2021年9月7日火曜日

 今日は旧暦八月朔日。名月まであと二週間。
 あと、日本の一回以上のワクチン接種率が60.0%に達した。二回接種も48.3%になった。これからどこまで行けるかな。65歳以上の接種率が90パーセントの手前でストップしている。

 それでは「秋もはや」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   宵の口よりねてたやしけり
 相撲取の宿は夕飯居へならべ   游刀

 興行の相撲取りが団体で宿泊すれば、その夕飯はさぞ壮観なことだろう。「居(す)へ」は今は「据え」という字を当てる。他の客は隅っこに追いやられ、早々に寝る。
 二十六句目。

   相撲取の宿は夕飯居へならべ
 疇を打越すはつ汐の浪      惟然

 「はつ汐」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「初潮」の解説」に、

 「① 製塩の時、初めに汲む海水。
  ※名所百首(1215)秋「すまの浦に秋やく海士のはつ塩のけぶりぞ霧の色をそへける〈藤原家隆〉」
  ② 潮が満ちる時刻に最初にさす潮。
  ※俳諧・紅梅千句(1655)五「楠はてだてかい楯身にしめて〈貞徳〉 初しほにしもおろす御座舟〈友仙〉」
  ③ 陰暦八月一五日の大潮。葉月潮。《季・秋》 〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ④ (「初潮(しょちょう)」の訓読み) =はつはな(初花)⑥」

とある。秋の句なので③の意味になる。
 ここでは比喩で、相撲取りが土俵に塩を撒くのを言っているのか。八月一五日ということで月呼び出しになる。
 二十七句目。

   疇を打越すはつ汐の浪
 日は入てやがて月さす松の間   車庸

 海辺の景色として日が入り、松原越しに月が登る。蕪村の「月は東に日は西に」に先行するものか。
 二十八句目。

   日は入てやがて月さす松の間
 笑ふ事より泣がなぐさみ     芭蕉

 悲しい時は無理して笑うより泣いた方が良い。金八先生もそう言ってた。
 二十九句目。

   笑ふ事より泣がなぐさみ
 洗濯のおそきを斎でせつかるる  洒堂

 斎(とき)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「お斎」の解説」に、

 「時,斎食 (さいじき) ,時食ともいう。斎とは,もともと不過中食,すなわち正午以前の正しい時間に,食べ過ぎないように食事をとること。以後の時間は非時といって食事をとらないことが戒律で定められている。現在でも南方仏教の比丘たちはこれをきびしく守っている。後世には,この意味が転化して肉食をしないことを斎というようになり,さらには仏事における食事を一般にさすようになった。」

とある。また、「精選版 日本国語大辞典「斎・時」の解説」に、

 「① 僧家で、食事の称。正午以前に食すること。⇔非時(ひじ)。
  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「ここらの年ごろ、露・霜・草・葛の根をときにしつつ」
  ② 肉食をとらないこと。精進料理。
  ※栄花(1028‐92頃)初花「うちはへ御ときにて過させ給し時は、いみじうこそ肥り給へりしか」
  ③ 檀家や信者が寺僧に供養する食事。また、法要のときなどに、檀家で、僧・参会者に出す食事。おとき。
  ※梵舜本沙石集(1283)三「種々の珍物をもて、斎いとなみてすすむ」
  ④ 法要。仏事。
  ※浄瑠璃・心中重井筒(1707)中「鎗屋町の隠居へ、ときに参る約束是非お返しと云ひけれ共、はてときは明日の事ひらにと云ふに詮方なく」
  ⑤ 節(せち)の日、また、その日の飲食。

とあり。この頃には④の意味も生じていた。
 一句としては食事が午前中なので早く洗濯を済ませろということだが、前句をふまえると、死んで間もない悲しい法要であろう。せっつかれてもみんなに笑われなかったのが救いだ。
 三十句目。

   洗濯のおそきを斎でせつかるる
 十夜の明に寒い雨降る      其柳

 十夜は十夜法要のことで、前句の「斎」を十夜法要とする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「十夜」の解説」に、

 「陰暦10月6日から15日まで、10昼夜にわたり修される別時念仏法要(ねんぶつほうよう)。十夜会(じゅうやえ)、御十夜(おじゅうや)ともいう。「善を修すること十日十夜なれば、他方諸仏国土において善をなすこと千歳ならんに勝る」「十日十夜散乱を除捨し、精勤(しょうごん)して念仏三昧(さんまい)を修習」などと経典に出拠するが、法要の形をとったのは室町末期の永享(えいきょう)年中(1429~41)のことで、平貞国(さだくに)が京都黒谷の真如堂(しんにょどう)に三日三夜、念仏参籠(さんろう)の暁、夢想を得て引き続き七日七夜の念仏を行ったのに由来するといわれる。真如堂では比叡山常行堂(ひえいざんじょうぎょうどう)に伝えられた引声(いんぜい)念仏作法により修せられてきた。1495年(明応4)勅許により鎌倉光明寺(こうみょうじ)に移修し、以後、浄土宗の法要となった。[西山蕗子]」

とある。
 季節は冬で水が氷りつくように冷たくて、洗濯も楽ではない。
 二裏。三十一句目。

   十夜の明に寒い雨降る
 逗留は菜で馳走する山家衆    支考

 「山家」の読みはわからない。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「山家」の解説」に、

 「さん‐げ【山家】
  [1] 〘名〙 「さんげしゅう(山家宗)」の略。
  ※伝光録(1299‐1302頃)永平元和尚「然しより山家の止観を学し、南天の秘教をならふ」
  [2] 比叡山延暦寺をいう。
  ※三帖和讚(1248‐60頃)浄土「山家(サムケ)の伝教大師は国土人民をあはれみて七難消滅の誦文(じゅもん)には南無阿彌陀仏をとなふべし」
  やま‐が【山家】
  〘名〙
  ① 山にある家。山中の家。山里の家。
  ※類従本元永元年十月二日内大臣忠通歌合(1118)「山家にはならのから葉の散り敷きて時雨の音もはげしかりけり〈藤原為実〉」
  ② 端女郎(はしじょろう)の異称。〔浮世草子・御前義経記(1700)〕
  さん‐か【山家】
  〘名〙 山中の家。やまが。
※懐風藻(751)初春於左僕射長王宅讌〈百済和麻呂〉「鶉衣追二野坐一、鶴蓋入二山家一」 〔杜甫‐従駅次草堂、復至東屯茅屋詩〕」

とある。
 山の中の家の意味で間違いはないのだろうけど、「衆」とつくことと、「菜で馳走する」ということから、やはり山の中の寺など仏教関係であろう。西行法師に『山家集』があり、概ねそういうイメージで良いと思う。
 前句と合わせるなら、十夜法要のために逗留した浄土宗の寺であろう。当然毎日精進料理で、菜でもてなされる。
 三十二句目。

   逗留は菜で馳走する山家衆
 あつらへて置臼のかすがい    游刀

 「かすがい」は板を止めるコの字型の釘で、割れた木臼を補修するためのものか。菜飯の季節が来れば正月も近い。
 ちなみに菜飯は近代では春の季語だが、『ひさご』の「鐵砲の」の巻三十句目にある、

   糊剛き夜着にちいさき御座敷て
 夕辺の月に菜食嗅出す      怒誰

の句は冬扱いになっている。
 三十三句目。

   あつらへて置臼のかすがい
 一二町つけ出す馬を呼かへし   芭蕉

 一町は約六十間で約一〇九メートル。百メートルか二百メートルなら走ればすぐ追いつける距離だ。小さなものなので他所へ置いていて、荷物の中に入れ忘れたか。
 三十四句目。

