2021年7月7日水曜日

  今日は新暦だと七夕。いつもの通りの梅雨空だ。旧暦だと五月二十八日でもうすぐ水無月。
 昨日厚労省のホームページを見たら今まで未定だった一般接種用のファイザーワクチン供給の所が、

 【第9クール】 7/5の週・7/12の週  11,000 箱
 【第10クール】7/19の週・7/26の週  10,600 箱

となっていた。これまでの16,000 箱ペースからするとややダウンするが、毎週約六百万回ペースでワクチン接種は行われるようだ。

 (1箱は195バイアル、1バイアル5回接種の場合は975回、6回接種の場合は1,170回なので最低でも5,362,500回、最大で6,435000回になる。「第5クール以降では、1バイアルから6回接種が可能な注射器を配布します」とあるので、現在は6回接種が行われているから、最大値の方で見ていいと思う。
 第8クールの16,000 箱だと16,000×195×6を二週間十四日で割って1,337,142.85‥になるので、一日百三十万回ペース、実際の接種回数に近い数字になる。)

 このほかにも医療従事者向け接種とモデルナワクチン接種分と、別枠のオリンピック関係者接種がある。
 七月五日の時点でワクチンの接種回数は医療従事者を含めて50,870,963回(首相官邸のホームページによる)。ワクチン接種は驚くほどのペースで進んでいて、心配するようなことではない。
 問題は新規感染者数の増加だが、六月の上半期末で人が動いたことを考えると、ひょっとしたら七月十五日くらいにピークアウトするかもしれない。ここでピークアウトできないと、オリンピックだけでなく、夏に予定されていた様々なイベントも観客数を厳しく制限するか無観客にするかしなくてはならなくなると思う。
 今朝の新聞を見たらモデルナワクチンは七月から九月の間で3630万回分あるそうだ。またワクチン接種量の減少の原因は自治体の間にワクチンの在庫が大量にあるための調整で、6週間分に相当する量が手元にある自治体もあるようだ。

 それでは古麻恋句合の続き。

   遠別恋
 鶉から身を島ねこのおもひかな   川支

 鶉というと『伊勢物語』一二三段に、

 野とならばうづらとなりて鳴きをらむ
     かりにだにやは君は来ざらむ

の歌がある。
 どこかに閉じ込められたか何かで、遠流になった島猫の気分で、鶉の様に泣きたい思いになる。


   寄池恋
 うかれ来ていつ窖へ身投げねこ   其雫

 窖は「あなぐら」。「寄池恋」とあるから池に落ちたのだろう。猫は水は嫌いだが一応泳げる。


   忘恋
 またたびやツハリながらの忘れ草  紫子

 ツハリというルビがあるが漢字は鬼に夭という字。早稲田大学図書館の寛保三年版『焦尾琴』を見ると「魃」のようにも見える。
 忘れ草は萱草(かんぞう)のことで、延宝六年の芭蕉の句に、

 忘れ草菜飯に摘まん年の暮     桃青

の句がある。
 猫は萱草ではなくマタタビを忘れ草にする。


   貴キ恋
 ぬれ衣や綸子をかぶる位猫     朝叟

 綸子(りんず)はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「綸子」の解説」に、

 「白絹の紋織物。経糸(たていと)・緯糸(よこいと)に無撚(よ)りの生糸を使用し、表朱子(しゅす)と裏朱子による昼夜組織によって柄模様をつくる。石川県小松地方が主産地であり、主として白生地(きじ)のまま、女性礼服の白無垢(むく)や、裏地に使われる。経糸は21デニール2本引きそろえ生糸使い、緯糸は21デニール3本引きそろえ生糸使いが多く、柄出しはジャカード機を使って生産する。また、強撚糸(ねんし)を使った綸子縮緬(ちりめん)もある。[並木 覚]」

とある。
 猫を捕まえる時には布を被せたりするが、どこぞの名家なのか綸子を被せられる。布だけに猫は濡れ衣だと言いたげだ。


   被軽賤恋
 己が毛の蓬なるをや恋の賤     其雫

 蓬は植物のヨモギの意味もあるが、「おぼとる」と読む場合もある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蓬」の解説」に、

 「[1] 〘自ラ四〙 しまりなく乱れひろがる。乱れひろがって、おおいかぶさる。
  ※万葉(8C後)一六・三八五五「莢(さうけふ)に延(は)ひ於保登礼(オホトレ)る屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕せむ」
  [2] 〘自ラ下二〙
  ① (一)に同じ。
  ※枕(10C終)六七「(薄は)冬の末まで、かしらのいとしろくおほとれたるも知らず」
  ※今昔(1120頃か)一九「長かりし髪は抜け落ち枕上にをぼとれて有り」
  ② しまりがなくなる。だらしないさまをする。
  ※源氏(1001‐14頃)東屋「大路ちかき所に、おほとれたる声して、いかにとか、聞きも知らぬ名のりをして」

とある。ここでは「おぼとなる」と読むのだろう。
 雑草の生い茂る蓬生と掛けて、毛が傷んだ猫を猫の賤(しづ)とする。


   觸物催恋
 陽炎にそはで身も世も団炭猫    堤亭

 『其角全集』には「団子」とあるが、早稲田大学図書館の寛保三年版『焦尾琴』には「団炭」とある。炭団(たどん)のことか。
 野の陽炎よりも炭団のぬくもりの方が良い。
 

   隔聞他恋
 棧子へは及ばぬ恋か座頭ねこ    朝叟

 桟は架け橋という字だが「棧子」はよくわからない。窓や障子の横に渡した木も「桟(さん)」という。
 目が見えないから横に渡した木をの上を伝って行くことができない、ということか。


   近隣恋
 京町のねこ通ひけり揚屋町     其角

 揚屋町は吉原の揚屋の集まる街で現在の台東区千束四丁目あたりになる。京町はそのすぐ隣で、今でも揚屋通りと京町通りは筋一つしか違わない。
 遊郭に来る客がまず揚屋に来るように、京町辺りの雄猫は揚屋町の遊女に飼われた雌猫の所に通ってくる。


   寄塚恋
 恋塚と猫にきせけん横ふとん    幾石

 恋塚というと京の鳥羽にある袈裟御前の塚が有名で、鳥羽の恋塚と呼ばれている。かつては立派な塚があったのか。
 横には「ヨキ」とルビがある。猫に布団を被せたら塚のようになるということで、

 ふとん着て寝たる姿や東山     嵐雪(枕屏風)

に趣向が似ている。


   乱恋
 恋よるやとりなりもめて龍田猫   甫盛

 「恋よる」は「恋ふ夜」であろう。「とりなり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「取成」の解説」に、

 「〘名〙 物事の様子。特に、人のなりふり。人の動作や身なり、風貌、態度、物腰など。とりなし。
  ※評判記・難波物語(1655)「いとおしらしき風あり、とりなりもよし」

とある。
 「乱恋」という題だから、

 龍田川紅葉亂れて流るめり
     わたらば錦なかや絶えなむ
             よみ人しらず(古今集)

の縁であろう。龍田川には染物の神様といわれる龍田姫がいるが、龍田猫はその龍田姫に見立てた猫になる。その龍田姫ならぬ龍田猫が紅葉のように恋に乱れて取り乱している。


   衰恋
 乞食ねこみめをすててや物狂    新眞

 「物狂」というのは能の狂乱物などのイメージであろう。すっかりやつれたみすぼらしい野良猫が恋に乱れる。謡曲『卒塔婆小町』の年老いた小野小町の俤だろうか。


   頼恋
 立猫や居猫のなかへつかへねこ   東潮

 庭の外にやってきた立猫が部屋の中にいる居猫に使いの猫を頼む。

2021年7月6日火曜日

 デリック・ベルさんの「人種主義の深い淵」を読み終えた。
 冒頭での暗示されていたが、多分ベルさんは何処か宇宙の果てに連れていかれても、それも良いかという気持ちがあったんだろうな。たとえそこで奴隷になったとしても今と同じじゃん、という気持ちが。
 故郷を失った民族は心の中に約束の地を描きながら永遠に彷徨い続ける。結局それがこの本のテーマなのだろう。時には親切な白人が時雨の宿を提供してくれても、心は旅人だ。BLMも白人同士の権力争いに利用されて、いつしか黒人の心を裏切るのだろう。
 人は誰でも自分の居場所を求めてさまよい続ける旅人だ。居場所に留まろうとすれば、争いになる。そう、それが生存競争というものだ。彼なら風雅の誠を理解できるだろう。
 あのノーベル賞歌手のボブ・ディランも、彷徨えるユダヤ人の心が世界中の人の心を打ったのではなかったか。黒人音楽も同じ力を持っている。それだけが本当に世界を繋ぐことができるんだと思う。
 「人種差別のひそかな約束」でもデータ嵐によってすべての白人が皆これまでの人種差別の事実を知ったらどうなるかという思考実験があったが、効果は限定的。なぜなら誰もが完全な知識を持ってるわけではないにせよ、人種差別は誰もが既に知っている公然の秘密だから、というわけだ。
 データ嵐で必要なのはむしろ黒人の日常ではないかと思う。聞く人に罪悪感を感じさせるような話は拒絶反応を生みやすいし、逃げ道を塞ぐと洗脳に近い状態になり、正常な判断能力を奪う危険がある。
 効果的なのは黒人も我々と同じように笑ったり泣いたりする普通の人間なんだと思えるような情報ではないかと思う。親近感を覚える人間がひどい目に合っていると思わせた方がいい。俳諧はそういう戦術を取っている。
 猫の恋も、恋猫がこれでもかとひどい受難に合っていることを訴えるのではなく、笑いの中に時折怖い事実を織り交ぜて行く。

