昨日は掛川の加茂荘花鳥園へ行った。
新東名の森掛川インターを降りてすぐだった。
花菖蒲は見頃で、温室では様々な種類の紫陽花や大輪ベゴニアが咲いていた。
花菖蒲も紫陽花もベゴニアも販売していた。ピラミッド型に並べて展示されているものも買えるようになっている。
庄屋屋敷は古民家で、アニメの氷菓にも用いられた聖地でもある。作中でえるちゃんが握ったおにぎりにちなんだおにぎり弁当はまだ売っていた。京アニのあの事件を思い出すと悲しい。
屋敷の庭には池があって、これが濁った水のある意味いい感じの古池だった。蛙が飛び込みそうだが、池に波紋を立ててたのは錦鯉だった。
帰りは一般道で帰った。途中で島田の薔薇園にも寄った。
それではTwitterで呟いたなりきり奥の細道の続き。
四月一日
今日は旧暦3月30日で、芭蕉さんの奥の細道旅立ちから4日目で、元禄2年だと4月1日。
今朝も明るくなってから鹿沼を出発した。小雨が降ったり止んだりの天気で、道はややぬかるんでる。
あなたふと木の下闇も日の光 芭蕉
昼頃に日光に着いた。雨も止んでいた。川を渡ると川上の神橋が見えた。
山は若葉が鬱蒼と繁っていて、時折日が射す。この光が下々の木の根元の隅々まで照らしてくれればいいんだが。
すぐに東照宮に行くのかと思ったら、曾良が出発前に浅草江北山宝聚院清水寺の書状を預かっていて、養源院に届けなくてはいけないというので、まずそっちへ行った。
手紙を渡して終わりかと思ったら、大猷院の別当寺の別当が会ってくれるというので、使いの者の帰りを待った。遅い‥。
別当の使いの者が帰るのを待ってたが、あいにく別客が来ていて一時(いっとき)ほど待つことになった。結局東照宮を回るのはかなり遅くなってからになった。
曾良が宗教関係者に顔が広く、別当にもコネがあるのはよくわかったが、別当への挨拶はいいからゆっくり東照宮を見たかったな。
このあと鉢石へ戻って五右衛門という人の宿に行った。今日はここで一泊。
四月二日
今日は旧暦4月1日で、元禄2年は4月2日。
今朝はいつもよりゆっくりしてから出発した。裏見の滝と憾満が淵を見に行く予定だ。
中禅寺の湖も見たかったが、馬返しから二里の険しい山道と聞いて曾良に止められた。
裏見の滝は一里ほど川沿いに登ってった所で、日光四十八滝の第一の滝だという。
岩から落ちる滝は高さ十丈で、吉野の龍門の滝の倍はあった。
滝の裏側を通れるようになっていて、滝を裏から見ることができるので裏見の滝だという。
憾満が淵は鉢石の方に戻る途中で川を渡って反対側から川を見るようになっている。
慈雲寺があり、対岸に六尺余りの不動明王の石像があった。
鉢石に戻ったのは昼頃だった。
鉢石の五左衛門宿に戻ると、五左衛門が大田原への近道を教えてくれるという。
今市から大渡、船入、玉入を経て大田原へ行く日光北街道のことは知ってたが、大渡まで大谷川の古い流れを利用したルートがあるということだった。
鉢石から日光街道を少し川下へ行くと、左へ入る道があって、河原へ出るとそこから物資を運ぶ高瀬舟が出ていた。
五左衛門の手配でこれに乗り込むと瀬尾の先で左に細い流れがあり、船はそっちに入って行くと、川室という所を通って大きな川に出た。ここをまた下って行くと大渡に着いた。
仮の橋が渡してあったが、これは水の少ない時だけで普段はないという。
本来なら三里を越える道のりだが、半時ほどで着いた。
このまま一気に矢板までは行けると思ったが、船入を過ぎた所で夕立になって、前もよく見えないような土砂降りになった。
