2022年11月24日木曜日

 日本ドイツ戦は、前半日本が引き気味で無理しなかったのが良かったのだろう。ロシアの攻撃を一点でしのいで、後半から中ごろの選手交代から一気に攻勢に出ての逆転。良い試合だった。
 ジャイアントキリングなんて声もあるが、ドイツは前回ロシア大会から落ち目で、あの時は韓国にも負けている。そんな大げさに考えずなくても、日本は実力通りの結果を出しただけだと思う。
 あと、ドイツの選手で一人早いのがいたね。カール・ルイスが走って来たかと思った。
 スポーツは情の祭典。横浜FCの応援歌にもあったが「友よ歌え狂え叫べよ」。
 それでは「情と日本人」の続き。

 「これは二つの点でうまく行かないのです。一つは情が濁っていますから、すぐ自己中心の考えに走る。それで企業が公害を取り除くことに反対します。政府だって、やはり産業優先というようなことを考える。一つはそういう害がある。」(p.20)

 情の濁りは本情と私情の違いということで、四端の心と七情とで、七情の方に偏り、四端の心が忘れ去られる、ということで説明できる。
 私利私欲というのは、必ずしも肉体的な欲望を意味するのではない。生きてゆくために最低限の食欲を満たすなら、それは肉欲と言えるかもしれないが、美食への願望は文化的なものだし、美食を競うとなると他人に勝ちたいという別の欲求になる。インスタに上げてこんな物食ったぞと自慢するのもまた別の承認欲求だし、こうしたものを一口に肉欲ということはできない。
 ファッションへの欲求を「肉体を飾る欲望」だから肉欲だという人がいるが、、肉体を満たすことと肉体を誇ることは同じではない。
 なら、経済的な欲求というのは「肉欲」なのだろうか。金儲けのために寝食を惜しむ人は「肉欲に溺れている」のだろうか。少なくとも食欲と睡眠欲には勝っている。
 そう考えるなら、私利私欲というのも社会的な関係の中で生じる欲求がほとんどを占めている。単純な生物学的欲求とは無関係に、社会的に生じる様々な感情によって作られている。
 生物学的に言うなら生存競争の勝利はいかに子孫をいかに沢山残すかであり、億万長者でも子供がいないならその人は生物学的な意味では生存競争の敗者だ。貧乏でも子沢山なら勝者になる。
 ならば我々の社会で「生存競争」と呼ばれているものは一体何なのかということにもなる。
 企業が公害を取り除くことに反対するのには、実際には様々な感情が働いている。
 誰だって公害を出したくて出したのではない。ただ、公害のリスクを予想する際に、人によってその評価に差が出る。
 例えば農薬にヒ素が含まれているものを用いようとした時、ヒ素が猛毒であるという認識はある。ただその農薬の殺虫効果と秤にかける。つまり、それを使用した場合の農作物の生産性の向上による利益とその薬害による健康被害による損失とを秤にかける。
 秤にかけた末に使用を決断した時に、予想外に損害の方が大きかった場合、基本的には即座に停止するのが倫理的に正しい。ただ、それができない事情というのも生じる。
 基本的には賭けに負けたわけだが、その損失は自分だけではなく自分の家族や大勢の従業員とその家族にまで及ぶ。そこでまた彼らの損失と薬害の損失を秤に掛けなくてはならなくなる。おそらく最初にリスクの判断を誤った経営者であるなら、ここでもまた判断を誤る可能性が高い。
 ならば、最初の段階でほんのわずかでもリスクがあるならやめればそれでいいのか。そういう単純なものでもない。
 世界には飢餓で苦しむ人がたくさんいる。農産物の生産性向上に役立つ発明は、それを救うことができるかもしれない。飢餓を救うだけでなく、よりよい生産物を安価に流通させることができるなら、それは多くの消費者の利益にもなる。
 基本的に新しいことを始めようとしたら何らかのリスクはあり、そのリスクを一切取ることを禁じるなら社会に進歩というものはなくなる。飢餓に苦しむ人たちはそのまま放置され、庶民は高い農産物を買い続けることになるし、その供給がいつ止まるかという不安にさらされる。少なくとも世界の人口が増え続ける限り、農産物を増産しなければいつか世界が飢餓に陥る。
 技術革新による生産性の向上は急務であり、新技術は常に賭けではあるが、そこから逃げることはできない。
 基本的に「感情の濁り」というのは賭けに負けた時の責任の取り方にあると言って良い。そこに求められるのは「潔さ」だ。それを渋るのは「感情の濁り」だ。
 ワクチンにしても同じことが言える。どんなワクチンでも少なからずアレルギー反応によるリスクというのは存在する。リスクがあるから一切使用しないというのであれば、人々は病魔に抗すべくもなくバタバタと死んでゆく。
 ワクチンを使用するというのは病魔による不幸とワクチンの副作用による不幸とを秤にかけるということで、ワクチンの副作用による不幸が病魔の不幸に勝るなら使用を停止しなくてはならない。もちろん、アレルギー体質などによる高リスクが予想される人を接種の対象から外すことでそのリスクを軽減することはできる。
 正しい判断を行うことで多くの人を救いたいという感情は惻隠の心であり、それを鈍らせるのは私情による濁りである。「濁った感情」というのはそう定義することができるだろう。
 企業倫理においても政府の倫理においてもそれは同じだ。

 「もう一つは、情が生き生きと働かなかったら、存在というものがない。それで淀川を見ても、これはひどい濁りだなあと思っても、それが見えなくなったらけろりと忘れる。だから公害だって、みんなが絶えず心に留って、気にかかるというふうじゃない。」(p.20)

 気を付けなくてはいけないのは「心を痛める」ということ自体は特定の行動を促すのではない。むしろ最善の解決のための思考を働かせるための起爆剤にしなくてはならないということだ。
 ただ、大抵は考えるのが面倒だから放置する。考え悩むことを嫌がる。それよりもっと楽しいことをしたいと思う。いわゆる「思考停止」だ。
 「これはひどい濁りだなあと思っても、それが見えなくなったらけろりと忘れる」というのはいわゆる思考停止の問題に他ならない。
 即座にその場の感情で短絡的に行動することは、かえって結果を悪くする。そのことは誰もが分かっている。感情はそれが強烈であればあるほど、短絡的な行動は大きな災いをもたらす。ただ、それは思考を促すことであって停止することではない。思考停止は感情の濁りに他ならない。
 ワクチンの例で言えば、ワクチンで人が死んだからと言って、直情的にワクチンを即座に禁止しろというのは、病気によるはるかに多くの死者に目をつぶることになる。
 どちらの死者にも感情を働かせているなら、こういう行動にはならない。つまり短絡的な反ワクは一見感情に正直なようでいて、実は感情の欠如なのである。
 様々な異なる立場の者に対してきちんと感情を働かせているなら、必ず思考が促される。思考停止は物事の一方のことにしか感情を働かせてないからだ。それは結局感情の欠落なのである。
 感情が正しく働くというのは直情的になることではない。むしろ持続させることが重要だ。理性と感情は一方的に理性が感情を押さえたりコントロールしたりするのではない。むしろ感情が理性を促すことで最適解を発見する。

 「この二つからうまく行かない。それで情をきれいにし、よく働かすようにするより仕方がない。」(p.20)

 失敗を潔く認める心と感情を持続させて思考停止させない心。公害をなくすのに本当に必要なのはこの二つと言って良いだろう。

 「日本歴史を昔からずっと見てみますと、応神天皇以前は多分うまく行っていた。が、応神天皇の時、中国から文化を取り入れた。そうすると、知が人の中心だといっている。その後、印度から仏教を取り入れた。やはり知が中心だといっている。ともかく情が大事だといってない。」(p.20)

 これは正しくない。
 情は大事だが、知の軽視は情の軽視と同じくらい間違っている。
 むしろ日本人は中国やインドの知の文化を取り入れながらも、それを本来の情の文化とうまく融合させたことを誇っていいと思う。それは近代に西洋の知が入ってきた時も一緒だ。
 知の文化と知の文化は矛盾するし喧嘩する。しかし日本人はそれに情を与えることで、相矛盾する文化を絶妙に融合してきた。
 応神天皇以前は情はあっても無知だったといった方がいい。正しい情を持続させ、それによって思考を促し、知を使いこなすことで情はその持っている最大限の力を発揮できる。
 考えてみてもわかることで、いくら病人が可哀想だと思っても、治療法を知らないなら放置したり間違った治療をして却って殺してしまう。漫画「ワンピース」でチョッパーの師匠が言っていたことだ。情熱だけでは何もできない。
 応神天皇が中国の知識を取り入れたのは英断だったし、その後の御門が仏教を取り入れたことも英断だった。そして、明治維新で西洋の科学を広く取り入れたのも英断だった。それは誇って良いことだ。
 正しい感情は正しい認識があって初めて正しい行動となる。

