2020年7月8日水曜日

 そういえばアメリカの方からのニュースだとコロナ対策には手袋とワイパーが欠かせないというようなことが書いてあった。日本では一時期手袋が売り切れになったりはしたが、長くは続かなかったし、今でも手袋をしている人はほとんど見ない。ワイパーのこともあまり聞かない。
 あと、ずっと家に引き籠ってた女性が、たった一度感染者の運んできた荷物を家に入れたために感染したというニュースもあった。ウイルスのついた荷物をついうっかり直接手で触ってしまったためだという話だったが、日本ではそれ以前に玄関から外に出た時点で、感染者の残したエアロゾルを吸ったんではないかと言われていた。
 接触の場合口や鼻の回りに着いたとしても、そこから中にはなかなか入りにくい。それに対してエアロゾルを吸った場合、ダイレクトに肺に達するから危険が大きい。
 日本では早くからエアロゾル感染のことは知られていたが、建前上エアロゾルという言葉は使わず、飛沫感染の飛沫が長く空気中を漂うというふうに説明されてきた。そこから部屋の喚起を頻繁に行うようにと指導されてきた。
 ライブハウス(これは和製英語でクラブハウスと言ったほうがいいのか)やスポーツジムが真っ先に自粛の対象となったのも、エアロゾル感染が早くから暗黙の内に認められていたからだと思う。
 もしアメリカではWHOの言うことをそのまま信じてエアロゾル対策を何もせず、接触による感染ばかりに神経質になっていたとしたら、トランプさんが怒るのも頷ける。
 それでは「早苗舟」の巻の続き。

 四十三句目。

   師走比丘尼の諷の寒さよ
 餅搗の臼を年々買かえて     利牛

 一年に一度しか使わない臼だから、どこかへ仕舞っておいて黴が生えたり腐ったりして、結局毎年買い換えているということか。
 ただでさえ年末はお金が出て行くのに臼を買ったりしていては、いい正月も迎えられない。
 四十四句目。

   餅搗の臼を年々買かえて
 天満の状をまた忘れけり     野坡

 大阪の天満(てんま)というと天満青物市場があり栄えた場所だった。
 臼を駄目にするような人だから、手紙もうっかり忘れる、という位付けであろう。
 四十五句目。

   天満の状をまた忘れけり
 広袖をうへにひつぱる舩の者   孤屋

 「広袖」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 袖口の下を縫い合わせない袖。長襦袢(ながジュバン)・丹前・夜着などに用いる。平袖(ひらそで)。
  2 鎧(よろい)の袖の一種。下方が広くなったもの。」

とある。広袖はこれ以外にも神主や僧が着る古風な衣裳に見られる。
 あるいは天満の状を天満宮の書状として、うっかり者の神官にしたのかもしれない。
 広袖を上に引っ張るのは、袂に状が入ってないかどうか調べるためであろう。
 「舩」は「船」に同じ。
 四十六句目。

   広袖をうへにひつぱる舩の者
 むく起にして参る観音      利牛

 「むく起」はむっくり起きること。
 観音様にお参りに行くのだから、前句の広袖は巡礼者だったか。舟の上で寝てしまったか、船の者が袖を引っ張って起す。

2020年7月7日火曜日

 豪雨は九州南部から北部に移って、あいかわらず大変なことになっている。七夕の気分でもないね。
 自民党は習近平国賓来日中止要請決議を了承した。まあ、これでポスト安倍争いで岸田の株が急騰というところか。
 コロナは今頃エアロゾル感染がどうのこうのって、前からわかってたことなのに、空気感染との違いの定義が曖昧なのも一因のようだが、まだそういうのが「ない」と思っている人がいるのかな。
 確かにエアロゾルがデマだと信じているなら、何でライブハウスが自粛なんだって言いたくもなるだろうな。
 それでは「早苗舟」の巻の続き。