 それでは古麻恋句合の続き。

   寄垣恋
 魚串を嗅て忍ぶや笹くろめ     紫紅

 「笹くろめ」はよくわからない。寄垣恋だから生垣に関係があるのか。
 魚を焼く煙の臭いに生垣を越えてやってくる。


   寄關恋
 包まれて髭は折るとも恋の関    朝叟

 「恋の関」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恋の関」の解説」に、

 「互いに恋い慕う仲を隔て妨げること。また、そのもの。恋の柵(しがらみ)。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)七「是ぞ恋(コイ)の関(セキ)の戸(ト)を越て、武蔵野の恋草の所縁(ゆかり)、紫を染屋の、平吉かたにつきて」

とある。
 布か何かを被せて取り押さえられたのだろう。


   恋石恋
 石臼やわれて中より猫の情     露拍

 石臼はこの場合は碾臼ではなく餅を搗くような臼であろう。
 臼を逆さに被せられて閉じ込められてしまったか。いつかこの臼を割って、

 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
     われても末に逢はむとぞ思ふ
              崇徳院(詞花集)

の情であろう。

 
   寄海恋
 うき恋やたびかさなれば簀巻猫   角枝

 人の家の雌猫の所に通っては追い出されたりしていたが、終には捕まって簀巻きにされ、海に落とされてしまったか。南無阿弥陀仏。


   不定恋
 ありながら浮草猫や御縁づく    午寂

 「縁づく」は結婚することを言う。浮草のように放浪する猫はあちらこちらで重婚をしている。


   疑恋
 腰もとの二人静はいづれ猫     午寂

 「腰もと」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「腰元」の解説」に、

 「上流の商家の人々の側に仕えて雑用をたす侍女(小間使(こまづかい))をさし、身の回りにおいて使うことから腰元使ともいう。また遊女屋の主人の居間や帳場で雑用に使われる女をもいった。一般には江戸時代に武家方の奥向きに仕える女中と同義に解釈しているが、三田村鳶魚(えんぎょ)は、武家方の女奉公人のうちには腰元の称はなく、おそらくそれは京・大坂の上流の商家にあったと思われるものを、いつのまにか芝居のほうで武家方へ持ち込んだものではなかろうか、といっている。[北原章男]」

とある。
 謡曲の『二人静』は吉野の菜摘女に静御前の霊が取り付いて二人で舞う話だが、この場合は腰元が何らかの理由で殺されて、その腰元の飼っていた猫が踊り出すということか。


 花の夢胡蝶に似たり辰之助     其角

 辰之助は歌舞伎役者の水木辰之助のことであろう。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「水木辰之助(初代)」の解説」に、

 「没年:延享2.9.23(1745.10.18)
  生年:延宝1(1673)
 元禄期の若女形の歌舞伎役者。初代大和屋甚兵衛の甥で女婿。子役大和屋牛松,若衆形鶴川辰之助の時代を経て,元禄初年より若女形となる。元禄4(1691)年「娘親の 敵討」での有馬のお藤役が好評で,同8年,江戸へ下るお名残狂言の近松門左衛門作「水木辰之助餞振舞」(彼の得意芸を盛り込んだお家騒動物)でも同役を演じた。歌舞伎の華である所作事(舞踊)を得意とし,地芸(演技)を得意とした初代芳沢あやめとは好対照であった。元禄11年の「金子吉左衛門日記(元禄11年日記)」には,稽古で得意の踊りの振付を担当する姿がある。宝永1(1704)年,伯父の甚兵衛の死を契機に舞台を退いた。3代まであるが初代が最も有名。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,「元禄11年日記」(鳥越文蔵『歌舞伎の狂言』)(北川博子)」

とある。
 美人の雌猫がいたと思ったら雄だったということか。花の夢は胡蝶の夢のように儚く消えて行く。


   寄琴恋
 花の夜や猫の管弦は琴の役     野径

 猫は膝の上に乗るので、さながら七弦琴のようだということか。陶淵明も弦のない琴を膝に乗せて撫でていたという。


   寄鞠恋
 蹴らるるやゑもん流しの猫の曲   里東

 「ゑもん流し」はコトバンクの「デジタル大辞泉「衣紋流し」の解説」に、

 「蹴鞠(けまり)の余興の一。立ちながらからだをかがめて、一方の腕にのせた鞠を転がして後ろ襟から他方の腕に渡らせるもの。」

とある。猫はいきなり肩に駆け上ったりする。それを衣紋流しの曲芸に例える。
 里東は「『焦尾琴』に載る作家」に、「膳所藩主」とある。


   寄窓恋
 深窓の頬をねぶるや秘蔵猫     闇指

 深窓の令嬢という言葉がこの頃あったかどうかは知らないが、深窓はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「深窓」の解説」に、

 「〘名〙 奥深い窓の内。家の中の奥深い部屋。多く、身分の高い家柄、大切に扱うことなどの意を含んで用いられる。深閨。
  ※経国集(827)一〇・夏日同美三郎遇雨過菩提寺作〈小野年永〉「深窓欲レ曙憑レ松暗。絶巘初明衘レ雲蘿」 〔翁巻‐宿寺詩〕」

とあるように、古い言葉だ。日本の家屋では窓はだいたい家の奥にあるものだったのだろう。


   寄几帳恋
 手几帳は三毛とさだめぬ恋路哉   適三

 几帳はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「几帳」の解説」に、

 「平安時代に起った障屏具の一つ。貴人の座側に立て,あるいは簾 (すだれ) の面に沿って置いて,室内の仕切りや装飾に用いた。方形の台 (土居〈つちい〉) に2本の柱 (足) を立て,その上に横木 (手) を載せて帳 (帷〈とばり,かたびら〉) を垂らす。台,柱,横木などには黒漆や蒔絵などを施す。帳の長さは普通 2mほどで五幅 (いつの) を綴じ合せてある。帳は冬は練り絹,夏は生絹 (すずし) や綾織などを用い,特に錦,綾などを用いたものを美麗の几帳という。各幅ごとに風帯 (野筋ともいう長い紐) をつけ,幅の中間には物見があけられている。幅の上端には木端 (こはし) を縫いくるんで,横木に結びつけてある。現在では,宮中や神社の祭祀行事の際などにみられる。」

とある。横木を手とも言うので「手几帳」ということもあったのだろう。あの几帳の向こうには愛しの三毛がいると定めて、牡猫が通ってくる。


   寄屏風恋
 掻き破る屏風かたしや妻の影    楊葉

 屏風は爪を砥ぐのにちょうど良い。この屏風の向こうに妻がいるというのにとイライラしているときほど爪が砥ぎたくなる。

   寄帯恋
 男猫とて七巻半や君が帯      甫盛

 昔の帯は今より短めで四メートルくらいだったという。それで七巻半というとウエスト五十センチくらいか。昔は低身長だったから細身の体だとこれくらいか。
 帯が置いてあると猫がじゃれて遊んだりしたんだろうな。

2021年7月5日月曜日

 まあ、都議会選も終わり、一応都民の審判も下ったので、もうこれ以上世界中のスポーツファンの夢を醜い政争で汚さないでくれ。
 デリック・ベルさんの「人種主義の深い淵」の続きだが、「最後の黒人ヒーロー」は切ないラブストーリーだが、やはり寓意があるんだろうな。黒人解放運動がと黒人に理解があると称する白人女性によって乗っ取られてゆくという、今のBLMの流れが予見されてたのだろう。日本人とのハーフの女性というのも結構向こうでは微妙なのかもしれない。
 白人女性には女性解放というテーマがあるから、その戦いを有利にするために黒人問題を利用したいというのもあるんだろう。これにまたLGBTや障害者団体やら様々なマイノリティーが相乗りしてゆくうちに、「革命」で一括解決なんて方向にいっちゃうんだろう。
 批判的人種理論が今アメリカで問題になっているのも、多分この共産主義につながり危険性が一番の理由なのだろう。人種主義(レイシズム)か共産主義かの二択のように思われるのが一番怖い。多分日本の左翼もあたかも他の選択肢がないかのように誘導するだろう。普通に生活していた人をレイシスト認定して精神的に追い詰めるやりかたは洗脳の手口と一緒なので気をつけよう。
 「人種的現実論」のところで白人ヒーローを登場させているのは、黒人のが暴力にさらされた時、白人でなければ守れないという事情を述べたものではないかと思う。確かに、白人団体が白人極右団体に暴力をふるっても人権派の英雄的行為だが、黒人がやったらただの暴動で片づけられちゃうんだろうな。武器持ってるだけで警察に殺されそうだし。
 「人種的立場のルール」も黒人の声を白人の姿で語らなくてはならないという問題提起になっている。
 黒人がどんな声を上げようが無視されるだけだが、同じことでも白人が言えば脚光を浴びるし、本にもなって世界で翻訳されてゆく。黒人のグラフィックアートにどんなメッセージが込められようが、ただの落書きで消されていくが、白人のバンクシーが白人の様式で絵を描けば世界が注目するし、とんでもない高値が付くのと同じようなものだろう。
 今まで筆者が感じてきた「黒人の声が聞こえてこない」というのは、日本の翻訳者だけの問題ではなく、むしろアメリカの問題でもあり、世界の問題なのかもしれない。
 まあ、逆に考えれば世界の人が日本のことを知ろうとした時も、西洋崇拝(白人崇拝)の左翼文化人を介在してしか日本の声が伝わってないという問題があるんだろうな。日本の文化に興味を持って、もっと研究したいと思って日本に来ても、日本の大学は西洋崇拝者ばかりだし。
 多分ネットの発達でみんなそれに気付けるようになって、外国の声を紹介するマスコミや文化人などの既存の権威に疑いがもたれるようになってきているから、本当の声が聞きたいと思うようになったのだろう。
 「ある法律学者の」のところでようやく「人種論批評派」という訳語が出てきたが、これがそのいわゆる「批判的人種理論」のことか。この雰囲気だとベルさんは本来ここに含まれるべき人ではなかったのではないか。
 世界を一つにすればいいというのは一見聞こえがいいが、実際にそれをやれば世界征服になる。同じように、世界から人種というものがなくなればいい、肌の色の違いはあっても誰もがそれを意識しない世界になればいいというのは、徹底した同化政策かホロコーストかどちらかだ。
 人類は民族的多様性から逃れることはできない。やるべきことは均一化ではなく相互理解だ。
 そもそも論だが生物学的な意味での人種は存在しない。ただ、ある地域で遺伝子上の変異が蓄積され地方形を形成するのと並行して、文化的遺伝子(ミーム)もその変異が蓄積され、その地方独自の文化が独自の血縁と密接に結びついた形で発展する。こうして世界中に様々な民族が形成される。人種というのはその無数の民族を大雑把に白と黒と黄色に分けただけのものだと言われればそれまでだ。
 一般に言う白人はその中でも古代ギリシャ・ローマの遺産を引く継ぐ文化集団だが、中東や北アフリカやインドや中央アジアにも非西洋系の白人はたくさんいる。日本人から見ると区別がつかないから、フレディ・マーキュリーもみんな普通に西洋人だと思っていた。
 民族の多様性は人類の進化に欠くべからざるものであり、また同時に保険でもある。それをも抹消する思想は右であれ左であれ容認してはならない。