   一二町つけ出す馬を呼かへし
 鶏おりる長塀の外        惟然

 馬を呼び返すのに大声を出したら、鶏がびっくりして塀の外へ行った。また余計な手間が増えた。
 三十五句目。

   鶏おりる長塀の外
 花かざり何ぞといへば立て舞   車庸

 花に酔うというか、花を体に飾って現われて何をするかと思ったら、いきなり立って舞い始めた。びっくりして鶏が逃げて行く。
 挙句。

   花かざり何ぞといへば立て舞
 上髭あつてあたたかなかほ    洒堂

 何かにつけて花で身を飾って舞ってくれる人は、口髭を生やした奴(やっこ)さんで、いかにも人の良さそうな顔をしている。

2021年9月6日月曜日

 昨日の閉会式はシャカシャカしたテクノサウンドが延々と続いて、眠くなる展開だった。日本的な要素もなかったしね。でも頑張って目を明て最後まで見た。パリからの映像もオリの時とまとめて撮ったんだろうな。
 最後にwhat a wonderful worldを唄ったのが奥野敦士だというのを後から知った。まあ、実物見たことがあるという自慢がしたいだけだけどね。
 八十年代の半ばに駒沢大学の学園祭で見たライブが、一番手がLÄ-PPISCH、二番目にTHE BLUE HEARTS、そして三番目のTHE SHAKESの次に出てきたROGUEというバンドのボーカルが奥野敦士だった。バンドの方はライブハウスなどでありがちな大音響で音の洪水を作る、あまり音の輪郭のはっきりしないバンドだった。それが今は障害者となってパラリンピックの閉会式を飾るとは、想像もしなかった。
 まあ、結局パラも無観客だったということで、それを残念がる声、本当に日本のオリパラは盛り上がったのか、その反応が分からないという声もあることだろう。心配ないよ。ちゃんと盛り上がったよ、表には出なくてもみんなの心の中で。

 そもそも論なんだが、人間は生まれや育ちによって稼ぐ力に能力の差がある。それを平等にしようとすると、結局は稼げる人間を稼げなくするしかない。
 二十世紀の人類学者が狩猟民族を調査した時見出したのは、そこは完全な平等社会だったが、それは同時に徹底した出る杭を打つ社会だった。それは自由平等の楽園のようにも見えるが、三十過ぎれば老人のように見える、慢性的に栄養の不足した社会だった。
 人類の歴史は平等から不平等への歴史で、それは例えばマラソンのようなもので、スタートラインでは一線に並んでいても、走れば走るほどトップとビリの差は開いて行く。それが文明だった。
 二十世紀の社会主義は、先頭を行く稼げる人間を暴力的に排除することで、飢餓と粛清の地獄に陥った。基本的に極端な社会主義は、既に大差のついているレースを無理やりスタートラインに引き戻そうというもので、生産性を犠牲にして平等を実現しようというものだ。
 稼げないものが稼げるものの足を引っ張ることで平等を実現するというやり方は、何もマジョリティーに限ったことではないのではないかと思う。障害者にも稼げる者と稼げない者がいる。LGBTにも稼げる者と稼げない者がいる。少数民族にも稼げる者と稼げない者がいる。女性にも稼げる者と稼げない者がいる。いわゆる人権派が社会主義的な平等の精神でマイノリティーの開放を目指すとき、それぞれの稼げる人達の足を引っ張ってしまってないだろうか。
 マイノリティーの開放には二つの相矛盾する軸がある。一つはマジョリティーとの平等を求める所で社会主義的平等主義への力が働く。一方でマイノリティーが自活して食ってゆくための資本主義への参加の力が働く。この二つが打ち消し合ってる限り、マイノリティーはいつまでも不遇だ。
 今回のパラリンピックでも反対デモがあった。彼らのスローガンは「パラリンピックは障害者を選別する」「パラリンピックは差別を拡大する」だった。実力のある勝凱者こそ、彼らの最大の敵なのかもしれない。
 走れば走るほど差が広まるレースに、平等というのは前を行く走者を転ばせることではなく、後を行く走者にローラースケートを履かせることだと、筆者は前にも言ったことがある。その考えは変わっていない。
 昔の社会主義者はみんなで働こう、労働こそが人間の価値だと言っていたが、豊かな時代の社会主義者は、社会主義になれば国から金を貰って毎日寝て暮らせるものだと思っている。「障害者に頑張らせるな」なんて言っている反パラはそういう感覚なのだろう。

 それでは「秋もはや」の巻の続き。

 十三句目。

   早稲も晩稲もよい米の性
 月影はおもひちがへて夜が更る  惟然

 早稲や晩稲があるように、人にもいろいろ思いの違いはある。人それぞれに思いは違っていても皆同じ月を見て夜が更けてゆく。
 十四句目。

   月影はおもひちがへて夜が更る
 奉行のひきの甲斐を求し     支考

 「ひき」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 「旱魃・風水害・虫害・または地形地味の変化による損害を点検して租税を減免すること」

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引」の解説」の、

 「[三] 数量の差引き。減法。
  (イ) 江戸時代、田畑の貢租を減除すること。一年限のものを一作引といい、長期のものを年々引、連々引という。
  ※地方凡例録(1794)六「石盛違引〈略〉勿論地不足無地だか石盛違の分、古検新検石盛の差ひにて引に立たる分は」

に当る。
 「甲斐(かひ)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①効果。ききめ。
  出典竹取物語 貴公子たちの求婚
  「かの家に行きてたたずみ歩(あり)きけれど、かひあるべくもあらず」
  [訳] あの(かぐや姫の)家に行って、うろつき歩いたが、効果があるはずもない。
  ②(するだけの)価値。
  出典源氏物語 桐壺
  「宮仕への本意(ほい)、深く物したりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ」
  [訳] (桐壺更衣(きりつぼのこうい)に)宮仕えをさせるという本来の志を深く守りとおしていたお礼には、それだけの価値があるように(してあげたい)とずっと思い続けてきた。」

とある。
 この秋の収穫に大きな被害が生じての年貢の減免交渉の場であろう。それぞれに異なる思いがあって、夜更けまで議論が続く。
 十五句目。

   奉行のひきの甲斐を求し
 高うなり低うなりたる酒の辞儀  芭蕉

 辞儀はお辞儀のこと。前句の「ひき」を帰るの意味に取り成して、酒の席でお奉行様が退出するとき、酒をたくさんいただいた時は平身低頭し、酒が足りないとおざなりになる。
 十六句目。

   高うなり低うなりたる酒の辞儀
 財布切らるる柴売の連      洒堂

 「財布切らるる」は「自腹を切る」、「身銭を切る」と同様で、支払いをするということ。あまり金に縁のなさそうな柴売の友は、奢ってやるというと急に頭を低くする。
 十七句目。

   財布切らるる柴売の連
 さく花に内裏の浦の大へいさ   之道

 「内裏の浦」がよくわからない。「内裏」という言葉自体に既に「裏」という意味が含まれているから「内裏の裏」だとしてもよくわからない。あるいは源平合戦の時の安徳天皇の臨時の御所をイメージしているのか。だとしたら須磨の浦であろう。
 とにかく、柴売の連(つれ)が被害にあうのだから、京都御所の花見ではなく、どこか田舎の海辺の花見なのだろう。
 十八句目。

   さく花に内裏の浦の大へいさ
 馬を引出す軒のかげろふ     惟然

 前句を須磨だとするなら、出陣する平家の亡霊でも見たのであろう。
 二表、十九句目。

   馬を引出す軒のかげろふ
 雇人の名を忘れたる節の客    支考

 節句の宴となると、たくさんの賓客を迎えることになるが、その乗って来た馬と馬子もどこかに控えている。帰る時に自分の馬を探そうとするが、馬子の名前を憶えていないから呼ぶこともできない。
 今でいうと駐車場で自分の留めた車の位置を忘れてしまうようなものだ。
 二十句目。

   雇人の名を忘れたる節の客
 手ばやく埒を明る縁組      車庸

 埒(らち)は馬場の柵のことで、それが比喩として意味が拡張されて、物事がうまく進むことを「埒が開く」と言い、進まないことを「埒が開かない」という。
 前句を物忘れのひどい人とし、そういう人だから過去にとらわれずに、さっさと縁談をまとめ上げる。
 二十一句目。