 「それで本居宣長の頃になって、『漢意清く捨てらるべし』、そんな風になって来た。どんな風にいけなかったかというと、ともかく儒教の修行も仏教の修行も、ひどく陰気くさく見えたんだと思う。」(p.20)

 私は本居宣長のことは勉強してないので、この引用が正しいかどうかは判断できない。ただ、一般的には漢意を拝して日本の古典を学ぼうとした人だとされている。
 古典を理解する際に、後の世の認識を当てはめるのではなく、当時の人の考え方を再現するというのは間違っていない。
 芭蕉を研究するにも、当時の人の考え方、特に朱子学などから理解すべきで、安易に西洋の文学理論を当てはめるべきではない。その意味で本居宣長が古典を研究するのに漢意を排するのは理解できる。
 ただ、実際に生活に役に立っているものを中国製だから排除するというのなら間違っているのと同様、今の時代に役に立つ知識を安易に捨てるべきではない。それは本居宣長もわかっていたはずだ。

 「儒教は形式一点張り。だから裃を着て、しゃちほこ張ったようなものになってしまう。仏教の方は難行、苦行が多い。大体、意志の修行です。だから矢張り暗いものになってしまう。そうして、うまく行かなかった。それだけじゃなく、単に濁りを取るということに留めて、情を積極的にはぐくみ育てるということを全然しない。つまり今でいえば、情操教育ということをしない。」(p.20)

 岡潔さんの情は理解するが、儒教についても仏教についてもイメージだけで短絡的に判断すべきではない。まずそのイメージが正しいイメージかどうか疑うべきだろう。
 印象操作というのはいつの時代にも存在する。明治以降の西洋学者は当然ながら自分たちの学んだ西洋の学問の価値をアピールするために、それまでの儒教や仏教を貶めて、誤ったイメージを植え付けようとしてきた。それを真に受けるべきではない。
 李退渓から林羅山を経て日本で国教として確立された朱子学の精神は、芭蕉によって豊かな情を表現するための不易流行の理論となり、四端と七情を区別しながらもその情の大切さを庶民の間に広めていった。
 仏教も難行・苦行が本質的なものでないことは既にお釈迦様が体現してたことで、苦行をやめて着の身着のまま裸足で杖を突いて山から下り、本当の仏法を発見しようと努めた。
 儒教がしゃちこばったもので、仏教が難行苦行をするというのは印象操作にすぎない。

2022年11月23日水曜日

 西洋の理性の形而上学に日本の情の形而上学を対抗させても、実証不能の形而上学対形而上学の戦いは水掛け論にしかならない。最後には手が出ることになる。
 基本的には俳諧や日本文化のための美学を作るのであれば、闇雲に形而上学を振り回すのではなく、科学に基礎づける必要がある。
 科学的美学は急務であり、美学だけでなく人権思想も科学に基づかなくてはならない。もうやめようサピアウォーフに白紙説。
 それでは「情と日本人」の続き。

 「それ、わかるでしょう。これがわかっていないから、知的にいっても今の教育は全然駄目なんです。上滑りしてしまって、形式しかわからない。本当にわかったんじゃない。『悟る』というのは情の目で見極めるのである。情の目で見極めるのが、『悟る』『自覚する』ということです。そうすれば存在して消えない。」(p.18)

 教育もまた、カビの生えた白紙説なんかではなく、科学に基づいた方法が必要とされる。体育の方ではスポーツ医学に基づいた合理的なトレーニングが世界的に広まっているのに、知育の方は古色蒼然の感がある。まして道徳教育は形而上学の大安売りだ。
 「情の目で見極める」というのは情の脳理論を必要とする。

 「芭蕉は『散る花、鳴く鳥、見止め聞き止めざれば留まることなし』といっていますが、見止め聞き止めるのは情の目で見極めるのである。情の目で見極めるのが『悟る』『自覚する』ということです。そうすれば存在して消えない。」(p.18)

 芭蕉の引用は土芳『三冊子』「あかさうし」の、

 「師の曰、乾坤の變は風雅のたね也といへり。静なるものは不變の姿也。動るものは變也。時としてとめざればとゞまらず。止るといふは見とめ聞とむる也。飛花落葉の散亂るも、その中にして見とめ聞とめざれば、おさまることなし。その活たる物だに消て跡なし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.103~104)

のことだろうか。これと『三冊子』「しろさうし」の、

 「詩歌連俳はともに風雅也。上三のものは餘す所もそのその餘す所迄俳はいたらずと云所なし。花に鳴鶯も、餅に糞する縁の先と、まだ正月もおかしきこの比を見とめ、又、水に住む蛙も、古池にとび込む水の音といひはなして、草にあれたる中より蛙のはいる響に、俳諧を聞付たり、見るに有。聞に有。作者感るや句と成る所は、則俳諧の誠也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.87)

の「花に鳴鶯‥‥おかしきこの比を見とめ」がミックスされた感じだ。
 「飛花落葉の散亂るも(花に鳴鶯も)、その中にして見とめ聞とめざれば、おさまることなし。」で、「散る花、鳴く鳥、見止め聞き止めざれば留まることなし」というとこか。まあ、芭蕉の研究者ではないので、不正確な引用は大目に見よう。
 この場合の「止める」は句として書き留める、句に収める、という意味になる。
 そのまま流れ去って行く経験を言葉として記憶にとどめておくことができるということではあっても、存在論ではない。

 「存在を与えているものは情だけです。これも銘々の経験があるでしょう。深い印象とか深い感銘、これは決して消えないでしょう。生涯消えないでしょう。こんな力を持っているのは情以外にありません。」(p.19)

 情を前述のように「個々の先験的及び経験的に形成された固有な脳の回路に由来するもの」と定義するなら、それが我々の存在の体験であるのは言うまでもない。
 ただ、毎時毎時夥しい数の情報にさらされながら、その多くは記憶されないし、意識にすら登らない。意識されたとしても意識されたその瞬間に忘却されるもので、それに名前を付けてインデックスを付けて保存するのは言葉の役割になる。
 言葉は記憶に付けられたインデックスであり、これによって我々は過去の記憶を偶発的なフラッシュバックに頼ることなく、意図的に記憶をたどることを可能にする。
 強い感情を持った記憶は言葉として記載されなくても、様々な場面でフラッシュバックされるが、そうでない記憶は言葉から引き出される。
 記憶はそのまま画像や動画として保存されているのではない。様々な要素に分解されて仕舞われ、思い出す時にはそれを再構成する。そのため要素に分解して整理する段階で記憶はかなり変容している。それはちょうど携帯電話の音声が一度符号化されて、合成音声として再現されるのに似ている。
 我々にとって存在するものを感じ取ったり、そのクオリア(質感)を再現したりしても、それは一度脳の信号に変換されたもので、それが我々にくり返し感動をもたらし、深い情を引き起こしている。脳はこうした感情を伴った体験を保存する装置でもある。
 俳句の持つ力もまた、他人の言葉でありながらも、それが刺激となって自分自身の感情を伴った記憶が引き出される。それが人生にとって大事な記憶であればある程深い感銘を与えることになる。ただ、感銘は句自体に内在するのではなく、それを聞いた人が引き出した記憶の中にある。
 俳句は他人の記憶を引き出すきっかけになればそれで良く、自分の記憶を伝えるにはあまりに言葉足らずな無力なツールにすぎない。

 「人の本体は情であると知ることは、非常に大切なことなんです。大勢の人がそれをわかったら、例えば教育はいっぺんに改められます。そうすれば余程変って来る。そうする以外にやりようがない。」(p.19)

 知識の伝達はわりと容易だが、実際その人間の固有の経験に基づく固有の感情が伝達可能なのかという問題はある。
 情に基づく教育は、いわゆる「教える」のではない。ただその人の大切な記憶を引き出すための教育でなければならない。
 道徳教育は道徳律や格言を教えるのではなく、その人間の四端の記憶を引き出さなくてはならない。