 それでは古麻恋句合の続き。

   述懐恋
 寐もやらで浪人猫の日陰かな    入松

 夜は寝ないで昼間は日陰でじっとしている猫は、人間で言えば牢人のようだ。


 墨染と思ひはてけり烏ねこ     紫紅

 黒猫は烏猫と呼ばれていたのだろう。出家して墨染の衣を着て、恋の思いを断つ。


   寄月恋
 白玉か問来るねこを朧月      毎閑

 白猫の元へ通ってくる猫がいたのだろう。白猫は闇の中に白玉のように見えて朧月のようだ。
 『源氏物語』の朧月夜の俤であろう。


   寄日恋
 思ひのみ日にむく腹は布袋猫    序令

 思いはつのっても毎日食ってばかりで太っていって、布袋さんのような猫になっている。
 序令は「『焦尾琴』に載る作家」に、「石内氏・魚問屋」とある。


   後朝恋
 あつ灰をかへる朝のふとんかな   百里

 百里は「『焦尾琴』に載る作家」に、「高野氏・魚問屋」とある。


   昼恋
 昼はねて衛士と並ぶや火傷猫    心水

 これは百人一首でも有名な、

 御垣守衛士のたく火の夜はもえ
     昼は消えつつものをこそ思へ
              大中臣能宣(詞花集)

の歌で、昼は寝て、夜に雌猫の所に通うが、衛士に火で追払われて火傷する。
 心水は「『焦尾琴』に載る作家」に、「禅僧か」とある。


   夜恋
 煮こごりや猫の白波夜半に行    午寂

 煮こごりは魚の煮汁の冷えて固まったもの。夜中に猫が舐めて白波のようになる。


 春の世をいつか帰りてよごれ猫   堤亭

 牡猫は発情期になるとメスを求めてふらっといなくなってしまう。何日も経って帰ってくると泥だらけになっている。


   思他恋
 たが猫ぞ棚から落す鍋の数     沾徳

 筑摩祭の鍋であろう。

 君が代や筑摩祭も鍋一ツ      越人(猿蓑)

の句もある。コトバンクの「デジタル大辞泉「筑摩祭」の解説」に、

 「滋賀県米原(まいばら)市の筑摩神社で5月8日(古くは陰暦4月1日)に行われる祭礼。古来、御輿(みこし)に従う女性がひそかに関係をもった男性の数だけ鍋をかぶったというが、現在は少女が作りものの鍋をかぶって供をする。鍋祭り。つくまのまつり。《季 夏》「君が代や―も鍋一つ/越人」

とある。たくさんの鍋を棚から落として、何人と関係を持ったんだ、
 沾徳はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「沾徳」の解説」に、

 「江戸中期の俳人。水間(みずま)氏。合歓堂(ごうかんどう)と号す。江戸で生まれ、同地に没。享年65歳。1678年(延宝6)18歳のおりの沾葉(せんよう)号での言水(ごんすい)編『江戸新道』入集が初見。内藤風虎(ふうこ)・露沾(ろせん)父子の寵愛(ちょうあい)を受けるが、1685年(貞享2)風虎没後、其角(きかく)に親炙(しんしゃ)し、洒落(しゃれ)風の俳諧(はいかい)を習得、享保(きょうほう)期(1716~36)江戸俳壇の中心的人物となる。沾徳が、芭蕉(ばしょう)から時鳥(ほととぎす)二句の評を請われ「物定(さだめ)のはかせ」となったエピソード(荊口宛(けいこうあて)芭蕉書簡)は有名である。1692年(元禄5)刊の『誹林一字幽蘭集(はいりんいちじゆうらんしゅう)』が処女撰集(せんしゅう)。ほかに『文蓬莱(ふみよもぎ)』『余花千句(よかせんく)』『橋南(はしみなみ)』『後余花千句(のちよかせんく)』などの編著がある。1718年(享保3)成立の『沾徳随筆』は、彼の俳諧観をうかがうのに欠かせない資料である。門人に沾洲(せんしゅう)がいる。
 うぐひすや朝日綱張(つなはる)壁の穴(橋南)
[復本一郎]」

とある。


 飯くへば君が方へと訴訟ねこ    其角

 訴訟はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「訴訟」の解説」に、

 「① うったえること。公の場に訴え出て裁決を願うこと。うったえ。公事(くじ)。
  ※十七箇条憲法(604)「五日〈略〉明辨二訴訟一。其百姓之訟」
  ※平家(13C前)一「後日の訴訟を存知して、木刀を帯しける用意のほどこそ神妙なれ」
  ② 要求、不平、願いなどを人に伝えること。嘆願すること。うったえ。
  ※米沢本沙石集(1283)七「訴訟可レ申事候て、一門列参仕れり」
  ※浮世草子・世間娘容気(1717)一「思ひ切て亭主に訴詔(ソセウ)し、笄曲の髪を切て、二つ折に髩(つと)出して」
  ③ 詫びて、とりなすこと。
  ※咄本・楽牽頭(1772)三人兄弟「もふ親父どのに知れても、そせうはせぬ」

とある。この場合は②であろう。つらい気持ちを訴えるんだけど飯の方が大事。


   恋病
 こよひもや風呂屋へ通ふ疝気猫   大町

 「疝気」は下腹部の痛み。猫が風呂で疝気を癒すわけでもなかろうに。それにこれは特に恋の病というわけでもない。
 大町は「『焦尾琴』に載る作家」に、「中西氏・伊勢屋七兵衛」とある。


 蜥くふ食傷つらしやつれ猫     昌川

 「食傷」は食あたりのこと。蜥蜴を食って腹を壊したか、やつれた猫がいる。恋の病ではなさそうだ。


   被棄恋
 西行のおもひすててや銀座ねこ   白獅

 「西行銀猫」の故事で、文治二年(一一八六年)、頼朝が鶴岡八幡宮で西行に会い、歌道と兵法のことを尋ね、西行に銀の猫を送るが、西行はこんなものはいらないということで、近くにいた子供にやったという話。
 恋に破れた猫は、まるで西行に捨てられた銀猫のようだ。


   寄床恋
 塗箱をふす緒に成て春の夢     口遊

 塗箱は漆塗りの重箱か硯箱か何かだろう。猫は箱があるとそこにすっぽりと収まって眠る。スヤー。

2021年7月4日日曜日

 デリック・ベルさんの『人種主義の深い溝』という本がアマゾンから届いた。二十六年前に日本語に翻訳された本だ。まだ途中までしか読んでないが。
 オープニングの宇宙から来た取引人の思考実験は、何かイスラエルを連想してしまう。あれはパレスチナ人を追い出しただけでなく、厄介な侵略国家を作ってしまっただけの失敗例だが。
 多分これがこの本のテーマなのだろう。「人種の象徴」のところでハイチのような黒人国家への憧れの話が出てきた後、「目覚めるアフロランティカ」では実際に黒人の移住があったことが示されている。
 異なる文化、異なるルールを持つ人たちが共存できなら棲み分ければいいというのは、誰しもがすぐに思いつくところだ。筆者もすぐに思いついた。ただ、既にある程度まとまった土地に住んでいれば、独立への道筋は付けやすいかもしれないが、既に帰るべき国土が存在しない人たちはどうすればいいのか、難しい問題になる。結局は心の中に黒人の国を作るという所に落ち着くのか。
 確か蟹江さんもアフリカは国としては貧しいけど共助が機能していてそれほど困らない、というようなことを言っていた。黒人の分離独立主義は奴隷制がまだ存在した時代から常に黒人の間の一つの可能性として維持されているのだろう。そしてそれへの反論は、いつか差別のなくなる時代が来るから、それまで待ってみてはどうかというものだった。いまだにそれは裏切られ続けている。
 国内に土地を買って自分たちのコロニーをつくろうという試みもあったが、これも白人によってことごとく潰された。このときムスリムが共産主義やナチズムと同等に扱われた歴史をイスラム圏の人は忘れてないから、アルジャジーラの関心を引くところとなっているのだろう。
 あと、人種選別ライセンス法ってこれも面白い。排出ガス規制と同じ発想で、本当は出してはいけない排出ガスでも税金を払えばOKというのと同じで、雇用や入居者も差別する場合は税金を納めるというもの。
 堅い本だと思っていたら、意外に面白い本だった。
 コロナの恐怖を政局に利用する連中はどこの国にもいるんだろうけど、去年のBLMの暴動を起こした黒人の純粋な怒りは理解する必要がある。黒人を白く塗って「はい、解決」ということにはならないし、そういうやり方はウイグル人が中国人なれるように教育するという中国政府がやっているということと何ら変わりない。

