それでは「句兄弟」の続き。
「九番
兄
達磨忌やあさ日に僧のかげ法師 岩翁
弟
達磨忌や自剃にさぐる水かがみ
論俳句如禅日の影と水影差別なし。空房獨了の以て似ぬ影二句一物なし。」(句兄弟)
岩翁は息子の亀翁ともども其角の門人。『雑談集』の大山詣や、この『句兄弟』所収の元禄七年の大阪行きの「隨縁記行」にも同行している。
達磨忌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「達磨忌」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘 名詞 〙 禅宗で、始祖達磨大師の忌日に行なう法会。毎年一〇月五日。少林忌。初祖忌。《 季語・冬 》
[初出の実例]「二祖と云は、達磨忌と百丈忌とぞ」(出典:百丈清規抄(1462)三)」
とある。今は月遅れで11月5日に行う所もある。禅宗だけに、儀式にそれほどの派手さはなく、禅僧が集まって、朝日にその影が出来て、これが本当の影法師ぐらいしか見どころがなかったのだろう。
影法師というと、貞享五年の芭蕉の『笈の小文』の旅で、吉田宿から保美の杜国の所へ向かう時に、
冬の日や馬上に氷る影法師 芭蕉
の句を詠んでいる。「法師」というのは影が黒いから黒い僧衣を着ているみたいだといういみだろうけど、この時の芭蕉も僧形だったと思われるし、達磨忌の影法師も皆僧形で、どっちが影だか、という所が一応の面白さというか、朝日や冬の低い日に、一方では長い影が出来て、一方では日を背にしたシルエットになった黒い実体があって、どっちが影やらという、そこが重要なのかもしれない。
ところで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「影法師」の意味・読み・例文・類語」に、
「① =かげえ(影絵)②③
② 光をさえぎったため、地上や障子、壁などにその人の形が黒く映ったもの。かげぼう。かげぼし。かげんぼし。
[初出の実例]「影法師見苦しければ辻相撲月をうしろになしてねるかな」(出典:七十一番職人歌合(1500頃か)六三番)
③ 鏡や水などに映った像。
[初出の実例]「水鏡を見てあれば、影法師が我があいてになって、いつもかわらずけらけら咲をして戯るるぞ」(出典:四河入海(17C前)二)
④ ( 影の人の意 ) 演劇や映画などで、ある人物の替え玉となる人。吹き替え。スタンドイン。
[初出の実例]「ハテナ、わしゃ、かげぼうしかとおもった」(出典:咄本・出頬題(1773)芝居)
⑤ 想像によって目の前に描き出す、人物や物事。
[初出の実例]「皆此方の影ぼうしを相手にして、けんくゎする様なものぢゃ」(出典:松翁道話(1814‐46)一)」
となっている。今はあまり使われないが③の意味が17世紀にはあったようだ。そこで、其角の句の「自剃にさぐる水かがみ」の水に映る自分の姿も「影法師」と呼ばれてたことがわかる。
「論俳句如禅日の影と水影差別なし」というのが、どちらも当時は影法師と呼ばれていたという点では、確かに言葉の上では差別はない。「論俳句如禅」は当時は「俳句」という単語がなかったから、禅の如く俳の句を論ずということだろうか。その上で「日の影と水の影」は同じ影法師という言葉で言い表され、空房(他に誰もいない部屋)で獨了(一人悟る)なら、日の影と水の影は同じ物だ、と禅問答めいている。
確かにどちらも虚像には違いない。ただ、よくよく悟るなら、目に映るものはすべてが虚。日の影も水の影も虚なら、そこにいる僧もまた虚。形あるものはすべてが影法師にすぎないということになる。
禅においてもそうだし、俳諧でいう虚実論の「虚」もまた我々近代人が考えるような「虚構」のことではなく、神羅万象目に移り耳に聞こえるものみな「虚」に含まれる。そこから喚起される風雅の誠の情だけが「実」ということになる。
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