 「公害という問題が欧米から輸入されて、日本で大分やかましくいわれている。日本人は、人が情の動物であるということは、自覚なしにだけどよく知っている。それと共に、もう一つ詰まらないことを思っている。文化は外国から入って来るものだと思っている。外国から入って来ないものは文化にあらずと思っている。」(p.19)

 公害という言葉が一九七二年の時点での流行語だったことは先にも述べた。今だと広く環境問題全般のことをになる。
 当時だと水俣病やイタイイタイ病や四日市ぜんそくなどの公害病が大きな問題になっていて、光化学スモッグなども問題になっていた。そのほかごみ問題、騒音、振動、日照権なども問題になった。
 ここで唐突に外来文化の問題に飛んでいるが、この当時の雰囲気として公害問題が常に「日本は遅れている」といったマスコミや左翼の反日的なトーンとセットになってたのは今と変わらない。
 公害問題は被害者への惻隠の心が働くかどうかが問題なのに、関係ない反日イデオロギーとセットになる。そうなると、その部分に反発して議論がとんでもない方向にそれてしまう。
 今でも「旧統一教会」が問題になるときに、被害者への情ではなく政府攻撃や安倍元首相暗殺を正当化する方向に議論が逸れてしまい、しまいには「統一教会」なるものがいつの間にか日本を陰で牛耳っているかのような陰謀説まで流布されている。これではまともな議論は不可能だ。
 当時の公害問題も似たり寄ったりだった。話が被害者救済ではなく、資本主義は悪だ、革命を起こせなんて方向に行ってしまうと、その過激な革命理論を否定しただけで公害企業に味方しているだの、人殺し呼ばわりされたりする。問題が完全にすり替わっている。
 これは様々な社会問題を政府転覆や革命のために利用しようとする人たちによって生じる問題なのだが、こうした人たちの中に潜んでいるのは「戦後思想」という自虐的な思想で、これが被害者救済よりも「日本は遅れている」というプロパガンダの方ばかりを際立たせてしまう。
 公害問題が起こっている。だから日本は悪い、日本は遅れている、日本人は駄目だ、それでは公害問題は解決しない。
 戦後思想というのは簡単に言えば、根底にあるのは世界史は「一つの世界」を作るための戦いであるという歴史観で、そこから日本は戦争に負けたからどこか他所の国が作る「一つの世界」にやがて併合されなくてはならないというもので、憲法第九条の戦争放棄はそのためのものと位置づけられる。
 なら、どこに併合されてもいいのかというと、彼らは共産主義者である以上、アメリカだけは除外ということになる。アメリカ以外ならロシアでも中国でもイスラム国でもどこでもいいのである。
 簡単に言えば強い国には無抵抗で併合されろ、ということだ。この論理は日本だけでなく香港や台湾やウクライナもそうするべきだ、それが平和への道だと考えている。
 当時の公害問題がこうした勢力の格好のプロパガンダになっていたことは、今の状況からも十分想像できると思う。実際そうだった。
 公害問題に「日本は遅れている」「日本は野蛮国」「日本人は劣等民族」、「早くソ連や中共の属国になった方がいい」、そう左翼やマスコミや「識者・文化人」と称する連中が煽り立てる。それは一九七二年も二〇二二年も一緒だった。
 岡潔さんもそういう雰囲気の中で、心情的には被害者に同情して、惻隠の心を動かしても、そういう何か違う論調に反感を抱いていたのだろう。ただそれを、岡潔さんは「外来文化」の問題として認識してたようだ。

 「それで公害という言葉、これは文化の一種ですね。外国から入って来て日本で大分やかましくいわれている。外国にオリジンがあるから、こんなにジャーナリズムが取り上げたんですよ。しかし公害、さっぱりうまくいかない。何故うまくいかないかというと、情の濁りから取り去らないからです。単に濁りだけじゃありませんが、情からきれいにして行かないからうまく行かない。」(p.19)

 理屈ばかりが先行しているというか、理屈自体がずれてしまっているというのが本当だったのだろう。公害をなくすことよりも政府を追及することばかりに忙しく、資本主義が公害を生んだんだから資本主義を倒さなくては解決しないだとか言い出すと、解決できるものも解決できなくなる。

2022年11月22日火曜日

 それでは「情と日本人」の続き。

 「ところが、こういうことをいった人類は一人もいない。私だってこんなこというのは今年になってからです。そうすると七十年かかっている。一旦分って言ってみれば、こんな明白なこと。ところが、それが言葉にいえないらしい。」(p.14)

 「情が自分だ」というのが哲学の命題だとすれば、そういうことを言った人類は一人もいないかもしれい。まあ、世界中の人の声を聞いたわけでないから断定はできない。
 本当に一人もいないかどうかは「悪魔の証明」になる。「いた」ことを証明するにはその人物が誰であるかを指摘すればいい。「いない」ということの証明は困難。悪魔の証明になる。
 とはいえ、ここではその証明が問題なのではなく、岡潔が前例のない事を提起するということが重要だと言えよう。
 思考が自分であることの証明はデカルトの「コギト・エルゴ・スム(われ思うゆえにわれあり)」がある。証明するというそのこと自体が思考である以上は、自我は思考でしか決定できない。これはトートロジーと言って良い。
 もちろん「情が自分だ」ということは、今この言葉を聞いてしまってからでは誰でも言うことができる。しかし、これは論証にはならない。
 強いてこれを証明できるとしたら、人間の個別性の根底が先天的であれ後天的であれ脳回路の偶発的な唯一無二性に根拠づけることは可能であろう。そして、この脳が自分を意識できるとすれば、その固有にして独自の脳回路によってであり、決して論理的に設計されたものではない脳回路によって自分というものが自覚されている所に根拠を求めることができる。
 人間は自分の脳回路を自分で設計することはできないし、もちろん組み替えることもできない。脳の判断の決定はその意味で「理性」でコントロールすることはできない。
 一定の思考による判断は意識することができる。しかし人間がその都度その都度行う判断は、決して一貫した思考に基づくものではない。人間はいつだって矛盾している。それが自然な状態なのは、人間は自分自身の自覚的な思考ですべてを決定することができないばかりか、自覚的な思考自体が、決して自分自身で自覚することのできない脳回路の上に成り立っているからだ。
 「情が自分だ」という命題はそれゆえ、デカルト的自我が完全でも自己完結的なものでもなく、自分自身の認識できぬものの上に成り立つことを認めるなら、「思考は自分のすべてでなく、思考の根底に広大な情動が存在し、それが自我を形成している」という意味で可能と言える。
 デカルト的自我は広大な情動の海に浮かぶほんの小さな木の葉にすぎない。このイメージはフロイトを彷彿させるが、フロイトの時代にはイドと呼ばれるこの情動を科学的に解明する脳科学が存在してなく、ただ内省法と患者の言葉の分析によってしか接近できなかった。
 それゆえ、日常的な感覚としては「情が自分だ」と思ってはいても、それが科学や哲学の言葉になることはなかった。

 「戦後日本は情というものを非常に粗末にしている。情が非常に濁っている。多くは自己中心的なもので濁っている。その上ひからびている。これは改めなければいけない。これを改めるには、日本人は情の人だけど、その自覚がない。それを自覚するということが非常に大事です。」(p.14~15)

 戦後日本の人情の薄れたのは、必ずしも西洋化の影響だけではない。豊かさは情への依存を軽減する。
 情というのは生存のための保険の意味がある。飢えた時に飯を分けてもらえるのは「情」であり、日頃から情に厚い人間はいざという時にその互恵的な援助を受けやすくなる。諺に「情けは人の為ならず」というのは本来そういう意味だった。
 日頃から人に情けを掛けて、困った人を助けたりしてあげていれば、自分が困ったときにその恩を返してもらえる。本来「情けは人の為ならず」は「巡り巡って自分の為になる」という功利的なものだった。
 戦後の高度成長によってもたらされた未曾有の豊かさは、こうした功利的な互恵的な関係を不要にしていった。これが人情の衰退の一番大きな原因ではないかと思う。
 戦後のサラリーマンは終身雇用でそこそこ真面目に仕事をしていれば一生安泰という安心感がある。だから人に情けを掛けて、いざという時に助けてもらう必要がなくなった、それが大きい。
 あまり知られてないが、終身雇用制は戦前にはなかった。戦中で多くの労働者が戦争に取られて人材不足が生じ、国内での生産活動で必要な人員を確保するために労働者の移動を制限したのが始まりだった。
 もちろん、国家総動員という事態になってそれだけでは足りず、朝鮮半島から百万人もの労働者を「雇用」する必要が生じた。彼らは強制連行されたのではない。雇用されたのは間違いないが、労働者の斡旋の際に悪質な人買い業者がいて渡航を強制された者はいたし、戦後に支払われた残りの給与を掠め取る政治団体がいたことなどもあって、戦後の左翼団体が「強制連行」の神話をでっち上げ、朝鮮半島の人達に広めたことが今日の徴用工問題の起こりになっている。
 話はそれたが、戦後日本人の終身雇用の下でのエスカレーター式の人生が、それまでの相互扶助のための互恵的関係を必要としなくなり、人情が薄れ、他人に関して無関心になって行った。

