2023年1月14日土曜日

 今日は近所の河原のどんど焼きを見に行った。
 道祖神の祭りで、秦野には道祖神塔がたくさんあって、道祖神塔の所に正月飾りが積んであったりした。
 竹竿の先に三色の団子を下げて火に炙って食べる。今年は見るだけだったが、来年はやってみよう。

 それでは経哲草稿の続き。
 この頃ちょっと風流から離れているけど、もう少ししたら戻ろうと思う。

 「こうして資本家のあいだの競争が激しくなり、資本の集中度が高まり、大資本家が小資本家を滅ぼし、以前資本家だったものの一部が労働者の階級に転落する。ために労働の供給が高まり、またしても賃金が引き下げられるとともに、労働者は少数の大資本家にますます依存することになる。」

 経哲草稿のマルクスは労働者がどこからきたのかという問題を完全に忘れているように思える。
 資本家同士の競争に敗れた者が労働者に転落するにしても、それが労働市場に影響を与えるほどのものなのか。
 労働者は農村から絶えず供給されていたはずだ。家督を継げない次男三男以下は、かつては日本なら乞食坊主、西洋ではよくわからないが、当然早かれ遅かれ野垂れ死ぬ運命だっただろう。
 それが資本主義によって雇用が生まれ、かろうじて生きながらえる手段を持つに至った。その両面があったはずだ。
 驚くべきなのは、その時点で既にブルジョワと同等の権利を要求していることではなかったか。
 貧困は人口増加によって自然に生じている。有限な大地で全ての人は生きられないから、そこで命に序列を付けていた。
 マルクス主義者が人口論を真っ向から否定するのは、それが最大の弱点だからに他ならない。
 そして人口学の視点を欠いた革命理論は飢餓と粛清の大地に逆戻りさせた。
 フランスの人権宣言は確かに理想だった。それは後に爆発的な経済成長と少子化で現実となったが、当時のそれは何をもたらしたかというと、ナポレオンの侵略戦争だった。
 この当時ではフランス人権宣言は遥か未来の希望に過ぎなかったはずだ。何かマルクスの文章を読んでいると、それを文字通りのものと捉えて現実を全く度外視した、それこそ「空想的社会主義」ではなかったかと思う。
 それは人の良心に訴えるには心地良いが、実行に移したらとんでもないことになるなる、そういう類のものだった。
 マルクスが科学的社会主義を目指したことで、こうした当時のトンデモ本とは違うと言いたかったのだろう。ただ、それをやるにはまだ当時の科学は未熟で、結局は古典経済学とヘーゲル哲学を頼るしかなかった。それが経哲草稿だったのではなかったか。
 その一つが、せっかく市場原理が需要と供給の関係で生じることを見出しておきながら、資本論を書くときには古典経済学の重力に沈んでいったのではなかったか。

2023年1月13日金曜日

 マルクスの『経済学・哲学草稿』(略して「経哲草稿」と呼ばれる)の「一、賃金」の冒頭はこのように始まる。テキストは光文社古典新訳文庫の電子版を使用。

 「賃金は、資本家と労働者の敵対する闘争によって決まってくる。」

 近代経済学なら「資本家の側の労働需要と労働力の供給の関係によって決まってくる」とするところだろう。
 微妙な違いだが、決定的に異なるのは、資本家と労働者との間の流動性がなく、完全に相容れることのない階級として認識されていることと、労働力の供給に人口学の視点を入れる余地がない所であろう。

