今日も雨。昨日よりは小降りで止んでる時間もあった。
東京の新たな感染者数は47人。一気に増えた。そろそろ緊急事態宣言解除後の外出者の増加が反映されるころだ。
コロナは産業構造を大きく変える。とはいってもそれはコロナ以前から起きていた変化を加速させるだけで、根本が変わるわけではない。
例えば観光産業もコロナ以前から以前から団体旅行は減少傾向にあったし、ヨーロッパでの飛び恥のような海外旅行自体を疑問視する声もあった。
音楽業界も米津玄師やビリー・アイリッシュのような宅録系が台頭していた。ライブハウスは元からがらがらで、バンドがライブハウスに金払って演奏させてもらうような状態だった。
ミュージシャンもそうだし、役者も食える人間はほんの一握りで、ほとんどはバイトかヒモだった。苦しいのは今に始まったことではない。
ファミレスも衰退していて低価格帯の店舗に力を入れていた。居酒屋も若者の酒離れと会社などの宴会需要の減少で厳しかった。
斜陽産業を公金で補助しても、延命措置にしかならない。これから伸びる産業に投資して欲しい。
アマビエ八十三句目。
爺は勝手に物買ってくる
トイレットペーパー部屋にうず高く
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
初裏。
九句目。
人の声する村のはるけさ
朝ぎりや市場の方を隔つらん 清林
村のはずれで市が立つが、朝市なので朝霧に包まれる。中世にありがちな光景なのだろう。
清林は不明。
十句目。
朝ぎりや市場の方を隔つらん
色こそ見えね秋はたちけり 宗怡
前句の「市場」を「立つ」で受ける受けてには。
八重葎茂れる宿のさびしきに
人こそ見えね秋は来にけり
恵慶法師(拾遺集)
の下句に似ているが、これは言葉の続きが同じなだけで、『去来抄』
桐の木の風にかまはぬ落葉かな 凡兆
樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉
の類似のようなものだ。
十一句目。
色こそ見えね秋はたちけり
竹の葉の音も身に入む風吹きて 紹永
「入む」は「しむ」と読む。
「色こそ見えね」は「目にはさやかにみえねども」の連想を誘い、風の音につながる。
松風はよくあるが、ここでは竹風にする。松風も身にしむが、竹の葉を吹く風も身にしむ。
紹永はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、
「?-? 室町時代の連歌師。
美濃(みの)(岐阜県)の人。寛正(かんしょう)4年(1463)の唐何百韻や文明4年(1472)の何路百韻,美濃千句,8年の表佐(おさ)千句などの会に出席。「新撰菟玖波(つくば)集」に10句がのっている。」
とある。専順がこのあと美濃に下るから、何らかの縁があるのか。あと紹の字は後に戦国末期に活躍する紹巴がいるが、何か関係があるのか、今のところ不明。
十二句目。
竹の葉の音も身に入む風吹きて
あくる扉に残る夜の月 士沅
第三からぎりぎり八句去りで月が登場する。「扉」は「とぼそ」と読む。竹林の七賢などの隠者のイメージだろう。
士沅は島津注に「寛正頃、多く心敬と一座した連歌師」とある。
十三句目。
あくる扉に残る夜の月
別れては俤のみや頼ままし 能通
前句を後朝(きぬぎぬ)として恋に転じる。
能通は島津注に「底本『張通』。伝未詳。北野の連歌師か。」とある。
十四句目。
別れては俤のみや頼ままし
待てともいはぬ我が中ぞうき 慶俊
前句の別れを後朝ではなく、本当の別れとする。せめて「待って」とでも言ってくれれば。
慶俊は島津注に、「文正頃心敬らと一座。」とある。
十五句目。
待てともいはぬ我が中ぞうき
旅に人暫しの程は語らひて 政泰
相手は行きずりの旅人だった。「語らひ」は『源氏物語』では深い仲になる意味もある。
政泰は未詳。