道も泥だらけで結局玉入まで行くのがやっとだった。
行き来する商人などを泊める安い宿はあったが、同じように雷雨で足止めされた人たちで溢れていて、宿の方も詰め込むだけ詰め込もうとしていた。
こんな所で雑魚寝したら、間違いなく蚤や虱をもらいそうだ。
曾良が名主に頼み込んで、そこに泊まらせてもらった。
四月三日
今日は旧暦4月2日で、元禄に年は4月3日。
今日も明るくなってから玉入を出た。天気は良いが、道はまだぬかるんでる。
ここから矢板、太田原を経て黒羽まで行くと十四里余りになると曾良が言ってた。
幸い名主の人が馬を貸してくれるという。
この先の倉掛峠の道は分かれ道が多く、知らないと迷うが、馬の行くままに任せて適当な所で乗り捨てれば馬は勝手に帰ってくれる、と言われた。
有り難く、ご厚意に甘えるとしよう。
かさねとは八重撫子の名成るべし 曾良
曾良「玉入から少し行った倉掛峠の道は丘陵地帯で、険しくはないがどこも似たような地形で目印になる物もない。
幾つもの小さな沢が入り組んでて、そのたびに分れ道がある。確かに一つ間違えるととんでもない方にいきそうだ。
ここは馬に任せるとしよう。それとなぜかついてきたガキが二人。
でも、姉さんの方は結構可愛い。
このくらいの子にありがちな強い真っ直ぐな眼差しで、ずけずけした物言い。
そりゃ旅立つ時に剃ったばかりだから頭が青いよ。青ハゲはないよな。翁はヒゲ爺さんとか言ってるし。
別にそんないやらしい目で見たりはしてないよ。ただ可愛いなと思っただけだ。
名前を聞いたら『かさね』って三文字の珍しい名前で八重咲の花みたいだな。
最近はやりの南蛮渡来の八重撫子みたいだなって言ったら翁が、『それいける。発句にしちゃいなよ』だって。」
倉掛峠を越えると高内宿で、そこで馬を降りたが、幸いここから先は街道の馬に乗ることができた。
この先、川はあっても水は少なく、行けども行けども背の高い笹が茂って見通しの効かない単調な道だった。これが那須野か。
太田原に近づくと麦畑が多くなった。
秣おふ人を枝折の夏野哉 芭蕉
大田原は城下町で奥州街道と交差する。そこから先は川もあり田畑が広がってた。
黒羽に到着してまず黒羽城へ行くと、すぐに余瀬という所の芦野民部の屋敷に案内された。
既に日も暮れ、早速ということで興行に入った。
この句はこんな畏まった所で恐れ入るので、日頃馬草を背負ってるような牧童にでも案内していただきたいという謙遜の挨拶だった。
民部の脇は、
青き覆盆子をこぼす椎の葉 翠桃
では、椎の葉に青いイチゴをお持ちしましょう。
曾良「イチゴをこぼすというのは慌ててたということにできますな。急な雨で市場の商品を急いで片付けてたんでしょうな。」
青き覆盆子をこぼす椎の葉
村雨に市のかりやを吹とりて 曾良
芭蕉「村雨だからすぐに止むんで、おこで定座を繰り上げて、雨の後の月を出しておこうか。市だから町中。」
村雨に市のかりやを吹とりて
町中を行川音の月 芭蕉
民部「では、小鷹狩りの帰りに城下に戻ってきた時の夕涼みというのはいかがかな。んっ、季重なりかな?箸鷹の小鷹狩で秋とわかるから残暑の夕涼みでok?良かった。」
町中を行川音の月
箸鷹を手に居ながら夕涼 翠桃
曾良「夕涼みだと着ていくのは帷子ですな。その帷子も秋に合わせて秋草の柄にってことにしましょう。」
箸鷹を手に居ながら夕涼
秋草ゑがく帷子は誰ぞ 曾良
この日はここで終わった。
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