 二裏。
 三十七句目。

   ずいきの長のあまるこつてい
 ひつそりと盆は過たる浄土寺    利牛

 浄土寺といっても浄土宗か浄土真宗かでお盆のやり方は違うが、当時は浄土真宗は一向宗に含まれていたので、ここでは浄土宗の寺であろう。
 江戸には赤坂に浄土宗浄土寺がある。「猫の足あと」というサイトによれば、

 「起立は文亀の頃で、初め江戸城内平川口の地に創建し、後に白銀町へ替地を命ぜられ、また麹町十丁目成瀬隼人正屋敷の邊に引き移つたが、更に寛文五年、類焼の頃、現在の地へ替地を拝領移轉した。」

ということで、元禄の頃には既に赤坂に移っていた。
 同じ「浄土寺」の名前でも兵庫県小野にある浄土寺は高野山真言宗だから、浄土寺だから浄土宗とは限らない。
 浄土真宗(当時は一向宗)のお盆はやや特殊だが、それ以外は精霊棚を造り迎え火を焚き、盆灯篭を置き、お供え物をし、送り火を焚いて終わる流れは一緒だ。
 盆の時は賑やかだった浄土寺も、過ぎれば静かになり、牛の背に乗ったずいきが運び込まれ、慎ましやかな生活を送る。
 三十八句目。

   ひつそりと盆は過たる浄土寺
 戸でからくみし水風呂の屋ね    野坡

 「からくむ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① からげ組む。綱などで縛って一つにまとめる。
  ※玉塵抄(1563)四三「舫は舟をならべてからくんで一そうのやうにしてのるを云ぞ」
  ② 組みたてる。構え作る。
  ※御伽草子・浜出草紙(室町末)「ほうらいの山をからくみ」
  ③ 言いがかりをつけて困らせる。からむ。
  ※洒落本・仮根草(1796か)三子東深結妓「なんだかおつにからくむの」
  ④ いろいろと工夫する。また、たくらむ。
  ※浄瑠璃・心中刃は氷の朔日(1709)上「あぢなあき内からくんで」

とある。この場合は②であろう。
 当時の風呂は蒸し風呂が主流だったが、大きな桶に水をためて沸かす風呂もあり、これを水風呂と言った。
 庭に据えるもので、お寺なら水風呂を置く十分なスペースもあっただろう。古くなった戸板を廃物利用して屋根にする。
 三十九句目。

   戸でからくみし水風呂の屋ね
 伐透す椴と檜のすれあひて     孤屋

 「伐透(きりすかす)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘他サ四〙 切って間が透くようにする。
  ※再昌草‐永正六年(1509)八月二二日「夏のうちはすずむした陰しめおきし桐きりすかし月をみる哉」

とある。
 戸板で囲った小屋は伐り透かして、外が見えるようにしていたのだろう。
 「椴」は椴松(とどまつ)の「とど」だが、ここでは「もみ」と読むようだ。樅(もみ)は戸板に用いられる。「檜」といえばいまでも檜風呂というくらい、浴槽に用いられる。小屋と浴槽が密着しているのか、擦れ合う音がする。
 四十句目。

   伐透す椴と檜のすれあひて
 赤い小宮はあたらしき内      利牛

 前句を樅や檜の茂る山の中とし、間伐して新しい神社の祠を作る。赤いから稲荷神社か。
 四十一句目

   赤い小宮はあたらしき内
 浜迄は宿の男の荷をかかえ     野坡

 浜から舟に乗る旅人の荷物を運び、帰りは新しいお稲荷さんにお参りして帰る。旅の無事を祈ってのことだろう。
 「五人ぶち」の巻の二十九句目に、

   神拝むには夜が尊い
 月影に小挙仲間の誘つれ     野坡

の句もあるように、庶民の間での神祇信仰は篤く、ちょっとの間でも時間があればお参りする。
 四十二句目。

   浜迄は宿の男の荷をかかえ
 師走比丘尼の諷の寒さよ     孤屋

 「師走比丘尼」は「広辞苑無料検索」に、

 「おちぶれて姿のみすぼらしい比丘尼。」

とある。
 その比丘尼だが、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 《〈梵〉bhiksunīの音写》出家得度して具足戒(ぐそくかい)を受けた女性。尼僧。
  2 中世、尼の姿をして諸国を巡り歩いた芸人。
  3 江戸時代、尼の姿をした下級の売春婦。
  4 「科(とが)負い比丘尼」の略。」

