今日は夏至で旧暦五月一日。一日曇、夕方から雨で日蝕は見えなかった。
新たな感染者数は今のところ横ばいで、緊急事態宣言の解除の影響はこの程度のものだったか。あとは都道府県をまたぐ移動制限解除の影響がどうでるか、二週間後にわかる。
第二波のことを考えるなら、会いたい人に会いに行くのは今のうちかもしれない。先のことはわからないからな。
パンデミックに関わらず、表現に制約を課すのは右からのものであれ左からのものであれないほうがいい。
左翼や人権派の人たちの間では未だにサピア・ウォーフ仮説の亡霊がさまよっていて、言葉をなくせば差別はなくなるだとかいった表現狩り言葉狩りが行われているが、言葉は人間の思考を決定することはない。言葉に意味を与えるのはあくまで人間だからだ。
どんな言葉でも多種多様な解釈が可能であり、どの解釈を選ぶかはその人の問題だ。芸術作品でも同じだ。
バンクシーのあの星条旗を燃やす絵だって、星条旗が燃え上がってざまー見ろと思う人もいれば、大変だ早く消し止めなくてはという警告だと思う人もいる。
黒人の看護婦のフィギアの絵も、世間で二つの解釈があったらしいが、筆者は絵空事のヒーローよりも現実の世界で自分を救ってくれた人のほうがヒーローだと解釈している。別に深読みはしない。
銅像を引き倒す像も、銅像が倒されて万歳というモニュメントにもなれば、銅像を倒した馬鹿共がいたというモニュメントにもなる。
七十年代のクラッシュのヒット曲「ホワイトライオット」は、後に白人優越主義者が歌うようになったので歌えなくなったなんて話も聞く。
作品はどのようにも解釈できる、選ぶのはそれぞれの人間だ。
だから筆者は作者の思想を問題にしない。いい作品なら共産党員が作ろうがネオナチが作ろうがかまわない。
クレイユーキーズの「世界から音が消えた日」はapple musicでプレイリストに入れて何度も聞いているが、必ず「たかが風邪だよ、大袈裟な」の台詞が耳に止まる。コロナを風邪だと思っている人は、これで「そのとおり」と思うのだろう。
文脈では学生達のコロナ以前の平時の会話で「いつもの馴染みのトークなつかしい」と続くが、こういうトリックは面白いと思う。もちろんコロナがただの風邪ではなく恐ろしい病気であることは言うまでもないが。他にもこの歌詞にはトリックがある。
wacciの「乗り越えてみせよう」の「取り合えず全部やめよう/気持ちはわかるし」も、取りあえずじゃなくて本当に危険だからだろうと突っ込み入れたくはなるが、まあそういうのも作品の面白さだ。笑って許すのが成熟した国民というものだ。
アマビエ巻九十句目。
もっこりも気にならぬ程あどけなく
冬籠る寺虹になぐさむ
二次元エロのことを「虹エロ」と表記することがある。LGBTの象徴であるレインボウとは何の関係もない。
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
三表。
五十一句目。
かたびら雪は我が袖の色
ならす手の扇に風を猶待ちて 宗祇
前句の「かたびら雪」を雪のように白い帷子の袖として夏に転じる。
「ならす」は慣れること。すっかり手馴れた手つきで扇をあおぎ、白い涼しげな帷子を来て、さらに涼しい秋風が吹いてくるのを待つ。
島津注は、
手もたゆくならす扇のおき所
忘るばかりに秋風ぞ吹く
相模(新古今集)
の歌を引いている。
五十二句目。
ならす手の扇に風を猶待ちて
みどりに近く向ふ松陰 量阿
馬に乗って移動している人だろうか。扇でぱたぱたあおぎながら松陰で涼もうとする。
五十三句目。
みどりに近く向ふ松陰
散る花の水に片よる岩隠 専順
前句の「みどりに近く向ふ」を松の方に向かうというだけでなく、花が散って新緑の季節に向かうと二重の意味を持たせる。
散った花は水に落ち、やがて岩隠の方に流されてゆく。岩に松は付き物。
五十四句目。
散る花の水に片よる岩隠
さざ波立ちて蛙なくなり 行助
散る花の水に片よりいわゆる花筏になったっ所にさざなみが立てば、蛙が飛び込んだことが知られる。ただ、当時の和歌・連歌の感覚では蛙の水音ではなく、あくまで蛙の鳴き声を付ける。
芭蕉の古池の句まであと少しといった句だ。
五十五句目。
さざ波立ちて蛙なくなり
小田返す人は稀なる比なれや 弘其
そろそろ田植えの準備も整い、いまさら田んぼを耕す人もいない頃、水の張った田んぼに蛙が飛び込み鳴き声が聞こえる。
五十六句目。
小田返す人は稀なる比なれや
暮るる夜さびし岡野辺の里 慶俊
前句の「人は稀なる比」を夕暮れとする。
五十七句目。
暮るる夜さびし岡野辺の里
月遠き片山おろし音はして 宗怡
島津注は、
をかの辺の里のあるじを尋ぬれば
人は答へず山颪のかぜ
慈円(新古今集)
を引いている。
前句の「さびし」から月の出も遅く、片山おろしの音だけがする、と付ける。
五十八句目。
月遠き片山おろし音はして
まつにつけても秋ぞ物うき 紹永
「月遠し(月の出の遅い)」から「まつ(待つ)」を付け、「片山おろし」に「物うき」と四手に付ける。待つを松に掛けた展開を期待する。
五十九句目。
まつにつけても秋ぞ物うき
玉章の露の言の葉いたづらに 士沅
「待つ」と来れば恋に展開したいところだが、「松」と掛けなければという、かえって制約を課すことになってしまったか。
松に露と葉を付け、「玉章(たまづさ)」つまり手紙の露のようにはかない言の葉とする。
六十句目。
玉章の露の言の葉いたづらに
おくる日数をいつか語らん 弘仲
手紙のわずかな取り繕った言葉も空しいばかりで、こうして過ぎてゆく日々を帰ってきたときには伝えたいものだが、果してその日は来るのだろうか。