 それでは古麻恋句合の続き。

   待暮恋
 うき思濃茶時分のむつけ猫     野径

 「むつけ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「憤」の解説」に、

 「〘自カ下一〙 むつ・く 〘自カ下二〙 (「むずかる(むつかる)」と同語源)
  ① =むずかる(憤)
  ※玉葉‐建久二年(1191)一〇月五日「伝奏定長云、頗逆鱗歟、殿下御返事到来之後、むつけさせ給つつ」
  ② 健康を害する。衰弱する。弱る。
  ※玉塵抄(1563)二一「馬病馬のやうでむつけたことぞ〈略〉馬もやみむつけたぞ」

とあり、「むずかる」は、

 「〘自ラ五(四)〙 (古くは「むつかる」「むずかしい(むつかしい)」と同源)
  ① 機嫌が悪くなる。ぶつぶつと小言をいう。腹を立てる。むつける。
  ※書紀(720)欽明二三年一一月(寛文版訓)「使人、悉に国家(みかど)の、新羅の任那を滅すに憤(ムツカリ)たまふを知りて」
  ② 幼児が機嫌を悪くして泣く。すねる。
  ※平家(13C前)八「まづ三の宮の五歳にならせ給ふを〈略〉大にむつからせ給ふ」

とある。
 タイトルに待暮とあるように、濃茶時分は午後のティータイムなのだろう。その頃の恋猫は機嫌が悪いということか。
 濃茶(こいちゃ)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「濃茶」の解説」に、

 「抹茶の一種。被覆栽培された老木の茶葉のうち,萌芽の3葉ほどのところから採取したものを茶臼でひいて抹茶として用いる。使用の茶臼は宇治産の石臼を良とし,また茶葉も宇治の木幡産のものを最良とする。容器は陶製の茶入れを用いる。利休以前は単に御茶と呼び薄茶と区別した。また,茶道における濃茶点前をさし,泡立てないで濃いめに練るようにたて,数名で飲み回しをする (各服だての場合もある) 。古くは「別儀」「無上」「極無上」など品質によって銘をつけていたが,近年は「極上」「初昔」「祖母昔」など,茶道家元によってさまざまの銘がつけられている。」

とある。
 野径は「『焦尾琴』に載る作家」に、「膳所藩主か」とある。


   契来世恋
 身の皮を同じ思ひか海老尾     硯水

 三味線のマシンヘッドの先の部分は海老尾(えびお、かいろうび)という。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「海老尾」の解説」には、

 「〘名〙 (「海老尾(えびお)」を音読したもの) 琵琶(びわ)、三味線の部分の名。さおの端の、えびの尾のように後方に曲がった部分。待ち人の来るようにとのまじないで、ここを縛ることもあった。えびお。かいろび。〔教訓抄(1233)〕
  ※洒落本・傾城買談客物語(1799)二「あすこやここの部や部やでかいろうびをしばったり紙で蛙(かいろ)をこしらヘィしたり」

とある。
 海老尾は天神とも言い、この部分は欠けやすいため天神袋で覆うことも多く、これも皮でできていたりする。そういうわけで、胴体の猫の皮が天神袋の皮にむかって「同じ思ひか」と言う。
 三味線は胴体に猫の皮を張るので、海老尾も
 硯水は「『焦尾琴』に載る作家」に、「秋田藩士」とある。


   自地恋
 覗よる湯殿のねこやさよ衣

 自地は自分の家のある猫で、のら猫に対しして言っているのか。
 猫がお風呂を覗くのはよくあること。お湯の流れるのに興味がある。


   餘愛恋
 恋やせを撫とも盡し腹の蚤     朝叟

 猫が恋痩せするのかどうかはよくわからないが、

 麦めしにやつるゝ恋か猫の妻     芭蕉「猿蓑」

の句はある。猫に麦飯を食わす方が問題かと思うが。

 うき恋にたえてや猫の盗喰     支考「続猿蓑」

の句もある。
 痩せた猫を撫でても腹に蚤がいる。


 女房達洗へる猫や華清宮      午寂

 「華清宮」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「華清宮」の解説」に、

 「中国唐代、長安の南東、驪(り)山にあった離宮。唐代初期に造営された温泉宮を玄宗が改名したもの。玄宗はしばしば楊貴妃を伴って遊んだ。」

とあり、白楽天の『長恨歌』には、

 春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂
 (春の寒い時でも華清宮の池で入浴、温泉の水はすべすべ玉の肌を洗う。)

とある。女房達が集まって猫を洗っている姿は、さながら楊貴妃の入浴のようだ。


   神祇恋
 青柳や尾に付らるる三輪の注連

 猫の尾の垂れているのを青柳の枝に見立てたのだろう。ただ、尾にリードを付けて繋ぐというのはありそうにない。リードは首輪に繋ぐものだ。
 もっとも、江戸時代は猫は鼠を捕るということで、猫を繋がないようにお触れが出ていた。
 三輪山の大神神社では柱の間に注連縄を張ることで鳥居としている。

   寄橋恋
 噛ふせて階子を佐野の別かな    山蜂

 「佐野の別」は謡曲『船橋』であろう。

 かみつけの佐野の船はしとりはなし
     親はさくれどわはさかるがへ
              東歌(万葉集巻十四)

が出典となっている。
 川を隔たった男女の物語は七夕を思わせるが、船の上を渡した船橋を親が外してしまい、真夜中の逢瀬で足もとが見えず、川に落ちて死んだという悲しい物語になっている。
 この句の場合、猫は梯子を外されたのだろう。


   尋恋
 若草にからるるつまや二疋まで   問津

 若草が刈られると猫も隠れる場所がなくなって逃げ出す。今日の草刈で二匹見つかったということか。


   絶恋
 朝露やわかれをいかむ薪一把    沾州

 「薪」は「まき」と読む。タイトルの絶恋は死ぬ恋という意味で、朝露に薪一束が運び込まれ火葬にされる。


   祈恋
 うかりける人を初瀬かやとひ猫   波麦

 「やとひ猫」は借りてきた猫。
 「うかりける」は百人一首でも有名な、

 うかりける人を初瀬の山おろしよ
     はげしかれとは祈らぬものを
              源俊頼(千載集)

の歌によるもので、借りてきた猫は借りてきた猫のようにおとなしく、激しかれとは祈らない。


   憎恋
 祈られてワキ師にらむや般若猫   新眞

 謡曲『道成寺』であろう。
 巨大な蛇となった白拍子を演じるシテは般若の面を付けて、ワキ師の演じる僧をにらみつける。
 猫が威嚇するときの顔も般若に似てなくもない。


   仇恋
 凧の尾にあれたる猫はつなぎけり  倚窓

 凧の尾にじゃれついてた猫は、凧揚げの邪魔だとばかりに繋がれてしまった。


   寄寺恋
 柏木の柳もそれかあかり猫     其角

 柏木の柳は『源氏物語』柏木巻で柏木の亡くなった後夕霧の大将が追悼に行く場面で、

 時しあれば変はらぬ色に匂ひけり
     片枝枯れにし宿の桜も

と詠むと、御息所が、

 この春は柳の芽にぞ玉はぬく
     咲き散る花の行方知らねば

と返す場面がある。柳の芽に目を掛けて、目に涙の雫の玉を柳の糸が貫くとする。
 柏木というと女三宮の猫を可愛がっていて、人になかなかなつかない猫が柏木になついたことが柏木と女三宮の不倫の縁を取り持つことになった。だが、そのことが源氏の逆鱗に触れて寿命を縮めることとなった。
 「あかり猫」はよくわからないが、女三宮の猫に見立てて、あの柳が柏木の柳かと問う。


 古寺や赤手拭は虎御前       波麦

 虎御前はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「虎御前」の解説」に、

 「『曾我物語』に出てくる女性。大磯の遊女で,曾我十郎祐成の愛人。祐成の死後尼になって跡を弔う。実在した人物かどうかは不明。『曾我物語』を語って歩いた女に虎という者がいたらしく,その名が曾我伝説に固定したものらしい。江戸時代に浄瑠璃,歌舞伎などで多くの曾我物がつくられたが,それらにも登場し,川柳にも詠まれて一般に流布した。」

とある。曾我兄弟討入の日である五月二十八日は涙で雨が降ると言われ、「虎の雨」と呼ばれている。
 古寺に赤手拭のトラ猫がいたら、それはきっと虎御前だろう。

2021年7月3日土曜日

 雨が随分と続いているけど、水害とかなければいいが。
 あと、もうここまできたら左翼の妨害に打ち勝った記念の大会にするしかないね。まあ、勢い余ってテロだけはしないでくれよ。
 ワクチンがないというニュースだけで何でないか言わないから、続きはデマ情報でって感じになっている。
 まあ、何でワクチンがないかより、日本はワクチンを作ってないのに何でこんなにたくさんワクチンがあるかを考えた方が良い。七月一日の時点で既に四千六百万回を越えている。それに台湾やベトナムやインドネシアに配った分もある。
 すべては政治的なものだ。だから今の日本の政策を変えたら何が起きるかはわからない。

 それでは古麻恋句合の続き。

   老恋
 玉藻とや名のらで出る古老猫    紫紅

 老いた猫は妖狐玉藻のような老獪さを感じさせる。化け猫は尻尾が二本になり猫又と言ったりするが、玉藻も古い絵だと尻尾が二股に描かれている。
 紫紅はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「田代紫紅」の解説」に、

 「?-1731 江戸時代前期-中期の俳人。
江戸の人。榎本其角(えのもと-きかく)の門人。出羽(でわ)久保田藩家老梅津其雫(きか)が帰藩する際,其角にかわってともに秋田にいき,蕉風(しょうふう)俳諧(はいかい)をひろめた。晩年は江戸にもどった。享保(きょうほう)16年8月10日死去。別号に紫孔,紫好,止子山人,通元。編著に「そのはちす」など。」