 「資本家の勝利は動かない。資本家が労働者なしで生きのびられる期間は、労働者が資本家なしで生きのびられる期間より長いからだ。」

 これは初期資本主義の段階では資本家が原始的蓄積として一定の蓄えを持っていることが前提される。
 資本家が自己資本がなく完全に借金によって投資をしていて、なおかつ労働者の側に多少なりとも蓄えがある現代の労働者ならこの限りではない。
 また、資本主義の初期の段階で資本家の勝利は人口学的にも説明できる。つまり多産多死社会では常に労働力は供給過剰になるからだ。
 農村からは田畑を相続できない二男三男以下が皆労働力となって絶えず都市の工業地帯へ供給される。
 前近代社会ではこうした人たちは宗教によって救済された。とは言っても全員というわけにはいかない。宗教団体が寄付を集めてそれで行き場のない人たちの生活の面倒を見るにしても、自ずと限界がある。
 基本的には貴族や武家の子弟を優先させ、その下に無数の乞食坊主がいることになる。
 下層の宗教者は托鉢や角付け芸などで生計を立てたとしても、全員を救うだけの余裕はなく、多くは「野ざらし」になる。それが前近代社会だった。
 少しづつ商工業が発展して来れば、ある程度の人間がそこで雇用されるようになる。ただ、増え続ける人口に労働需要は追いつかないから、やはり多くは「野ざらし」ということになる。
 戦争というのもある程度は余剰人口の整理に役に立ったかもしれない。あるいは偶発的に流行する疫病も余剰人口を一気に消し去ったかもしれない。ただそれは一時的なものにすぎない。人口増加の圧力はこうした悲劇をも超えて人口を増やし続ける。
 基本的に下層階級の食いつめ者がどんなに悲惨な運命をたどろうが、下層階級の人口は増え続ける。だから人口が増えているからと言って差別や虐待が存在しなかったことの証拠にはならない。
 全体の経済が多少なりとも成長していれば、土地あたりの生存可能な人口、つまり定員が増えるため、人口は増加する。
 資本家が労働者なしに生きのびられる期間は原始的蓄積の多い少ないに依存する。
 これに対し労働者が資本家なしに生き延びられる期間は、どれだけ人脈を持っていて他人の世話になりながら生きられるかにかかっている。そのため労働者は常に恩義によって互いに縛り付け合い、互いに抑制し合ってぎりぎりの生活に縛り付けている。
 少しでも金が入ったら気前よく仲間に奢り、金がなくなったらその時の恩を返してもらおうとすることで、互いに最低限の生活を維持するとともに、そこから抜け出すことを許さない。
 そして飢える時はこうした相互依存の集団ごと飢えてゆくことになるが、大抵はその前に互いに気が立ってきて、喧嘩などで負けたら排除され、野垂れ死ぬ方が多いだろう。
 もちろん人口増加の圧力は資本家とて例外ではない。貧乏人の子沢山とは言うが、資本家だってそこそこ子沢山だった場合、必ず家督争いが生じる。あるいは日本ならお寺に、西洋なら修道院に放り込まれる。そこで居場所があればいいが、なければ労働者に転落する。こうして資本家の人口増加圧もまた労働者が引き受けることになる。

 「労働者にとっては、資本と土地所有と労働が切り離されていることが致命的なのだ。」

 土地所有に関しては、日本でも西洋でもかつては自由に売買できるものではなかった。
 土地は天下の物であり、その配分は王や領主の権限だった。日本の江戸時代でも庶民が売買できるのは間口などの借地権だった。
 王や領主の配分する所領としての土地所有と、町人の土地所有は同じものではなかった。
 資本家が元領主であれば、領内の土地を自由に使うことができただろう。これに対し町人から成りあがるには広い間口を確保する必要があった。間口の権利は商人同士で売買される。芭蕉の時代の江戸鍛治屋橋は、

 実や月間口千金の通り町  芭蕉

だった。
 日本の場合だが、最初は振り売りから初めて、若干大きな屋台を担ぎ(江戸時代の屋台は車輪がなくて担ぐものだった)、そこである程度の蓄積ができればいつかは小さな間口を買ってという道もあったかもしれない。
 ただ、蓄積というのが容易でないのは、結局下層階級は相互依存で失業に保険を掛けているため、なまじ稼ぐと、失業した仲間に配分しなくてはならない。そこを突き抜けるほど稼がないとチャンスはないと言って良いだろう。
 ヨーロッパの土地取引について詳しいことは分らないから、領主でないブルジョワがどのように土地を所有してたのかはその方面の専門家に任せることにする。

 「賃金を決定する際の、これだけは外せない最低限の基準は、労働期間中の労働者の生活が維持できることと、労働者が家族を扶養でき、労働者という種族が死に絶えないこととに置かれる。通常の賃金は、アダム・スミスによれば、ただの人間として生きていくこと、つまり、家畜なみの生存に見合う最低線に抑えられている。」

 ここで労働価値説を思い出せばいい。労働価値説は労働者の平均的な生活がベースになり、様々な産業で労働者や商人が同じレベルの生活になるように相互抑制されることによって成立する。ただ、相互抑制は相対的に突出したものを「出る杭を打つ」ことによって維持されるもので、全体のレベルが向上することもあれば低下することもあるが、それにもかかわらず平均レベルがベースになる。
 今日のような豊かな社会の平均的労働者の生活は十九世紀の労働者の生活と雲泥の差があったとしても、労働価値説においては等価になる。
 多産多死の絶えず余剰人口が流入して慢性的に労働力の供給過剰に陥っている社会では、当然のことながら「家畜なみ」になる。そこが労働価値説のベースになる。