なお、三十五句目の作者は英仲ではなく弘仲でした。英仲は英、弘仲は仲、弘其は玄となっていて紛らわしい。
六十一句目。
おくる日数をいつか語らん
有増の忘れ安きを驚きて 行助
「有増(あらまし)」はこうあって欲しい、こうしたい、ということで今日の夢に近い。
ここでは「いつか語らん」がそのあらましだが、「語る」には「結ばれる」の意味もある。
いつか君のところへ行かねばと思いつつも、仕事の忙しさに忘れてしまったか、これではいけない、いつか遅くなった言い訳とともに君のところに行かなくては、とする。
六十二句目。
有増の忘れ安きを驚きて
心のみちにいづる世の中 政泰
「あらまし」は出家への思いとしてもよく用いられるので、この展開はお約束ともいえよう。「心の道」は当然ながら仏道のこと。また忘れないうちに、思い出した今出家しよう。
六十三句目。
心のみちにいづる世の中
賢きも君にひかるる山の奥 心敬
前句の「心のみち」を君子の王道とし、「いづる世の中」を世の中に出る、つまり出家ではなく出世とする。
中国では皇帝が王道を逸脱し国が乱れると忠臣は山に籠り隠士となる。そこに再び王道を復活させる名君が現れると、隠士たちは山を降りて再び仕官することを願う。
六十四句目。
賢きも君にひかるる山の奥
子日の松の幾とせか経ん 元用
前句の「君」を「君が代」とする。この時代には特定の天皇ではなく、『神皇正統記』などの影響で既に皇統一般を指していたと思われる。
「子日(ねのひ)の松」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「子の日の遊びに引く小松。
「ひきて見る―は程なきをいかで籠れる千代にかあるらむ」〈拾遺・雑春〉」
とある。正月の最初の子の日で小松を引いて新年を祝う儀式は、門松の原型ともいえる。松になぞらえて長寿を祝う。
引用されている歌は、
ひきて見る子の日の松は程なきを
いかで籠れる千代にかあるらむ
恵慶法師(拾遺集)
で、島津注は、
ゆくすゑも子の日の松のためしには
君がちとせをひかむとぞ思ふ
藤原頼忠(拾遺集)
の歌を引いている。
山の奥に隠棲する賢者も皇統の道の絶えぬことを祈り、子の日の松を引く。
それはこの後東に下り品川で、
身を安くかくし置くべき方もなし
治れとのみいのる君が代 心敬
と詠んだその心境を予言するものだったかもしれない。
2020年6月21日日曜日
2020年6月20日土曜日
今日は午前中は晴れたが昼から曇ってきた。閏四月も今日で終わり。
結局コロナに関係なく、仕事はずっとあった。連休で休んだ時は籠城だなんて言っていたが、何のかんの言って毎日のように外に出ていたし、結構仕事柄県境を越えることも多かったし、通勤も神奈川から東京に移動している。
それで言えるのは、まだ一度も自粛警察とやらに逢ったことも見たこともないということだ。それに感染者の多い東京の品川ナンバーの車で移動しているのに、罵倒されたり来るなと言われたりといった差別を受けたことは一度もない。
マスゴミという奴は結局ほんのわずかな限られた例だけで、あたかも日本中がそうなっているかのように大袈裟にわめきたてるものだ。
日本は今日も平和だ。鈴呂屋は平和に賛成します。
アマビエ巻八十九句目。
垣間見るのはスク水の君
もっこりも気にならぬ程あどけなく
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
四十三句目。
みよや涙の袖のくれなゐ
等閑に思ひし色ははじめにて 士沅
「等閑」は「なおざり」。本気ではないということ。
たわむれの恋でも今は血の涙を流すほど打ちのめされている。ビートルズの「イエスタデイ」の一節が浮かんできそうな句だ。
「イエスタデイ、なおざりに思いし/今袖はくれない」という雅語バージョンの歌詞が出来そうだ。
四十四句目。
等閑に思ひし色ははじめにて
住みあかれめや秋の山里 宗怡
いい加減なつもりだったのは最初だけで、を恋ではなく山里での暮らしとする。いつの間にか山里での暮らしにはまってしまう。
四十五句目。
住みあかれめや秋の山里
宇治川や暁月の白き夜に 元用
宇治川は琵琶湖に発し山の中を通って宇治へと流れる。平等院のある辺りでは西側に平野が開け暁の月がきれいに見える。
喜撰法師がここに住み、
我がいほは宮このたつみしかぞすむ
世を宇治山と人はいふなり
喜撰法師(古今集)
の歌でも有名になった。
四十六句目。
宇治川や暁月の白き夜に
こゑすさまじき水の水上 与阿
『源氏物語』の「浮舟」であろう。
「暮れて月いと明かし。 有明の空を思ひ出づる、涙のいと止めがたきは、いとけしからぬ心かなと思ふ。母君、昔物語などして、 あなたの尼君呼び出でて、 故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきことも思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにしことなど語る。」
と浮舟は母君や尼君の話を聞いているうちに、
「など、言ひ交はすことどもに、 いとど心肝もつぶれぬ。 なほ、わが身を失ひてばや。つひに聞きにくきことは出で来なむと思ひ続くるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを」
と宇治川の水音に入水を思うことになる。
四十七句目。
こゑすさまじき水の水上
霧り渡る田面の末に鴫立ちて 専順
前句の「こゑ」を鴫の声とする。
明ぬとて沢立つ鴫の一声は
羽かくよりも哀なりけり
藤原家隆
の歌もある。
霧で良く見えない田の遠いところから鴫の声が聞こえてくる。美しいというよりは荒んだ、寒々しい声だ。