とある。


 己が背をみつはくむなりかしけ猫  秋色

 「みつはぐむ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「瑞歯ぐむ」の解説」に、

 「〘自マ四〙 (「みずわく(ぐ)む」「みつわく(ぐ)む」とも) (老人に「瑞歯②」がはえる意か) きわめて年をとる。はなはだしく年老いる。
※大和(947‐957頃)一二六「むばたまのわが黒髪はしらかはのみつはくむまでなりにけるかな」
[補注]語義については、「瑞歯(みづは)ぐむ」のほか、歯が上下三本だけ抜け残る「三歯組む」とする説、足腰の三重に折れかがまる形容「三輪(みつわ)組む」とする説、関節のがたがたになる形容「支離(みつわくむ)」とする説、また、「大和物語」の檜垣嫗の歌が「水は汲む」の意だけであったのが老人のさまをいうと誤解されて、さまざまの語源説が付会されたとする説などがあり、表記についても「みつはくむ」「みつわくむ」のふたつが入りまじっている。」

とある。「かしけ猫」は悴(かじ)けた猫。衰えた猫。
 猫が背中を毛づくろいしようとして首を曲げた時に、自分の背中を「見る」と「みつはぐみ」に掛けて、つくづく我が身の衰えを感じる。
 秋色はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「秋色」の解説」に、

 「江戸中期の女流俳人。姓は小川か。名はあき。別号菊后亭(きくごてい)。江戸の人。生家は老舗(しにせ)の菓子屋。結婚して古手屋(古着・古物商)、けんどん屋(一膳飯屋(いちぜんめしや))を営み、晩年には俳諧(はいかい)の点者(作品に評点を加えて謝礼をとる人)として生活をたてた。夫も俳諧をたしなみ、夫婦ともに其角(きかく)に学んだ。13歳のとき上野清水堂(きよみずどう)裏の桜を見て、「井戸端の桜あぶなし酒の酔」と詠んだといわれ、その桜は秋色桜とよばれている。長男、次男もそれぞれ林鳥(りんちょう)、紫万(しまん)と号して俳諧をたしなんだ。享保(きょうほう)10年4月15日没。
 雉子(きじ)の尾のやさしくさはる菫(すみれ)かな
[山下一海]」

とある。


   幼恋
 帚木の百目なき子にわかれかな   其角

 百目は百文目(百匁、百文)のことか。幼い恋は金がなくて破れるのはよくあることだ。
 帚木は「あれあれて」の巻二十七句目の、

   鼬の声の棚本の先
 箒木は蒔ぬにはへて茂る也     芭蕉

のように、貧しい家に自生するイメージがあった。


 新参あかぬ別れの尿仕かな     酉花

 新参は四文字だと「しんざん」だが五文字なら「にひまゐり」になる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「新参」の解説」に、

 「〘名〙 あらたに仕えること。また、その人。いままいり。しんざん。
  ※後撰(951‐953頃)春上・四・詞書「ある人のもとに、にひまゐりの女の侍りけるが」

とある。新入りのことを新米というのも、元は「しんまゐり」から来たのかもしれない。
 沢山通ってくる猫に混じって新参者が行くと、恐い参拝猫に脅されてちびって逃げ出す。


   寄枕恋
 俤や糸目にたてるまくら神     其雫

 枕神はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「枕神」の解説」に、

 「〘名〙 夢枕に立つ神。
  ※俳諧・小町踊(1665)春「年徳や春をしらするまくら神〈信定〉」

とある。
 糸目は昼の猫の瞳孔が糸のように細くなった状態であろう。

 ひるがほや猫の糸目になるおもひ  其角(続虚栗)

の句もある。
 昼寝していると猫が枕元に立ってじっとしていたりする。その細い目が枕神みたいだ。
 其雫は「『焦尾琴』に載る作家」に、「秋田藩家老.梅津忠昭」とある。


 よれ枕ねこの爪にもこひ衣     秋航

 猫の愛用の枕なのだろう、すっかりよれよれになり、爪を砥いだ跡が無数についていても大事な大事な枕。
 恋衣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恋衣」の解説」に、

 「① (常に心から離れない恋を、常に身を離れない衣に見立てた語) 恋。
  ※万葉(8C後)一二・三〇八八「恋衣(こひごろも)着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし吾が恋ふらくは」
  ② 恋する人の衣服。
  ※風雅(1346‐49頃)恋二・一〇六五「妹待つと山のしづくに立ちぬれてそぼちにけらし我がこひ衣〈土御門院〉」

とある。この場合は①の意味。


   寄鏡恋
 うつつなや四ッ乳に成します鏡   専仰

 「四ッ乳(よつぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「四乳」の解説に、

 「〘名〙 乳房の痕の四つある猫の皮。三味線の皮に用いて珍重する。また、その三味線。
  ※俳諧・焦尾琴(1701)頌「うつつなや四つ乳に成します鏡〈専仰〉」

とある。「ます鏡」は鏡を褒めていう言い方だが、『万葉集』巻十一・二六三四に、

 里遠み恋ひわびにけりまそ鏡
     面影去らず夢に見えこそ
   右の一首は、上に柿本朝臣人麻呂の歌の中に見えたり。
   但、句句相換れるを以ちて、故ここに載す。

の歌があり、面影に掛かる枕詞にもなっている。
 三味線の胴体の皮になって、おもかげに在りし日の猫の姿を見る。


 舟猫やおのが口すふ水かがみ    利合

 舟に乗った猫が水を飲む姿が水に映るもう一匹の猫と口吸いをしているように見える。

   寄簾恋
 玉たれの手影ゆかしき坊主猫    楓子

 玉たれはお寺の簾くらいの意味か。南京玉すだれではないだろう。夜の行燈の灯りで簾に猫の手の影が映る。お寺だから坊主猫だろう。


   寄薫恋
 おもかげや咽もならさず瓦猫    十流

 猫は薫物の煙が苦手なのだろう。喉も鳴らさずに屋根に避難する。薫物の中にはただ俤だけが残る。咽(のど)という字に暗に烟(けむり)という字を含ませているのか。


   寄占恋
 爪とぐやおもひあまりて畳占    適三

 「畳占」は畳算であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「畳算」の解説」に、

 「〘名〙 婦女子などが畳で行なう占い。特に遊里で行なわれたもので、簪(かんざし)などを畳の上に投げ、その落ちた所から畳の編み目を端の所まで数え、丁(偶数)は待ち人来る、半(奇数)は来ないなど、その他の是非・吉凶を占う。また、簪の脚の方向によっても占った。たたみうら。
※俳諧・大坂檀林桜千句(1678)第八「恋かつもってなんもくの勝〈本秋〉 無仕合暮まつ床の畳算〈由平〉」

とある。
 猫の畳で爪砥ぐ姿が、畳の眼の数を数えているように見える、ということだろう。


 灰うらに問るるねこや七不思議   残杏

 灰占いはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「灰占」の解説」に、

 「〘名〙 埋火(うずみび)や火桶などの灰をかいて、その画が奇数か偶数かによって吉凶を占うこと。また、その占い。灰御鬮(はいみくじ)。
  ※林葉集(1178)恋「睦ことのわがてすさびのはいうらをよそけに妹が思ひ顔なる」

とある。
 昔の猫は暖を求めて火燵や火鉢や竈で灰まみれになることが多かった。「結構毛だらけ猫灰だらけ」もそこから来た言葉だろう。
 七不思議は当時いろいろな地域やお寺などの七不思議が噂にはなっていたが、この場合何を指すのかは不明。


   経年恋
 いつ君に鼻はじかれて猫の年    銀杏

 十二支に猫年がないのは後付けで鼠に騙されたとか言われているが、恋のためともなれば鼠の鼻など弾き飛ばして真っ先に駆けつける。

   迷恋
 ふり揚る刀はあだなり主寮猫    馬黒

 刀は(ナタ)というルビがある。寮は寺の寄宿舎のことだろうか。
 これは『無門関』の「南泉斬猫」であろう。迷猫というタイトルは猫が迷子になるのでもなければ恋に迷うのでもなく、人間が迷って答を出せないでいると猫が斬られてしまう、という意味になる。
 南泉が禅の一語を言えないならこの猫を斬ると言って、誰も答えられずに猫が斬られてしまったという話だが、おそらくこれは「何でもいいから答えを出せ」という教えであろう。
 世の中には一刻も早く決断を下さないと多くの人の命が失われるような事態がいつでも起こりうる。そのときに思考停止に陥ることが結局最悪の事態を招く。何でもいいから答を出して行動せよ、そうすればたとえ結果が悪くても何かしら得るものはある。
 禅問答というのも、そういうとにかく答を出すという訓練だったのではないかと思う。大体禅問答の答というのはあまり合理的ではなく、ほとんどその場の連想で自動記述的に導かれたようなシュールな答が多い。ただ、そういう答は「つっこみ」を入れにくい。一瞬何を言ってるんだと考え込んでしまうからだ。ある意味で煙に巻くわけだが、答あぐねて思考停止に陥るよりは、とにかく何らかの答を出すという訓練なのだと思う。


   寄絵恋
 貌彩る猫の尻目や絵具皿      川支

 猫が絵具を入れた絵皿に顔を突っ込んだのだろう。顔には絵の具がべったり。「彩」は「ヱト」というルビがある。

2021年7月2日金曜日

 黒人といえばやはりヒップホップだろうと思って、ググっていろんなラッパーのリリックを読んだ。蟹江西さんが何で奴隷は選択だといったかわかったような気がした。
 どんなに貧しくて悲惨な環境に生まれても成り上がるチャンスがある。チャンスをつかんで金持ちになったら、それを仲間たちに分けてやれ、それがヒップホップの基本なのは日本のラッパーが真似してたからよくわかる。
 左翼やリベラルは黒人の抑圧されたエネルギーを革命に使いたいために、いつまでも奴隷の境遇に縛り付けようとしている。そこにしがみつくのは自由だ。そういうことなんだろう。
 法律で保護されて、生活保護を貰えれば、確かに食うには困らない生活が待っている。しかしそれでは生殺与奪権を全部国家に握られているようなものだ。そんな飼いならされた生活に満足するのも選択肢の一つだが、わずかなチャンスに賭けてみるのも自由だ。そういうことなんではないかと思う。
 ヒップホップは自助でも公助でもなく「共助」の文化で、自助で成功した奴が共助をするというのが基本となっている。巨大な権力による強制的な富の再分配ではなく、成功者が自然に富を再分配するシステムがあれば、それは一つの理想だ。

