2025年2月24日月曜日

  昨日、今日と雪のちらつく寒い日が続く。昨日は句会があった。

 薄ら氷や割れて命の封を解く
 凧揚げの空に消えゆく心かな
 春愁やカードゲームの終わりなき

 それでは「句兄弟」の続き。

「六番
  兄
三絃やよし野の山をさつきさめ   曲水
  弟
三味線や寝衣にくるむ五月雨

 さみだれの長閑にくらすとも読けるに、きのふもけふも降こめて同じ空なるもどかしさよ。殊に引習と聞ゆるか。同じしらべのほちほちと軒の玉水にかよひたらば物うからましと思ひよせたる也。
 それを寝巻にといふに品かはりて閨怨の音にかよはせ侍るゆへとへかし。人の五月雨の頃と思ひなして何となく淋しき程をつくづくと思ふ心もこもり侍り。倦むと忍ぶとのたがひ決せリ。」(句兄弟)

 曲水の句の「よし野の山」は其角の解説を見ると、「同じしらべ」とあるように、どうやら三味線の曲名のようだ。おそらく貞享二年刊『大ぬさ』に収録された「吉野山」のことであろう。コトバンクの「改訂新版 世界大百科事典 「大ぬさ」の意味・わかりやすい解説」に、

 「《大怒佐》《大幣》とも表記する。近世の音楽・歌謡書。著者不詳。1685年(貞享2)初刊とされるが,87年刊《糸竹(しちく)大全》に《紙鳶(いかのぼり)》《知音の媒(ちいんのなかだち)》と合収,99年(元禄12)版が流布。4巻。〈引手あまた〉の意から大幣の字をあてて書名としたものだが,本文中にその用字はない。巻一は三味線の奏法などの記事と《吉野山》《すががき》などの譜,巻二は《りんぜつ》《れんぼながし》《当世なげぶし》の譜,巻三は三味線組歌の本手・破手(はで)の詞章と,秘曲の曲名,巻四は新曲22曲の詞章を収める。記譜のあるものは《紙鳶》の一節切(ひとよぎり)の譜と対照され,《れんぼながし》以外は《糸竹初心集》の箏譜と比較できる。これらによって近世初期の三曲合奏の実態を把握しうる。巻三・四の詞章は,地歌詞章のまとまったものとして最古のもの。

 なお,同名の歌学書もあり,これは中川自休著,1834年(天保5)刊。1冊。村田春海(はるみ)門下の秋山光彪(みつたけ)の《桂園一枝評》に対して,《桂園一枝》の作者香川景樹が自門の著者に反駁させたもの。
 執筆者:平野 健次」

とある。youtubeで桃山晴衣さんの三味線と歌を聞くことができる。
 「殊に引習と聞ゆるか」とあるように、三味線の練習で引く人が多かったのだろう。練習だから同じ曲を繰り返し繰り返し引いて、そのぽつぽつ聞こえる音が雨だれのようで、「三味線で吉野之山を五月雨のようにするや」の「や」が倒置になって、「三絃やよし野の山をさつきさめ」となる。春雨を「はるさめ」というように「五月雨」を「さつきさめ」ということもあったようだ。
 其角はそれを「寝衣」に変える。「寝衣」は「しんい」で寝巻(ねまき)と同じ。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「寝衣」の意味・読み・例文・類語」に、

 「しん‐い【寝衣】
  〘 名詞 〙 寝るときに着る衣服。ねまき。
  [初出の実例]「これを蒲豊、寝衣の下に押入れ、それをして驚き醒しめたり」(出典:西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉四)
  [その他の文献]〔論語‐郷党〕」

とある。「しんい」は『論語』「郷党」にも出てくるが、ここでは「ねまき」と呼んだ方がいいのかもしれない。
 「寝衣」「寝巻」は庶民が寝る時に着る「夜着」ではない。「夜着」は「布団」ともいう。昔の布団は着るタイプのものだったが、綿が入っていて分厚い。これに対し「寝衣」「寝巻」は薄手のもので、上臈をイメージさせるものだった。
 芭蕉が『奥の細道』の旅で羽黒山で巻いた「めづらしや」の巻二十二句目に、

   此雪に先あたれとや釜揚て
 寝まきながらのけはひ美し    芭蕉

とあり、元禄三年の暮の京都で巻いた「半日は」の巻の三十二句目には、

   萩を子に薄を妻に家たてて
 あやの寝巻に匂ふ日の影     示右

の句がある。後者は同座した芭蕉が「上臈の旅なるべし」と助言したことで即座に去来が、

   あやの寝巻に匂ふ日の影
 なくなくもちいさき草鞋求かね  去来

の句を付けたことが『去来抄』に記されている。

 三味線や寝衣にくるむ五月雨   其角

 この句はそういうわけで、三味線の主は上臈で、寝衣にくるまりながら夜な夜な五月雨のように三味線を掻き鳴らす情景になる。その音はおそらく来ない夫を待つ怨嗟の調べなのであろう。「閨怨の音にかよはせ」とある。
 閨怨詩は漢詩の一つのジャンルで、中国では出征した兵士の留守を預かる夫人の情を詠んだものが多いが、それに限らず一人寝の女性の恨みをテーマにしたもの一般を指す。
 曲水の兄句は不慣れな芸伎の練習風景にすぎなかったものが、寝衣の言葉一つで閨怨詩の世界へと転じることになる。ただ、それは漢籍などの高い素養を持つものにはわかっても、一般の人には難解な句と受け止められたのではなかったかと思う。

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