とある。
 「諷(うた)」は経文を声に出して唱える「諷誦(ふうじゅ)」のことだとしてら、一応本物の尼さんなのか。托鉢か勧進か、街頭に立つ姿が寒々としている。
 寒い中宿の男は浜まで荷物を運び、落ちぶれた比丘尼は諷誦する。向かえ付けといえよう。

2020年7月6日月曜日

 「早苗舟」の巻の続き。

 三十一句目。

   くばり納豆を仕込広庭
 瘧日をまぎらかせども待ごころ   利牛

 「瘧(おこり)」はマラリアのことで、「わらはやみ」ともいう。周期的に熱が出るので、熱の出る日を「瘧日(おこりび)」という。
 「まぎらかす」は「まぎらわす」に同じ。「わらわす」を「わらかす」と言うようなもの。
 前句を寺と見て、『源氏物語』の若紫巻の、源氏の君が北山のなにがしでらを尋ねる場面を連想したのだろう。
 三十二句目。

   瘧日をまぎらかせども待ごころ
 藤ですげたる下駄の重たき     野坡

 「すげる」は下駄の鼻緒を通すことをいう。藤の鼻緒というのは、当時はどうだったのか。ウィキペディアの「下駄」の所には、「緒の材質は様々で、古くは麻、棕櫚、稲藁、竹の皮、蔓、革などを用い、多くの場合これを布で覆って仕上げた。」とあるから藤の蔓も用いられていたのだろう。他の材質に較べて重かったのか。
 「瘧日をまぎらかす」というので、田舎での療養として、藤の鼻緒の原始的な下駄を出したのかもしれない。
 三十三句目。

   藤ですげたる下駄の重たき
 つれあひの名をいやしげに呼まはり 孤屋

 富士の下駄を履いている人の位であろう。女房の名を賤しげに呼びまわる。
 三十四句目。

   つれあひの名をいやしげに呼まはり
 となりの裏の遠き井の本      利牛

 農村の風景だろう。隣といっても離れているし、その裏の井戸はさらに遠い。
 三十五句目。

   となりの裏の遠き井の本
 くれの月横に負来る古柱      野坡

 中国の伝説では月には桂の木があるという。ただ、ここは田舎なので、桂ではなく古くなった柱を背負ってくる男がいるだけだ。
 三十六句目。

   くれの月横に負来る古柱
 ずいきの長のあまるこつてい    孤屋

 ずいきはサトイモやハスイモなどの葉柄で食用になる。名月といえば里芋を供えるもので、芋名月とも呼ばれるが、ここでは芋ではなく芋柄。
 「こつてい」は特牛という字を書き、weblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、

 「こというし(特牛)」に同じ。 「ずいきの長(たけ)の余る-(孤屋)/炭俵」

とある。「こというし」は、

 「強く大きな牡牛(おうし)。こといのうし。ことい。こってい。こっていうし。こってうし。こっとい。 「 -程なる黒犬なるを/浮世草子・永代蔵 2」

とある。
 さすがに牛の体長より長いということではあるまい。牛の背中に積んだときに、横に大きくはみ出すということだろう。古柱のように見えたのは束ねたずいきだった。

2020年7月5日日曜日

 人吉の方では大変なことになっている。学生の頃だったか、えびのから熊本へと車で抜けたことがある。まだ高速がなかったので、川沿いの大型トラックのたくさん通る道だった。
 都知事選は予想通りの瞬殺で小池再選だった。
 それでは「早苗舟」の巻の続き。