   手ばやく埒を明る縁組
 薮先の窓の障子のあたらしく   其柳

 薮は草木の手入れされずに生い茂った状態で、藪は郷里、在所、という連想を誘うし、そこに貧民のイメージもある。その窓の障子が新しくなったということは、縁組の問題は婚資の増額で解決したのか。
 二十二句目。

   薮先の窓の障子のあたらしく
 焼てたしなむ魚串の煤鮠     洒堂

 「魚串」はここでは単に「くし」と読む。鮠はここでは「はえ」と呼ぶが、今は一般的に「はや」と呼ばれている。ウィキペディアには、

 「日本産のコイ科淡水魚のうち、中型で細長い体型をもつものの総称である。ハエ、ハヨとも呼ばれる。」

とあり、特定の魚ではなくウグイ、オイカワ、カワムツなどを指す。
 繁殖期の夏には婚姻色で赤くなるが、煤鮠はそれ以外の時期のハヤのことか。食べるには冬の寒バエが良いとされている。
 貧しい家でも障子を新しくするのと、寒バエの串焼きを食べるのは、ささやかな楽しみと言えよう。
 二十三句目。

   焼てたしなむ魚串の煤鮠
 此銭の有うち雪のふかれしと   芭蕉

 寒バエの季節ということで雪の季節になる。銭が尽きた時に雪が降ると苦しいので、銭がまだ残っているうちに降ってくれと願う。
 二十四句目。

   此銭の有うち雪のふかれしと
 宵の口よりねてたやしけり    支考

 「たやしけり」はコトバンクに「精選版 日本国語大辞典「たやす」の解説」に、

 「〘動〙 (活用不明、サ行四段型か。補助動詞として用いる) 動詞に「て」のついた形について、ある動作をなし終える意をののしっていう語。…てしまう。
  ※浄瑠璃・道中亀山噺(1778)四「エヱひょんな所へ戻ってたやした」

とある。用例は今なら「戻ってやした」になるところだろう。
 支考の句は「寝てやした」というところか。「けり」という文語と合わさると妙な感じだ。まあ、金がないなら早いところ寝るしかない。

2021年9月5日日曜日

 昨日の夜はテレビで車いすテニスを見た。三位決定戦が長かった。でも決勝戦は待たせなかった。国枝さんはやってくれました。
 今日も雨で、まずは昨日のブラインドサッカーの決勝戦を見逃し配信で見た。アルゼンチンのディフェンスはゾーンディフェンスの様で、三人で守ることが多かった。ブラジル側が突破しようとするときだけ集まってきて、取り囲んでいた。
 ただ、その四人が振り切られてしまうと、どうしようもなかった。ただ、そのチャンスは少なく、ブラジルの得点は一点だけだったが、その一点で勝った。ブラジルの個人技の強さの勝利だった。
 そのあとマラソンを見た。雨の中だが、灼熱の炎天下よりはいいか。ここでも男子視覚の堀越さんの銅、男子切断・運動機能の永田さんの銅、女子視覚の道下さんの金メダルと日本人の活躍が見られた。そのあとの女子バトミントン車いすの里見さん山崎さん、これもやってくれました。劉さんも良かったけど。
 午後は男子車いすバスケの決勝戦。勝てそうで勝てないのは文化の差か。アメリカの国技だからな。
 そういうわけで、パラリンピックも今日で終わりということで、まさにみんな勝凱者だ。あとは閉会式だけ。
 障害者のドラマというと日本では謡曲『蝉丸』。蝉丸も鞠を握るか秋のぱら。

 それでは風流の方は、昨日『笈日記』にあった、その「秋もはや」の巻を読んでいこうと思う。発句は昨日書いたので脇から。

   秋もはやばらつく雨に月の形
 下葉色づく菊の結ひ添      其柳

 「結ひ添」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「結添」の解説」に、

 「〘他ハ下二〙 (室町時代頃からはヤ行にも活用した) 結び添える。添えて結う。
  ※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一一月二二日「そらいたる櫛ども、白き物、いみじくつまづまをゆひそへたり」

とある。ここでは菊を支柱に結わくことか。重陽も過ぎて、菊も下葉から枯れ始め、そろそろ季節も終わる。
 第三。

   下葉色づく菊の結ひ添
 こつそりと独りの当に蕎麦操て  支考

 「操(くり)て」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「繰」の解説」に、

 「① 糸など、ひも状のものを物に巻きつけて少しずつ引き出す。また、それを巻きつける。たぐる。
  ※万葉(8C後)七・一三四六「をみなへし咲き沢の辺の真葛原いつかも絡(くり)て我が衣(きぬ)に着む」
  ※神楽歌(9C後)早歌「〈本〉深山の小葛(こつづら)〈末〉久礼(クレ)久礼(クレ)小葛」
  ② 綿繰り車にかけて木綿(きわた)の種を取り去る。
  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「世をわたる業とて、木綿(きはた)をくり習ひ」
  ③ 順々に送りやる。また、つまぐる。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ④ 謡曲で上音からクリ節(ぶし)で高音にうたう。
  ※申楽談儀(1430)曲舞の音曲「ただ甲の物一つにてやがてくるは悪(わろ)き也」
  ⑤ 浄瑠璃節の節章用語の一つ。ある音程から一段上の音程へ上げて語る。高潮場面に用いる。
  ⑥ 順々に数えてゆく。
  ⑦ 書籍などのページをめくる。また、めくって必要なことがらを探し出す。
  ※一言芳談(1297‐1350頃)上「如形(かたのごとく)往生要集の文字よみ〈略〉念仏往生のたのもしき様など、時々はくり見るべき也」
  ※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉一「筆を啣へて忙し気に帳簿を繰るもの」
  ⑧ 演劇で、俳優が頭の中で台詞(せりふ)の順序をつけ、その順に述べてゆく。」

とある。この場合は③の「つまぐる」で蕎麦を盛り付ける時の様か。前句の「結」に呼応するもので、支考はこうした類義語で付けることが多い。
 こっそりと自分用の蕎麦を手でつまんで盛り、終わりかかった菊を名残惜しみながら食べる。
 「当」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「当・宛」の解説」に、

 「① 物事を行なうときの、目的や見込み。目あて。心づもり。「あてが違う」「あてが外れる」など。
  ※山家集(12C後)上「五月雨はゆくべき道のあてもなし小笹が原も埿(うき)にながれて」
  ② 頼みになるもの。たより。→あてにする。
  ※虎寛本狂言・米市(室町末‐近世初)「有様(ありやう)は私もこなたをあてに致いて参りましたが」
  ③ 借金をするとき、それが返せない場合、貸し手が自由に処分してよいとする保証の物。抵当。
  ※史記抄(1477)一二「椹質はあての事ぞ」
  ④ 物を打ったり切ったりなどする時、下に置く台。
  ※書紀(720)雄略一三年九月(前田本訓)「石を以て質(アテ)と為(し)」
  ⑤ 補強したり保護したりするためにあてがうもの。「肩当て」「胸当て」など熟して用いることが多い。
  ⑥ こぶしで、相手の急所を突くこと。当て身。
  ※浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)四「ひらりと付け入る勝頼を、さしつたりと真の当(アテ)」
  ⑦ (宛) 文書や手紙などの差し出し先。
  ※近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房〉四「御憐察遊さるるやう歎願なせる趣きを右小弁家の宛(アテ)にして」
  ⑧ 食事のおかずをいう、演劇社会などの隠語。
  ※浮世草子・当世芝居気質(1777)一「ホヲけふは何とおもふてじゃ大(やっかい)な菜(アテ)(〈注〉さい)ぢゃな」
  ⑨ 酒のさかな。つまみ。
  ⑩ 馬術で、馬の心を動かしたり、驚かすもの。あてもの。
  ⑪ 木材の一部分だけが、反りやすく、抗力の弱くなったもの。また、質の悪い木材。〔日本建築辞彙(1906)〕
  ⑫ 檜(ひのき)で作った火縄。〔随筆・甲子夜話(1821‐41)〕」