 さて、俳諧の方だが、そういえば長いこと猫ネタをやってなかったが、グーグルブックで『其角全集』(老鼠堂永機・阿心庵雪人校訂、明治三十一年、博文館)を読むことができて、そこに元禄十四年刊其角編の『焦尾琴』を眺めていたら「古麻恋句合」というまとまった猫をテーマにした発句があったので、それを読んでみようと思う。
 草書は苦手だが、一応早稲田大学図書館の寛保三年版『焦尾琴』も参考にしている。
 まあ、あくまでこういうのがあるという紹介で、完全解説とはいかないが。まあ、いつもそうだけど。できるだけ全部読むようにはしているが。
 「古麻」は猫の名前だろうか。旨原編の『五元集拾遺』には「こまの恋」というタイトルで、

   こまの恋
 近隣恋 京町の猫かよひけり揚屋町
 寄竹恋 埋られたおのが涙やまだら竹
 幼恋  ははきぎの百目なこ子に別れ哉
 寄寺恋 柏木の榊もそれかあかり猫
 思他恋 飯くへば君が方へと訴訟猫
 疑恋  花の夢胡蝶に似たり辰之助
   人にこしやうの粉をふりかけられて
 耳ふつてくさめもあへず鳴音哉

と「古麻恋句合」の其角の句だけが抜き出されている。其角にはこの他にも、

 寒食や竃下に猫の目を怪しむ    其角(虚栗)
 猫にくはれしを蛬の妻はすだくらん 其角(虚栗)
 ひるがほや猫の糸目になるおもひ  其角(続虚栗)
 ねこの子のくんずほぐれつ胡蝶哉  其角(炭俵)
   自得
 蝶を噛で子猫を舐る心哉      其角(うら若葉)

などの句がある。

 古麻恋句合

   初恋
 切戸から尾骨見そめて玉かづら   秋航

 切戸はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切戸」の解説」に、

 「〘名〙 (「きりと」とも)
  ① 門の脇にあるくぐって出入りする小さな門。くぐり戸。また、塀、扉などを切りあけてつけた戸。
  ※増鏡(1368‐76頃)四「義景はきりどの脇にかしこまりてぞ侍ける」
  ② 能舞台の側面の脇鏡板の奥にある片引きの小さなくぐり戸。地謡、後見などの出入りや、役のすんだ登場人物の退場に用いる。切戸口。臆病口。忘れ口。
  ※病牀六尺(1902)〈正岡子規〉五二「芝居の上手下手の入口は能楽の切戸(臆病口ともいふ)に似て更に数を増して居る」

とある。この場合は①の意味であろう。
 切り戸の下の透間から猫の尻尾がのぞいていて、それを平安時代の女性の装束の裾の下襲をわざと御簾の外に出して見せるのを連想したのであろう。
 秋航はネット上の今泉準一さんの「『焦尾琴』に載る作家」に、「磐城平藩士か、松賀氏」とある。磐城平藩といえば磐城平藩三代藩主の内藤左京大夫義泰(風虎)やその次男内藤政栄(露沾)が知られている。露沾は『笈の小文』にも登場する旅のスポンサー的な存在で、

 時は秋吉野をこめし旅のつと    露沾(句餞別)

の餞別句を詠み、歌仙興行が行われている。
 磐城平藩は俳諧の盛んなところで、元禄九年には桃隣も「舞都遲登理」の旅で須賀川からわざわざ遠回りして岩城平領の小名浜を尋ねている。


 足跡をつまこふ猫や雪の中     其角

 雪の中の足跡をたどって妻恋う猫がやってくる。


   忍恋
 山鳥の尾こそ火をけせ長局     三弄

 長局はコトバンクの、「精選版 日本国語大辞典「長局」の解説」に、

 「〘名〙 長く一棟に造って、いくつにもしきった女房の住居。宮中、江戸城、諸藩の城中などに設けられていた。また、そこに住んだ奥女中。おつぼね。
  ※おきく物語(1678頃)「落城の日、ながつぼねに居申候」
  ※雑俳・柳多留‐二四(1791)「長つぼね腹にたまらぬものを喰い」

とある。
 「山鳥の尾」は柿本人麻呂の百人一首でも有名な歌を指すが、当時柿本人麻呂は「人丸」と呼ばれ、「火止まる」と掛けて、火災除けの神様とされていた。夜に長い廊下を忍んで行くのに紙燭など用いればすぐにばれてしまうから、人丸にあやかって火を消せ、となる。
 三弄は「『焦尾琴』に載る作家」に、「医また儒、人見必大」とある。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「人見必大」の解説」に、

 「没年:元禄14.6.16(1701.7.21)
生年:寛永19?(1642)
江戸前期の本草学者,食物研究家。幕府の侍医随祥院元徳の子。小野必大が本来の氏名で,中国風に野必大とも名乗った。先祖が源頼朝から人見姓を与えられたとの伝承により,人見姓を通称とした。千里,丹岳とも号した。食生活が豊かになり,食物と健康の関係に関心が集まった元禄期に,本格的な食物本草の書『本草食鑑』(1697)を刊行した。同書は多数の食品を健康への良否を中心に解説し,民間行事や民間伝承の紹介も多く民俗学的にも重要視されている。延宝1(1673)年,禄300石を継ぎ,幕府の医官として波乱なく過ごした。<参考文献>古島敏雄『日本農学史』1巻(『古島敏雄著作集』5巻)」

とある。


   ひとりね
 独ふすそがそがしさよ三年猫    辨外

 「猫は三年の恩を三日で忘れる」と言われるように、三年通ってくるオスがいなくても思い切りよく眠っている。

 うらやまし思い切るとき猫の恋   越人(猿蓑)

の心にも通う。


   おもひ
 下くくる水に思ひや梨の舌     楓子

 「くくる」はこの場合潜るで下を水が流れているのを飲もうとして舌を出しいるのを、水に映る月を取ろうとする猿に見立てたものだろう。
 猿が水に映る月に手を伸ばすのは「かなわぬ思い」を表すものとして画題になっている。
 「梨の舌」は猫の舌が梨の表面のようにザラザラしているということか。


   うらみ
 くずのはの恨の助や男猫      周東

 「恨の助」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「恨之介」の解説」に、

 「仮名草子。2巻2冊。作者未詳。1612年(慶長17)ごろの成立。慶長(けいちょう)9年6月10日、清水(きよみず)観音の万灯会(まんとうえ)のおり、葛(くず)の恨之介は、関白秀次の家老木村常陸(ひたち)の忘れ形見である雪の前を見初め、仲立ちを通して恋文を送る。恋は成就して一度は契りを結ぶが、恨之介はその後の出会いがままならぬことに耐えかね、最後の文を残して焦がれ死ぬ。雪の前もまたその文を見て悲しみに耐えかねて死に、仲立ちの者たちも後を追って自害する、という筋。物語の展開は中世恋物語の常套(じょうとう)を出ているとはいえないが、当時の風俗や話題、時代の風潮を取り入れた新鮮さによって好評を博し、初期仮名草子の代表作の一つと称するに足る作品となっている。[谷脇理史]」

とある。
 葛の葉は、

 秋風の吹き裏返す葛の葉の
     うらみてもなほうらめしきかな
              平貞文(古今集)

以来、葉の裏返ると「恨み」を掛けて用いられる。
 雌猫の飼い主は牡猫が来ると追払うことが多い。

 手をあげてうたれぬ猫の夫かな   智月「卯辰集」
 のら猫の恋ははかなし石つぶて   等年「西國曲」
 雨だれの水さされてや猫の恋    化光「北國曲」
 うたた寝を取まかれけり猫の恋   里倫「俳諧猿舞師」

などの句がある。
 周東は「『焦尾琴』に載る作家」に、「同上(伊与松山藩士)・青地伊織ただし、医官」とある。


   見かはす恋
 あくがれて琴柱たふすや雲ゐ猫   宜雨

 「あくがれて」はOとUの交替で「あこがれて」と同じ。この比は今の意味とは違い、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「憧」の解説」に、

 「〘自ラ下一〙 あこが・る 〘自ラ下二〙 (「あくがる」の変化したもの)
  ① 居所を離れてさまよう。また、心がある方面に引かれて、でかける。
  ※平家(13C前)六「仲国龍の御馬給はって、名月に鞭(むち)をあげ、そこともしらずあこがれ行く」
  ※太平記(14C後)四「せめて其の人の在所をだに知たならば、虎伏す野辺、鯨寄る浦なり共、あこがれぬべき心地しけれども」
  ② ある対象に、心がひかれる。
  ※太平記(14C後)一二「光源氏大将の、如(しく)物もなしと詠じつつ、朧月夜に軻(アコガレ)しは弘徽殿の細殿」
  ※日葡辞書(1603‐04)「ツキ、ハナニ acogaruru(アコガルル)」
  ③ (心がひかれるところから) 気をもむ。気が気でなくなる。
  ※幸若・大織冠(室町末‐近世初)「つはもの御てにすがり海へいれんとす。龍女はいとどあこかれて〈略〉とかきくどく」
  ※めぐりあひ(1888‐89)〈二葉亭四迷訳〉一「此方(こちら)は地を離て沖(あが)る事が出来ず、只徒らにあこがれて両手を延ばすのみ」