 二表。
 二十三句目。

   御影供ごろの人のそはつく
 ほかほかと二日灸のいぼひ出    野坡

 「二日灸」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に。

 「陰暦2月2日にすえる灸。この日に灸をすえると年中息災であるという。8月2日にすえる灸にもいう。ふつかやいと。《季 春》「かくれ家や猫にもすゑる―/一茶」

とある。ここでは「ふつかやいと」と読む。ところでこの一茶の句、じっとしててくれるのかな。今では体に貼るタイプのお灸もあるし、温灸もあるが。
 「いぼひ出(いで)」は中村注に「灸のあとのただれるをいう」とある。
 「ほかほか」は今だと炊き立てのご飯を想像するが、昔は外外(ほかほか)で離れ離れという意味。この句の場合は「あちこちに」というような意味だろう。
 二月二日にお灸をして火傷した跡がただれて、二十一日頃になってもあちこちに残っている、という意味になる。
 二十四句目。

   ほかほかと二日灸のいぼひ出
 ほろほろあへの膳にこぼるる    孤屋

 中村注は「ほろほろあへ」という料理とし、法論味噌の和えものだとする。
 ただ、ここは前句の「ほかほか」に応じて「ほろほろ」という擬音を付けたとも取れる。「ほろほろこぼれる」で、和えの膳の上に涙がこぼれるとなる。それだけ火傷のかぶれが痛むということだろう。
 「ほろほろ」は花や葉が散る擬音で、

 ほろほろと山吹散るか滝の音    芭蕉

の句もあるが、涙がほろほろとこぼれるという用法もある。
 「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」(西條八十作詞)にも「泣いてくれるなホロホロ鳥よ」のフレーズがあって、涙のほろほろとホロホロ鳥を掛けている。
 二十五句目。

   ほろほろあへの膳にこぼるる
 ない袖を振てみするも物おもひ   利牛

 「ない袖を振る」というのは今日では「ない袖は振れない(お金がないので払えない)」というふうに否定形で用いられているが、芭蕉の時代でもこの言い方があったのかはよくわからない。
 「袖振る」は一般的にはコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 別れを惜しんだり、愛情を示したりするために、袖を振る。
  「白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)―・る」〈万・四三七九〉
  2 袖を振って舞う。
  「唐人の―・ることは遠けれど立ちゐにつけてあはれとは見き」〈源・紅葉賀〉」

とあるとおりだ。
 この場合だと別れが惜しいわけではないけど惜しむ振りをして、それでも悲しみに涙がこぼれるという意味か。
 二十六句目。

   ない袖を振てみするも物おもひ
 舞羽の糸も手につかず繰      野坡

 「舞羽(まいば)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 糸を巻く道具。台に立てた短い竿(さお)の上に十字形の枠(わく)を載せて回し、枠の四端に差した竹に糸を掛けて巻き取るようにしたもの。まいのは。〔訓蒙図彙(1666)〕」

とある。糸巻きのことのようだ。
 袖のない姿で舞羽で糸を繰るというと、鶴の恩返しの民話が思い浮かぶ。元の話は室町時代の御伽草子の「鶴の草紙」で最初は機を織る話ではなく、「わざわひ」という獣を実家に取りに行かせ、悪い地頭をやっつける話になっている。今でいえば召喚師の家系ということか。
 機を織って恩返しをするのは「蛤草子」の方で、鶴ではなく蛤になっている。
 今の鶴の恩返しはこの二つが合体したものと見ていいだろう。ただ芭蕉の時代にあったかどうかは不明。
 ここでは単に前句の物思いの主を機織る女性としたと見た方がいい。
 なお福島の方では機織る男性もいたようだ。等躬撰の『伊達衣』に、

   福島にて
 たなばたは休め絹織男共      鋤立

の句がある。
 二十七句目。

   舞羽の糸も手につかず繰
 段々に西国武士の荷のつどひ    孤屋

 参勤交代の大名行列があると、それに先行してまず荷物を運ぶ人足たちがやってくる。次々にその人足たちが集まってくると本隊の到着も近い。機織る娘も大名行列を見物したくてわくわくしてくる。
 二十八句目。

   段々に西国武士の荷のつどひ
 尚きのふより今日は大旱      利牛

 「大旱(おほてり)」は日照り、旱魃のこと。「きのふ」は古くは前日だけでなく、最近という意味でも用いられた。
 ここでは大名行列は関係なく、単に西国武士からの物資が集まってくるとする。救援物資か。
 二十九句目。