の⑨の意味。
 四句目。

   こつそりと独りの当に蕎麦操て
 手間隙いれし屏風出来たり    洒堂

 自作の屏風が完成したので、一人で完成祝いとばかりに酒を飲み、蕎麦を肴にする。
 五句目。

   手間隙いれし屏風出来たり
 朝寝する内に使のつどひ居る   游刀

 納期が明日というので夜遅くまで作業して、やっとのことで仕上げたのであろう。そのまま寝てしまい、気が付くと屏風を引き取りに来た使いの者が集まっている。
 六句目。

   朝寝する内に使のつどひ居る
 縄切ほどく炭の俵口       惟然

 使いの者が寒そうなので、火鉢を用意しようと炭俵の口を切る。
 初裏。七句目。

   縄切ほどく炭の俵口
 此際は鰤にてあへる市のもの   車庸

 「あへる」は「饗る」でご馳走することをいう。冬は鰤の季節で、鰤を豪快に捌いて市の者にふるまう。
 八句目。

   此際は鰤にてあへる市のもの
 逢坂暮し夜の人音        芭蕉

 大阪の町は夜も賑やかで、市の者が鰤で宴会をやっている声がする。この興行をやっている時にも聞えてきたか。
 九句目。

   逢坂暮し夜の人音
 美しき尼のなまりの伊勢らしく  洒堂

 逢坂暮らしというと、逢坂山の蝉丸が思い浮かぶ。伊勢からやって来た美しい尼も通って行くことだろう。
 十句目。

   美しき尼のなまりの伊勢らしく
 住ゐに過る湯どの雪隠      車庸

 伊勢の美人尼は粗末な草庵に住んでも、立派な風呂とトイレを作らせる。
 十一句目。

   住ゐに過る湯どの雪隠
 木の下で直に木練を振まはれ   其柳

 木練(こねり)は木練柿のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木練柿」の解説」に、

 「① 木になったままで熟し、あまくなる柿の類。木練りの柿。木練り。《季・秋》
  ※実隆公記‐永正七年(1510)九月一二日「木練柿一折同進上」
  ② 「ごしょがき(御所柿)」の異名。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

とある。
 コトバンクの「世界大百科事典内の木練の言及」に、

 「木になったまま完熟させた果実は,熟柿,木ざわし,木練(こねり)などと呼び,しばしば宴会の献立に用いられた。室町期の故実書には,不用意に食べると中から汁がとび出すから注意せよといった心得が書かれている。」

とあるところから宴会などで饗せられたもので、贅沢なものだったようだ。それを木の下で食べるというのは、バストイレ付草庵のようなものだ。
 十二句目。

   木の下で直に木練を振まはれ
 早稲も晩稲もよい米の性     游刀

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 「原本には下七を『みな米になる』とし、これを見せ消ちにして右脇に『米になりけり』と書きこみ、また前句の右脇へ訂正して『よい米の精性』と書き入れ、さらに『精性』の『精』を見せ消ちにする。」

とある。「精」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「精」の解説」に、

 「① しらげること。また、そのもの。よくついた米。〔荘子‐人間世〕
  ② (形動) 詳しいこと。細かくゆきわたっていること。念入りに手を加えること。また、そのさま。
  ※日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉四「記事の巧みなるは想像の密なるにあり、論文の精なるは智の洽きにあり」 〔春秋公羊伝‐荘公一〇年〕
  ③ (形動) まじりけのない純粋なもの。えりすぐったもの。最もすぐれたもの。また、そのさま。
  ※玉塵抄(1563)九「吾が車は、牛がはやうて、牛をあつかう御者が精(セイ)な者ぞ。さるほどにはやいことぢゃと云たぞ」 〔書経‐大禹謨〕
  ④ (形動) 心をうちこむこと。力をつくしてはげむこと。努力すること。また、そのさま。
  ※義経記(室町中か)三「桜本にて学問する程に、せいは月日の重なるに随ひて、人に勝れてはかばかし」
  ⑤ 生命の根本の力。身にそなわっている力。元気。精力。精気。エネルギー。せ。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Xeiuo(セイヲ) ツカラス」
  ※狂言記・聾座頭(1700)「扨も扨も、つんぼに物いへば、せいも心もつきることじゃ」 〔易経‐繋辞下〕
  ⑥ こころ。たましい。
  ※ぎやどぺかどる(1599)上「万の物に体と精と態と三つの事備りたり」 〔宋玉‐神女賦〕
  ⑦ ある物に宿る魂。多く、その魂が別の姿形になって現われた場合にいう。性。
  ※続日本紀‐天平三年(731)一二月乙未「謹撿二符瑞図一曰、神馬者、河之精也」 〔宋書‐符瑞志下〕
  ⑧ 精液。
  ※台記‐久安三年(1147)正月一六日「彼朝臣漏レ精、足動感レ情、先々常有二如レ此之事一、於レ此道不レ耻于往古之人也」

とある。①の意味は今でも「精米」という言葉に残っている。
 早稲も晩稲も搗けば同じように米になる、という意図だったのだろう。この頃の早稲は匂いがあるというので、それを好む人と好まない人がいた。今でいう香り米だった。
 渋柿も干せば甘柿になるように、木練も普通の渋柿も甘くて美味しいのがその「性」ということになる。同様に早稲も晩稲も精米すれば同じ米の「性」だ。

   木の下で直に木練を振まはれ
 早稲も晩稲もみな米になる

が元の形で、芭蕉が後から手直ししたのかもしれない。精米すれば一緒だという意味を加えようとして、精と性の駄洒落に気付いたのだろう。

2021年9月4日土曜日

 今日も雨で涼しい。
 パラリンピックももう残り少なくなってきた。午前中はボッチャを見てからブラインドサッカーの男子三位決定戦中国・モロッコ戦を見た。それが終わるとボッチャの団体 BC1/2(運動機能)三位決定戦が四エンドの途中だった。接戦だった。アンドレ・ラモスの足でボールをコントロールするのは何度見ても凄い。

 それではまた『笈日記』の方に戻ろう。

  「十六日の夜去来正秀が文をひら
   くに奈良の鹿殊の外に感じて
   その奥に人々の句あり。
 北嵯峨や町を打越す鹿の聲    丈草
 露草や朝日にひかる鹿の角    野明
 猿の後聞出しけりしかの聲    荒雀
 棹鹿の爪に紅さすもみぢかな   風国
 啼鹿を椎の木間に見付たり    去来
 南大門たてこまれてや鹿の聲   正秀
   冬の鹿
 鹿の影とがつて寒き月夜哉    洒堂
 きよつとして霰に立や鹿の角   支考
 川越て身ぶるひすごし雪の鹿   臥高」

 九月八日夜の、

 ひいと啼尻声かなし夜の鹿    翁
 鹿の音の糸引きはえて月夜哉   支考

の二句が京の去来と膳所の正秀に届いたのであろう。現存する元禄七年九月十日付去来宛書簡にこの句はなく、同日の江戸の杉風宛書簡には、

 菊の香や奈良には古き仏たち
 菊の香や奈良は幾世の男ぶり
 ひいと啼く尻声悲し夜の鹿

の三句がある。これとは別に正秀宛書簡があったのか。

 北嵯峨や町を打越す鹿の聲    丈草

 丈草は『芭蕉と近江の人びと』(梅原與惣次著、一九八八、サンブライト出版)によれば、

 「初め、深草に住み、後大津松本に移り、多くは義仲寺草庵(無名庵)に起居する。芭蕉の発病には、無名庵からいそぎ参じて看護に当る。三十三歳。」

とある。この時も無名庵にいたと思われる。「北嵯峨や」は桃花坊(京都長者町)去来亭や嵯峨の落柿舎に行った時の記憶によるものか。この二か所を行き来するときに北嵯峨を通る。
 京のはずれのこの辺りは、京に向けての商品作物を栽培する畑と小さな町が混在していたのだろう。鹿の声も町越しに聞こえてくる。「打越」は峠のことでもあるが、連歌や俳諧では前句を隔てたその前の句をいう。