四十八句目。
霧り渡る田面の末に鴫立ちて
今折からの哀をぞ知る 清林
鴫といえば、
心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行法師(新古今集)
で、田面の末の霧の中に立つ鴫を見て、心なき身も今折から哀れを知ることになる。
四十九句目。
今折からの哀をぞ知る
侘びぬれば冬も衣はかへがたし 行助
落ちぶれ果てた身には冬でも衣を変えることができずに寒い思いをしている。前句の「哀」を貧困の哀れとする。
五十句目。
侘びぬれば冬も衣はかへがたし
かたびら雪は我が袖の色 心敬
「かたびら雪」は薄く積もった雪の意味と一片の薄くて大きな雪という二つの意味がある。帷子が夏用の薄い一重の着物で、その帷子のような雪ということで、その二つの連想が生じたのだろう。
ここでは帷子に付着する一片の薄くて大きな雪という意味か。雪が降っているのに帷子を着てたのでは凍死しそうだが。
霰まじる帷子雪は小紋かな 宗房
は芭蕉の若い頃の句だが、発想が似ている。
結局コロナに関係なく、仕事はずっとあった。連休で休んだ時は籠城だなんて言っていたが、何のかんの言って毎日のように外に出ていたし、結構仕事柄県境を越えることも多かったし、通勤も神奈川から東京に移動している。
それで言えるのは、まだ一度も自粛警察とやらに逢ったことも見たこともないということだ。それに感染者の多い東京の品川ナンバーの車で移動しているのに、罵倒されたり来るなと言われたりといった差別を受けたことは一度もない。
マスゴミという奴は結局ほんのわずかな限られた例だけで、あたかも日本中がそうなっているかのように大袈裟にわめきたてるものだ。
日本は今日も平和だ。鈴呂屋は平和に賛成します。
アマビエ巻八十九句目。
垣間見るのはスク水の君
もっこりも気にならぬ程あどけなく
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
四十三句目。
みよや涙の袖のくれなゐ
等閑に思ひし色ははじめにて 士沅
「等閑」は「なおざり」。本気ではないということ。
たわむれの恋でも今は血の涙を流すほど打ちのめされている。ビートルズの「イエスタデイ」の一節が浮かんできそうな句だ。
「イエスタデイ、なおざりに思いし/今袖はくれない」という雅語バージョンの歌詞が出来そうだ。
四十四句目。
等閑に思ひし色ははじめにて
住みあかれめや秋の山里 宗怡
いい加減なつもりだったのは最初だけで、を恋ではなく山里での暮らしとする。いつの間にか山里での暮らしにはまってしまう。
四十五句目。
住みあかれめや秋の山里
宇治川や暁月の白き夜に 元用
宇治川は琵琶湖に発し山の中を通って宇治へと流れる。平等院のある辺りでは西側に平野が開け暁の月がきれいに見える。
喜撰法師がここに住み、
我がいほは宮このたつみしかぞすむ
世を宇治山と人はいふなり
喜撰法師(古今集)
の歌でも有名になった。
四十六句目。
宇治川や暁月の白き夜に
こゑすさまじき水の水上 与阿
『源氏物語』の「浮舟」であろう。
「暮れて月いと明かし。 有明の空を思ひ出づる、涙のいと止めがたきは、いとけしからぬ心かなと思ふ。母君、昔物語などして、 あなたの尼君呼び出でて、 故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきことも思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにしことなど語る。」
と浮舟は母君や尼君の話を聞いているうちに、
「など、言ひ交はすことどもに、 いとど心肝もつぶれぬ。 なほ、わが身を失ひてばや。つひに聞きにくきことは出で来なむと思ひ続くるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを」
と宇治川の水音に入水を思うことになる。
四十七句目。
こゑすさまじき水の水上
霧り渡る田面の末に鴫立ちて 専順
前句の「こゑ」を鴫の声とする。
明ぬとて沢立つ鴫の一声は
羽かくよりも哀なりけり
藤原家隆
の歌もある。
霧で良く見えない田の遠いところから鴫の声が聞こえてくる。美しいというよりは荒んだ、寒々しい声だ。
四十八句目。
霧り渡る田面の末に鴫立ちて
今折からの哀をぞ知る 清林
鴫といえば、
心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行法師(新古今集)
で、田面の末の霧の中に立つ鴫を見て、心なき身も今折から哀れを知ることになる。
四十九句目。
今折からの哀をぞ知る
侘びぬれば冬も衣はかへがたし 行助
落ちぶれ果てた身には冬でも衣を変えることができずに寒い思いをしている。前句の「哀」を貧困の哀れとする。
五十句目。
侘びぬれば冬も衣はかへがたし
かたびら雪は我が袖の色 心敬
「かたびら雪」は薄く積もった雪の意味と一片の薄くて大きな雪という二つの意味がある。帷子が夏用の薄い一重の着物で、その帷子のような雪ということで、その二つの連想が生じたのだろう。
ここでは帷子に付着する一片の薄くて大きな雪という意味か。雪が降っているのに帷子を着てたのでは凍死しそうだが。
霰まじる帷子雪は小紋かな 宗房
は芭蕉の若い頃の句だが、発想が似ている。
2020年6月19日金曜日
今日は一日雨。
県境を越えた移動自粛が解除されたせいか、道路は大渋滞だった。
アマビエ巻八十八句目。
ワイシャツの少年達は汗臭く
垣間見るのはスク水の君
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