 「自覚するといえば情の目で見極めること。知や意では自覚できない。大体『知、知』と知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。今の教育なんかもそうだけど、知ということについて少し深く考えてみた人、あるだろうか。私はないだろうと思う。」(p.15)

 情の大切さは貧しければ貧しいほど互恵的相互扶助が欠くことができないため、否が応でも自覚していると思う。だからこそ、それを「卑俗だ」と見下す風潮が世界的にいわゆる支配階級の中にあったのではないかと思う。
 『荘子』には、「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉がある。貧しい下層階級ほど他人の情に頼る必要があり、そのための互恵的関係を築かなくてはならず、自ずと皆人情に篤くなる。
 豊かになり、他人の援助を必要としなくなることで、人は人情に疎くなる。その果てが「君子の交わり」ということだ。
 そのため、感情の軽視は特権階級のステータスであるといえるかもしれない。同様に戦後の日本の高度成長の中でも、義理人情を蔑むことが都会で成功したエリートのステータスになった。
 哲学というのは概ね支配者階級のもので、その支配者階級の哲学が感情を重視するはずもない。人情に頼るのは下賤なもののすることで、君子は理知的でなければならないと考えるのは、いわばエリート意識だ。それは洋の東西に係わらず、不変的な傾向ではないかと思う。
 日本人でも中国人でも印度人でも西洋人でも、一般庶民は一致して情に篤いと思う。豊かさと特権意識が「知」への偏りをもたらし、自分たちが偉いのは「知」のおかげだという意識を形成していくのだと思う。
 そういう意味では経済成長によって豊かな社会がもたらされれば、世界中どこでも情の軽視という傾向が生じると考えた方がいい。

 「知の働きは『わかる』ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵『理解』するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。」(p.15)

 松が松だとわかり竹が竹だとわかるのは、むしろ習慣と言った方がいい。生物学的分類など知らなくても、人はそれを習慣的に区別している。だから松に似ている木も松だと言ったりする。
 松ではなく杉の例だが、ヒマラヤスギというのがあるが、あれはマツ科であってスギ科ではない。ほとんどの人は正確な生物学的分類を知っているわけではない。
 江戸時代の人も鶴とコウノトリの違いは本草学者なら知ってたかもしれないが、俳諧師の間ではしばしば混同されていた。
 松を松とし、竹を竹とするのは知識ではなく習慣の共有がまず先にある。あれを「松」と呼び、あれを「竹」と呼ぶのは、誰かがそう言ってたからで、自分でその違いを理解したからではない。
 人がそう呼びならわす。その経験の繰り返しで、それぞれの人の中に「松」とはだいたいこういったもの、「竹」とはだいたいこういったものというイメージが形成される。松も竹もまず第一義的には、過去に聞いたその単語の用例の平均なのである。
 そこで典型的な松の概念が形成され、竹の概念が形成される。この典型は各自の脳の中で作られるもので、必ずしも普遍的なものではない。中にはかなり勘違いしている人もいることだろう。
 概念形成というのはまず第一にそれを言い表す習慣から生じるもので、それを知的に整理するのは後になってからだ。それは「メタフィジックス」であり、「メタ」は「後から」という意味だ。習慣的に知っているフィジックな世界に対して、あとから論理的に概念を整理して得られるのがメタフィジック、形而上学だ。

 「理解というのは、その『理』がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その『趣(おもむき)』がわかるんでしょう。」(p.15)

 松が松とわかり、竹が竹とわかるのは、習慣的に形成されたイメージによるもので、それは「趣き」と言い換えてもおかしくはない。

 「松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。」(p.15~18)

 松という概念は必ずしも言語的に形成されるわけではない。ただ、経験的に生じた様々な概念に、人は他人の話した言葉をそれに当てはめ、それに名前を与える。
 自分の脳の中に何となく松らしきものを特に名前もなく概念と形成していたものに、他人がそれを「松」と呼んだから、そこに「松」という言葉がピタっと当てはまる。
 だから、他人の「松」のイメージと自分の「松」のイメージは同じものを見て行っている以上似てはいるが、完全に一致するものではない。人は自分自身の経験の中から「松」の概念を形成し、それを伝えるために他人の言葉で言い表す。言葉は必ず他人の言葉であり、自分の言葉は一般的には存在しない。言語創作をしない限り。
 だから松に関して情緒的に分っていることは、それは自分自身の経験から来るものであり、他人のものではない。ただ、同じものを見ている以上、他人と似通ってはいる。「松」という言葉から思い浮かべるものは人それぞれ違うが、全く違うものではなく、特に同じ地域に棲むものは似たような体験をしているために似通う。
 小さな集落なら「松」といえば、「ああ、あそこの松ね」という同じ松の木のイメージを持ちやすい。国が違えばそれぞれ自分の国の松を思い浮かべるから、共通点が少なくなる。
 情緒的に分る「松」はそういう性格のもので、それを人は同じ「松」という記号によって共有する。

 「それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。その状態は言葉ではいえない。いえないけども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。」(p.18)

 「知」はもともと非言語的に概念形成した時点で、各自の脳の中に存在している。ただ、それは自分だけの経験的知識にすぎない。とはいえ、職人の高度な技など、他人に伝えることの困難な繊細な部分は、こうした個々の脳の中での固有な概念形成に因っている。
 それは経験の積み重ねの中で形成される。
 言語は自分のイメージと他人のイメージを擦り合わせることで、共通の言葉を持つだけのもので、同じ言葉を共有していても、その理解が同じという保証はない。
 技術の伝達でも、自分が教えたことを必ずしもそのまま他人が学んでいるわけではない。ただ共通の言葉を通じて、それぞれが自分の持っていたイメージを再確認したり修正したりすることができるにすぎない。絵師が自分の持てる技術をすべて伝授しても、やはり弟子の描く絵や師匠の絵とはことなる。それは弟子の脳の中で再構築された技術だからであり、師匠の体得した技術がそのまま伝わったわけではないからだ。
 だから職人の間でよく、「学ぶのではなく見て盗め」というのはそういうことだ、師匠の技術そのものは師匠の脳の中にしかない。教えたとしても、それが弟子が独自に経験的に積み重ねてきた技術の中に融合されなければ、ただ弟子の中で異質な、どう扱っていいかどうかわからないものにすぎない。
 技術の継承は弟子がこういう技術が欲しいと思っていたものをたまたま師匠がやっていて、それを自分の技術の体系の中に組み入れることができた時に初めて完了する。
 自分の技術、師匠の技術と別個に存在していても、二つの異なる技術が喧嘩して、大体良い結果は出ない。完全に融合できるというのは、師匠の技術を自分の技術に出来た時であり、それを「盗む」と表現する。
 教えられたとおりにやっていても、それは師匠の技術であって自分の技術ではない、自分の技術の中に取り込んだ時、技術は継承される。
 「松」が喚起するその人固有な情も、その人の持つ「松」の体験を全部知っているわけはないから、「松」という言葉で分り合ったような気になっていても、完全に同じイメージを共有することはない。それゆえ、そこには言葉で言い尽くせないものが存在する。

 「言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。」(p.18)

 さて、ここでも「情」の概念がかなり拡張されて用いられていることは分ると思う。
 情はむしろ「個々の先験的及び経験的に形成された固有な脳の回路に由来するもの」と定義した方が良いのかもしれない。