 露草や朝日にひかる鹿の角    野明

 野明は嵯峨の住人で、露草はこの場合露の降りた草で、「朝日にひかる」としている。草の向こうに立派な角をした男鹿が見える。
 今日のツユクサの意味も含まれていたかもしれないが、ツユクサは青花や月草と呼ばれていた。元禄二年五月の尾花沢での「おきふしの」の巻五句目に、

   石ふみかへす飛こえの月
 露きよき青花摘の朝もよひ    芭蕉

の句がある。青花は染料に用いられ、青花摘みを職業とする人もいた。

 猿の後聞出しけりしかの聲    荒雀

 猿の群れが去ったあとに鹿の声が聞こえてくる。
 荒雀も嵯峨の人で浪化編『続有磯海』に、「サガ荒雀」とあり、

 竹の子の網はる枝やひな燕    荒雀

の句がある。野明や為有と同様、嵯峨の住民はこういう牧歌的な句が多い。もっとも「牧歌的」は近代の言い回しで、当時の言葉だと竹枝詞的と言った方が良いのか。

 棹鹿の爪に紅さすもみぢかな   風国

 風国は京の医者で、許六の『俳諧問答』には、

 「風国 発句、血脈の筋慥ニ見届がたし。雨中の花の泥を上たるがごとし。風雅ハ容易なるがよしとおもへるにや。かたのごとく麁抹也。
 然共俳諧巻にハ、花実共ニ有て、しかもとりはやしも見えたり。元来俳諧血脈に気がつきたり。発句なけれバ詮なし。たとへバ時代物の硯のふたのなきに、今様新町もののふたをとり合せたるがごとし。」

とある。
 棹鹿は小牡鹿(さおしか)で男鹿のこと。鹿は偶蹄目で蹄(ひづめ)が二つに割れている。その蹄が紅葉の落葉に埋もれるとさながら紅を差したみたいだ。爪紅は江戸時代にもあったが、ペディキュアがあったかどうかはわからない。
 こういうちょっと遊郭の艶やかの女性を連想させる辺り、嵯峨の牧歌的な句とは異なる。古典の小牡鹿の風流に爪紅の取り合わせも、許六からすると「時代物の硯のふたのなきに、今様新町もののふたをとり合せたるがごとし」なのか。

 啼鹿を椎の木間に見付たり    去来

 鹿と言うと紅葉なのだが、それを常緑の椎の木と取り合わせ、新味を狙う。

 樫の木の花にかまはぬ姿かな   芭蕉

の句を踏まえて、椎の木の紅葉にかまわぬ姿に我が道を行く鹿を描いたか。

 南大門たてこまれてや鹿の聲   正秀

 南大門はナムデモンではなく奈良東大寺の南大門。春日大社の鹿はこの辺りにも群がる。「たてこまれてや」に平家の南都焼討の連想を狙ったか。
 これに対し、大阪にいる洒堂、支考が「冬の鹿」という題で応じる。臥高は近江の人だが、臥高の句だけは去来・正秀からの手紙にあったものか。

 鹿の影とがつて寒き月夜哉    洒堂

 鹿は角が尖っているから、その影も尖っていて、あたかも枯枝の様で寒々しい月夜になる。

 きよつとして霰に立や鹿の角   支考

 「きよつと」は「ぎょっと」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぎょっと」の解説」に、

 「〘副〙 いきなり、強く胸にこたえて、驚きおそれるさま、はっとして、心が動揺するさまを表わす語。ぎょと。きょっと。
  ※評判記・難波鉦(1680)一「その手はもはやふるいそや。ぎょっとするわいの」
  ※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一二「よほど駭然(ギョッ)としたやうであったが」

とある。
 霰に打たれてはっとしたように、立派な角をした男鹿がたたずんでいる。イナズマに人が悟りを開くように、鹿も霰に悟ったのか。

 川越て身ぶるひすごし雪の鹿   臥高

 雪の降る日の凍り付くような川を鹿が渡り、いつもよりも激しく体の水を振い落す。

  「其柳亭
 秋もはやはらつく雨に月の形   翁
   此句の先〽昨日からちよつちよつと秋も時雨かなと
   いふ句なりけるにいかにおもはれけむ月の形にハ
   なしかえ申されし。廿一日二日の夜は雨もそぼ
   降りて静なれば、
 秋の夜を打崩したる咄かな」

 これは前に書いたのの繰り返しになる。
 元禄七年九月十九日、大阪の其柳(きりゅう)亭での八吟歌仙興行の発句で、事前に発句を用意するのではなく、その場の興で詠んだのであろう。

 昨日からちょつちょつと秋も時雨哉

の句は本当にそのまま詠んだという感じで、九月も中旬だからまだ暦の上で冬ではないが、昨日くらいからちょちょっと時雨がぱらついていたのだろう。
 ひょっとしたらこの句を詠んで、さあ始めようとしたところで、ちょうど月の光が射してきたのかもしれない。十九日だから月の出も遅い。
 せっかく月が出たのだから、この月を詠まない手はないとばかりの改作ではなかったかと思う。
 二十一日、二十二日の夜は雨が降っていた。「秋の夜を」の句は二十一日夜の車庸亭での半歌仙興行の発句で、秋の夜のしみじみとした物悲しい雰囲気を打ち崩すような話をしましょう、という挨拶になる。

2021年9月3日金曜日

 今日も雨で涼しい。長袖を着た。コーヒーをホットに変えた。
 昨日のゴールボールの女子ブラジル・アメリカ戦は、最後にアメリカが追い付いて、延長でも決着つかず、サッカーで言えばPKのようなエクストラスロー(ET)でアメリカの逆転勝ちになった。
 今日のネット観戦は午前中はボッチャ、午後はゴールボールをメインにした。
 ボッチャの団体戦は技量に違いのある人たちが協力し合う所に面白さがある。
 元来運動障害のある人のためのゲームだから、ボッチャはショットの正確さを競うゲームではない。むしろミスがあるのが当たり前で、そのミスを単にカバーするというのではなく、それをいかに生かすかのゲームだ。サントスさんのあの初手を見て理解できたことだ。杉村さんの試合だけ見ていたのでは学べなかった。
 偶発的に飛んだボールでも、それを一つの布石として生かす方法はいくらでもある。それを見つけ出すのがボッチャだと言っても良いのではないか。
 無駄なものは何もない。それを生かすも殺すも知恵次第。それがボッチャの哲学で、健常者にとって障害者もそのようなものだということを教えているのではないかと思う。
 午後のゴールボールだが、まずは女子の日本・ブラジル戦。今まで萩原の陰に隠れていた欠端がいきなりやってくれた。立て続けに二得点したバウンドボールは加速も減速もしていない。画面ではよく見えないが横の回転が付いていたか。欠端というと、そういえば平松の時代から大洋を応援していたが、Jリーグが始まった頃から御無沙汰している。
 ブラジルの方は昨日遅くまで死闘を繰り広げてたから疲れていたかな。
 さて、次は男子のアメリカ・リトアニア戦。パブリウキアネツはお疲れなのかすぐに交替だったが、後のメンバーがよく頑張った。そして後半一点差に追いつかれた時、帰ってきましたパブリウキアネツ。リエトゥーバの大黒柱。速球が決まって再び突き放しての勝利だった。
 次は女子の決勝。トルコ・アメリカ戦だが、セブダ・アルトゥンオルク(アルトゥンオルクは二人いた)の高いバウンドボールは無敵だった。日本がいかに善戦したかが分かる。
 最後は男子の決勝。ブラジル・中国戦。今日は空間魔法はなかったか、ブラジルのペナルティースロー以外の得点はすべて左側だった。
 ブラジルのバウンドボールがなかなか決まらず、楊のドライブボールは回転がかなりきついのか、はじいたクッションボールに何度もヒヤッとさせられた。決勝戦にふさわしい緊迫した試合だった。
 さて、明日からはゴールボール・ロスだな。三年後を楽しみにしてるよ。