 「人間への需要が人間の生産をきびしく規制するのは、あらゆる商品の場合と変わらない。供給が需要を大きく上まわれば、労働者の一部は乞食や餓死へと追い込まれる。労働者が生存できるかどうかは、あらゆる商品が存在できるかどうかと同じ条件下にある。」

 ここでマルクスは労働相場も商品相場も需要と供給の関係で捉えていたことがわかる。

 「労働者は一個の商品となっているので、自分を売りつけることができれば運がいいといえる。そして、労働者の生活を左右する需要は、金持や資本家の気まぐれに左右される。」

 この「気まぐれ」はどうかと思う。実際は労働相場とそれによる生産物の商品相場とを秤にかけて、利益が出る範囲で投資するもので、「気まぐれ」でやっていたんでは資本家も破産すると思う。

2023年1月11日水曜日

 不平等に対して人間は羨望と嫉妬という相矛盾する感情を抱く。
 冷たい社会は嫉妬が勝利することで羨望のない社会を作り上げるが、熱い社会は羨望を解放して嫉妬の抑制を要求する。
 労働価値説は万人が等しく同じ生活レベルになるように調整されるという前提の理論だが、資本益はここから抜け出し突出することによって得られる。果たしてそれは搾取だったのだろうか。
 灌漑農業はそれを主導し管理する新たな階級を生み出し、王侯貴族を誕生させる。
 だがそれによって一般人は貧しくなったのだろうか。
 灌漑農業は王侯貴族を裕福にしただけで今までなかった貧困を生み出したのだろうか。
 ここで思い出さなくてはならない。労働価値説は労働者の平均的な生活水準を基本とした相対的な指標だったことを。
 灌漑農業が生み出したのは相対的貧困であって、絶対的な貧困ではなかった。
 そして近代資本主義もまた同様であると。
 労働価値説は労働者の生活を均等化に向かわせる嫉妬の原理であり、互いに羨望の湧かないれことを基礎として「等価」と見做しているにすぎない。
 これに対して資本益は絶対的な豊かさを基礎とする。
 近代全体を通じて労働による利益を資本益が上回るとしたら、それはいかに相対的に労働者が貧しくなっているように見えても、社会全体が豊かになっていることの証明ではないのか。ピケティの「利益率(r)> 成長率(g)」はそう読み取れるのではないのか。
 資本の価値は労働時間にも労働者一人当たり必要な生活物資にも拘束されない。資本の価値は生産性をどれほど高めるかによって決定される。
 生産性を高めれば生活に必要な物資が増える(つまりより贅沢な社会になる)か労働時間を減らすかになる。
 だが、労働価値説に基づく限り、前者はいかに物が増えてもその価値は一定であるため、物資の価値が相対的に下落することになる。後者だと減少した労働時間とともにやはり生産物の価値は下落することになる。
 現実の価値は労働時間によって決定されてはいない。労働価値説は生活水準を相互に抑制して平等に保とうとする中にしか存在できない。
 嫉妬による相互抑制から羨望を解放した社会では、結局のところ羨望が新たな価値になる。そこに古典経済学から便宜的に退けられていた希少価値や精神的価値が経済の重要な要素になって行く。
 これは歴史的には新しいかもしれない。大衆の生活がエレクトリゼーションとモータリゼーションによって大きく変わり始めたのは、アメリカでも1920年代、日本では戦後のことだった。
 ただ、その萌芽は産業革命の頃には既に始まっていた。いわゆるブルジョワの間でそれは既に始まり、労働者は羨望と嫉妬のはざまに立たされ、結局西ヨーロッパとアメリカでは革命は起こらなかった。それは羨望が嫉妬に打ち勝ったと言って良い。革命は羨望の対象が手の届くところになかった社会で起きた。

2023年1月10日火曜日

 仁藤夢乃さんのウィキペディアを読んだだけの印象だが、不幸な生い立ちでもメイド喫茶の仕事して頑張っていたところを変な宗教団体に捕まって、手駒として活動しているうちにメイド喫茶時代の記憶まで改変させられてしまったのかな。
 キリスト教は欧米では右翼だが、日本では共産主義とコラボしている。闇が深い。

 非暴力による戦争抑制システムは、結局国際世論そのものが分断されている状況では不可能というのがわかった。
 それがウクライナ戦争で得た最大の教訓かもしれない。
 非暴力で戦争を抑止することはできない。なぜなら戦争は非暴力な人達の分断の反映にすぎないからだ。
 戦争をなくすには分断そのものを解消しなくてはいけないが、これほど難しいことはない。どんな小さなことでも必ずアンチはいるもんだ。