   尚きのふより今日は大旱
 切蜣の喰倒したる植たばこ     野坡

 「切蜣」は「きりうじ」と読むが、今日では「キリウジ」はキリウジガガンボの幼虫を指すもので稲・麦の幼根などを食べる。
 ただ、タバコの害虫ではない。タバコに含まれる天然成分ロリオライドに防虫効果があり、タバコに害虫は付きにくい。
 ここでいう切蜣(きりうじ)はネキリムシなどを一般的に指す言葉ではなかったかと思う。
 ネキリムシにはキリウジガガンボの幼虫だけでなく、コガネムシ、コメツキムシの幼虫も含まれているし、蛾の幼虫も含まれている。
 漢字の「蜣」も本来コガネムシなどを表わす字で、「きりうじ」と言った場合、今日の生物学的区分ではなく、根を食い荒らす虫一般を指していたと思われる。
 タバコに大きな害を与えるのはカブラヤガ、タマナヤガ、オオカブラヤガの幼虫で、これもネキリムシということで「きりうじ」に含まれていたと思われる。
 タバコはネキリムシに食われ、その植え旱魃となると、踏んだり蹴ったりだ。
 三十句目。

   切蜣の喰倒したる植たばこ
 くばり納豆を仕込広庭       孤屋

 「くばり納豆」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 年末または年始に、寺から檀家へ配る自製の納豆。
  ※俳諧・炭俵(1694)上「切蜣(うじ)の喰倒したる植たばこ〈野坡〉 くばり納豆を仕込広庭〈孤屋〉」

とある。
 全国納豆協同組合連合会のホームページによると、

 「昔は納豆は、秋から冬にかけて食べるのが習慣でした。したがって、柿の実が色づいて納豆仕込みがはじまると、毎日のように納豆が食卓にのるため、体力が充実してきて、病気に対する抵抗力も強くなるために、医者にかかる人も少なくなってしまう。」

とあり、水戸天狗納豆のホームページには、

 「昔は、寒中に乾燥納豆や納豆漬けを大量に仕込み、田植えの時の体力食にしました。」

とある。
 まあ大体晩秋から冬に仕込むのが普通だったのだろう。
 肉を食べないお坊さんにとって、納豆は貴重な蛋白源だったから、お寺で納豆を作っていたのは当然だろう。タバコの栽培もひょっとしたら外来の植物だけに、お寺を中心に栽培が広まっていたのかもしれない。

2020年7月3日金曜日

 「早苗舟」の巻の続き。

 十七句目。

   只綺麗さに口すすぐ水
 近江路のうらの詞を聞初て     野坡

 近江の浦に占いの「うら」を掛けたものであろう。近江の浦は「只綺麗」で、神社での「占い」に「口すすぐ水」となる。
 さらには近江八景と八卦を掛けているのかもしれない。
 十八句目。

   近江路のうらの詞を聞初て
 天気の相よ三か月の照       孤屋

 占いの詞から天気の状態をあえて「相」と言う。琵琶湖の上に三日月が輝く。
 十九句目。

   天気の相よ三か月の照
 生ながら直に打込ひしこ漬     利牛

 ひしこ漬けはへしこ漬けとも呼ばれ若狭地方の名物になっている。今は鯖や鰒や大きな鰯なども用い、塩漬けにした後糠漬けにするが、曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には、

 「[和漢三才図会]一二寸ばかりの小鰯を用て醢(あつもの)とす。造法、鮮鰯一升、洗はずして塩三合和し、三日にして後、石を以これを圧す。或は同く茄子・生薑・穂蓼・番椒等漬るも又佳也。鯷の字未詳。[本朝食鑑]鯷(ひしこ)は小鰯なり。」