 そういえば、菅首相が今期限りで辞めるというニュースが入ったら株価が急騰した。次の総理はいつまでもインバウンドに固執せずに、SDGsを見据えた製造業復活戦略へと転換してほしい。
 それでは「升買て」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   竹橋かくる山川の末
 大根も細根になりて秋寒し    芭蕉

 大根は冬のもので、秋も深まってくると徐々に根が太くなりだすが、「細根」というのは今年は育ちが悪くて心細いということか。前句の山奥の景色に大根畑を付ける。
 二十六句目。

   大根も細根になりて秋寒し
 若狭恋しう月のさやけさ     惟然

 若狭は大根の産地で、大根の汁で麵を食う若狭汁という郷土料理がある。
 若狭を若様に掛けて恋に転じる。「細根」の心細い思いを受ける。
 二十七句目。

   若狭恋しう月のさやけさ
 ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ 畦止

 念願の若様に許されて添い寝すれば、眠れなくて夜が長い。
 二十八句目。

   ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ
 半造作でまづ障子はる      洒堂

 半造作はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「半造作」の解説」に、

 「① 建築工事や建築内部の取付物などがまだできあがっていないこと。また、そのもの。半作事。
  ※地蔵菩薩霊験記(16C後)八「未半造作(ハンザウサク)にて侍る事を悲み」
  ② 建築や内部仕上げの全部をつくるのではなく、その一部分をつくること。
  ※歌舞伎・染竹春駒(1814)三幕「古畳でも引取って、半雑作もせねばならぬ」
  ③ 目、鼻、口などの形が整っていないこと。顔のつくりがよくないこと。」

とある。
 「障子はる」はウィキペディアに、

 「障子貼る(しょうじはる)は仲秋の季語。夏の間涼をとるためにはずして物置などに蔵ってあった障子を出し、敷居に嵌める前に紙を変える事。普通、紙を貼った重ね目に埃が溜まらないように、下から上へ貼っていく。米などで適当な濃さに作った糊を盆などに調え、刷毛で桟に塗り、障子幅に切った和紙を一気に貼る。毎年貼替えずに、倹約して破れた一枚だけを切貼りしたり、穴のあいたところは花の形に切った紙などで塞いだりもする。」

とある。ただし、これは近代の季語で、ここでは内装工事の際の障子貼りだから季節に関係ない。
 内装工事のために泊まりこんだ職人が眠れずに作業を続ける。
 二十九句目。

   半造作でまづ障子はる
 気短に針立ふいと帰らるる    之道

 針立「はりたて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鍼立・針立」の解説」に、

 「① 鍼(しん)術用の針をうって病気を治療すること。また、それをするもの。鍼医。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② =はりさし(針刺)①
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第一「目まいといつは荻の高声 針たても所によりて替る秋」

とある。
 前句を途中で投げ出すことの比喩として途中で帰った針立を付ける。
 三十句目。

   気短に針立ふいと帰らるる
 地のしめるほど時雨ふり出す   青流

 前句の針立の短気はいつものことで、時雨のようなもの。時雨の何某とか呼ばれてたりして。
 二裏、三十一句目。

   地のしめるほど時雨ふり出す
 雌の此中うせて一羽鶏      芭蕉

 「雌」はここでは「めんどり」と読む。
 時雨の中で牝鶏が逃げて、時を告げる雄鶏だけが残る。卵はどうなる。
 「雌鳥勧めて雄鶏時をつくる」という諺もあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「夫が妻の言いなりになること、妻の意見に動かされることのたとえ。
  ※俳諧・毛吹草(1638)二「めん鳥につつかれて時をうたふ」

とある。
 三十二句目。

   雌の此中うせて一羽鶏
 ふり商に棒さげてゆく      之道

 「ふり商」は振り売りのこと。天秤棒に商品を下げて売り歩く。
 女房に逃げられて一人で棒を持って仕入れに行く。「雌鳥勧めて雄鶏時をつくる」という諺を踏まえれば、今まで女房の指示で動いていたから、どうやっていいかわからず途方に暮れている。
 三十三句目。

   ふり商に棒さげてゆく
 船入をあぢに住す三井の鐘    青流

 「あぢ」は「味」とアジガモを掛けたか。「味(あぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味」の解説」に、

 「あじ あぢ【味】
  〘名〙
  [一] 物事から感覚や経験で感じとるもの。味わい。
  ① 飲食物などが舌の味覚神経に与える感じ。
  ※虎明本狂言・瓜盗人(室町末‐近世初)「是ほどあぢのよひうりはなひほどに」
  ② 物事に接して、また、経験により感じとったもの。物の良し悪し、具合、調子。「切れ味」「書き味」のように熟語としても用いる。
  ※玉塵抄(1563)一五「その中に一人さい下戸か、いへうな者があって、酒ものまいですみゑむいてをれば、満座の者があぢをわるうしてたのしみ喜ことないぞ」
  ※女難(1903)〈国木田独歩〉五「唐偏木で女の味(アヂ)も知らぬといふのは」
  [二] (形動) 良い、好ましい、または、おもしろみのある味わい。また、そういう味わいのあるさまをいう。
  ① 物事の良さ、おもしろみ。持ち味。また、そういうさま。→味を占める。
  ※史記抄(1477)四「如此てこそ始て文字の味は面白けれぞ」
  ※浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)二「是は女筆のちらし書ことになまめく贈り物。いかさまあぢなことそふな、聞まほしし」
  ② 妙味のある行為や状態についていう。
  (イ) 気のきいていること。手際のいいこと。また、そういうさま。→味にする・味をやる。
  ※評判記・難波物語(1655)「雲井〈略〉逢(あふ)時はさもなくて、文にはあぢをかく人なり」
  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)二「黒き帽子にてかしらをあぢに包みたれば」
  (ロ) 風流で趣があること。また、そういうさま。
  ※俳諧・曠野(1689)員外「峰の松あぢなあたりを見出たり〈野水〉 旅するうちの心寄麗さ〈落梧〉」
  (ハ) 色めいていること。また、そういうさま。
  ※評判記・難波物語(1655)「若旦那とあぢあるよし」
  ※咄本・無事志有意(1798)稽古所「娘のあたっている中へ足をふみ込、ついあぢな心になって、娘の手だと思ひ、母の手を握りければ」
  (ニ) わけありげなこと。何か意味ありげに感じられるさま。
  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)京「あぢな手つきして、是だんな斗いふて、盃のあいしたり、かる口いふ分では」
   ※洒落本・風俗八色談(1756)二「人と対する時は作り声をしてあぢに笑ひ」
  (ホ) 囲碁で、あとになって有利に展開する可能性のある手。また、そういうねらい。
  (ヘ) こまかいこと。また、そのようなさま。
  ※咄本・楽牽頭(1772)目見へ「男がよすぎて女房もあぶなし、金もあぶなく、湯へ行てもながからうのと、あじな所へ迄かんを付て、いちゑんきまらず」
  ③ 人の意表に出るような行為や状態についていう。
  (イ) 一風変わっているさま。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「あぢな事共計、前代未聞の傾城くるひ」
  (ロ) 意外なさま。奇妙なさま。
  ※歌舞伎・四天王十寸鏡(1695)一「やあかもの二郎殿、是はあぢな所でたいめんをいたす」
  ※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉前「柳之助は其を聞くと、〈略〉異(アヂ)に胸が騒ぐやうな心地がした」
  (ハ) 不思議なさま。
  ※浄瑠璃・摂州渡辺橋供養(1748)一「サア縁といふ物はあぢな物ぢゃ」
  ④ 取引所における売買取引の状態、または相場の動き具合などをいう。〔取引所用語字彙(1917)〕」