 灌漑農業は最初の資本主義とも言える。
 それは一定の河川の流域を占領することによって可能になり、そこの支配者がそれまでいた農民を小作化して、それを指揮することで成立する。そこに相互の取引があるか、完全な強制かで小作か農奴かが分かれる所でもある。
 この場合元本(資本)は占領地であり、農地を実際に耕作する人に配分することが投資となり、その収益からマージンを税として取ることになる。
 そしてこの時に支配者が税として受け取る農産物は灌漑農業の開発、指揮、監督といった労働に対する報酬ではない。それはアダム・スミスの「国富論」の、

 「元本に対する利潤は、監督と指揮という特殊な労働の賃金に対する異なった名称でしかない、と思われるかもしれない。だが、両者はまったく別物であって、まったく異なった原理によって規制されるのであり、したがって利潤は、監督と指揮という想像上の労働の多さ、困難さや創意といったものにはまったく比例しない。元本に対する利潤は、全体として使用された元本の価値によって規制されるから、この元本の量に比例して、大きかったり小さかったりするのである。」

と同じことになる。
 実際ある程度の規模になれば、開発、指揮、監督もまた別に雇うことになるし、領土を他から奪われないための兵士を雇用するする必要も出てくるだろう。
 こうして領土という元本を持つものは王となり、その配下に領主を従え、同時に軍隊をも指揮することになる。後の資本主義と違うのは、資本が金ではなく土地だということで、同一地域に複数の資本家は存在せず、ライバルは隣接する国ということになる。
 一地域に一人の資本家はまさに天に二日なしだ。
 そして資本益は国家の利益であり、王の報酬は労働の報酬とは無関係だし、中間の管理者となる諸侯貴族もまたその国家の利益の分配を所領という形で受け取るので、労働の報酬ではない。
 ただ王侯貴族は全人口からするとほんの一握りであるため、アダム・スミスが諸国民の富を分析する際の労働価値説の僅かな例外ということになる。
この類似は「国富論」にも、

 「どんな国の土地も、一旦それが私有財産になると、他の人々と同様に、たちどころに地主は種を蒔きもしなかった所で収穫することを好み、土地の自然の生産物に対してさえ地代を要求する。森の木、野の草、さらに大地の自然の果実といったものは、土地が共有であった時には、労働者にとって収穫の手間しかかからなかったのに、彼にとってさえ土地生産物に課せられた追加の価格をもちはじめる。」

と記されている。
 地代はここでは労働価値説の外に資本益と同様の意味を持つことになる。
 そしてアダム・スミスはこのようにまとめる。

 「価格を構成するさまざまな部分全体の真実価値は、それぞれの部分が購買、つまり支配できる労働量を基準にして計られる、ということが注意されなければならない。労働は、労働に分解する価格の構成部分の価値を計るだけでなく、地代に分解する構成部分、さらには利潤に分解する構成部分の価値も計るのである。」