十六句目。
旅に人暫しの程は語らひて
こゆるも末の遠き山道 与阿
普通に羇旅の句とする。
与阿は島津注に「長禄頃専順らと一座。」とある。名前からして時宗の僧であろう。
2020年6月14日日曜日
2020年6月13日土曜日
今日は一日雨だった。枇杷の木に鳥が集まり、一日中騒がしかった。
今日の東京では新たに二十四人、北海道は九人の感染確認で、このレベルで安定しているとはいえ収まってはいない。
本来は事務手続きを簡素化するための一律給付だったのに、その後野党に要求されるがままにあれもこれもと給付の種類を増やし、当然役所だけでは対応しきれないから民間に委託すると、今度はマスゴミがそれをあたかもスキャンダルであるかのように書きたてる。一体何のための一律給付だったのかわからない。
要求する方もするほうだが、それに簡単に屈してしまう政府の弱腰が支持率低下の最大の原因ではないかと思う。
野党やマスゴミの言いなり政権なら安倍さんである必要はないし、自民党である必要すらない。とにかく第二波が今来ないことだけを祈ろう。
アメリカは警官の首絞めを禁止するより、一般人の銃の所持を禁止した方がいい。いつ撃たれるかわからない恐怖の中で仕事をしていれば、多少の暴力は仕方ない。エクスペリアームス 武器よ去れ!
アマビエ八十二句目。
地球儀をくるくる回す子の笑みに
爺は勝手に物買ってくる
今日は閏四月二十二日ということで、まだまだ卯月は終らない。その間の時間つぶしとして、季節に関係なくもう一つ心敬参加の連歌を読んでみようと思う。
『連歌集』(新潮日本古典集成33、島津忠夫校注、一九七九、新潮社)に収録されている『寛正七年心敬等何人百韻』で、寛正七年(一四六六年)三月四日の興行で行助の東国下向の送別会だった。
寛正七年は実際には二月二十八日に文正元年に改元されている。当時のことだから、改元がすぐに周知されていたわけではなかったのだろう。今みたいな文正おじさんが「文正」の文字をカメラに向かってかざし、お祭り騒ぎになったわけではない。
そして文正は翌二年三月五日に応仁に改元される。つまりこの連歌は心敬が東国に下向する一年前ということになる。この年の夏には宗祇も下向
している。
ただ、行助の東国滞在は短く、応仁二年正月廿八日室町殿連歌始②参加しているのでそれまでには京に戻っている。心敬とは行き違いになった形で応仁三年三月二十四日に行助が死去するまで、再びまみえることはなかったのだろう。
さて、その心敬の発句。
比やとき花にあづまの種も哉 心敬
折から桜の季節で、この時期に行助が東国に下向し、東国にも連歌の種を撒いてくれることでしょうと、戦乱を避けての下向でもポジティブに捉える。
「比やとき」はこの場合は「比や疾き」ではなく「比や時」であろう。
光秀の「時は今」のような感覚か。
これに対し見送られる行助はこう返す。
比やとき花にあづまの種も哉
春にまかする風の長閑さ 行助
意味は「春を風に任せる長閑さ」で、あくまでも時節柄の風に任せての下向なので、そんな東に種を撒こうなんて大それたことは考えていません、という謙虚な返しだ。
行助はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、
「1405-1469 室町時代の連歌師。
応永12年生まれ。もと山名氏の家臣。比叡山(ひえいざん)延暦(えんりゃく)寺の僧となり,法印にいたる。連歌を高山宗砌(そうぜい)にまなび,連歌七賢のひとり。宗祇(そうぎ)編「竹林抄」の7作者のひとりにもあげられる。応仁(おうにん)3年3月24日死去。65歳。通称は惣持坊。連歌句集に「行助句集」など。歌学書に「連歌口伝抄」。」
とある。心敬は一四〇六年生まれだからほぼ同世代。
第三。
春にまかする風の長閑さ
雲遅く行く月の夜は朧にて 専順
「風の長閑」から「雲遅く」を導き出し、朧月を出す。