二裏。
三十七句目。
なににも色の冬浅き陰
春は猶頭に雪の積り来て 行助
頭に雪が積もると白髪頭のように見える。「なににも」はここでは「なんとも」というような意味か。春だというのにもう人生冬が来たみたいだ。
三十八句目。
春は猶頭に雪の積り来て
日はてりながら光り霞める 紹永
島津注は、
二条のきさきの東宮の御息所と聞こえける時、
正月三日おまへにめして仰せ言ある間に、
日は照りながら雪のかしらに降りかかりけるを
よませ給ひける
春の日の光に当たる我なれど
かしらの雪となるぞわびしき
文屋康秀(古今集)
によるとする。「光り霞める」とすることで春の句にする。
三十九句目。
日はてりながら光り霞める
深草や下萌え初めてけぶる野に 宗祇
「深草」は島津注に、「京都市伏見区。東山連峰の南端、稲荷山の麓にある歌枕。草深い野の意を掛ける。」とある。
夕されば野辺の秋風身にしみて
鶉鳴くなり深草の里
藤原俊成(千載和歌集)
などの歌に詠まれている。
『伊勢物語』一二三段には、
「むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやう飽き方にや思ひけむ、かかる歌をよみけり。
年を経て住み来し里をいでていなば
いとど深草野とやなりなむ
女、返し、
野とならば鶉となりて鳴きをらむ
狩にだにやは君は来ざらむ
とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。」
とある。
伏見稲荷大社の周辺で、今でも「深草」のつく地名が見られ、龍谷大前深草駅がある。
その深草の知名に掛けて、春の草の下萌えをさらに「燃え」に掛けて野焼きとし「けぶる野に」を導き出す。前句の「光り霞める」を煙に霞むとする。
四十句目。
深草や下萌え初めてけぶる野に
うつせみの世を忍ぶはかなさ 専順
野のけぶりは火葬の煙の連想を誘い、哀傷に展開する。
蝉の抜け殻のように肉体だけを残し魂の去っていった人の命のはかなさを偲び、今その肉体も火葬にされ、野の煙となって立ち上る。
四十一句目。
うつせみの世を忍ぶはかなさ
かくのみに恋しなば身の名や立たむ 心敬
「忍ぶ」を故人を偲ぶのではなく忍ぶ恋とする。
このまま恋に死んでしまったなら、浮名を残すことになってしまうでしょう、こうやって心を隠し忍ばねばならないのは空しい。
四十二句目。
かくのみに恋しなば身の名や立たむ
みよや涙の袖のくれなゐ 量阿
深い悲しみに血の涙を流すというのは、実際は血を流すほどそれくらい悲しいという比喩だが、
見せばやな雄島のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず
殷富門院大輔(千載集)
のように和歌に詠まれている。
ここでもはっきりと血の涙とは言ってないが、「袖のくれなゐ」でそれを表わしている。
恋に死にそうなくらい苦しんでいるから、血の涙に袖も赤く染まる。
県境を越えた移動自粛が解除されたせいか、道路は大渋滞だった。
アマビエ巻八十八句目。
ワイシャツの少年達は汗臭く
垣間見るのはスク水の君
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
二裏。
三十七句目。
なににも色の冬浅き陰
春は猶頭に雪の積り来て 行助
頭に雪が積もると白髪頭のように見える。「なににも」はここでは「なんとも」というような意味か。春だというのにもう人生冬が来たみたいだ。
三十八句目。
春は猶頭に雪の積り来て
日はてりながら光り霞める 紹永
島津注は、
二条のきさきの東宮の御息所と聞こえける時、
正月三日おまへにめして仰せ言ある間に、
日は照りながら雪のかしらに降りかかりけるを
よませ給ひける
春の日の光に当たる我なれど
かしらの雪となるぞわびしき
文屋康秀(古今集)
によるとする。「光り霞める」とすることで春の句にする。
三十九句目。
日はてりながら光り霞める
深草や下萌え初めてけぶる野に 宗祇
「深草」は島津注に、「京都市伏見区。東山連峰の南端、稲荷山の麓にある歌枕。草深い野の意を掛ける。」とある。
夕されば野辺の秋風身にしみて
鶉鳴くなり深草の里
藤原俊成(千載和歌集)
などの歌に詠まれている。
『伊勢物語』一二三段には、
「むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやう飽き方にや思ひけむ、かかる歌をよみけり。
年を経て住み来し里をいでていなば
いとど深草野とやなりなむ
女、返し、
野とならば鶉となりて鳴きをらむ
狩にだにやは君は来ざらむ
とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。」
とある。
伏見稲荷大社の周辺で、今でも「深草」のつく地名が見られ、龍谷大前深草駅がある。
その深草の知名に掛けて、春の草の下萌えをさらに「燃え」に掛けて野焼きとし「けぶる野に」を導き出す。前句の「光り霞める」を煙に霞むとする。
四十句目。
深草や下萌え初めてけぶる野に
うつせみの世を忍ぶはかなさ 専順
野のけぶりは火葬の煙の連想を誘い、哀傷に展開する。
蝉の抜け殻のように肉体だけを残し魂の去っていった人の命のはかなさを偲び、今その肉体も火葬にされ、野の煙となって立ち上る。
四十一句目。
うつせみの世を忍ぶはかなさ
かくのみに恋しなば身の名や立たむ 心敬
「忍ぶ」を故人を偲ぶのではなく忍ぶ恋とする。
このまま恋に死んでしまったなら、浮名を残すことになってしまうでしょう、こうやって心を隠し忍ばねばならないのは空しい。
四十二句目。