2023年1月6日金曜日

 贈与経済においては交換は全人格の取引であり、自分がその集団で生きるのと引き換えに、その集団にしたがうことだった。それは生存の取引と言って良い。
 交換経済になっても基本的にその人の人生は生存の取引によって保障される。ただその集団が食料を生産する村落から交換によって生計を立てる集団に取って代わられるだけだ。
 ただ、交換によって生計を立てる時、もはや職業集団には拘束されても村落には所属しなくて済む。このことによって村落に物やサービスを提供するにしても、その村落に骨をうずめ得る必要はなく、与えた物やサービスに対してのみ対価を得ることになる。ここに初めて交換価値が誕生することになる。
 さて、この契約は労働時間と何らかの関係を持っているだろうか。何によってその価値は定められるのだろうか。
 例えば他所の村の情報の価値は情報収集のための労働と何らかの関係があるだろうか。
 呪術によって病気を治す際、その儀式の時間によって報酬が定められるのだろうか。
 遠くから運んできた黒曜石の矢じりの価値はその製造と運搬の時間によって決まるのだろうか。
 傭兵として戦争に参加した時、その戦闘時間で報酬を貰うのだろうか。
 そうでないとすれば、何がその価格を決めているのだろうか。
 ただ、報酬は売り手が生存できるよりも高いものではなくてはならない。少なくともそれを要求しなくては生きてゆくことができない。
 かといって村落の方でも売りての生存を越えて余りあるようなものを支払う気もしないだろう。その意味では売り手の生活に必要な物資の価値と村落共同体の平均とが等しくなるかもしれない。
 呪術師がたとえ一人の村人の命を救ったにしても、無限にその報酬を手にすることはあるまい。「命の恩人なんだぞ」と言ってみても、贈与の均衡によって成り立つ村落共同体はこうした恩着せがましい態度を死ぬほど嫌うものだ。
 手にするのは、一人の人間の命を救ったんだから、今度は俺たちがあんたの命を救ってやる、ということで今を生きるのに必要最低限なものを差し出せば済むことであろう。
 つまり生産物やサービスの価値は、村落共同体と同水準の生活物資の価値とほぼ等しいと見るなら、確かに村人一人の労働と呪術師の労働は等しいという労働価値説が成り立つかもしれない。
 ならば、職人や商人の供給した道具類が、例えば高性能の弓矢によって仕留める獲物の数が増えたとすれば、多くの物を支払うだろうか。おそらくそうはならない。村の人たちが食ってゆくのにそんなにたくさんの獲物は要らないし、乱獲が獲物の減少を招くことも経験的に知っている。
 つまり良い道具の供給は村人の労働時間を減らすだけで、多くの富をもたらすことはない。ただ、それによって今まで淘汰されるべき人達が飢餓から救われて、人口が増加した際には、生産性の低い部族は生産性の高い部族に制圧されることになる。
 ただ、それでも最終的には全体の生産性がその道具に応じて上がるというだけで、全体の生活水準と職人や商人の生活水準の均衡が保たれる。
 実際には生産性が高まっていても、交換される物の量は増えても、なぜか交換価値は同じように均衡を保っている。絶対的には豊かになっても、相対的には変わらない。ここに交換価値のトリックがある。
 今日でも絶対的貧困と相対的貧困は区別されている。しばしば今の日本で問題になる貧困は、飢餓と隣り合わせの前近代の貧困とは根本的に異なる。それは今の豊かな社会に比べて取り残されている貧困であり、みんなが千円のランチを注文しているのに自分だけ食えないだとか、パソコンを習いたいのにキーボードが買えないといった貧困にすぎない。
 近代社会では豊かになると必ず先に豊かになる人と取り残される人との貧富の差が生じる。この差は例えばマラソンのようなもので、距離が長くなればなるほどトップとビリの差は開いて行く。つまり社会が豊かになればなるほど貧富の差は大きくなり、相対的な貧困が生じる。
 これは技術革新のスピードの速さに関係がある。つまり新技術がもたらす豊かさが最終的な均衡をもたらす前に、さらに新しい技術が生まれる。だから、社会主義者は技術の進歩を止めようとする。しかも彼らはせっかちで、均衡がもたらわれる前に革命によって極度の中央集権体制を作り上げて、強制的に富みの分配を行おうと企てた。これでは今ある技術すらも失われ、飢餓と粛清の嵐を生む。
 土地あたりの生産性向上のもっとも画期的な事件は農耕と牧畜の誕生だった。
 それまでの狩猟採集の生活は、基本的に野生動植物の数に依存するもので、野生動植物がと旧生態系に拘束されて一定以上増えない以上、土地あたりの生産量は限られていた。弓矢が進歩して狩りの効率が上がったとしても、楽に獲物が獲れるようになっただけで、養える人数は限定される。だからただいち早く新しい技術を取り入れた部族が、そうでない部族に取って代わるだけのことで、総人口を増やすことはできなかった。
 農耕と牧畜は限られた土地で自然に存在する以上の収穫を上げる。これによって養える人口も飛躍的に増えることになる。この増加分でもって農具を作る専門の職人を養うことができる。
 そして、それが灌漑農法になった時、さらに土地あたりの生産高は飛躍的に向上する。これによって感慨に必要な道具をや職人、専門家を養うことが可能になる。こうして村落共同体に属さない人たちの数が次第に膨れ上がってくると、最終的に彼らによって村落が占領され支配されるという状態が生じる。ここに小国家が誕生することになる。
 ここで支配者階級と一般の村民との明確な不平等が生まれることになる。
 何もなかった狩猟のフィールドに線を引いても私物化することはできなかったが、灌漑によって作られた人工的な農地なら私物化も可能だった。
 灌漑は特殊な技術と知識が必要で、一般の農民がそれを持ってないなら、もはや彼らを追払うことはできない。追払えば元の焼畑の生産性に逆戻りして、今の膨れ上がった人口を養えなくなり、飢餓と粛清ということになる。近代社会でも革命を起こして技術者や専門家を追放すれば同じことになる。
 さて、こういう状態になった時、交換価値は変化する。支配者階級は農民の生殺与奪権を握ることになる。つまり自分たちがいなければお前らは飢餓に陥ることになると脅すことができる。そこで支配者階級に必要な物資と一般人に必要な物質は一致する必要がなくなる。
 ただ、支配者階級はごく少数であり、そのため支配者階級を例外とするなら、一人の生活に必要な物資の価値が商人の売る物資の価値と等しくなり、労働価値説が成立することになる。これはアダム・スミスの時代にも有効だった。
 ただ、これは階級の存在及び地域格差などを度外視している。交換価値はその地域の生活水準によって変動するものであり、全世界に均質な交換価値が存在しているわけではない。
 豊かな地域では豊かな生活をする労働者の消費する生活物資の価値が基準になり、貧しい地域では貧しい労働者の消費する生活物資の価値が基準になる。労働価値は絶対的な尺度ではなく、あくまで相対的な尺度にすぎない。だからこそ支配者階級の生活レベルを無視できる。
 結局は生産性が上がっても労働価値は相対的なため、その豊かさを反映することができない。
 労働価値は生産物の絶対的価値ではなく、あくまでもその社会の平均によって決まるため、いくら社会が豊かになっても労働価値が増えることはない。これが労働価値説の一番重大な罠(トリック)だ。
 生産性の向上が自然発生的にあらゆるところに等しく起きるなら、最終的に全員が豊かでなおかつ平等な社会が実現できる、という幻想をもたらす。これが科学的社会主義のトリックではないかと思う。
 だが実際は生産性を向上させる様々な発明は勝手に起こるものではないし、どこでも起こるものでもない。起きたとしても狩猟採集の時代の打製石器から磨製石器に移行したような、極めて緩慢なペースでしか起こらない。