2022年11月21日月曜日

 ワールドカップのカタール=エクアドル戦は一時半に目が覚めたので途中からリアルタイムで見て、開会式は朝になってから見た。
 みんなマスクもなしに大声で声援を上げて、コロナ時代が終わったのを実感した。
 暑さを考慮してこの時期に開催知るというのも、IOCは東京オリンピックで認めてほしかったな。1964年の時のような十月開催だったら、あんな反オリにでかい顔されることもなかったろうに。
 反オリはスポーツそのものを批判してたから、やはりワールドカップも見ないのかな。まあ、今回のワールドカップも世界中にアンチがいるようだが。多少の濁りはあっても感動のある世界の方がいいな。
 あまり潔癖で、理性の命令だけがすべてという感動を否定された世界はディストピアだ。それは「情と日本人」のテーマでもある。

それでは「情と日本人」の続き。

 「西洋人は悪魔に魂を取られはしないかと思って、びくびくしている。そうすると情というものは大切なものではあるが、自分ではないと思っているんですね。」(p.12~13)

 西洋のキリスト教やギリシャ哲学の伝統では、自分というのはロゴスであり、ロゴスが肉体の衣を纏っていると考える。
 ロゴスは非物質的な超越的な存在であり、霊魂や精神のことをいう。それゆえ肉体は滅んでも精神は永遠の命を持つ。
 肉体的欲望に溺れて我を失うことは悪魔の誘惑であり、悪魔に魂を奪われて地獄に落ちるとされている。
 これに対して情の地位は曖昧で、形而上学の理論の中から抜け落ちる傾向にある。だが、概ね激情は肉体の悪魔であり、情熱(パッシオン)は同時に受難を意味する。
 リッキー・マーティンのヒット曲「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」の元の歌詞が日本の郷ひろみの歌と全然違うのを見ると面白いが、恋が悪魔の誘惑だという捉え方は西洋では割と普通なのだろう。
 大酒飲んで飲めや歌え、酒の神様に乾杯なんていうのも、日本では普通であっても、西洋ではペイガニズムと結びつく。キリスト教は禁酒法を作ったくらいで、酒もまた悪魔の誘惑で罪なものと考えられている。

 「東洋人はまだしも、心を自分だと思っているから、その中には情も含まれますが、西洋人に至っては情を自分だとは思っていないらしい。その魂というほどの深みの情、これも今の日本人には分りにくいでしょう。」(p.13)

 情は理性や精神やロゴスと対立するもので、そのため情について深く考察する哲学は発達しなかった。ここで東洋人というのが陽明学のことだとしたら心即理の思想であり、心の中には孟子の四端も含まれているから、感情を否定しているわけではない。

 「感情などというのは極く浅い情。もっと深い情とは一口にいって、どんな風なものか。これは一例をあげれば良い。日本人は情というものを無意識的によく知っている。それで一例をあげれば足りるんです。
 明治になってからの話ですが、お母さんと子供が住んでいた。子供が十三歳になった。そして禅の修行をしたいといい出した。それで修行の為に家を出ることになって、いよいよ別れるという時になって、お母さんはこういった。
 お前の修行がうまくいって、人がちやほやしている間は、お前は私のことを忘れていても良い。しかし、お前の修行がうまくいかなくなって、人に後指を指されるようになったら、私を思い出して、私の所へ帰って来ておくれ。そういった。」(p.13)

 仏道というのは「出家」という言葉が示す通り、家族を捨てることであり、家族への情を断つことを要求される。
 中世の『西行物語』では西行が出家を思い立つ際に、庭で遊んでた我が子を見て、これが出家の障壁になっているんだと蹴飛ばす場面がある。
 逆の立場からすれば説経節の『苅萱』のように、突然家の主人が出家してしまい、母と息子がそれを追いかけて高野山まで行くが、女人禁制のため母は会うことがかなわず、息子の石童丸は父と再会して弟子になるが、最後まで父親だということを認めてはくれなかった。
 出家したら家族のことは忘れろというのは、その意味では「出家」の本意にかなっている。そして仏道がうまく行かなかったらいつでも帰ってこいと言うのは親としての自然な愛情だ。

 「それから三十年程たった。子供は修行がうまくいって、偉い禅師になった。松島の碧厳寺という大きなお寺の住職をしていた。その時、郷里から使いが来て、お母さんは年をとって、この頃では寝たきりである。お母さんは何ともいわないが、私達がお母さんの心を推し量ってお知らせに来た。そういった。
 それで禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ているお母さんの枕辺に座った。そうするとお母さんは子供の顔を見てこういった。
 この三十年、私はお前に一度も便りをしなかったが、しかし、お前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ。
 私はこの話を最初杉田お上人から聞いた。その時、涙が流れて止まらなかった。これが情の本態です。」(p.13~14)

 出家したのだから、親の存在は煩悩にすぎないから、それを忘れてほしい。これは法(のり)だ。
 それに対して子供のことを思わぬ日は一日もない。これは情だ。
 帰って来てくれたのは嬉しい。しかし、そのことがまた煩悩になる。いわば義理と人情のはざまに立たされる。押さえなくてはいけなかった情だからこそ、その不条理に涙が出て来る。
 ただ、今の日本人はこの話では多分涙は出ないだろう。それは今の仏教はこうした厳しさを失い、良いに着け悪いにつけ世俗化しているから、この葛藤は今の時代にはリアリティを持たない。
 新興宗教ならこうした厳しさは存在するかもしれない。親が宗教を信じ、それが四のため人のためと信じて、家庭を顧みずに働いて得たお金を子供のためには使わずに教団への寄付につぎ込む。
 そしてその親が全く見も知らない他所の子のために命を投げ出したとしらどうだろうか。
 すべての人の命の価値は等しい。だから自分の子も他人の子もその価値は同じで、我が子のために命を捨てられるなら、見ず知らずの子のためにも命を捨てられなくてはならない。
 それは理屈ではあるが人情ではない。子供からすれば自分よりも他人の子を愛した母を一体どう思うだろうか。

 「こういう情というものがあるのだということを西洋人は知らないのでしょう。この情を魂といっている。」(p.14)

 西洋の人権の理論にはこういう情は存在しないし、韓国のムン・ソミョンの宗教にも存在しないと思われる。ただ、西洋人も同じ人間であり、情そのものが存在しないのではない。ただ理性の優位を神の言葉(ロゴス)として信じている。
 そのため、西洋でもその唯一神の不条理が描き出された時はやはり涙すると思う。カミュの『異邦人』や映画の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のように。
 戦後特にナチスやスターリンや毛沢東やポルポトなど、理性の名において虐殺が繰り返される中で、こうした不条理を学び、それが西洋の「哲学の終わり」をもたらしたといえるかもしれない。
 だから、単純に西洋人は情を知らないというべきではない。ただ、理性によって強く抑制されているのは確かだろう。

 「人にはこういう情というものがある。それが人の本体です。幸福は情が幸福なのであって、道徳には情があるが故にあるのである。明白なことです。」(p.14)

 情は理性の命ずる法に対してその不条理を告発するという意味では、戦後の西洋哲学もその方向に向かっていた。ナチズムにしてもスターリニズムにしても、理性の名において命じられる虐殺の不条理、感情に反したことを要求される極端な人権思想、こうしたものに対して人間らしさを開放するのは感情だった。
 岡潔のこの文章も、基本的にはそうした流れの中で日本の伝統文化に目を向けようという方向にあるのは間違いないが、ただ、すっかり西洋化された教育の中で日本の文化を再発見する動きは入口に着いたばかりだ。そのせいで同じことを何度も堂々巡りのように言うことになってしまうのであろう。

2022年11月20日日曜日

 いよいよワールドカップが始まるね。楽しみだ。
 合成の誤謬ということで、あまりみんな勤勉だと労働力の供給が過剰になり、かえって給料が下がるのかもしれない。働かないことも重要だ。
 まだ働けるのに遊んでばかりいて、とか言われたら、「俺が働いたらその分若者が一人失業する」とでも言おうかな。若くて本当に今お金が欲しい人に働いてほしい。

 それでは「情と日本人」の続き。

 「情と知と意を比べてみますと、情は自分の体だけど、知や意はなんか着物のような、そうい感じがするでしょう。知的や意的に分ったって、本当に膚で分ってないという、そういう気がするでしょう。」(p.10~11)