とある。
 昔は小鰯を塩で漬けるだけで糠漬けではなかったようだ。
 小さな鰯は三日月に似てるし、三日漬けるところも三日月に通じる。
 二十句目。

   生ながら直に打込ひしこ漬
 椋の実落る屋ねくさる也      野坡

 椋の木は大木になり、秋に実をつける。大量に屋根に落ちた椋の実は椋鳥も食べきれずに屋根の上で腐ってゆく。
 生きながら塩漬けになる小鰯に屋根の上で腐る椋の実が響きで付く。
 二十一句目。

   椋の実落る屋ねくさる也
 帯売の戻り連立花ぐもり      孤屋

 帯売りは中世の『七十一番職人歌合』にも登場する。女性の職業だった。
 「花ぐもり」は今では桜の季節の曇り空のことだが、曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には、

 「[陸放翁天彭牡丹記]半晴半陰謂之花曇、養花天同之。」

とある。陸放翁は陸游のことで、『天彭牡丹譜』の「風俗記第三」に、「最喜陰晴相半,時謂之養花天。」とある。
 以前に帯を売りに行った家を訪ねてみると、椋の実にすっかり屋根が腐っていて荒れ果てていたので戻ってきたということか。花の季節なのに、どこかもやもやとした気持ちになる。
 二十二句目。

   帯売の戻り連立花ぐもり
 御影供ごろの人のそはつく     利牛

 「御影供(みえいく)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「仏教儀式名。「みえいく」とも読む。祖師の命日に,その図像 (御影) を掲げて供養する法会 (ほうえ) 。代表的なものに真言宗祖弘法大師御影供があり,毎月 21日に行う法会を「月並御影供」,3月 21日の法会を「正 (しょう) 御影供」という。天台宗には天台大師・伝教大師・慈覚大師・慈恵大師・智証大師の五大師御影供がある。なお,宗派により同種の行事を報恩講,あるいは会式 (えしき) ,御忌会 (ぎょきえ) などと称する。」

とある。旧暦三月二十一日頃は桜の季節でもあり、花見の席で着飾るための帯を求めたりして、それを当て込んだ帯売りも稼ぎ時で忙しくなる。

2020年7月2日木曜日

 新たな感染者が一気に増えた。小池知事も西村担当相も菅官房長官も放置する構えだ。安倍首相は表に出てこないし、どうやらブラジル化への道は現実になりそうだ。
 政府や自治体が何もしないなら、本当に国民の方で自粛警察を組織するしかないだろう。
 世界的に経済を再開した国に感染の拡大が見られている。従来の経済に戻そうとすることがいかに危険なことか、もうすぐみんな経験することになる。経済を再開するには、徹底したオンライン化とAI化とロボット化で人と人との接触を最小限に抑える仕組みを作らなくてはならない。
 もう元には戻れない。新世界へ向かって進むしかない。今までの経済への執着を捨てよ。迷うな。古い経済をぶっ壊せ。
 それでは「早苗舟」の巻の続き。

 十三句目。

   吹るる胼もつらき闇の夜
 十二三弁の衣裳の打そろひ     利牛

 弁の衣裳を律令制度の弁官の衣裳ということにすると、前句と繋がらなくなってしまう。中国の弁服だとしても同じだ。向かえ付けにしては対になる言葉がない。
 そうなると、弁に何か別の意味があったと考えたほうがいいだろう。
 遊郭の弁柄色の格子と関係があるのかもしれない。あるいはべんがら染めの衣裳があったのか、とりあえず答を保留したい。
 十四句目。

   十二三弁の衣裳の打そろひ
 本堂はしる音はとろとろ      野坡

 舞台はお寺になる。寺院の赤もべんがら塗りだが、それと衣裳とはつながるのか。
 十五句目。

   本堂はしる音はとろとろ
 日のあたる方はあからむ竹の色   孤屋

 青竹は日が当たると日焼けして茶色になる。本堂に何らかの形で青竹が使われていたのだろう。これもよくわからない。
 十六句目。

   日のあたる方はあからむ竹の色
 只綺麗さに口すすぐ水       利牛

 これは手水場の柄杓だろうか。

2020年7月1日水曜日

 香港といいウイグルといい、大変なことが起きているのに、右側にも左側にも中国に忖度する人たちがいる。安倍政権に経団連が圧力をかけているという噂もあるが、本当だとしたら文字通りの意味で売国奴集団だ。
 コロナ対策に圧力を欠けているのも大体どういう奴等かはわかる。とにかく儲かりさえすればいい。人がどれだけ死のうが、一つの民族が浄化され消滅しようがおかまいなしだ。
 国内の感染者数も着実に増え続けているし、今年の下半期もいいことなさそうだな。
 アマビエ巻、挙句。