とある。まあ、心ここに有らずで琴柱を倒してしまったのだろう。琴など優雅に弾くところから雲居猫とする。
 「見かはす恋」だから牡猫がやってきて目があった時に動揺したのだろう。
 宜雨は「『焦尾琴』に載る作家」に、「幕臣か」とある。


   変恋
 松山と袖こすねこのにらみかな   虎笒

 松山は末の松山で、

 君をおきてあたし心をわが持たば
     末の松山波も越えなむ
              陸奥歌(古今集)

のようにありえないことの喩えとして恋の歌に用いられる。そう誓っておいて心変わりするのも世の常で、百人一首にも、

 契りきなかたみに袖をしぼりつつ
     末の松山波越さじとは
              清原元輔(後拾遺集)

ということにもなる。
 猫もまた松の植えられている山を越えたり、部屋に置いてある衣類の袖を越えたりしてやってきたりするが、雌猫に睨まれたり威嚇されたりして退散する。


   待恋
 夕やみやかもしと見せて仕かけ猫  馬黒

 夕闇の中で付け髪が落ちているのかと思ったら猫だった。「仕かけ」は先に手を出すことを言う。


 梅かえや鼻あたたまる塀の笠    堤亭

 塀の笠は塀の上の笠木のことであろう。猫が塀の上でじっとしていることはよくある。春も早いと寒そうだが、梅の咲いている枝があれば飼い主の目から見れば暖かそうに見える。
 堤亭は「『焦尾琴』に載る作家」に、「下村氏・商か」とある。


   恥恋
 面ふせもおつぼねねこの額白    朝叟

 額白(ひたひしろ)は八割れのことか。顔を伏せると八割れの部分だけが見える。
 「おつぼね」は今の意味とは違い、ここでは狭い部屋にいる猫ということだろう。狭い部屋の並ぶところにいる遊女を「つぼね女郎」と言った。
 朝曳は「『焦尾琴』に載る作家」に、「石内氏」とある。

2021年7月1日木曜日

 最近アルジャジーラで批判的人権理論という言葉を目にするが、ネットで調べてみたら案の定、パヨチンに都合のいいように利用されていた。
 まあ基本的に日本人だからね。アメリカの人種差別の問題よりも、日本でマイノリティーの味方だという顔をしてネトウヨを攻撃してた方がいいんだろうけどね。
 結局去年からBLMデモなんでやっているけど、日本にいると白人人権派の声とその尻馬に乗るパヨチンの声しか聞こえてこない。なかなか当事者の黒人が何を考えているかが伝わってこない。本を読もうにも黒人の著書ってほとんど翻訳されてないんじゃないかな。
 まあでも、多分だけど批判的人権理論は「理論」であるところに限界があると思う。法律学だとか社会学だとか、白人の作った土俵で戦おうとする限りアウェーなのは免れないからね。
 理論であるかぎり、その理論はすぐに白人にパクられて、白人の都合のいいように捻じ曲げられてしまうことだろうよ。そしてその捻じ曲げられたものをパヨチンがどや顔で「白人凄い」それに比べて、ということで日本人劣等民族論にすりかえてしまうんだ。
 実際ロビン・ディアンジェロさんが白人女性を泣かせたときはさぞかし痛快だったんだろうね。あんたはどう見ても黒人には見えないし、やってることは日本のパヨチンと一緒だ。結局アメリカでも白人共産主義者にいいように利用されてしまっているんじゃないかな。
 白人だってルーツは様々で、アングロサクソンだけでなく、アイリッシュ、イタリア系、ドイツ系、ラテン系、東欧系、ロシア系など、本来多様な文化があって、白人同士でも差別はあるはずだ。トランプさんのケチャップが揶揄されていたが、それはドイツ系であることのこだわりで、ハインツさんへのリスペクトではなかったかと思う。
 むしろ多様性を本当の意味で開放するには、白人が悪いのではなく白人が作り上げてきた法システムの問題として考えなくてはいけないんだと思う。
 排他テーゼと人種的特殊性テーゼは日本人も有色人種である限り主張していいと思う。最終的に各民族がそれを主張することで、この世界も多種多様な者の共存する社会にできるのではないかと思う。
 筆者も俳諧を通じて日本の文化が「文学」から排除されてきた歴史を告発しつつ、日本の文化の特殊性を主張していく所存だ。今でもラノベは文学から排除されている。

 それでは「三味線に」の巻が終わり、『葛の松原』の方の続きを少し。

〇俳諧に古人なしといふ事をばせを庵の叟つねになげき申されしか。

 「俳諧に古人なし」は『三冊子』「しろさうし」にも「師も此道に古人なしと云り」とあり、『不玉宛去来論書』にも同様の言葉がある。勿論この『葛の松原』の方が早い。ただ、この言葉は芭蕉の口癖のように他の門人にも言っていたのだろう。
 定家の「和歌に師匠なし」と似ているが、定家の場合は既に人麿赤人や六歌仙や紀貫之など、そうそうたる古人がいた。「師匠」なしというのは直接誰かに倣うのではなく、古人の作品に直接触れてそこから感じ取れということだ。
 芭蕉の場合はそうした手本とすべき過去の偉人がいないという意味で、「なげき申され」とあるように、全部自分で手探りで切り開いていかない困難を述べたものであろう。


〇世の風雅にあそぶ者も月花とさへいへばやさしとはおもふらめとなにがしの卿の我が中ハこもつちこしの一もしりもしりやすらむ逢ふかひもなしとつらね給へるハもしりやすらむといふ七文字にて歌にはなり侍しと覚えしか。老杜ハ児ヲ呼テ煮魚ヲ問ともいへり。古人の語意を用る事一字半言もたやすからず。いかにおもしろきとて辞いやしく姿もくだくだ敷いひ出たらむハ貴人公子に寵せらるる辨利のもののたぐへなるべし。

 風雅に遊ぶは俳諧の徒のことだろう。月花さえ詠めば優雅になると思っている節がある。

 我が中ハこもつちこしの一もしり
     もしりやすらむ逢ふかひもなし

 この歌は「我が中ハ」と「逢ふかひもなし」で恋の歌のようだが、その間の「こもつちこしの一もしりもしりやすらむ」が意味不明。「一もしり」は「人も知り」か。あるいは意味のない歌でも上句の「ひともしり」に掛けて「もしりやすらむ」と下句をつなげば、いかにも和歌のように見えるということか。何の意味もなくても優雅そうな言葉を連ねれば和歌になると思うようなもの、ということか。
 「老杜ハ児ヲ呼テ煮魚ヲ問」は、

   過客相尋  杜甫
 窮老眞無事 江山已定居
 地幽忘盥櫛 客至罷琴書
 掛壁移筐果 呼兒問煮魚
 時聞繋舟楫 及此問吾廬

の詩で、「児ヲ呼テ煮魚ヲ問」は日常卑近な題材だが立派な漢詩になるように、風雅は題材や言葉が奇麗かどうかの問題ではなく、心の問題だということだろう。
 日常卑近の面白い題材でも風雅の心がなければ、ただ弁利(言葉が巧み)というだけにすぎない。


〇晋子も鉄砲といふ名のいひ難しとて千々にこころはくだきけるや。おなじ集に品かはるといふ怠の論は微細のところかくぞ心をとどめけむ。殊勝の心ざしいとうらやまし。晋子が語路おほむね酒盃に渡れりといふ人あるに宋ノ泊宅編にハ白氏が二千八百言飲酒の詩九百首なりと答へ侍るといへど晋子が性人にまぎれぬは楽天か。飲酒はなをかぎり有けれとて用の事かたづけ侍りぬ。

 晋子の鉄砲は『雑談集』(元禄五年刊)にある。

 「鉄砲と云ふ名のをかしければ句作に成りがたくて能く前句にも付け分ずして案ずるに大巓和尚の百題詩に 人間辜負非猿境。辛苦管中多少涙。と作られたり。是れは伊豆の山にて猟師の猿をみつけて鉄砲を取上げたるに哀猿断腸の聲を出して叫びたるを即興の詩なるよし仰せられけり。辛苦管といへば則ち鉄砲ときこゆるにや。俳諧にてはかかる自由には手のとどくべからず思はれ侍る也。又かしは餅と云ふ名の面白からねば之を十七字にゆるめていかにとて初懐紙
 餅作るならの広葉をうち合せ
とこれほどには句作りぬれども鉄砲と云ひてよき句作には及ぶまじくや。されば句ほど作りよくて捌けにくきものはなし。定家卿のうす花櫻などいへるためしもありがたくこそ侍れ。」

 なお、鉄砲を詠んだ発句は元禄三年刊珍碩編の『ひさご』に、

   城下
 鐵砲の遠音に曇る卯月哉     野徑

の句がある。この巻の二十八句目には、

   から風の大岡寺繩手吹透し
 蟲のこはるに用叶へたき     乙州

の句があり、『梟日記』の徳山のところで、

 「かゝる事はその道々の宗匠の格式をたてゝ、無理を云やうにおもふらめど、その場その場の物のかなへる本情は、何の俳諧に無法あらん。富士參に雪隱を案じ、芳野ゝ奥に鰒汁の相談をして、是はめづらしき名所のよせ物などいへるは、世の雜談俚語といふべし。」

の「富士參に雪隱を案じ」ではないが、伊勢参りの雪隠を案じる句なので、暗にこの一巻を非難しているのかもしれない。
 なお、いつ頃の句かわからないが、其角には、

 鉄砲のそれとひびくやふぐと汁  其角(五元集拾遺)

の句がある。フグのことを鉄砲と呼ぶのはこの句に起源があるのかもしれない。
 「餅作る」の句は「日の春を」の巻五十九句目。

   親と碁をうつ昼のつれづれ
 餅作る奈良の広葉を打合セ    枳風

 「おなじ集に品かはるといふ怠の論」は同じ『雑談集』で、

 「去る比品かはる恋といふ句に
 百夜が中に雪の少将
といふ句を付けて忍の字の心をふかく取りたるよと自讃申しけるに猿蓑の歌仙に品かはりたる恋をしてといふ句に
 うき世のはては皆小町なり
と翁の句聞えければ此句の鈷やう作の外をはなれて日々の変にかけ時の間の人情にうつりてしかも翁の衰病につかはれし境界にかなへる所誠おろそかならず。少将といへる句は予が血気に合ぬれば句のふりもさかしく聞え侍るにや。此口癖いかに愈しぬべき。」