専順はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、
「没年:文明8.3.20(1476.4.14)
生年:応永18(1411)
室町時代の連歌師。柳本坊,春楊坊とも号す。頂法寺(六角堂)の僧で法眼位にあった。華道家元池坊では26世とする(『池坊由来記』)。嘉吉・文安年間(1441~49)から活躍しはじめ,高山宗砌没後は連歌界の第一人者と目された。足利義政主催の連歌会に頻繁に参加し,飯尾宗祇を指導して大きな影響を与えてもいる。応仁の乱後は美濃国(岐阜県)に下り,守護代斎藤妙椿 の庇護を受けた。連歌は「濃体」と称される内容の深い円熟味のある句風で,連歌論書に『片端』,自選付句集に『専順五百句』がある。その死因はあきらかではなく,殺害されたともいわれる。」
とある。
心敬、行助よりはやや後輩になる。応仁の乱後はちりぢりばらばらで、おそらく再びまみえることはなかったのだろう。
四句目。
雲遅く行く月の夜は朧にて
帰るや雁の友したふらん 英仲
朧月に帰る雁は付け合い。前句の「雲遅く行く」と「雁の帰る」を重ね合わせ、雁が雲を友として慕っているようだとする。
わが心誰にかたらん秋の空
荻に夕風雲に雁がね 心敬
此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉
のように、雁と雲は友とされていた。
「英仲」については不明。この時代だと資料も少なく、たどれない人も多い。当時としてはひとかどの人物で、連歌の実力も高く評価されていたから四句目を任されているのだろう。
五句目。
帰るや雁の友したふらん
消えがての雪や船路の沖津波 元用
「帰る雁」に自分の旅路を重ね合わせる。「船路の沖津波は消えがての雪や」の倒置で、遠くに見える浪の白さを消えてゆく雪に喩えている。
元用は島津注に「浄土僧。寛正~文明頃の中堅作者。」とある。
六句目。
消えがての雪や船路の沖津波
あらいそ寒み暮るる山陰 弘仲
前句の「消えがての雪」を比喩ではなく実景とし、山陰を付ける。
弘仲の不明。ただ、句を見る限り英仲、元用、弘仲ともに京の連歌のレベルの高さが窺われる。東国の旦那衆相手の「応仁二年冬心敬等何人百韻」を読んだ後なだけに、いっそうそれが際立っている。
七句目。
あらいそ寒み暮るる山陰
主しらぬ蘆火は松に木隠れて 宗祇
ここでようやく宗祇の登場で、当時の京での序列はこんなもんだったのだろう。当時四十六歳だが「四十五十は鼻垂れ小僧」の世界か。
磯の寒さに誰のものとも知れぬ焚き火はありがたい。ただそれはまだ松林の向こうにある。古典によらぬ斬新な趣向と言えよう。
八句目。
主しらぬ蘆火は松に木隠れて
人の声する村のはるけさ 量阿
水辺から離れ、木隠れの蘆火を村人の焚き火とする。
量阿は島津注に「五条堀川踊道場、時宗」とある。
今日の東京では新たに二十四人、北海道は九人の感染確認で、このレベルで安定しているとはいえ収まってはいない。
本来は事務手続きを簡素化するための一律給付だったのに、その後野党に要求されるがままにあれもこれもと給付の種類を増やし、当然役所だけでは対応しきれないから民間に委託すると、今度はマスゴミがそれをあたかもスキャンダルであるかのように書きたてる。一体何のための一律給付だったのかわからない。
要求する方もするほうだが、それに簡単に屈してしまう政府の弱腰が支持率低下の最大の原因ではないかと思う。
野党やマスゴミの言いなり政権なら安倍さんである必要はないし、自民党である必要すらない。とにかく第二波が今来ないことだけを祈ろう。
アメリカは警官の首絞めを禁止するより、一般人の銃の所持を禁止した方がいい。いつ撃たれるかわからない恐怖の中で仕事をしていれば、多少の暴力は仕方ない。エクスペリアームス 武器よ去れ!