   疫病に涙も果てぬこの世界
 雲の向こうやさみだれの月

 まあ、とにかく目出度く終わらせる要素が何もないけど、希望だけは失わないでいたいね。
 というわけで三月二十二日に二ケ領用水沿いの枝垂桜を見て、二十五日に脇を付けてから、毎日一句づつ付けていって百句目の挙句に至り、取り合えず生きて満尾することができた。

 「アマビエ」の巻
 新冠病毒退散祈願何人俳諧独吟百韻

初表

    武蔵溝ノ口の二ケ領用水沿いの枝垂桜を見て、
    言水編『東日記』の、
     山川に人魚つるらん糸ざくら 丸尺
    の句を思い起し、
 アマビエもつれるといいな糸桜
   春がいくまで二十八日
 タワマンの霞の中に夜は明けて
   言葉少なに駅の押し合い
 ドアに立つおやじ動こうともしない
   見れば真っ赤に燃え上がる空
 台風の尋常でない夕月夜
   ブルーシートの脇は芭蕉葉

初裏
 秋薔薇のようやく揃う作業小屋
   思えば辛いSEの頃
 異世界にハーレム展開描くにも
   何の嫉妬か見つからぬ本
 ググっても謎の解けない恋の道
   長閑な日々を引き籠りつつ
 信じよう不幸の先の花の春
   知らず年賀の遠方の友
 名を聞いて下の名前と付け加え
   月の宴の門も開いて
 山寺のBGMは虫の声
   露を踏み分け御朱印の列
 レーシングスーツは旅の衣にて
   宿に着いても酒は飲まない

二表
 少しづつ業界言葉覚えだす
   草木も鬱の新緑の頃
 猫の顔隠せるほどの牡丹咲き
   尺八習う和風ゴシック
 時節柄ユーチューバーを目指そうか
   年末ジャンボ一応は買い
 片隅の小さなやしろ手を合わせ
   歩こう会の口は休まず
 七十年過ぎてから言う好きだった
   万博あとにまためぐり逢い
 偶然と思えずもしやストーカー
   公園脇で休憩すれば
 いつのまに宵待草の月夜にて
   暑さも蝉も止むことはなく

二裏
 ネクタイと紺のスーツの皺伸ばし
   すぐに過ぎてくたまの休日
 君の気を引くにも炭に火は着かず
   焼けぼっくいを横目で眺め
 これじゃまるでボーイズラブの女キャラ
   黙っておこうカミングアウト
 世話好きの熟年尼にときめいて
   変わったお茶をご馳走になる
 月を背に漁火遠い日本海
   向こうの岸は霧に閉ざされ
 フレコンの黒きを見れば肌寒く
   かえるの声はどこか寂しい
 花の宴門限だけはゆずれずに
   残念なのはしらす雑炊

三表
 窓からは春の日の射す病院で
   世界は不思議奇跡に溢れ
 太古より恋の遺伝子引き継いで
   それでも引くは子供何人
 公園へお散歩カーの道長く
   木枯らし寒いレッカー作業
 かわいそう日本のひとが叱られる
   左翼ばかりのつどう飲み会
 酒に負け議論に負けてゲロ吐いて
   朝はカラスの騒ぐかあかあ
 住み込みの仕事どこかにないだろか
   嘘をつくのも慣れたこの頃
 夜も更けて曇りもはてぬ薄月に
   彼岸花咲く土手はひんやり