かくのみに恋しなば身の名や立たむ
みよや涙の袖のくれなゐ 量阿
深い悲しみに血の涙を流すというのは、実際は血を流すほどそれくらい悲しいという比喩だが、
見せばやな雄島のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず
殷富門院大輔(千載集)
のように和歌に詠まれている。
ここでもはっきりと血の涙とは言ってないが、「袖のくれなゐ」でそれを表わしている。
恋に死にそうなくらい苦しんでいるから、血の涙に袖も赤く染まる。
2020年6月18日木曜日
今朝は久しぶりに細くなった月を見た。閏四月二十七日。もうすぐ長かった卯月も終わる。そして五月一日は夏至。
テレワーク化が進んでいけば都心にオフィスを構える必要もないし、通勤がないならどこに住んでてもいいわけだ。ならば田舎にいながら仕事もできる。
役所の「スーパーシティ」という発想が既に時代遅れなんだと思う。未来は都市である必要はない。農業のAI化とともに、様々な仕事も農村に留まりながらできるようになるスーパーカントリーこそこれからなのではないか。
アマビエ巻八十七句目。
外階段は夏の香りが
ワイシャツの少年達は汗臭く
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
三十三句目。
袂をはらふ秋の追風
船人の波なき月に今朝出でて 慶俊
前句の「追風」を帆船の追風とする。波もなく風は追風で船出には絶好の朝だ。
三十四句目。
船人の波なき月に今朝出でて
塩干を見れば山ぞ流るる 心敬
波のない干潟には山がくっきりと映っていて、船が進めばその山が流れて行く。
三十五句目。
塩干を見れば山ぞ流るる
木々の葉や入江の水に浮ぶらん 弘仲
山の木々が水に映っていて、それが流れて行くとなると、あたかも木の葉が浮かんで流れているかのようだ。
三十六句目。
木々の葉や入江の水に浮ぶらん
なににも色の冬浅き陰 能通
「なににも色の浅き陰」に冬を放り込んだ形。「冬のなににも色の浅き陰」の倒置と見てもいい。
疑問の「らん」を反語に取り成すのはお約束ということで、「赤や黄色に染まった落ち葉すら落ちていない、色の浅き陰」とつながる。
テレワーク化が進んでいけば都心にオフィスを構える必要もないし、通勤がないならどこに住んでてもいいわけだ。ならば田舎にいながら仕事もできる。
役所の「スーパーシティ」という発想が既に時代遅れなんだと思う。未来は都市である必要はない。農業のAI化とともに、様々な仕事も農村に留まりながらできるようになるスーパーカントリーこそこれからなのではないか。
アマビエ巻八十七句目。
外階段は夏の香りが
ワイシャツの少年達は汗臭く
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
三十三句目。
袂をはらふ秋の追風
船人の波なき月に今朝出でて 慶俊
前句の「追風」を帆船の追風とする。波もなく風は追風で船出には絶好の朝だ。
三十四句目。
船人の波なき月に今朝出でて
塩干を見れば山ぞ流るる 心敬
波のない干潟には山がくっきりと映っていて、船が進めばその山が流れて行く。
三十五句目。
塩干を見れば山ぞ流るる
木々の葉や入江の水に浮ぶらん 弘仲
山の木々が水に映っていて、それが流れて行くとなると、あたかも木の葉が浮かんで流れているかのようだ。
三十六句目。
木々の葉や入江の水に浮ぶらん
なににも色の冬浅き陰 能通
「なににも色の浅き陰」に冬を放り込んだ形。「冬のなににも色の浅き陰」の倒置と見てもいい。
疑問の「らん」を反語に取り成すのはお約束ということで、「赤や黄色に染まった落ち葉すら落ちていない、色の浅き陰」とつながる。
2020年6月17日水曜日
日本にいる朝鮮半島の専門家は基本的に左翼だから、朝鮮半島に与えている中国の脅威については完璧なまでに無視している。だからその辺は自分で補って考えなくてはならない。
おそらくトランプさんも最初はその辺のことを知らずに米朝会談を行ったのだろう。だが、北と協議を続けたり、中国政府からの様々な働きかけのあった中で、南北統一を本当に難しくしているのは中国だというのがわかってきたのではないかと思う。だからすぐに中国との貿易戦争を開始した。
中国政府はかつての朝貢国は中国の一部と考えていて、朝鮮半島は元々中国のものだったのが日本に奪われ、日本が戦争に負けたときにも変換されずにアメリカとソ連が居座っただけで、今でも朝鮮半島は中国に権利があると考えている。
そのため南北統一は基本的に両者が中国を退け、アメリカ側に属さなくてはならない。それを裏切ったのが韓国だった。
今回の金正恩の死も中国側が広めたもので、北とアメリカはそれを認めることはできない。
アマビエ巻八十六句目。
古めかしいエレベーターは故障中
外階段は夏の香りが
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
二十七句目。
旅は袖ほすひまぞ稀なる
待つたれもあらじ古郷恋しくて 士沅
前句の「袖ほすひまぞ稀なる」を涙の乾く閑もないという比喩に取り成し、知っている人が誰もいなくなった故郷を思う句にする。
悪い領主に堪えかねての村民の逃散や、戦乱により壊滅や、あるいは一族みんな粛清にあったか、いろいろな事情が想定できる。戦国の世ではありそうなことだ。
二十八句目。
待つたれもあらじ古郷恋しくて
忘るるかたや夢は見ざらん 心敬
前句の「待つたれもあらじ」を切り離して通ってくる人も誰もいなくなった女の家とする。
私のことなど忘れてしまった人は「古郷恋しくて夢は見ざらん」と繋がる。