アマビエ八十二句目。
地球儀をくるくる回す子の笑みに
爺は勝手に物買ってくる
今日は閏四月二十二日ということで、まだまだ卯月は終らない。その間の時間つぶしとして、季節に関係なくもう一つ心敬参加の連歌を読んでみようと思う。
『連歌集』(新潮日本古典集成33、島津忠夫校注、一九七九、新潮社)に収録されている『寛正七年心敬等何人百韻』で、寛正七年(一四六六年)三月四日の興行で行助の東国下向の送別会だった。
寛正七年は実際には二月二十八日に文正元年に改元されている。当時のことだから、改元がすぐに周知されていたわけではなかったのだろう。今みたいな文正おじさんが「文正」の文字をカメラに向かってかざし、お祭り騒ぎになったわけではない。
そして文正は翌二年三月五日に応仁に改元される。つまりこの連歌は心敬が東国に下向する一年前ということになる。この年の夏には宗祇も下向
している。
ただ、行助の東国滞在は短く、応仁二年正月廿八日室町殿連歌始②参加しているのでそれまでには京に戻っている。心敬とは行き違いになった形で応仁三年三月二十四日に行助が死去するまで、再びまみえることはなかったのだろう。
さて、その心敬の発句。
比やとき花にあづまの種も哉 心敬
折から桜の季節で、この時期に行助が東国に下向し、東国にも連歌の種を撒いてくれることでしょうと、戦乱を避けての下向でもポジティブに捉える。
「比やとき」はこの場合は「比や疾き」ではなく「比や時」であろう。
光秀の「時は今」のような感覚か。
これに対し見送られる行助はこう返す。
比やとき花にあづまの種も哉
春にまかする風の長閑さ 行助
意味は「春を風に任せる長閑さ」で、あくまでも時節柄の風に任せての下向なので、そんな東に種を撒こうなんて大それたことは考えていません、という謙虚な返しだ。
行助はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」に、
「1405-1469 室町時代の連歌師。
応永12年生まれ。もと山名氏の家臣。比叡山(ひえいざん)延暦(えんりゃく)寺の僧となり,法印にいたる。連歌を高山宗砌(そうぜい)にまなび,連歌七賢のひとり。宗祇(そうぎ)編「竹林抄」の7作者のひとりにもあげられる。応仁(おうにん)3年3月24日死去。65歳。通称は惣持坊。連歌句集に「行助句集」など。歌学書に「連歌口伝抄」。」
とある。心敬は一四〇六年生まれだからほぼ同世代。
第三。
春にまかする風の長閑さ
雲遅く行く月の夜は朧にて 専順
「風の長閑」から「雲遅く」を導き出し、朧月を出す。
専順はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、
「没年:文明8.3.20(1476.4.14)
生年:応永18(1411)
室町時代の連歌師。柳本坊,春楊坊とも号す。頂法寺(六角堂)の僧で法眼位にあった。華道家元池坊では26世とする(『池坊由来記』)。嘉吉・文安年間(1441~49)から活躍しはじめ,高山宗砌没後は連歌界の第一人者と目された。足利義政主催の連歌会に頻繁に参加し,飯尾宗祇を指導して大きな影響を与えてもいる。応仁の乱後は美濃国(岐阜県)に下り,守護代斎藤妙椿 の庇護を受けた。連歌は「濃体」と称される内容の深い円熟味のある句風で,連歌論書に『片端』,自選付句集に『専順五百句』がある。その死因はあきらかではなく,殺害されたともいわれる。」
とある。
心敬、行助よりはやや後輩になる。応仁の乱後はちりぢりばらばらで、おそらく再びまみえることはなかったのだろう。
四句目。
雲遅く行く月の夜は朧にて
帰るや雁の友したふらん 英仲
朧月に帰る雁は付け合い。前句の「雲遅く行く」と「雁の帰る」を重ね合わせ、雁が雲を友として慕っているようだとする。
わが心誰にかたらん秋の空
荻に夕風雲に雁がね 心敬
