩くだけだと、出家を思うが決意のつかない状態とする。
二十句目
世は蝶と遁心思ひ定めける
骨牌ヲ飛鳥川に流しつ 其角
骨牌(かるた)というと延宝の頃は、
古川のべにぶたを見ましや
先爰にパウの二けんの杉高し 似春
正哉勝々双六にかつ
おもへらくかるたは釈迦の道なりと 桃青
と詠まれたうんすんカルタだった。
ここでは蝶が出るから、あるいは花札かと思いたくもなるがまだ天和の頃で時期的に離れてないので、ここでの蝶は単に浮ついたものという意味でいいのだろう。
飛鳥川は明日のことは分らない、無常迅速の意味で用いられる。
世中は何か常なる飛鳥川
昨日は淵ぞ今日は瀬になる
よみ人しらず(古今集)
飛鳥川淵にもあらぬ我が宿も
瀬に変はりゆく物にぞ有りける
伊勢(古今集)
などの歌に詠まれている。
骨牌賭博をやめて出家する。
二十一句目
骨牌ヲ飛鳥川に流しつ
三線ヲ十市の里に聞明ス夜ヤ 松濤
十市は奈良県橿原の歌枕で、
十市には夕立すらしひさかたの
天の香具山雲かくれゆく
源俊頼(新古今集)
などの歌に詠まれている。和歌では「とほち」と読むがここでは「といち」とルビがある。骨牌の数字に掛けているのか。
三線は三味線のことで、あたかも古代の十市に遊郭があったかのようだ。
二十二句目
三線ヲ十市の里に聞明ス夜ヤ
あらしな裂そ夫尋ね笠 挙白
十市という古風な地名に「な‥そ」という古風な言い回しで応じて、恋に転じる。十市は夕立、嵐に縁がある。
二十三句目
あらしな裂そ夫尋ね笠
祖母はせく樵は流石哀あり 其角
きこりというのは薪こり、妻木こりから来た言葉か。
我が宿は妻木こりゆく山がつの
しばしは通ふあとばかりして
式子内親王(風雅集)
のように、和歌では用いられる。
「せく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「塞・堰」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 水の流れをせきとめる。
※播磨風土記(715頃)揖保「指櫛を以て其の流るる水を塞(せき)て」
※古今(905‐914)哀傷・八三六「瀬をせけば淵となりてもよどみけりわかれをとむるしがらみぞ無き〈壬生忠岑〉」
② 涙の出るのをおしとどめる。涙をこらえる。
※源氏(1001‐14頃)玉鬘「御方ははやうせ給にきと言ふままに二三人ながらむせかへりいとむつかしくせきかねたり」
※苔の衣(1271頃)四「こぼれそめぬる涙はえとめもあへず、せきがたげなり」
③ 物事の進行や人などの行動を妨げる。
※播磨風土記(715頃)神前「勢賀(せか)と云ふ所以は、品太天皇此の川内に狩したまひき。猪・鹿を多く此処(ここ)に約(せき)出だして殺しき。故、勢賀(せか)と曰ふ」
※大川端(1911‐12)〈小山内薫〉三〇「俺のやうな者を客にしたって、どうせ碌な事はないとか何とか思ったんだ。あいつが俺を堰(せ)いたんだ」
④ 男女の仲を妨げる。互いに思い合う男女の仲を故意にさえぎりへだてる。
※評判記・寝物語(1656)一八「其上、あまりせけば。せきてのぶげんより、せかれてふけんなれば。此けいせい、みかへ申物也」
※浄瑠璃・心中天の網島(1720)上「紙屋治兵衛ゆへぢゃとせくほどにせくほどに、文の便も叶(かな)はぬやうに成やした」
※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉二「他でも無い、此頃叔母がお勢と文三との間を関(セク)やうな容子が徐々(そろそろ)見え出した一事で」
とある。ここでは④の意味か。
山奥は嵐にも恋仲を妨げられるし、祖母にも妨げられる。山奥に住む樵は哀れだ。
二十四句目
祖母はせく樵は流石哀あり
徳利ヲ殺す是雪の咎 松濤
徳利を殺すというのは単に割るということでいいのか。あるいは押し殺す、つまり酒を止めさせるということか。
雪見酒は飲みたいが、酒を買いに行こうとすると雪だからと祖母に止められ、徳利を仕舞われてしまった、というところか。
二十五句目
徳利ヲ殺す是雪の咎
春ヲ盗ム梅は破戒の其一ツ 罔兩
雪の中で梅が咲くとやはり一杯飲みたくはなる。
ここでは樵から僧へと転じ、雪の梅は戒律を犯す元だと、徳利への欲求を押し殺す。
二十四句で満尾せずに終わった興行に、執筆の罔兩が春の句を添えて挙句としたか。
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