日程は定かでないが和歌の浦から深日を経て紀州街道で大阪に出たのだろう。そこでさっそく住吉大社に参拝することになるが、神無月ではある。
芭蕉の門人たちも10月8日に芭蕉の病気平癒祈願に訪れているが、其角が翠好大社を参拝したのはおそらくそれより前だろう。
住吉奉納
蘆の葉を手より流すや冬の海 其角
大阪と言えば難波の葦だが、芦の葉を手より流すというのはよくわからない。
堀川院御時、艶書のうたをうへのをのこともによませ給うて、
歌よむ女房のもとともにつかはしけるを、
大納言公実は康資王の母につかはしけるを、
又周防内侍にもつかはしけりとききて、
そねみたる歌をおくりて侍りけれは、つかはしける
みつ潮にすゑ葉を洗ふ流れ芦の
君をぞ思ふ浮きみ沈みみ
大納言公実(千載集)
の歌に関係があるのか。
そしてこの「甲戌紀行」は次の言葉で締めくくられる。
十月十一日芭蕉翁難波に逗留のよし聞えければ、
人々にもれて彼旅宅にたづまゐるゆゑ吟行半ばに止む。

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