此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉
のように、雁と雲は友とされていた。
「英仲」については不明。この時代だと資料も少なく、たどれない人も多い。当時としてはひとかどの人物で、連歌の実力も高く評価されていたから四句目を任されているのだろう。
五句目。
帰るや雁の友したふらん
消えがての雪や船路の沖津波 元用
「帰る雁」に自分の旅路を重ね合わせる。「船路の沖津波は消えがての雪や」の倒置で、遠くに見える浪の白さを消えてゆく雪に喩えている。
元用は島津注に「浄土僧。寛正~文明頃の中堅作者。」とある。
六句目。
消えがての雪や船路の沖津波
あらいそ寒み暮るる山陰 弘仲
前句の「消えがての雪」を比喩ではなく実景とし、山陰を付ける。
弘仲の不明。ただ、句を見る限り英仲、元用、弘仲ともに京の連歌のレベルの高さが窺われる。東国の旦那衆相手の「応仁二年冬心敬等何人百韻」を読んだ後なだけに、いっそうそれが際立っている。
七句目。
あらいそ寒み暮るる山陰
主しらぬ蘆火は松に木隠れて 宗祇
ここでようやく宗祇の登場で、当時の京での序列はこんなもんだったのだろう。当時四十六歳だが「四十五十は鼻垂れ小僧」の世界か。
磯の寒さに誰のものとも知れぬ焚き火はありがたい。ただそれはまだ松林の向こうにある。古典によらぬ斬新な趣向と言えよう。
八句目。
主しらぬ蘆火は松に木隠れて
人の声する村のはるけさ 量阿
水辺から離れ、木隠れの蘆火を村人の焚き火とする。
量阿は島津注に「五条堀川踊道場、時宗」とある。
2020年6月12日金曜日
コロナの感染者が今日の東京で25人。北海道で10人。なかなかこのレベルからは下がらない。三月はこれぐらいのレベルから一気に増えた。季節性ではないので、第二波はいつ突然やってくるかわからない。
三月のときと違って野党やマスコミが外堀を埋めてしまったので、果してコロナ夏の陣になった時緊急事態宣言が出せるのか、前のような自粛要請ができるのかどうか不安だ。今年の夏はサンバカーニバルになるかもしれない。
アメリカも気になる。トランプさんが孤立してるのか、国旗に着いた火を消す人がいない。
アマビエ八十一句目。
ここは命の夢のふるさと
地球儀をくるくる回す子の笑みに
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き、挙句まで。
九十七句目。
まなぶはうとき歌のことわり
浦遠く玉つ嶋山かすむ日に 宗祇
和歌といえば和歌の浦の玉津島神社。ウィキペディアには、
「古来玉津島明神と称され、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けることになる(近世以降は北野社に代わって柿本人麿)。」
とある。
春に転じることで花の少なかったこの巻の花呼び出しにもなっている。
九十八句目。
浦遠く玉つ嶋山かすむ日に
春しる音のよはき松風 覚阿
秋の松風はしゅうしゅうと物悲しいが、春の風だと穏やかに聞こえる。
九十九句目。
春しる音のよはき松風
花にのみ心をのぶる夕間暮 満助
風が弱いので花もすぐに散る心配もなく穏やかな夕暮れを迎える。
「花にのみ」というのは隠棲の身で一人花を見て過ごすという意味であろう。都を離れ、品川の片田舎で過ごす心敬への共鳴であろう。
挙句。
花にのみ心をのぶる夕間暮
さかりなる身ぞ齢久しき 幾弘
まだまだ元気でこれからも長生きできますよ、と祝言でしめて終わり。
三月のときと違って野党やマスコミが外堀を埋めてしまったので、果してコロナ夏の陣になった時緊急事態宣言が出せるのか、前のような自粛要請ができるのかどうか不安だ。今年の夏はサンバカーニバルになるかもしれない。
アメリカも気になる。トランプさんが孤立してるのか、国旗に着いた火を消す人がいない。
アマビエ八十一句目。
ここは命の夢のふるさと
地球儀をくるくる回す子の笑みに