いつしか男はこの里を出て行ってしまって、私のことなど忘れてしまったようだけど、故郷が恋しくなって夢に出てくることはないのかしら、となる。
まあ、「木綿のハンカチーフ」のパターンだね。男は「僕は帰れない」なのだろう。
二十九句目。
忘るるかたや夢は見ざらん
よわりつつ来ぬ夜積れる物思ひ 宗怡
忘れられてしまった女は身も心も衰弱してゆく。
三十句目。
よわりつつ来ぬ夜積れる物思ひ
くだけし心末ぞみじかき 専順
「くだけし心」は英語だとbroken heartになるが、単なる失恋というよりは心神衰弱のような深い傷を言う。医療水準の低い社会では、精神的なダメージが心因性の病気を引き起こし、死に直結することもある。
三十一句目。
くだけし心末ぞみじかき
かる跡にむらむら残る草の露 与阿
これは「くだけし」を導き出す序詞のような上句で、露のくだけるように、砕けた心にもう末も長くないと繋がる。技法としては掛けてにはになる。
「刈る跡」が「みじかき」に呼応するあたりは芸が細かい。
三十二句目。
かる跡にむらむら残る草の露
袂をはらふ秋の追風 英仲
袂に着いた草の露は秋風が払ってゆく。
おそらくトランプさんも最初はその辺のことを知らずに米朝会談を行ったのだろう。だが、北と協議を続けたり、中国政府からの様々な働きかけのあった中で、南北統一を本当に難しくしているのは中国だというのがわかってきたのではないかと思う。だからすぐに中国との貿易戦争を開始した。
中国政府はかつての朝貢国は中国の一部と考えていて、朝鮮半島は元々中国のものだったのが日本に奪われ、日本が戦争に負けたときにも変換されずにアメリカとソ連が居座っただけで、今でも朝鮮半島は中国に権利があると考えている。
そのため南北統一は基本的に両者が中国を退け、アメリカ側に属さなくてはならない。それを裏切ったのが韓国だった。
今回の金正恩の死も中国側が広めたもので、北とアメリカはそれを認めることはできない。
アマビエ巻八十六句目。
古めかしいエレベーターは故障中
外階段は夏の香りが
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
二十七句目。
旅は袖ほすひまぞ稀なる
待つたれもあらじ古郷恋しくて 士沅
前句の「袖ほすひまぞ稀なる」を涙の乾く閑もないという比喩に取り成し、知っている人が誰もいなくなった故郷を思う句にする。
悪い領主に堪えかねての村民の逃散や、戦乱により壊滅や、あるいは一族みんな粛清にあったか、いろいろな事情が想定できる。戦国の世ではありそうなことだ。
二十八句目。
待つたれもあらじ古郷恋しくて
忘るるかたや夢は見ざらん 心敬
前句の「待つたれもあらじ」を切り離して通ってくる人も誰もいなくなった女の家とする。
私のことなど忘れてしまった人は「古郷恋しくて夢は見ざらん」と繋がる。
いつしか男はこの里を出て行ってしまって、私のことなど忘れてしまったようだけど、故郷が恋しくなって夢に出てくることはないのかしら、となる。
まあ、「木綿のハンカチーフ」のパターンだね。男は「僕は帰れない」なのだろう。
二十九句目。
忘るるかたや夢は見ざらん
よわりつつ来ぬ夜積れる物思ひ 宗怡
忘れられてしまった女は身も心も衰弱してゆく。
三十句目。
よわりつつ来ぬ夜積れる物思ひ
くだけし心末ぞみじかき 専順
「くだけし心」は英語だとbroken heartになるが、単なる失恋というよりは心神衰弱のような深い傷を言う。医療水準の低い社会では、精神的なダメージが心因性の病気を引き起こし、死に直結することもある。
三十一句目。
くだけし心末ぞみじかき
かる跡にむらむら残る草の露 与阿
これは「くだけし」を導き出す序詞のような上句で、露のくだけるように、砕けた心にもう末も長くないと繋がる。技法としては掛けてにはになる。
「刈る跡」が「みじかき」に呼応するあたりは芸が細かい。
三十二句目。
かる跡にむらむら残る草の露
袂をはらふ秋の追風 英仲
袂に着いた草の露は秋風が払ってゆく。
2020年6月16日火曜日
東京のコロナの新たな感染者は二十七人。四十人越えが二日続いた後だと少ないと感じてしまう。
北朝鮮の攻勢はトランプ公認なのかな。
アマビエ巻八十五句目。
査察があると通路片付け
古めかしいエレベーターは故障中
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
二表。
二十三句目。
さもうかるらん稲葉もる人
雲なびく遠の山本風寒えて 紹永
「うかるらん」に「山本風」は、
うかりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣(千載集)
の縁か。
二十四句目。
雲なびく遠の山本風寒えて
夕べにかはる冬の日の影 宗祇
これは、
見渡せば山もとかすむ水無瀬川
夕べは秋となに思ひけむ
後鳥羽院(新古今集)
であろう。春を冬に変え、弱々しい冬の日ざしが夕暮れてゆく様も秋に劣らず物悲しい。
後の水無瀬三吟の発句、
雪ながら山もと霞む夕べかな 宗祇
の前段階ともいえよう。
秋もなを浅きは雪の夕べかな 心敬
もこのあと心敬が東国で詠むことになる。
宗祇の句はこの頃は目立たなかったかもしれないが、何気に時代の先を行っている。「冬の日」の語は芭蕉七部集のタイトルの一つにもなる。
二十五句目。
夕べにかはる冬の日の影
猶急げ又や時雨れん野辺の道 元用
冬の日が夕べになるとやってくるのは時雨。時雨が降る前に、野辺の道を急いで早く屋根のある所に行こう。
二十六句目。
猶急げ又や時雨れん野辺の道
旅は袖ほすひまぞ稀なる 量阿