 情は全部先天的に決まっているのでもなければ、すべて後天的に獲得されたのでもない。情の骨格は先天的に決まっていても、実際の感情の形成は生後の様々な経験の中で偶発的に回路が形成されてゆく。
 こうした脳の発達は個別のもので、誰一人として同じだはない。ただ、笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだりという大枠は一致しているし、互いに共感できるが、笑いのツボは人それぞれ違う。同じように同じ物語を見て泣ける人と泣けない人がいたり、同じ事件のニュースを聞いても怒る人と怒らない人はいる。これが人それぞれの個性(キャラ)を形成する。
 知もまた数学や論理能力は先天的(哲学では先験的ともいう)だが、人それぞれ考え方は違う。これは諸概念の形成が後天的な言語体験によって変わるためで、言葉や概念の意味は耳にした用例を基に形成されるため、同じ言葉でもイメージするもの人それぞれ違う。静岡や山梨で育てば、山というと富士山を思い浮かべ、青森で育てば岩木山を思い描くようなものだ。

 遠山に日の辺りたる枯野かな 虚子

の句を聞いても、人それぞれ「遠山」のイメージは違う。アメリカのユタ州で育てば、あの未知との遭遇に出てきたようなモニュメントバレーに日が当たってる様子が浮かんでくるかもしれない。
 同じように言葉が意味するものは、それぞれの過去の体験と言語体験に依存する。そのため、同じ日本語を使っていても、実際にイメージしているものはまったく違っていて、違うものを考えている以上、考え方が違ってくるのも当然だ。
 そのたも、物の考え方は人それぞれで、論理としては理解できても感覚として理解できないことがしばしばある。確かに理屈は通ってるんだけど何か違う、そういう感覚は別に珍しいことでものでもなく、普通のことだ。そういう者同士がいくら議論しても水掛け論になるだけだ。
 この人それぞれの感じ方、そこから引き起こされる感情はその人の「身体」であり、それは後天的であっても脳の偶発的な形成はやり直しのきかないものなので、その人の肉体と言ってもいい。
 余談だが、性的嗜好というのもそういうものだと思う。LGBTは先天的ではないにしても、脳の発達の偶発性によるもので、それはきわめて多様で一人一人みな違うと言って良い。人それぞれの多様な性癖は異常なものでもないし、まして病気なんかではない。それを日本語では「趣味」と呼ぶ。
 同性愛やバイセクシャルは異性の好みが多様であるのの延長線上のもので、たまたまその境界を越えていると理解すべきであろう。
 人それぞれの偶発的に形成された脳回路はその人の身体であり肉体である。
 これに対して人から学んだ知識はあくまで身につけた情報であって、それは着物にすぎない。
 意思もまた一人一人のそれぞれの思いとは別に集団の一員として与えられる使命は必ずしも自分のものではない。ここでいう「意的」というのは、自分の心から発する意思ではなく、同調している集団の意思のことではないかと思う。
 人から説得され、ある思想を信じ、ある行動に使命を感じたとしても、それはその人の生身の心ではなく、あくまで衣をまとっているにすぎない。
 この考え方は西洋的に考えるなら逆になる。西洋のキリスト教やギリシャ哲学の伝統ではむしろ、人間とは知(ロゴス)であり、それが肉体の衣をまとっていると考える。
 「知的「意的」をこうした思想的な知識や行動と解することで、次の文章にスムーズにつながる。

 「今度、赤軍派の学生が無茶をやった。そうすると皆それを非難している。それで日本は赤軍派の学生のようなものを出したという短所よりも、ああいうものが出たら皆非難するという長所を現したわけです。つまり赤軍派には情がない、残酷であるということをひどく非難している。」(p.11)

 一九七二年の時点で赤軍派の起こした事件というと、一九七二年二月の連合赤軍によるあさま山荘事件、一九七二年五月三十日のテルアビブ空港乱射事件であろう。
 つい最近重信房子が出所したが、今でも彼らを山上徹也容疑者と並べて英雄視している人たちがいるのも確かだ。
 ただ、それは一部の思想にかぶれた人たちで、大半の日本人はテロを支持しない。ただ、日本にも思想がその人の人間の証であり、それが肉体の衣をまとっていると考える人たちがそれなりの数いるのも確かだ。

 「ああいうものが出たら直ぐそれを非難する。これが日本人の長所です。短所を恥じるよりも長所を誇った方が良い。しかし、そうであるという自覚がない。だからそれから先、話が少しも進展しない。」(p.11)

 これは今でも日本の「サイレント・マジョリティ」の弱点と言って良いかもしれない。
 西洋の思想にかぶれた人間は赤軍派を賛美して山上容疑者を山神様と崇めて、テロや殺戮を賛美し、それを残虐だと思う感覚が欠落している。ロシアがウクライナ人に対して行っている虐殺に対しても一緒だ。
 これに対して多くの日本の国民はそれを非難しているのに、それを日本人の長所として誇ろうとしない。
 いや、誇りにしているのだけど、それを伝える手段がないといった方が良いのかもしれないが。日本のマス・メディアやSNSの運営がすっかり特定思想に染まって情報を管理している中で、どうやってそれを表現しろと言うのか。
 イーロン・マスクがいなかったら、日本のツイッターの実態が暴露されることもなかっただろう。

 「こういうものが出るのは、人の本態は情であるから、教育は何よりも情をつくるべきである、教育は全く間違えていると、そういう意見は新聞にはひとつもなかった。情が非常に大事だということ、分るでしょう。」(p.11)

 日本の教育も、当然そうした特定思想の人達の圧力を受けている。元文科省の前川喜平を見ればわかることだ。文科省も新聞も共犯なんだからこれは当然だ。日本の新聞は一九七二年の頃から変わってないし、むしろ悪くなっている。新聞の発行部数がそれを物語っている。

 「情が自分であるという自覚があったら、それを踏み台にして知や意を働かすことができるんだけど、その自覚がなかったら、何が何だか分らないのですね。」(p.11)

 先ず始めなくてはならないのは、自分の今感じている感情の正しさを、思想やメディアにひるんで卑屈になる習慣をやめることからではないかと思う。自分は正しいんだと胸を張る所から始めなくてはならない。

 「日本人は誰でも、情が自分だといえば成程そうだと分りますね。そうすると、情が自分だという自覚がなかったら、どんなにものがうまく運ばないのかということの方を知れば良いでしょうが、ともかく情が自分だということは、日本人ならいわれたら直ぐ分る。」(p.11~12)

 まずは自分たちの当たり前を、西洋の思想に対して卑屈になることなく、これが正しいんだと胸を張ることから始めよう。

 「だが、本当の自分とは情であると、はっきり思った日本人は一人もいないらしい。何故かといったら、そんなこと誰も書いていない。誠に不思議なことだけど、情がじぶんだといった人はありません。日本人にないんだから、世界にそんな人はありません。そういう人類は一人もいないということになる。」(p.12)

 なぜそうなのかで予想がつくのは、情の概念が通常は朱子学でいう七情、つまりその時その時の喜怒哀楽の情を指すことが多く、この意味では情は自分だというには限定され過ぎている。
 「本当の自分とは情である」と言うには情の概念を四端を含めた全人格の根底を形作る概念に拡大する必要があったからだ。これは岡潔さんの唯一無二の発想であり、独自の哲学と言って良い。

 「東洋は情を自分だとは思わないらしい。心は情、知、意に働きますが、その情、知、意と連ねた心というものを自分だと思っているらしい。これは日本人である私には想像のつかないことです。どうすればそんなことが思えるのかわからないが、そう思っているに違いない。」(p.5)

 注意して読むと、ここでは日本人を東洋から除外している節がある。そしてここで東洋と名指しているのは陽明学ではないかと思う。「心即理」の説明としてはこれで良いと思う。朱子学はおそらく理解の範囲を越えていたのだろう。

 「その証拠には、中国では知が基だといいますが、仏教も知が基だといっている。それだったら心が自分だと思っているんでしょう。そうでなければ、そんなこといえる訳がない。」(p.12)

 これはおそらく中国の「理」の優位と仏教の「法」の優位のことを言っているのだと思う。儒教の性理は陽明学では心と同一視され、仏教の法(dharma)も三界唯心の中に存在する。
 孟子もまた四端については「情」ではなく「心」を用いている。
 ただ、性理や三界唯心は宇宙全体まで拡大されるため、自分は何かというと心の概念としては広すぎることになる。その意味で一人一人の「私」が生じるのは確かに「情」だと見ても納得できる。
 情は宇宙と一体化した大なる心ではなく、個々の人間の個別性の根源だというなら「情」で差し支えない。