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き、挙句まで。
九十七句目。
まなぶはうとき歌のことわり
浦遠く玉つ嶋山かすむ日に 宗祇
和歌といえば和歌の浦の玉津島神社。ウィキペディアには、
「古来玉津島明神と称され、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けることになる(近世以降は北野社に代わって柿本人麿)。」
とある。
春に転じることで花の少なかったこの巻の花呼び出しにもなっている。
九十八句目。
浦遠く玉つ嶋山かすむ日に
春しる音のよはき松風 覚阿
秋の松風はしゅうしゅうと物悲しいが、春の風だと穏やかに聞こえる。
九十九句目。
春しる音のよはき松風
花にのみ心をのぶる夕間暮 満助
風が弱いので花もすぐに散る心配もなく穏やかな夕暮れを迎える。
「花にのみ」というのは隠棲の身で一人花を見て過ごすという意味であろう。都を離れ、品川の片田舎で過ごす心敬への共鳴であろう。
挙句。
花にのみ心をのぶる夕間暮
さかりなる身ぞ齢久しき 幾弘
まだまだ元気でこれからも長生きできますよ、と祝言でしめて終わり。
2020年6月11日木曜日
今日の午前中は晴れてたが時折狐の嫁入り、午後は雨になり時折激しく降った。梅雨入りだが、昔の梅雨のような「しとしと五月雨」ではない。
NHKの黒人デモを解説したアニメが差別的ということで話題になっていて、ネット上で見た。ああやっぱりと思った。
少なくとも左翼の家庭で育った者としては、こんなわかりやすい絵はない。
中央で終始このデモについて語る拳を振り上げた人は黒人というよりも日焼けした肉体労働者だ。それも何十年も前のまだつるはしをふるってた頃の炭鉱や工事現場にいそうな労働者で、着ている服はランニングシャツだ。
そして「貧富の差」と書かれている。これも言わずと知れた資本主義の矛盾、つまり搾取された労働者の純粋な怒りが今回の暴動の本質だと言いたいわけだ。
NHKは中国贔屓で知られていて、天安門事件の死者数も中国政府の発表どおりに放送する。今年の天安門事件の日には「かわいすぎ!?話題のパンダ大集合」を放送した。
香港に対するコメントの多くも、中国に逆らっても勝てるわけがない、それも彼らはわかっているはずだという類ものもだ。
黒船が日本を開国し、原爆が日本を民主化したように、中国が日本を共産化してくれることを期待しているんだろう。そして『キングダム』のように集近閉が天下統一をすれば世界が平和になるとでも思っているのだろうか。
NHKに限らず、バンクシーの絵もアメリカを燃やせというメッセージだと思っている人も多いだろう。コロナの混乱と黒人の差別を利用して革命を起こそうという夢を持つ人は沢山いる。みんな冷静になろう。
アメリカのデモの映像を見ていると白人の方が多いんじゃないかと思うが、本音の所、黒人はどう思っているのだろうか。
アマビエ八十句目。
戦いの記憶も遠い春の海
ここは命の夢のふるさと
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
名残裏。
九十三句目。
かりもうちわび暮れわたる比
身にかかる涙ならじと慰めて 修茂
金子金次郎は、
なき渡る雁の涙やおちつらむ
もの思ふやどの萩の上露
よみ人知らず(古今集)
の歌を引き、雁の涙は寄り合いだという。
秋の露を雁の涙を見立てたもので、露は天然のもので、自分の涙ではない。これは「かこちがほなる」のパターンであろう。雁の涙が自分にかかったのではない。涙はあくまで自分自身の悲しみから来るものだ、誰のせいでもない、すべては自分の問題なんだと慰める。
恋の涙はえてして泣かせた相手を恨む者だが、それは相手も苦しんだ末に出した結論で、自分だけが傷ついたわけではない。ふられれば傷つくがふるほうも傷ついているものだ。
九十四句目。
