それでは「武さし野を」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目
もるに書ヲ葺閑窓の夜
犬わなにかかるは酔の翁にて 其角
前句を雨漏りではなく窓の灯りが漏れるに取り成し、書を葺くを単に窓の辺りに積み上げられた本の床にしたのであろう。そうなると主は隠士でそこで何かネタをということになる。
隠士は酒のみで酔っ払って犬のわなにかかる。
犬罠は野犬対策だろうか。生類憐みの令より前の時代だから、犬を捕まえて食う人もいたとは思うが、大抵は冬の薬食いに限られていた。
生類憐みの令の効果の薄れた後の時代も、犬の薬食いは行われていた。
芭蕉の時代の俳諧では薬食いは大抵鹿で、生類憐みの令の時代に限って言えば、ほとんど犬は食わなかったのだろう。
韓国人は夏の暑気払いに犬を食い、日本人は冬の薬食いで犬を食ってた。
二十六句目
犬わなにかかるは酔の翁にて
壻等に恥よ名を反す恋 翠紅
名を反(そら)すというのは名を汚すと同様に考えていいのか。
前句の犬わなを夜這いに行って犬をけしかけられたか何かと取り成したのだろう。
婿養子はしっかりしてるが、先代の親父は恥ずかしい。
二十七句目
壻等に恥よ名を反す恋
早稲は実か入晩稲は身稲つはり 一晶
身には「はらむ」とルビがある。入晩稲は特にルビはないが、字数からして「おくて」で良いのだろう。「わせはみか、おくてははらむ、いなつわり。」
他の男との子を孕んだかもしれず、聟やその家族に恥じる。婚姻時期に対して子供が早すぎるということを早稲に喩えたか。早稲の頃にできた子か、晩稲の時期につわりになる。
二十八句目
早稲は実か入晩稲は身稲つはり
袖そよ寒しスバル満ン時 才丸
「すばるまんどき」という言葉がある。明け方に昴が南中したときに蕎麦を蒔くと良いということらしい。初秋の頃になる。
二十九句目
袖そよ寒しスバル満ン時
水飲に起て竈下に月をふむ 翠紅
竈の下に水が汲んであって、それをひっくり返したということか。
三十句目
水飲に起て竈下に月をふむ
聞しる声の踊うき立 一晶
月を踏んだと思ったら、隣に寝ていた人の禿げ頭だった。
二裏
三十一句目
聞しる声の踊うき立
早桶の行に哀はとどめずて 其角
早桶はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「早桶」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 粗末な棺桶。手早く作って間に合わせるところからいう。
※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)奉納弍百韻「富士の嶽いただく雪をそりこぼし〈信章〉 人穴ふかきはや桶の底〈芭蕉〉」
とある。
親しい人が急死したのだろう。見知った人が悲しみに堪えられずに狂乱状態になっているのは哀れだ。
三十二句目
早桶の行に哀はとどめずて
我身をてかけ草のいつ迄 翠紅
てかけ草はよくわからない。「てかけ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手掛・手懸」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 (「てがけ」とも)
① 手をかけておくところ。椅子(いす)などの手をかけるところ。
② 器具などの、持つのに便利なようにとりつけたあなや金物。
③ みずから手を下して扱うこと。自分で事に当たること。
※毎月抄(1219)「難題などを手がけもせずしては、叶ふべからず」
④ (手にかけて愛する者の意から。「妾」とも書く) めかけ。そばめ。側室。妾(しょう)。てかけもの。てかけおんな。てかけあしかけ。
※玉塵抄(1563)二一「武士が死る時にその手かけの女を人によめらせたぞ」
※仮名草子・恨の介(1609‐17頃)上「さて秀次の〈略〉、御てかけの上臈を車に乗せ奉り」
⑤ 正月に三方などに米を盛り、干柿、かち栗、蜜柑(みかん)、昆布その他を飾ったもの。年始の回礼者に出し、回礼者はそのうちの一つをつまんで食べる。あるいは食べた心持で三方にちょっと手をかける。食いつみ。おてかけ。てがかり。蓬莱(ほうらい)飾り。〔随筆・貞丈雑記(1784頃)〕
[語誌](④について) 律令時代には「妾」が二親等の親族として認められており、「和名抄」では「乎無奈女(ヲムナメ)」と訓読されている。中世には「おもひもの」の語が妾を指したらしいが、室町以降「てかけ」が一般の語となり、「そばめ」、「めかけ」などの語が使われるようになった。」
とある「てがける」は、
「〘他カ下一〙 てが・く 〘他カ下二〙
① みずから手を下して扱う。自分からそのことにあたる。仕事・趣味・役目などの内容としてそのことに関わる。体験する。
※愚管抄(1220)七「法性寺殿はこながらあまりに器量の、手がくべくもなければにや、わが御身にはあながちの事もなし」
※怪談牡丹燈籠(1884)〈三遊亭円朝〉一八「かふ云ふ病人を二度ほど先生の代脈で手掛けた事があるが」
② 世話をする。面倒をみる。養成する。特に、女性と関係を持ち、世話をすることにもいう。
※史記抄(1477)一三「父の手がけられた者を妻にするぞ」
女房が亡くなって、子供を自分で世話して、それはいつまでも続くということか。
三十三句目
我身をてかけ草のいつ迄
花は世に伊達せぬ山の浅黄陰 才丸
花はここでは春季に扱われてないので、比喩のしての花で、太平の世になってということか。世間花のように浮かれている中を山の緑のように飾りっけなく、自分の職務を全うする。
三十四句目
花は世に伊達せぬ山の浅黄陰
心に寸ンの剣なき盧 其角
剣や「つるぎ」、盧は「いほ」とルビがある。
天下泰平になったので、もはや戦おうという気持ちも寸分もなくなって、庵に隠棲する武士とする。
三十五句目
心に寸ンの剣なき盧
灯前の夜話酒を好ニス 一晶
前句の隠士は灯火を灯して酒を飲んで夜通し人と語り合うのを楽しみとする。
挙句
灯前の夜話酒を好ニス
あらしに帰る四の罔兩
罔兩はこの興行の執筆と思われるが、句の中に自分の名前を詠み込んで、まだ真夜中にならないうちの四つの刻に嵐が来たからと帰ってしまった、と付ける。
罔兩は一般名詞としてコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「罔両」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 陰影のふちに生じる薄い影。ぼんやりした影。
※俳諧・幻住菴記(1690頃)「日既に山の端にかかれば、夜座静に月を待ては影を伴ひ、燈を取ては罔両に是非をこらす」 〔荘子‐斉物論〕
② ⇒もうりょう(魍魎)」
とあるように魑魅魍魎の意味もある。してみると、発句のマレビトは実は魑魅魍魎だったという落ちか。
真挙句?
年の輪の半をくぐる名越哉 翠紅
この巻は挙句の後にこの発句が並べられている。
六月晦日の夏越の祓のことで茅の輪くぐりをする。これを半ばくぐったところで魑魅魍魎は去って行った、ということで一巻は目出度く終わることになる。
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