 「西洋人に至っては、情の中で大脳前頭葉で分る部分、これが感情ですね。これは極く浅い情です。もっと深い情を西洋ではどういっているかというと、ソール(魂)といっている。これが情です。」(p.12)

 大脳前頭葉はこの当時の脳科学の知識では感情、意思、理性、人格などの人間らしさを全般的につかさどるような認識ではなかったかと思う。いわば情、知、意を含めたものと思われていたと思う。
 感情の中心という意味ではむしろ偏桃体ではなかったかと思う。
 ただ、今日ではそういう単純なものではなく、脳全体の連関が重視されるようになっている。
 ソールは英語のsoul、ドイツ語のSeeleで、一般的に感情を意味するemotion、Emotionenを用いないのは、岡潔の言う「情」がそれより広い全人格的な意味を求めているからと思われる。
 岡潔の言う「情」は一般的な意味での感情よりは広い意味を持つことは前にも言ったが、ここからすると、ほぼ人格と同義で用いられていると言って良いかもしれない。ただ、理性の優位な西洋的人格に対して、情の優位にある日本的人格を提示したと見なして良いかもしれない。
 今日的に言うなら欲望、感情、理性などをすべて含めた個別の脳組織の全体を現すと言ってもいいかもしれない。

2022年11月19日土曜日

 「情と日本人」の続き。

 「戦後、幸福ということをよくいう。世界のはやりに従って、日本はことにアメリカの真似をして、近頃の人は幸福ということをよくいうんですが、戦前は幸福などといわなかったものです。」(p.9)

 これは検証する必要があるが、「幸福」という概念は確かに江戸時代にはなくて、西洋の言葉の翻訳として広がったと思われる。「しあわせ」にしても、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「仕合・幸」の解説」には、

 「〘名〙 (「しあわす(為合)」の連用形の名詞化)
  ① めぐり合わせ。運命。なりゆき。機会。よい場合にも、悪い場合にも用いる。
  ※雑事覚悟事(1489頃か)「もろひざをつきてもくるしからず。当座のしあわせによるべし」
  ※中華若木詩抄(1520頃)上「わかき時は、学問して、功名を立んと思たれば、何とやらん、しあわせわるうて」
  ② 幸運であること。また、そのさま。
  (イ) (形動) 運がよいこと。また、そのさま。幸福。
  ※虎明本狂言・末広がり(室町末‐近世初)「『そなたは仕合な人じゃ』〈略〉『それは誠に仕合でござる』」
  (ロ) (━する) 幸運にめぐりあうこと。運が向くこと。うまい具合にいくこと。
  ※咄本・軽口露がはなし(1691)四「されば今年程無仕合なる事はなし。〈略〉来年は仕合して結講申べし」
  ③ 物事のやり方、または、いきさつ。事の次第。始末。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)四「其科のがれず、終には捕えられて此仕合(シアハセ)とかたる」
  ④ 人が死ぬこと。不幸、葬式。
  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)七月一一日「左衛門殿御袋御仕合に付而、上隠岐同道いたし、湯沢へ罷越」

とある。実際に「幸福」の概念は戦後広まったものなのかもsぢれない。
 同じように「夢」という言葉も、「あらまし」の意味で用いられるようになったのは近代になってからで、西洋の言葉の翻訳と思われる。
 「自由」も今とは意味が異なっていたし、自由に相当する言葉はむしろ「かまわぬ」ではなかったかと思う。
 「人権」も西洋の言葉の翻訳で、それに近いとすれば「人情」であろう。
 西洋の哲学だと、幸福は感情というよりは苦痛のない状態として規定されることが多い。「最大多数の最大幸福」という場合は飢餓や圧政や重労働などからの解放をいう。
 まあ、ならば「水虫を掻いている時は幸福なのか」ということになるけど、水虫を掻いている状態は苦痛を別の刺激でごまかしているだけで、水虫が完治したなら幸福ではないかと思う。
 もう一つの幸福の概念は至福に近いもので、いわば宗教的な忘我の状態を言う。仏教でいえば悟りの境地ということか。
 その意味では戦後は西洋の幸福の概念を輸入はしたものの独自な感情の概念として広まった可能性もある。特にこの一九七二年の翌年には落合恵子の「スプーン一杯の幸せ」が大ヒットすることになる。

 「幸福とは何が幸福かということですが、これは知、情、意のうち「情」が幸福なんです。知が幸福だの、意が幸福だの、意味をなさない。よし意味をなしたところで、そんな幸福、どうでも良い。自分の情が幸福と思う、それが幸福なんでしょう。」(p.9)

 西洋形而上学だとむしろ理性の充足の方に宗教的な幸福か、そうでなければ欲望の充足ということになる。精神の充足か肉体的充足かのどちらか、ということになる。
 情という視点はその意味で幸福の日本的解釈と言って良いのだろう。

 「人は動物ですが、動物の中で割合信頼できます。なぜ信頼できるかというと、人には人の情というものがあるから信頼できる。みすみすなことは大抵はしない。それは人には人の情というものがあるからです。」(p.9)

 信頼できるといえば、犬や猫も人間とよく情が通じるから、「割合」という意味では信頼できる。この「割合」というのは間違いなく動物と人間とを連続的に捉える発想で、日本人には普通に受け入れられるが西洋的ではない。アメリカではいまだに創造説を信じる人が過半数を占めていて、人間と動物との間には厳密な境界があると信じられている。
 レイシズムはある種の人種を動物の側に押しやるもので、人間と動物との厳密な境界が前提されている。その意味では日本にはレイシズムはない。
 禽獣夷狄という言葉はあるが、それは朱子学の人間は「万物の霊」という考え方から来るもので、縦気か横気かによるもので、感情の根源としての「気」は連続している。

 「こんなことをしてはいけないんだがなあと情の思うことを、知や意のすすめによってする。そうするといつまでも心がとがめる。これが情です。漱石の『こころ』もこれを書いている。」(p.9)

 漱石の方は置いておくとして、第二次大戦の悲惨な虐殺の中で西洋哲学もまたそれまでの理性中心の考え方に大きな反省を強いられることとなった。
 ナチスのユダヤ人虐殺は、日頃隣どうして友達だったユダヤ人の友人をある日アウシュビッツに送らなくてはならなくなる。感情的には憎しみはない。それでも社会正義のために「汝なすべき」の声によってそれを遂行する。ここでカント的な定言命令、「汝なすべし」の声が人間の情に反する残虐な命令を下す事態が生じる。これではいけないと、もっと生身の人間の感情の声を取り戻さなくてはならないということで実存主義の流行となった。
 個人的には恨みはないが社会正義の名目でレイシズムが蔓延する。これは日本人は経験していない。南京事件は便衣兵の恐怖から中国人全体に不信感が広まっての感情的な爆発で、レイシズムの要素はなかった。組織的な民族浄化は存在しなかった。
 情というのはその意味で、理性の命令による組織的な虐殺には至らないが、不安や恐怖が爆発した場合は虐殺も起こりうることを示している。日本で起きる虐殺は基本的にこのパターンで、関東大震災の時も根底にあったのは恐怖だった。
 情は両面的なもので、概ね身内には甘く、敵には残虐になる。

 蝶を噛んで仔猫を舐むる心かな 其角

だ。この両面性には十分注意を払わなくてはならない。

 「そうすると道徳は人本然の情に従うことである。そういえると思う。また情というものがなかったら、道徳とは何かという前に、道徳というものが存在し得ないでしょう。人は情あるが故に道徳というものが存在し得るのです。」(p.9~10)

 この辺りの考え方は基本的に『孟子』のよるものであろう。「本然の情」は正確には「本然の性」であろう。惻隠の心が「情」なのかどうかは儒教内部でも議論のある所ではある。
 いわゆる孟子の四端は喜怒哀楽などの感情のより根底にあるもので、それと区別するなら「性」の方がふさわしい。
 李退渓については一応簡単にウィキペディアを引用しておこう。

 「彼の学問は徹底した内省を出発点としており、この立場から朱熹の学説を整理した。四端七情と理気との関係をめぐる奇大升との長年にわたる朝鮮儒学史上著名な論争でも、論理的整合性を重視する奇大升に対して、人間のあるべき道徳的な姿を求めて、理気の互発説(四端は理の発、七情は気の発)を主張して、さらに理自体の動静(運動性)を明言した。」