時雨に濡れたくないのは、旅の途中は濡れた着物を干す隙がないからだ。
北朝鮮の攻勢はトランプ公認なのかな。
アマビエ巻八十五句目。
査察があると通路片付け
古めかしいエレベーターは故障中
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
二表。
二十三句目。
さもうかるらん稲葉もる人
雲なびく遠の山本風寒えて 紹永
「うかるらん」に「山本風」は、
うかりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣(千載集)
の縁か。
二十四句目。
雲なびく遠の山本風寒えて
夕べにかはる冬の日の影 宗祇
これは、
見渡せば山もとかすむ水無瀬川
夕べは秋となに思ひけむ
後鳥羽院(新古今集)
であろう。春を冬に変え、弱々しい冬の日ざしが夕暮れてゆく様も秋に劣らず物悲しい。
後の水無瀬三吟の発句、
雪ながら山もと霞む夕べかな 宗祇
の前段階ともいえよう。
秋もなを浅きは雪の夕べかな 心敬
もこのあと心敬が東国で詠むことになる。
宗祇の句はこの頃は目立たなかったかもしれないが、何気に時代の先を行っている。「冬の日」の語は芭蕉七部集のタイトルの一つにもなる。
二十五句目。
夕べにかはる冬の日の影
猶急げ又や時雨れん野辺の道 元用
冬の日が夕べになるとやってくるのは時雨。時雨が降る前に、野辺の道を急いで早く屋根のある所に行こう。
二十六句目。
猶急げ又や時雨れん野辺の道
旅は袖ほすひまぞ稀なる 量阿
時雨に濡れたくないのは、旅の途中は濡れた着物を干す隙がないからだ。
2020年6月15日月曜日
今日は晴れた。暑かった。
都知事選がもうすぐ始まる。
コロナ対策で「休業要請等に対する補償の徹底」というのは大体左翼に共通した主張だが、小規模な事件であれば可能であっても、今回のコロナのような大規模な感染症対策を必要とする案件だと、限られた国や自治体の財源での補償は自ずと限界がある。
だから「徹底」はあくまで理想であって、問題はどこまで現実的に可能かだ。本当に争点にしなくてはならないのはそこだ。
そうでないと、「休業要請するなら、それによる損失を全部補償すべきだ」が「損失を全部補償する財源がないから休業要請は出来ない」になり、あとはブラジルへ向かってまっしぐらになる。外堀を埋めると言っているのはこういうことだ。
たとえば東日本大震災とまでは行かないが、台風で洪水が発生し多くの被害がでた時、政府は被災地の家や田畑や工場を全部元通りにして、それまでの間の途絶えた収入を全額補償すべきなのか。それができるなら理想だが、できることとできないことははっきりさせなくてはならない。政府に出来ない部分はせめて義援金を集めてなんとかするくらいであろう。
都知事選も理想論ではなく、実際にどこまでできるのかをきちんと議論して欲しいのだが、まあ、無理だろうな。最後はスキャンダル頼みだったりして。
アマビエ八十四句目。
トイレットペーパー部屋にうず高く
査察があると通路片付け
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
十七句目。
こゆるも末の遠き山道
鐘ひびく峰の松陰暮れ渡り 弘其
越えるには遠すぎるということで、途中まで行って日が暮れたとする。この場合は入相の鐘。
弘其も未詳。
十八句目。
鐘ひびく峰の松陰暮れ渡り
御法の跡を残す古寺 常広
「跡を」というから既に寂れてしまった山寺であろう。鐘の音は昔と変わらず、名残を留めている。
常広も不明。これで連衆が一巡する。十八人、賑やかな連歌会だ。
十九句目。
御法の跡を残す古寺
聞くのみを鹿のその世の行衛にて 心敬
「鹿の苑(その)」と「その世」を掛けている。「鹿の苑(鹿野苑)」
はコトバンクの、「デジタル大辞泉の解説」に、
「《〈梵〉Mṛgadāvaの訳》中インドの波羅奈国にあった林園。釈迦が悟りを開いてのち初めて説法し、五人の比丘(びく)を導いた所。現在のバラナシ北郊のサールナートにあたる。鹿苑。鹿(しか)の苑(その)。」
とある。苑の名前で鹿そのものではないので無季、非獣類。
伝説に聞くだけの鹿野苑に始まった仏法の世に広まりその末に、この古寺にも仏法の跡をとどめている。
二十句目。
聞くのみを鹿のその世の行衛にて
月かたぶきて夢ぞ驚く 行助
前句を鹿野苑から切り離し、鹿の声を聞くのみのその「夜」の行方に取り成す。
夜の行方といえば夜明けで月も傾き、夢からハッと目覚めて驚く。鹿の行方に狩られる結末を思ったのだろう。殺生の罪を思い、一瞬にして悟る場面か。
『去来抄』の、
猪のねに行かたや明の月 去来
をも思わせる。
ただ、この句を聞いて芭蕉は、
明けぬとて野べより山へ入る鹿の
跡吹きおくる萩の下風
源左衛門督通光
を引き合いに出して、「和歌優美の上にさへ、かく迄かけり作したるを、俳諧自由の上にただ尋常の気色を作せんハ、手柄なかるべし。」と評された。俳諧らしい江戸時代ならではのリアルな新味がないということだろう。
明けぼのや白魚白きこと一寸 芭蕉
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 同
のような古典の殺生の罪を一瞬にして悟る心を、まったく新しい事象に置き換えるというのが芭蕉の俳諧だった。
ただ中世の連歌にあって、そのような新味は特に求められていない。
罪のむくいもさもあらばあれ
月のこる狩場の雪の朝ぼらけ 救済
の名吟をも思い起こさせる好句といっていいだろう。
二十一句目。
月かたぶきて夢ぞ驚く
仮庵や枕の草の露おもみ 専順
仮庵は島津注に「仮に作った粗末な庵。秋の田を害獣から守るためなどに設けた。」とあり、