とある。
 「少将」は小町の所に百夜通いをした「深草の少将」のことで、百夜通えばその中には雪の日もあっただろうということか。芭蕉が年老いていった小町の末路に思いを馳せるのに対し、其角は小町の元に通う少将の方へ目が行ってしまった。まあ、其角らしいというところか。
 其角の句は酒の句が多いというが、宋の『泊宅編』巻一には、

 「韓退之多悲,詩三百六十,言哭泣者三十首。白樂天多樂,詩二千八百,言飲酒者九百首。」

とある。


〇風雅の片はしを心得たるものたまたま名家の一まきを見て始終の変作をかへりみず。此句ハおかしからずその句ハ味なしなどいふめれど一まきをつらぬる事あながちに一句の上を不論。一たびハ雨となし一たびハ雲となして中品の眼をとどめむ事をおそる。轉換変化角のごとし誰か情實の中にあそばむ。

 俳諧のことを生半可にかじった人は、名作と呼ばれる一巻を見ても、その一句一句の展開を見ずに、目に留まった句だけを拾い出してこの句は良いがこの句は駄目など言う傾向にある。まあ、連歌の時代の集も付け合いだけを切り離して載せたりしていたし、初期の俳諧もそういったものが多かった。
 例えていえばサッカーの名ゴール集だけ見て、そのゴールに至るまでの試合の流れを見ないということだ。確かにある程度戦術やフォーメーションの知識がないと、試合の流れは俄ファンにはわかりにくい。でもそれが分かった時、本当のサッカーの面白さがわかるというものだ。
 連歌も俳諧も本当の面白さというのは、発句から順番に読んでいって、この次にどういう句が来るのかわくわくしながら読むところにある。俳諧も筋書きのないドラマだ。筆者もその面白さが伝わるように努力したい。


〇この比一般の才人おそろしき詞をこのみ針灸秘訣の諺をめづらしといひ出たるにしらぬものはしらずしるものはいかにあさましとはおもふらめ。たとへば田舎人の卒塔婆を橋に渡せるがごとし。なき人の罪障懺悔なればその理はあしからねどふむ人うれしとやはおもふ唐の李之藩は夜深枕髑髏といふ句をさへ後には削り侍りしとかや。

 針灸秘訣の諺を詠んだ句があったのだろう。どういう句かわからない。一見何でもなさそうで裏の意味がわかると「あさまし」ということなのか。


〇いささかなる事にも心をとどめねばあやしきにや。人夜半にふして火をも消し隣もしづまりけれどなほ寝いらで居るときおのれが眼をひらきぬるや閉ぬるやといふをしらず。これらはむづかしき事ならねど心つきなき故なり。春草秋鳥の名字をも旅したる人にききつたへ訓蒙図彙にて見しりたらむ。いかばかりおぼつかなし小なきさいたつまといふ物をうれしく聞侍るとある人は仰せられしぞかし。

 『訓蒙図彙』はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「訓蒙図彙」の解説」に、

 「江戸前期の事典。二〇巻一四冊。中村惕斎(てきさい)編。寛文六年(一六六六)刊。明の王圻(おうき)編「三才図会」などにならった、わが国初の挿絵入り百科事典。また、その後に追随して出た専門分野別の同種の事典の総称としても用いられる。」

とある。
 旅するなかで見かけた草花や鳥も、こういったもので調べることを勧めている。確かに、物の名では夏に鶴を詠んだり、鶴が松の木に巣をかけたりというのはコウノトリとの混同によるものだし、俳諧は当時の世間の平均的な認識に基づくもので、本草を学ぶことが要求されていたわけではなかった。
 「小なきさいたつま」は、

 春日野にまだうら若きさいたづま
     妻籠るともいふ人やなき
              藤原実氏(玉葉集)

であろう。妻を導き出すために用いられているが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「さいたづま」の解説」に、

 「① 植物「いたどり(虎杖)」の異名。また、一般に、春もえでた若草をいうとも。《季・春》
  ※後拾遺(1086)春下・一四九「野べ見れば彌生の月のはつるまでまだうら若きさいたづま哉〈藤原義孝〉」
  ② 「さいたづまいろ(━色)」の略。」

とある。こういうことも「訓蒙図彙」で調べろということか。


〇いづれの年の夏ならむみな月はふくへうやみの暑かなといふ句を人の得しらざりけむは源氏のまきまきに心をとどめねばさも有るべし。山路に菫とつづけ申されしをある人おぼつかなしと難じけるは有房卿のはこねやま薄むらさきのつぼすみれといへる歌を不幸にして見ざりけむ人の心こそおぼつかなけれ。たまたまの旅にもあらぬまでに酒のみ馬上にはねぶり行らむ。いとあさまし。

 水無月は腹病やみの暑さかな   芭蕉

の句は元禄四年刊琴風編の『俳諧瓜作』所収。暑い時期は食中毒になりやすいので、水無月の腹病やみは「あるある」だが、支考はそこに『源氏物語』空蝉巻の源氏の君が空蝉の家を出て行く場面の俤を見出したのだろう。

 山路きて何やらゆかしすみれ草  芭蕉

の句は貞享二年春の句で、今日でも有名だが、『野ざらし紀行』はまだ刊行されてなかったので、どのような形でこの句が広まっていったかは気になる。
 とにかくこの句は結構有名になっていたから、それを聞いた誰かが「山路に菫は詠まない」と難じたのだろう。
 『去来抄』「同門評」にも同様に記述があり、そこでは湖春となっている。

 「湖春曰、菫ハ山によまず。芭蕉翁俳諧に巧なりと云へども、歌学なきの過也。去来曰、山路に菫をよミたる證歌多し。湖春ハ地下の歌道者也。いかでかくハ難じられけん、おぼつかなし。」(岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.30~31)

 湖春はウィキペディアに、

 「北村 湖春(きたむら こしゅん、慶安3年(1650年) - 元禄10年1月15日(1697年2月6日))は、江戸時代前期から中期にかけての歌人・俳人、北村季吟の子。名は季順。」

とある。季吟とともに俳諧の方では貞門に属し、寛文七年に『続山の井』を編纂し、ここではまだ伊賀にいた頃の宗房の発句を二十八句入集させている。その意味では芭蕉の恩人とも言えよう。
 多分延宝の頃の談林の大流行の波に流され、俳諧の方で目立った活動はしてなかったのだろう。
 貞門の俳諧は俗語を交えてはいても、本来は正しい雅語を学ぶためのもので、語の取り合わせに関しても證歌を引いて、この用法が正しいことを証明する必要があった。
 鬼貫の『ひとりごと』には、貞門の松江重頼と談林の祖の宗因の同座する席のことが記されている。

 「いにしへは名所などに、物をもて付る句は、古歌にても、古事にても、慥ならん證據なき句は、付させ侍らず。某はまた廿にも見たざる比、先師松江の翁と、梅花翁と列座の會に出て、
 ちよと見には近きも遠し吉野山
といふ前句に、
 腰にふくべをさげてぶらぶら
と付侍りければ、吉野山にふくべ、其故有事にやと、師のとがめにあひける程に、當惑して先御前句といへど、句前もとほく侍る間、付べきやうあらば、その儘付よとひたすら申されけるほどに卒爾の事をいひ出けんと、一座の人のおもへるところも面目なくて、
 見よし野の花の盛をさねとひて
     ひさごたづさへ道たどりゆく
といふ古歌にすがりて付侍りきと、當座の作意をもて此歌を拵て答ければ、めづらしく候、これは何にある歌にやと、尋ねられける程に、たしか万葉か、夫木にて見候といひければ、やがて執筆に書せられける。いかなれば師の心をかすめ、かく偽りをもてもたいなくも、懐紙をけがしたる咎、かへすがへすも道にそむきし事、今はたおそろしくぞ侍る。其外俳諧を只かろき事に、おもひなしたるうちの句など、ひとつひとつかぞへ出さば、無量のあやまりも侍らん。」

 談林の流行期から次第に俳諧が雅語を学習ための入門編の役割を失い、俗語の俳諧として独立していったあとでも、やはり貞門系の人たちからのこういう指摘は続いていたのだろう。
 蕉門では既にこうした證歌をとる習慣を終わらせたのだから、これは雅語の連歌ではなく俗語の俳諧なんだと主張しても良い所だったのだろう。ただ、去来の支考もそこまで過激に突っ張る強さはなかったのだろう。「はこねやま薄むらさきのつぼすみれ」の歌があるから、雅語としても間違ってないと反論する。
 これは、

 箱根山うすむらさきのつぼすみれ
    ふたしほみしほ誰かそめけむ
             大江匡房(堀河百首、夫木抄)

の歌であろう。有房卿は支考の記憶違いであろう。また、山路に菫を詠む證歌はこの他に多数あるということではない。
 なお、『夫木和歌抄』に収録された和歌はウィキペディアによると17,387首で、さすがにどんな歌学の大家でもこれを全部覚えている人はいないだろう。
 去来・支考という高弟でも貞門からのこうした批判に対し、相手の主張に譲歩したような反論をするあたり、権威に対する弱さの裏返しではないかと思う。結果的に自らの和歌の知識のなさを暴露してしまっている。
 支考が後に『続五論』や『俳諧十論』を書いたのも、こうした歌学の権威に対しての虚勢だったのかもしれない。
 支考は後に「俳魔」と呼ばれ、渡辺崋山に魔王のような肖像画を描かれてしまっているが、本当は茄子顔の気弱な人間だったのではないかと思う。