とかなり多義だ。
 今の言葉だと「ひょうひょうと」くらいの感じか。三井寺の近くの大津の港で商品を仕入れうまいこと生活している。
 三十四句目。

   船入をあぢに住す三井の鐘
 枯た薪を沢山に焚        洒堂

 薪の火は漁火か。ここは軽く流す。
 三十五句目。

   枯た薪を沢山に焚
 人々の尻もすはらぬ花盛     洒堂

 火を焚いて次から次へと料理を作るから、みんな食べるのに夢中で落ち着かないということか。今のバーベキューとかでもありそうな光景だ。
 挙句。

   人々の尻もすはらぬ花盛
 岨のはづれを雉子うつりゆく   惟然

 前句の花見に山の長閑な景色を付けて、一巻は目出度く終わる。

2021年9月2日木曜日

 昨日あのあとゴールボールの準々決勝米露戦を見た。接戦でいい試合だった。結果的にグループCは全滅してしまったが、グループCグループD合わせても、トルコだけ決め球を持っている分突出していて、あとは横並びでどこが勝ってもおかしくないと思った。
 今日は朝から雨で涼しい。午前中はブラインドサッカーを見たが、雨の中をやっていた。タイ・フランス戦は後半のフランスの追い上げでひやひやする試合だった。タイは一人残して三人で攻めてたが、ゴール前に残った一人が左サイドにいるのは決めてあったのか。ただ、ロングボールが通ってというよりは、ドリブルで上がっての攻めが多かった。
 二試合目は日本・スペイン戦で、膠着した試合だった。前半の最後はサイドネットかと思ったら入っていた。
 合間にボッチャの昨日の杉村さんの決勝戦を見た。相手のボンサーさんは同じタイプというか同じ戦略で制度の高さの勝負となった。
 つまり初手で白の手前にビタッと付けたところで、一度はじいて仕切り直ししてまたビタッと付けるを繰り返すやり方で、これだとはじいてビタを五回繰り返したところで先手の球が一つ余ることになり、その分だけ先手有利になる。両方ミスがなければ二対二で引き分けになる。一回ビタが不十分だと、次ははじかずにビタと付けられるから一手得する。
 ところで昨日サントスさんの三位決定戦を見たが、サントスさんの戦略は違っていた。初手を白より遠くに投げて布石を打っておいてからビタと付ける。これだと最初は一手損だが、相手がはじいた時に最初に投げた布石に接近するため、それが不確定な要素を生み出し、勝負を混乱させる。悪手と見えて、後になって巧手に化けるという、まるでヒカルの碁だ。
 杉村さんとサントスさんの準決勝を見られなかったのが残念だ。
 午後はゴールボールだが、中国・アメリカ戦を見てたら、日本だけでなくアメリカも右中間を集中的に攻めていた。中国のディフェンスもセンターが右に寄って右中間を狭めている。全体が右に寄っていて野球の昔の王シフトみたいだ。
 人が全体に右に寄ってしまうと、コート全体が右に寄っているように錯覚してしまうのだろうか。楊も投げる時には大体真ん中寄りで投げていて、滅多に左に行かない。
 さて女子の日本・トルコ戦だが、日本はよく頑張った。アルトゥンオルクの高いバウンドボールの破壊力はどうしようもない。防ぐとしたら、バウンドの音でコースを見極めて、起き上がって前に落とすしかない。今日の萩原のドライブボールはさえていたし、欠端とのコンビで上手く緩急つけて、実際よりも早く見せることができてたと思う。
 男子のブラジル・リトアニア戦。これもいい試合だった。パブリウキアネツはいきなりやってくれたが、その後のブラジルのディフェンスは対応した。前半終わりくらいにパジャラウスカスとのツートップになったが、ブラジルは高いバウンドボールも確実に胸で落として難なく対応した。四点目の失点以外は。まあ、とにかくブラジルは強い。

 モデルナワクチンの異物は、あのあとステンレス片だという発表があり、最初に問題になった異物は製造過程で入った金属の異物だったようだ。あとから便乗して出てきた沖縄の方はゴムだし、使用済みの瓶や注射器から出たという点でも間違いないだろう。
 いずれにせよ不確かな報道が先行してしまっている。マス護美が何でもかんでも不安や恐怖を煽ろうとするのは、関東大震災の時から変わっていない。あの時も新聞が朝鮮人デマを流した。当時の政府は今より大きな権力を持っていたから、すぐにそのニュースを禁じた。今は止めることができない。
 まあ、いくら異物の恐怖を煽っても、ワクチンなしでコロナが蔓延した時の恐怖に比べれば知れたもので、笛吹けど踊らずではないかと思う。選挙も近いが、野党も下手にこの騒ぎに便乗すれば、折角の追い風に水を差すことになる。

 それでは「升買て」の巻の続き。

 十三句目。

   村の出見世に集て寐る
 嫁どりは女斗で埒をあけ     芭蕉

 「嫁どり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「嫁取」の解説」に、

 「〘名〙 (「よめどり」とも) 嫁をとること。嫁を迎えること。また、その式。
  ※史記抄(1477)八「むことりよめとりさしさだまりたる祭り、飲食なんとをはし禁すなそ」

とある。
 嫁を迎える時には男が下手に口出しするともめるもとで、埒が明かなくなる。「埒(らち)」という言葉は今は「埒が明かない」と否定文でしか使わないが、かつては肯定文でも用いられた。
 埒は本来は馬場の柵のこと。これが開かないと馬を出せない。
 十四句目。

   嫁どりは女斗で埒をあけ
 大事がる子の秋の霜やけ     青流

 嫁入りはスムーズに事が運んだが、その小さな嫁(昔はローティーンの嫁は普通だった)は大事に育てられてきて、水仕事をやってこなかったか、秋になると霜焼けになる。
 十五句目。

   大事がる子の秋の霜やけ
 汁の実の又呼かへす朝の月    之道

 汁の実はみそ汁の具のこと。ここでは朝にやって来る豆腐売やアサリ売りのことか。霜焼けで菜っ葉を洗うのを嫌がる。
 十六句目。

   汁の実の又呼かへす朝の月
 薄の中へ蟾のはひ込       畦止

 汁の具材を売る人が通るので、ヒキガエルは薄の中に隠れる。
 十七句目。

   薄の中へ蟾のはひ込
 籾ふせてそれからあそぶ花の陰  支考

 春でヒキガエルの出てくる頃として、花の定座へ展開する。田舎の景色ということで、苗代を準備し、籾を蒔いてから花見を楽しむ。
 十八句目。

   籾ふせてそれからあそぶ花の陰
 おりおりたえぬ春の旅人     洒堂

 百姓が花見を楽しんでいると、その脇を旅人が通り過ぎていく。春の順礼の季節で人通りが多い。
 二表、十九句目。

   おりおりたえぬ春の旅人
 暖に濱の薬師も明ひろげ     惟然

 宇治木幡の願行寺の「浜の薬師」か。詳細は不明。
 街道は行く人が絶えず、秘仏の浜の薬師も御開帳になる。
 二十句目。

   暖に濱の薬師も明ひろげ
 しるし見分て返す茶筵      芭蕉

 舞台が宇治なら茶筵の連想も自然だ。茶筵にはそれぞれの茶園の印がついているのだろう。返す時にはそれを見て返す。
 二十一句目。

   しるし見分て返す茶筵
 めつきりと油の相場あがりけり  青流

 油の方が高く売れそうなので、茶をやめて菜種を育てるということか。
 二十二句目。

   めつきりと油の相場あがりけり
 又どこへやら羽織着て行     之道

 油相場で一儲けした相場師であろう。
 二十三句目。

   又どこへやら羽織着て行
 名号をようみせたとて樽肴    洒堂

 名号(みゃうがう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「名号」の解説」に、

 「① 仏菩薩の名。名字。
  ※観智院本三宝絵(984)下「若善心をおこせる善男女ありて阿みだ仏の名号を聞持ちて」 〔大宝積経‐五〕
  ② 特に、「阿彌陀仏」の四字、「南無阿彌陀仏」の六字など。
  ※本朝文粋(1060頃)一〇・聚沙為仏塔詩序〈慶滋保胤〉「開レ口揚レ声。唱二其名号一」