2023年1月5日木曜日

 最初に交換によって生計を立てる人のことは、さすがに人類学のフィールドワークには引っかからない。既に呪術師として生活している人は観察することができるが。だから、最初の呪術師はどうしたって想像の域を出ない。
 たとえば今日でも自分の書いた絵や小説や詩、自分の作った音楽、自分たちの劇団などで「飯を食う」ということがいかに大変なことかはよくわかると思う。
 なら最初の呪術師や芸能を思いついた人が、それだけで生計を立てるということがいかに困難なことかは想像に難くない。
 今日の喩えで言うなら、普通にサラリーマンをやっていて売れるようになったらやめる、というのが普通なように、最初の呪術師は普通に村の中にいて、ただ特殊なパラメータを持つ人と考えるのが良いだろう。
 ただ、特殊であるが故に村の中での生存権の優先順位が低く、何かのはずみで追い出される率は高くなる。
 追い出されたら他の村に行って、何とかそこの一員になろうとする。それを繰り返しているうちに、いつの間にか一つの村に長く居付くこともなく、転々と旅をして暮らす呪術師が出来上がることになる。
 たとえば村の中で弓矢を作るのがうますぎて、それを鼻に掛けて自慢して追放になった者がいたとしよう。仕方なく他の村に住みつこうとするがうまく行かず、転々とする。そこでようやく旅の弓職人が誕生することになる。
 芸能にしても同じだろう。狩りの名手でもそれを自慢する奴はやはり追い出されかねない。
 村人の多くは村の中のすべての仕事を一通りこなして、ローテーションでもって誰も突出しないように気遣いながら生活しているが、片寄った特異なパラメータ、ゲーム用語でいうなら何か一つに「極振り」したような人間にとっては、完全平等社会はどうしようもなく住みにくい。
 弓矢の腕に特化した人間は、あるいは隣の村との戦争で役に立つというので呼ばれることもあるかもしれない。こうした助っ人をしながら幾つの村を転々としていれば、それが最初の武士なのかもしれない。
 ただ、初期の段階では独立した集団を構成するのではなく、ただ村を転々としているだけの流れ者で、村にいる時はその村の一員としてその村の平等原理に従って謙虚に生きることを強いられることになる。
 この場合の取引は極めて単純であり、村の一員になるために村の掟に従って贈与経済の一員になるというだけのことで、ここではまだ商取引といえるようなものはなく、交換価値は生じない。