秋田もるかり庵つくりわがをれば
衣手寒し露ぞおきける
よみ人しらず(新古今集)
の歌も引用しているとおりの仮庵であろう。
狩人から百姓に転じ、仮庵の枕元にある草に露が降りて草がたわみ、やがて顔の上に滴ってきたのだろう。ハッと夢から覚めると月は傾いている。
二十二句目。
仮庵や枕の草の露おもみ
さもうかるらん稲葉もる人 清林
さて二順目に入って心敬、行助、専順のそれぞれの素晴らしい技を見た後で、ここからは出勝ちになる。
仮庵で既に百姓に転じているところに「稲葉もる人」はやや発展性に欠けるが、三人の巨匠の句と比較しては可哀相だ。
露の重さのように、稲葉もる人の憂きもさも重いことだろう、という付け筋はなかなかのものだ。
都知事選がもうすぐ始まる。
コロナ対策で「休業要請等に対する補償の徹底」というのは大体左翼に共通した主張だが、小規模な事件であれば可能であっても、今回のコロナのような大規模な感染症対策を必要とする案件だと、限られた国や自治体の財源での補償は自ずと限界がある。
だから「徹底」はあくまで理想であって、問題はどこまで現実的に可能かだ。本当に争点にしなくてはならないのはそこだ。
そうでないと、「休業要請するなら、それによる損失を全部補償すべきだ」が「損失を全部補償する財源がないから休業要請は出来ない」になり、あとはブラジルへ向かってまっしぐらになる。外堀を埋めると言っているのはこういうことだ。
たとえば東日本大震災とまでは行かないが、台風で洪水が発生し多くの被害がでた時、政府は被災地の家や田畑や工場を全部元通りにして、それまでの間の途絶えた収入を全額補償すべきなのか。それができるなら理想だが、できることとできないことははっきりさせなくてはならない。政府に出来ない部分はせめて義援金を集めてなんとかするくらいであろう。
都知事選も理想論ではなく、実際にどこまでできるのかをきちんと議論して欲しいのだが、まあ、無理だろうな。最後はスキャンダル頼みだったりして。
アマビエ八十四句目。
トイレットペーパー部屋にうず高く
査察があると通路片付け
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
十七句目。
こゆるも末の遠き山道
鐘ひびく峰の松陰暮れ渡り 弘其
越えるには遠すぎるということで、途中まで行って日が暮れたとする。この場合は入相の鐘。
弘其も未詳。
十八句目。
鐘ひびく峰の松陰暮れ渡り
御法の跡を残す古寺 常広
「跡を」というから既に寂れてしまった山寺であろう。鐘の音は昔と変わらず、名残を留めている。
常広も不明。これで連衆が一巡する。十八人、賑やかな連歌会だ。
十九句目。
御法の跡を残す古寺
聞くのみを鹿のその世の行衛にて 心敬
「鹿の苑(その)」と「その世」を掛けている。「鹿の苑(鹿野苑)」
はコトバンクの、「デジタル大辞泉の解説」に、
「《〈梵〉Mṛgadāvaの訳》中インドの波羅奈国にあった林園。釈迦が悟りを開いてのち初めて説法し、五人の比丘(びく)を導いた所。現在のバラナシ北郊のサールナートにあたる。鹿苑。鹿(しか)の苑(その)。」
とある。苑の名前で鹿そのものではないので無季、非獣類。
伝説に聞くだけの鹿野苑に始まった仏法の世に広まりその末に、この古寺にも仏法の跡をとどめている。
二十句目。
聞くのみを鹿のその世の行衛にて
月かたぶきて夢ぞ驚く 行助
前句を鹿野苑から切り離し、鹿の声を聞くのみのその「夜」の行方に取り成す。
夜の行方といえば夜明けで月も傾き、夢からハッと目覚めて驚く。鹿の行方に狩られる結末を思ったのだろう。殺生の罪を思い、一瞬にして悟る場面か。
『去来抄』の、
猪のねに行かたや明の月 去来
をも思わせる。
ただ、この句を聞いて芭蕉は、
明けぬとて野べより山へ入る鹿の
跡吹きおくる萩の下風
源左衛門督通光
を引き合いに出して、「和歌優美の上にさへ、かく迄かけり作したるを、俳諧自由の上にただ尋常の気色を作せんハ、手柄なかるべし。」と評された。俳諧らしい江戸時代ならではのリアルな新味がないということだろう。
明けぼのや白魚白きこと一寸 芭蕉
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 同
のような古典の殺生の罪を一瞬にして悟る心を、まったく新しい事象に置き換えるというのが芭蕉の俳諧だった。
ただ中世の連歌にあって、そのような新味は特に求められていない。
罪のむくいもさもあらばあれ
月のこる狩場の雪の朝ぼらけ 救済
の名吟をも思い起こさせる好句といっていいだろう。
二十一句目。
月かたぶきて夢ぞ驚く
仮庵や枕の草の露おもみ 専順
仮庵は島津注に「仮に作った粗末な庵。秋の田を害獣から守るためなどに設けた。」とあり、
秋田もるかり庵つくりわがをれば
衣手寒し露ぞおきける
よみ人しらず(新古今集)
の歌も引用しているとおりの仮庵であろう。
狩人から百姓に転じ、仮庵の枕元にある草に露が降りて草がたわみ、やがて顔の上に滴ってきたのだろう。ハッと夢から覚めると月は傾いている。
二十二句目。
仮庵や枕の草の露おもみ
さもうかるらん稲葉もる人 清林
さて二順目に入って心敬、行助、専順のそれぞれの素晴らしい技を見た後で、ここからは出勝ちになる。
仮庵で既に百姓に転じているところに「稲葉もる人」はやや発展性に欠けるが、三人の巨匠の句と比較しては可哀相だ。
露の重さのように、稲葉もる人の憂きもさも重いことだろう、という付け筋はなかなかのものだ。
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