とある。名号のあるものを身に着けたお坊さんであろう。南無阿弥陀仏の文字があるが、酒も飲めば魚も食べるということか。
 南無阿弥陀仏の羽織と言うと、ついつい『鬼滅の刃』の行冥さんが浮かんできてしまうが。
 二十四句目。

   名号をようみせたとて樽肴
 竹橋かくる山川の末       支考

 竹橋はこの場合は竹を何本か並べて渡しただけの粗末な橋ということだろう。前句を熊野など山奥の巡礼とする。

2021年9月1日水曜日

 今日は新暦九月一日で関東大震災の日。当時の体験をした人も百歳くらいになってしまったか。
 それはそうと、今日は朝から曇っていて涼しく、蝉の声がなくて静かだった。
 今日のネット観戦は午前中ボッチャで午後からはゴールボール女子準決勝。
 ゴールボールの方だが、まずはトルコ・オーストラリア戦で、アルトゥンオルクの高いバウンドボールはさすがに破壊力がある。日本もこれにはやられたがオーストラリアも対処できなかった。今の時点では女子も男子も高いバウンドボールは一番の武器になる。
 日本・イスラエル戦の方は、イスラエルの方にそれほど怖い球はなかった。ただ今一つ決め球のないのは日本も同じで、後半また追いつかれるんじゃないかとはらはらした。とりあえず勝ち残ってくれた。
 第三試合のブラジル・中国戦はどちらも堅い守りで、攻め手に決め手のないまま0-0の投手戦となった。どちらか一つのミスで決まるような状態で、延長後半開始の時、中国の投げたゴールポストにはじかれたボールがロングボールで、ブラジルがPKを決めて長い試合が終わった。
 これから米露戦だが、これについては明日。

 それではその十三夜の興行が芭蕉の体調不良で延期になった翌日の興行を見てみよう。
 この興行で洒堂と之道は顔を合わせることになる。
 発句は、

   住吉の市に立てそのもどり長谷川
   畦止亭におのおの月を見侍るに
 升買て分別かはる月見かな    芭蕉

で、住吉詣でに行って雨に降られてしまったため、せっかく良くなりかけた病状がまた悪化し、それで十三夜の興行が飛んでしまったことを詫びての句だった。
 住吉神社の秋の宝之市神事は升之市とも呼ばれ、ここの升は縁起物とされていた。芭蕉も折角この時期に大坂に来たんだから、ということで誘惑に勝てなかったのだろう。
 升を買ったことで、病気なんだから無理をしてはいけないという分別を一緒に買ってきたことで、十三夜の月見が十四夜の月見に「替った」という「かはる」は二重の意味に掛けて用いられている。
 脇は亭主の畦止で、

   升買て分別かはる月見かな
 秋のあらしに魚荷つれだつ    畦止

 発句の事情について特にコメントすることはなく、前句の「升買て」から、嵐の中を宝之市に魚荷を運ぶ情景を付け、「かはる」に天候が回復して月見になった、と付ける。
 第三。

   秋のあらしに魚荷つれだつ
 家のある野は苅あとに花咲て   惟然

 花は秋の野の花で非正花になる。定座には関係ない。
 家のある辺りの野は茅が刈られた後で、可憐な野の花が咲き乱れている。その花野に嵐が吹き、その中を魚荷を運ぶ。
 四句目。

   家のある野は苅あとに花咲て
 いつもの癖にこのむ中腹     洒堂

 中腹は普通の意味だと山の中腹だが、好むものだというと別の意味か。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には「中位の量のお茶という意か」とある。正月のお茶に大服茶があるが、中服というお茶があったのかもしれない。
 五句目。

   いつもの癖にこのむ中腹
 頃日となりて土用をくらしかね  支考

 夏の終わりの土用は暑さが厳しく、江戸後期になるとウナギを食べたりする。この頃は熱いお茶で乗り切ったか。
 六句目。

   頃日となりて土用をくらしかね
 榎の木の枝をおろし過たり    之道

 榎は日影を作ってくれるが、剪定しすぎてしまった。
 初裏、七句目。

   榎の木の枝をおろし過たり
 溝川につけをく筌を引てみる   青流

 溝川(みぞがは)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「溝川」の解説」に、

 「〘名〙 (「みぞかわ」とも) 水が常に川のように流れている溝。
  ※永久百首(1116)秋「夕立にをちの溝河まさりつつ降らぬ里まで流きにけり〈源兼晶〉」

とある。
 筌は「うけ」と読む。「うへ」とも言い、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筌」の解説」に、

 「〘名〙 川の流れなどに仕掛けて、魚を捕る道具。割り竹をかご状に編み、はいった魚が出られないようにくふうされたもの。うけ。おけ。やな。《季・冬》
  ※古事記(712)中「時に筌(うへ)を作(ふ)せて魚を取る人有りき」」

とある。
 前句の榎を溝側の脇にあったものとし、筌に魚が掛かったかどうか筌につけた綱を引いてみる。
 八句目。

   溝川につけをく筌を引てみる
 火のとぼつたる亭のつきあげ   芭蕉

 亭を「ちん」と読むときは茶室の意味になる。「つきあげ」は茶室の突き上げ窓で、コトバンクの「世界大百科事典内の突上窓の言及」に、

 「草庵茶室の窓には下地窓,連子窓,突上窓の3種類がある。壁を塗り残してあける下地窓は,位置も大きさも自由に定めることができるので,室内に微妙な明暗の分布をつくり出すことができる。…」

とある。「精選版 日本国語大辞典「突上窓」の解説」の、

 「② 屋根の一部を切り破って、明かり取りとした、窓蓋のある戸。茶室などに用いられる。
  ※俳諧・徳元千句(1632)茶湯之誹諧「川風はつきあげ窓に吹入て」

の方になる。
 「筌(うけ)」から茶筌を連想したか。茶室で出される懐石料理の魚は、すぐ脇の溝川で調達されていた。
 九句目。

   火のとぼつたる亭のつきあげ
 蓋とれば椀のうどんの冷返り   之道

 懐石料理のうどんは、えてして冷めてたりしたのだろう。
 十句目。

   蓋とれば椀のうどんの冷返り
 坂下リてから一里程来る     惟然

 旅人が峠の茶屋でうどんを買ってからすぐに食べずに、一里程歩いて、下ったところで食べる。
 十一句目。

   坂下リてから一里程来る
 照つけて草もしほるる牛の糞   洒堂   

 峠道には荷を引く牛の糞が落ちてたりする。
 十二句目。

   照つけて草もしほるる牛の糞
 村の出見世に集て寐る      支考

 出見世はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出店」の解説」に、

 「① 本店から分かれて、他所に出した店。支店。分店。でだな。
  ※俳諧・天満千句(1676)三「京江戸の外にて鹿の鳴はなけ〈未学〉 出見世本宅萩の下道〈宗恭〉」
  ② 路傍などに臨時に小屋掛けをした店。露店。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「光る灯心三筋四つ辻 小まものや出見せのめがねめさるべし〈重安〉」
  ③ 比喩的に、大もとのものから分かれ出たもの。本流に対する支流、幹に対する枝の類など。
  ※雑嚢(1914)〈桜井忠温〉二六「露軍の銃剣の尖(さき)は〈略〉。露西亜(ロシア)の出店(デミセ)━セルビアへ向いてゐる」

とあるが、この②の意味は「出見世(だしみせ)」とも呼ばれていたのではないか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出見世」の解説」に、

 「〘名〙 屋台店。床店(とこみせ)。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕」

とあり、「デジタル大辞泉「床店」の解説」に、

 「商品を売るだけで人の住まない店。また、移動できる小さい店。屋台店。」

とある。この「人の住まない店」の方であろう。暑い時は人の居ないのをいいことに、みんなここで涼んで昼寝している。