 職人の場合、ある場所に留まらないと良い仕事ができないことがある。例えば黒曜石を使った矢じりは黒曜石が採れるところにいなくてはならないが、それを売り歩くには広範囲を旅しなくてはならない。
 あるいは土器もまた土の良し悪しが関係する。良い土器を生産するには良い土のある所に住み、それをまた広範囲に売り歩くには旅をする必要がある。
 こうした職業は日本の縄文時代には既に成立していたと思われる。そして、こうして開かれた販売ルートはその後の様々な種類の職人・芸能と呼ばれる人たちに引き継がれ、やがては小国家さらには朝廷を立てるだけの大きな勢力になって行ったのだろう。
 これは奇跡とも言える。
 村では既に矢じりや土器は生産されていて、特に専門の作り手もいなかった。それでいてその村の人たちが食って行く分はかろうじて確保できていた。もちろん、土器がないからと言ってその日の食事に困ることもなかった。ならば、なぜあえて「外注」を選択したのだろうか。
 交易には付加価値があったからではないか。
 どの村でも人口増加の圧力が働いているなら、常に隣の村との戦争状態にある。それが互いに滅ぼすようなものではなく、時折儀礼的な戦争で何人かの若者が「間引かれる」程度のものであっても、少しでも自分の村の犠牲を減らすには周辺の村の情報が欲しい。
 あちこちの村を渡り歩く職人・芸能の人達は、同時に近隣の村の情報をもたらしてくれる。原始時代だけだなく、中世の連歌師も同じような役割を果たしていた。
 完全平等社会と言ってもそれは血縁に支えられた集団であり、どこの馬の骨とも知れぬ人間が集まってできた「地球人(アーシアン)」の集まりではない。
 となると、隣の別の血縁の人達とは、一方では婚姻によって緊密な姻戚関係を結びながらも、狩場を廻ってのライバルにもなる。ここで完全平等原理は機能しなくなり、かならず自らの血縁優先を優先する。こうして必然的に血縁によって結ばれた部族社会へと発展してゆくことになる。
 部族社会であれば、自分の部族に有利になる情報は価値があるため、呪術師(職人・芸能などの未分化な集団)に高く値を付けるようになる。元から地の利が良くて高い生産力を持つ集団が、こうした技術や芸能に競って高い値を付けてゆけば、それが買えない部族は弱体化し、戦争に敗れて消滅してゆく。
 ここで初めて、技術を買うことで生産性を伸ばし、それを更なる技術の購入資金にするという循環が生まれる。原始的な拡大再生産が誕生するわけだ。
 冷たい社会はこの原始的拡大再生産への移行が抑えられた社会であり、抑えきらなくなった地域は熱い社会へと移行してゆくことになる。その差は人口増加圧によるものであることは想像がつく。人口増加圧の強い豊かな地域では、血縁はやがて部族化し、部族対立の激化から多少の不平等を容認してでも技術革新と生産性の向上を目指さざるを得なくなる。
 完全な共産主義を夢見るなら、この時点にまで歴史を逆戻りさせることになるだろう。
 これまですべての生産が村の内部で完結してきた社会で、外注を選択するいくつかの集団が現れれば、職人・芸能などを含む呪術師集団は、特定の村落に属することなく、独立した集団として成立し、交換によって生計を立てる最初の人間となる。
 最初のその誕生は奇跡とも言える確率だったかもしれない。ただ、一度それが起きてしまうと逆戻りはできなかった。外注の技術によって得られた生産性の向上を再び元に戻すことは、そのまま膨れ上がった集団を元に戻すことになるからだ。
 生産性を元の低い状態に戻せば養える人口も減る。つまり飢餓と粛清という二十世紀で起きたのと同じことが、小規模ながらも起こることになる。それが嫌ならこのまま突き進んで、周辺の他の部族を圧倒するしかなかった。

 こうして世界のあちこちに新技術に基づく生産性の革命が起き、やがて国家が誕生するに至る。特に重要な新技術は農耕と牧畜だった。

2023年1月4日水曜日

 さあ、年も改まったということで、ことしは去年の続きからまず始めてみよう。
 去年は交換価値というのが、十八世紀、十九世紀の時点での資料の豊富さと人口の大半が食うだけでやっとの生活をしていることから、かなり便宜的に用いられた仮説だというのがわかった。
 いわゆるマルクス主義はその労働価値説を仮説としてではなく形而上学的な命題として原理主義化してしまったため、結局すべての人民を食うだけのやっとの生活に縛り付け、言い方を変えれば飢餓と隣り合わせの社会を理想の社会としてしまった。そこまでは見て来た。
 ただ、近代経済学はこうした労働価値説に代案を出すことはなかった。そこで価値の起源は人間の最低限の労働によって得られる飢餓と隣り合わせの状態によって決定され、それ以上を求めることが搾取だという主張を解体するまでの力はなかった。
 結果、今日でもなお資本主義経済の豊かさを否定する独裁国家が、明らかに経済的メリットのない侵略戦争を起こしているし、また起こそうとしている。二十世紀の多くの社会主義国家が陥った飢餓と粛清の地獄を反省することなしに、同じことを繰り返そうとしている。
 本当の経済的価値とは何なのか、単なる労働時間によってけって着されるものでもなく、一人の労働者のぎりぎりの生活を保障するだけの経済的価値を基準として、それ以上を求めることを断罪するような思想を葬り去らねばならない。
 地味な仕事ではあるが、改めて「価値とは何か」を考えてみようと思う。

