2025年12月14日日曜日

  昨日はチェンソーマンの映画のことを描いたから、今日はわたなれ(わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?))のことも書いてみようか。
 作者のみかみてれんさんは「女同士とかありえないでしょと言い張る女の子を、百日間で徹底的に落とす百合のお話」のような性描写のあるガチレズ作品を書いている人で、わたなれはそれを抑えた形でレズビアンがノンケの女の子れな子を落とすという所が基本にあったのではないかと思う。
 クインテットの五人の中でレズビアンは真唯と紫陽花の二人。真唯はタチで紫陽花はネコだが、この二人がくっついたら二人だけ孤立してクインテットは壊れることになるし、この二人は基本的にはくっつかない。そのためれな子が共通の落す目標になる。
 れな子のキャラは基本的にはよくあるハーレム展開の男主人公の特徴を引き継いでいる。お人好しで人には好かれるが優柔不断で誰も選べない。真唯と紫陽花とは親友にはなりたいがネコにもタチにもなれないが何となくどっちの素質もありそうというところで留まっている。
 男のアニメファンは男のハーレムは許容しても、女のハーレムに不寛容な所があるのだろう。そこから真唯のセリフだった「れな子が悪い」が流行語になり、集英社の四大ヴィラン(鬼滅の刃の猗窩座、呪術廻戦の夏油、あとチェンソーマンの誰か忘れた)になってしまった。
 「れな子が悪い」は冗談で言っている部分もあって、心底悪いと思っている人はいないとは思う。レズビアンとして目覚めてない以上はどちらかを選ぶことはできないし、他にも女の親友が欲しいと思うのは悪いことではない。そこの揺れ動きの面白さが男主人公のハーレム展開みたいに展開するのが、この作品の一番の魅力となっていると思う。
AI俳画
 日本語の「百合(Yuri)」という言葉はレズとシスターフッドの曖昧な境界の上に成り立つ概念で、その曖昧さがこの物語の魅力を引き立てている。

 それでは「甲戌紀行」の続き。

   玉津島にまゐりて
 御留守居に申置くなりわかの浦  其角

 3日に紀ノ川を下り、4日には和歌の浦や紀三井寺などを回ったと思われる。このあと其角が大阪で芭蕉と再会する11日まで日付の記述はない。
 神無月だから玉津嶋神社の神様もお留守。

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