 この四端を喜怒哀楽の七情から切り離して、より根源的なものとして捉えるのが李退渓から林羅山に引き継がれた朱子学の道で、芭蕉もまたこの考え方に基づいて本情と一時の私情を区別する。おそらく朱子学神道の大家だった吉川惟足の高弟岩波庄右衛門(曾良)を経由してのものであろう。
 不易流行説は四端を不易として七情を流行とするところに哲学的基礎を持っている。
 道徳の根源にあるのは四端であり、特に仁の根源という意味では惻隠の心を指す。一般的には惻隠の情という言い方もされていて、広義の情に含まれると見てもいい。

 「道徳とは人本然の情に従うのが道徳です。背くのが不道徳です。ところが古来そういった人は一人もいない。孔子なんか随分道徳について説いた。それが儒教ですね。ところが儒教はいろんな形式は詳しく説いていますが、内容は説いていない。」(p.10)

 これは近代の儒教が孟子や易姓革命を否定する明治の国体思想のもとに「孔子のみ」の儒教になったことによる偏見と言って良いだろう。岡潔さんが学校で習った儒教のイメージは確かにこういうものだったと思われる。
 岡潔さんの「道徳とは人本然の情に従うのが道徳です」という考え方は、間接的にであれ孟子から学んだのではないかと思われる。

 「儒教の内容は『仁』です。ところが仁とは何かということいってない。だから儒教は形式は分っても、内容は分らない。仁とは何であるかというと、人本然の情、それが仁でしょう。情の中から不純なものを削り去って、良い所だけを残して、これを『真情』ということにすると、真情が仁です。ところがそういってない。」(p.10)

 これは用語の多少のずれはあるにしても、朱熹、李退渓、林羅山に受け継がれた儒教の考え方と異なるものではない。
 ただ、明治以降のゆがんだ国体儒教からは排除されていた考え方で、本来の儒教を岡潔さんが独力で再発見したのであれば類稀な達観と言っていいだろう。

 「真情が仁だといえば人には誰でも分る。だから真情に従って行為するように努めるのが儒教の修行になる。ところが内容が仁であるのが道徳であるというんだから、どうしていいか全く分らない。それで形式ばかり重んじている。それが儒教でしょう。少しも実があがってない。」(p.10)

 真情は芭蕉の言う本情と同じに考えていいだろう。

2022年11月18日金曜日

  秦野市俳句協会の入門講座で貰った岡潔さんの「情と日本人」という冊子を、今回は読んでみようと思う。有名な数学者らしいけど、その方面のことはよく知らない。

 「今日初めて聞かれる方もあるかも知れませんが、その方にとっては関係ないことだけど、そうじゃない方もおられる。で、そうでない方に対して、今日また同じことを繰り返そうと思う。」(p.8)

 これはまあ導入部で、これまで何度も同じ話をしていたということで、大事なことなので何回でも繰り返しますという意味が込められていると思う。

 「どういうことかというと、日本人は『情』の人である。人としてそれが正しいんです。そうであるということが非常に大事だのに、少しもそれを自覚していない。」(p.8)

 これはひとえに西洋崇拝の弊害と言えよう。西洋哲学は長いこと霊肉二元論によって、一方には盲目的な欲望を持つ肉体があり、もう一方にはそれを制御する理性がある。
 これは例えば男女の仲で言えば、闇雲で無差別な性欲があって、それを制御するのが理性であるということで、そこには恋愛感情を差し挟む隙間がない。
 もちろん西洋の小説や様々な物語に恋愛は描かれている。ただ、哲学者の中にそれは存在しなかったと言って良い。
 正確には肉体から切り離された観念の上での愛はあっても、それは肉体的欲求とは区別される。いわゆるプラトニックラブと呼ばれるものしかない。そして欲望はただ見境のない、誰かれ構わないものとみなされる。
 西洋の哲学は一貫して人間のメンタルな部分やエモーショナルな部分を取りこぼしてきた。そして、明治以降の日本の学者もそれに右に倣えしてきたと言って良い。
 もちろん西洋でもニーチェのようにディオニソス的なものを取り戻そうという動きもあった。ただ、日本の本来の文化が本来人情を基礎としてきたことは自覚してないというよりも、西洋化の名のもとに否定され、抑圧されてきたと言って良い。
 日本人が本当に人情を忘れたのではないことは近代の大衆文化を見れば一目瞭然で、それは西洋的な学問の支配によってただ抑圧されてきたにすぎない。ただそういったものを卑俗だとか低俗だとか言ってきただけのことだった。

 「日本人は情の人であるということと自覚するということが、今非常にしなければならないことであると本当に分って、本当にそう思うようになってもらいたいと思うんです。つまり、言葉でいえば『日本人は情の人である』だけなんです。そういえば成程と思う。これは日本人だからだと思いますが、しかし、それから先が進まないんですね。」(p.8)

 「日本人は情の人である」という、こうした命題として規定する言い方自体が理性的な文脈に置かれていて、「情」が日本語では「こころ」だったり「まこと」だったり「なさけ」だったり多様な側面を持っていることを、西洋的な形而上学の理論ではうまく説明できない。
 ハイデッガーのいうSolgeはそれに近いかもしれないし、それが個人のものではなくVolkとしての社会的のものとして規定されるなら、日本語の「人情」に近いものにはなるが、西洋哲学の言葉はそれ以上の豊かさを持っていない。
 ロシアのドゥーギンのナロッドもまた、正教会とプラトニズムの支配下にあり、霊肉二元論を逃れるものではなく、いかにディオニソス的な「闇」を解放したとしても、ロシアが西ヨーロッパに比べてこの闇に精通しているとしても、その豊かさはまだ限定的と言える。
 その困難な闇を日本人は易々と日常的平均的に理解している。それゆえハイデッガーのいうDas Manへの頽落は知識人は別としても大衆レベルでは生じていない。和辻哲郎がハイデッガーのいう現存在の本来性と非本来性が逆だと指摘したのも、日本人にとっての日常的平均的なものは決して利益共同体(ゲゼルシャフト)でもなければ、「~のための」の連関によって生活が道具化しているという事実もなく、「死への存在」すら仏教の伝統によって日常の中に取り込まれ、現存在の有限性なども当然のこととして認識されている。日本人はコノハナサクヤヒメの神話以来、永遠の生を放棄したからだ。
 問題はこの日常的平均的なものの中で実現されているメンタルでエモーショナルな社会が西洋の言葉を使うや否や自覚できなくなる、というその一点ではないかと思う。
 これは西洋哲学の欠陥ではあっても日本人の欠点ではない。

 「大阪へ行って淀川を見る。これはひどい、これではいけないと直ぐ公害を思うんだけど、川が見えなくなるとけろりと忘れてしまう。そんな風な分り方ではさっぱりことは進展しない。で、そうじゃないようにしようと思う。」(p.8)

 この文章は一九七二年の公演を筆記したもので、「公害」という言葉が当時の流行語だった。やがて「環境汚染」「環境破壊」だとかいう言葉が多く使われるようになって、「公害」は今では死語に近いものになっている。「公害」は示す内容がかなり漠然としているため、どうでもいい些細なことに「何々公害」だとか矮小化されていくうちに、次第に用いられなくなっていった。
 公害と向き合うにはまず「公害」の内容そのものが漠然としたものではなく、客観的に議論できる明確な対象となる必要がある。ただ漠然として川が汚れているというのではなく、川にどういう有害物質があり、それはどのように流れ込むかまで踏み込めば、その対策も可能になる。ただ漠然と汚れているというだけなら、雨で増水して泥水になっているのと変わらない。
 同じように「日本人は情の人である」ということを常に意識に留めるには、それを明確に規定する言葉が必要になる。ただ、西洋哲学はそれを欠いている。そこが問題になる。

 「そうすると、結局同じことを繰り返し繰り返しいうことになってしまう。そうする他はない。それで今日も同じことを繰り返していおうと思うんです。」(p.8~9)

 ここで冒頭の言葉に帰ってくる。このことは前にも言ったし、今まで何度となく同じことを繰り返し言い続けてきた、と。
 岡潔さんは数学者ではあっても哲学者ではないし、日本の哲学者のほとんどは、はっきり言って西洋哲学を理解できてないし、ただ細かな語句を整理して目録を作る位の作業しかしていない。理解できてないものを発展させ、日本人の情を哲学の言葉にするなどと言う作業は求むべくもなかった。