 さて、完全平等社会、いわゆる「冷たい社会」がいかにして崩壊していったかと考えた時、18世紀の人の発想は近代社会を基準にして、単純に財産のあるなしが不平等を作ったと考えた。
 ルソーの『不平等起源論』はその典型で、マルクス主義もまた私有財産が不平等を生み出したと考えた。
 しかし、冷たい社会の中で誰かがいきなりフィールドにロープを張って、ここは俺の土地だと宣言したらどういうことになるか。想像すればわかることだが、当然袋叩きにあうだろう。そうやって不平等の芽を摘み続けることで、こうした社会は維持されてきたのである。
 不平等の起源はもっと単純なところにあった。それは筆者が繰り返し述べてきたことで、有限な大地の無限の生命は生存できない。土地にはその生産力に応じた定員がある。そして、その定員を超えて人口が増え続ければ、命を選別しなければならなくなる。不平等はここから生まれる。
 元々完全平等社会と言っても、そこに暮らす人間は量産型のロボットではない。一人一人顔形が違い、持って生まれた能力や経験によって培われた能力は一人一人皆違う。性癖もまた偶発的に形成された脳回路によって一人ひとり違うし、それらを全てひっくりめて、一人一人それぞれの個性(キャラ)を持っている。
 われわれはそれぞれ想像と推測で相手を理解し、値踏みをする。時に結婚相手を選ぶ時は、この値踏みが露骨に表に現れることになる。
 比喩でいうなら、われわれは皆隠し持ったパラメータを持っていて、それぞれのユニークスキルを持っている。
 こうしたものはゲームの世界ではお馴染みだし、ゲーム世界を模した「異世界」の小説でもお馴染みのものだ。なろう系のラノベでお馴染みのこうした世界に、それほど違和感なく読者が没頭できるのは、これが現実世界のかなり単純化された一つのモデルだからだ。
 ゲームは実際には複雑で不確定な要因の多い現実のバトルを思い切って単純化して描いている。ただ、それがあまりに現実とかけ離れていれば、プレイしていても感情移入できずにすぐに飽きてしまう。その意味では成功したゲームの設定は、現実の単純化されたモデルとみなすことができる。
 もちろん現実にはパラメータの数字を覗くことはできない。ただ相手がどういう人間か見極めようとした時には、幾つかの異なる能力の度合いを総合的に評価するのは普通のことだ。顔はまあまあで、背は低く小太りで、性格は概ねよく陽キャで面倒見が良いが、ちょっと嫉妬深いところがあり、怒らせれば怖い、みたいなことを考えながら合格点を判断するものだ。
 完全平等社会でも、こうした暗黙のパラメータは意識されているし、狩りの名手は誰で弓矢作りの名手は誰で、揉め事が起きた時にうまく収めてくれるのは誰かということは常に意識している。だからこうした役割をシャッフルして、誰かが際立つのを防いでいる。
 ならこの平等はどうすれば崩れるかというと、簡単に言えば、人口が増えすぎて定員オーバーになって、誰かを間引かなくてはならなく待った時だ。そこでなんらかの暗黙の優先順位がつけられていたことが露呈することになる。
 人口調節の仕方は幾つもある。
 一つは生贄を捧げるやり方で、生贄の選び方にもいろいろ考えられる。何らかの法則で決める場合もあれば、祭りの狂騒の中で勢いで決めることもある。法則で決める場合は身体的欠損などで判断されるが、そうそう都合よくいつも欠損者が現れるとは限らない。となると大体は勢いということになる。
 例えば日頃から素行の悪い者だとか、美少女すぎて村の男たちの争いの種になりそうな女だとか、色々理由があっても、基本的には村全体の総合的な貢献度で判断させるのではないかと思う。今まで平等だと思ってた幻想は、その時一気に砕かれることになる。
 人口調節のもう一つの方法は、過酷な成人儀式(イニシエーション)を課すことだ。バンジージャンプなども起源としてはそこにある。つまり運悪くロープが切れたり伸びたりすれば淘汰される。また、過酷な試練は概ね体力や知力に優れた者を残すことになる。
 戦争というのもシンプルな方法で、淘汰されるべき人間を自分の村から選ばずに、隣の村から選ぶという方法だ。ただ、当然ながら報復に会うから、結果的には自分の村の戦闘能力の低い者が淘汰されることになる。
 表向きは平等社会でも、常に村の中でそれぞれの隠しパラメータが推定され、人口調節の時にそれが露呈してゆくことになる。
 ただ、この時点ではまだこの個々のパラメータが交換価値を生むことはない。