三裏
 監督の怒声も遠く秋の風
   ゾンビ四五人世間話を
 スコップの立ててあるのをちら見して
   明日は雪で何を作ろう
 白菜と葱はあるけど肉はなく
   故郷の便りうれしいけれど
 だからもう結婚なんてしないから
   あの娘は夜の街へと消えて
 役人の小遣いじゃ援交は無理
   ポルノサイトのアイコン注意
 まずシャワー浴びてとせかす下心
   空には昼の月が霞んで
 今日もまた仕事ないまま花を見る
   ふりかえるならみんな陽炎

名残表
 戦いの記憶も遠い春の海
   ここは命の夢のふるさと
 地球儀をくるくる回す子の笑みに
   爺は勝手に物買ってくる
 トイレットペーパー部屋にうず高く
   査察があると通路片付け
 古めかしいエレベーターは故障中
   外階段は夏の香りが
 ワイシャツの少年達は汗臭く
   垣間見るのはスク水の君
 もっこりも気にならぬ程あどけなく
   冬籠る寺虹になぐさむ
 定めなき雨のおさまる凍月に
   中央道を西へと向かう

名残裏
 終らない夢に選んだ新天地
   頼むネットよ繋がってくれ
 豊かさは自由があってこそのもの
   早咲き枝垂れ八重の花々
 過ぎてった楽しい春の思い出よ
   蝶の羽にも時間よ戻れ
 疫病に涙も果てぬこの世界
   雲の向こうやさみだれの月

 それでは「早苗舟」の巻の続き。

 初裏。
 九句目。

   掃ば跡から檀ちる也
 ぢぢめきの中でより出するりほあか 孤屋

 「ぢぢめき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (歴史的かなづかいは「ぢぢめき」か)
  ① 人がやかましく騒ぐこと。
  ※バレト写本(1591)「ソノバノ jijimequi(ジジメキ) シバシワ ヤマズ」
  ② 動物がやかましい声や音を出すこと。《季・秋》 〔俳諧・誹諧初学抄(1641)〕
  ※俳諧・ひさご(1690)「雀を荷ふ籠のぢぢめき〈二嘯〉 うす曇る日はどんみりと霜おれて〈乙州〉」
  ③ 小鳥を入れて運ぶ楕円形の長い籠。〔俚言集覧(1797頃)〕

とある。この場合は②の意味だろう。
 「るりほあか」は瑠璃鳥(るりちょう)と頬赤(ほあか)のことで、瑠

璃鳥は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の「る」の八月のところに、

 「瑠璃鳥 [和漢三才図会]碧鳥、俗云、留里。大さ雀のことくにして、頭・背・翮上、翠色。頬・頷、臆下に至て純黒、胸・腹白く、觜・脚・尾、具に蒼色。其声、円滑にして清く囀る。」

とある。
 同じく頬赤は「ほ」の八月のところに、

 「頬赤鳥 正字未詳。[和漢三才図会]状、雀より小く、背の色も亦雀のごとし。其頬赤く胸白くして雌鶉の文あり。声、青鵐に似て細く高し。常に蒿間に棲む。」

とある。
 たくさん鳥が騒いでる中に、瑠璃鳥と頬赤鳥の姿を見出す。美しい鳥もいれば、檀の赤い鮮やかな葉も散っている。
 十句目。

   ぢぢめきの中でより出するりほあか
 坊主になれどやはり仁平次     利牛

 前句の「ぢぢめき」を③の鳥籠の意味に取り成して、出家してもやはり仁平次という俗名の頃から変わっていない。鳥を飼うのをやめられないとする。
 十一句目。

   坊主になれどやはり仁平次
 松坂や矢川へはいるうら通り    野坡

 伊勢松阪の矢川町は現在の松阪駅前のあたりで、遊郭があったが元禄三年の大火で焼失したという。近くには清光寺(せいこうじ)がある。
 坊主になっても遊郭に通うときには元の仁平次に戻ってしまう。
 十二句目。

   松坂や矢川へはいるうら通り
 吹るる胼もつらき闇の夜      孤屋

 「闇の夜」は月のない夜のこと。「胼(ひび)」はあかぎれのことで、田舎の侘しげな遊郭で、女の人たちはあかぎれに苦しみながら闇の夜に生きる。