身にかかる涙ならじと慰めて
品こそかはれ世はうかりけり 長敏
前句を他人の涙として、身分はいろいろ違っていても悲しいね、と付ける。
『源氏物語』帚木巻の雨夜の品定めの左馬頭(さまのかみ)によれば、上品は基本的には三位以上の上達部でそれより下の殿上人が中品になるが、成り上がりは上達部でも中品で、没落した殿上人も中品になるという。
参議予備軍の四位は上品に準じ、受領は中品になる。
九十五句目。
品こそかはれ世はうかりけり
目の前にあるを驚け六道 宗悦
品の上下から仏教の六道に持ってゆく。ここでは「むつのみち」と読む。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の上下に較べれば、貴族の上中下の品など何だというわけだ。「驚け」は咎めてには。
九十六句目。
目の前にあるを驚け六道
まなぶはうとき歌のことわり 心敬
六道を詩の六義に取り成す。詩経に、
「故詩有六義焉。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。」
とある。古今集仮名序には「うたのさま、むつなり。」とあり、「そへうた、かぞへうた、なずらへうた、たとへうた、ただことうた、いはひうた、」の六つを言う。
NHKの黒人デモを解説したアニメが差別的ということで話題になっていて、ネット上で見た。ああやっぱりと思った。
少なくとも左翼の家庭で育った者としては、こんなわかりやすい絵はない。
中央で終始このデモについて語る拳を振り上げた人は黒人というよりも日焼けした肉体労働者だ。それも何十年も前のまだつるはしをふるってた頃の炭鉱や工事現場にいそうな労働者で、着ている服はランニングシャツだ。
そして「貧富の差」と書かれている。これも言わずと知れた資本主義の矛盾、つまり搾取された労働者の純粋な怒りが今回の暴動の本質だと言いたいわけだ。
NHKは中国贔屓で知られていて、天安門事件の死者数も中国政府の発表どおりに放送する。今年の天安門事件の日には「かわいすぎ!?話題のパンダ大集合」を放送した。
香港に対するコメントの多くも、中国に逆らっても勝てるわけがない、それも彼らはわかっているはずだという類ものもだ。
黒船が日本を開国し、原爆が日本を民主化したように、中国が日本を共産化してくれることを期待しているんだろう。そして『キングダム』のように集近閉が天下統一をすれば世界が平和になるとでも思っているのだろうか。
NHKに限らず、バンクシーの絵もアメリカを燃やせというメッセージだと思っている人も多いだろう。コロナの混乱と黒人の差別を利用して革命を起こそうという夢を持つ人は沢山いる。みんな冷静になろう。
アメリカのデモの映像を見ていると白人の方が多いんじゃないかと思うが、本音の所、黒人はどう思っているのだろうか。
アマビエ八十句目。
戦いの記憶も遠い春の海
ここは命の夢のふるさと
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
名残裏。
九十三句目。
かりもうちわび暮れわたる比
身にかかる涙ならじと慰めて 修茂
金子金次郎は、
なき渡る雁の涙やおちつらむ
もの思ふやどの萩の上露
よみ人知らず(古今集)
の歌を引き、雁の涙は寄り合いだという。
秋の露を雁の涙を見立てたもので、露は天然のもので、自分の涙ではない。これは「かこちがほなる」のパターンであろう。雁の涙が自分にかかったのではない。涙はあくまで自分自身の悲しみから来るものだ、誰のせいでもない、すべては自分の問題なんだと慰める。
恋の涙はえてして泣かせた相手を恨む者だが、それは相手も苦しんだ末に出した結論で、自分だけが傷ついたわけではない。ふられれば傷つくがふるほうも傷ついているものだ。
九十四句目。
身にかかる涙ならじと慰めて
品こそかはれ世はうかりけり 長敏
前句を他人の涙として、身分はいろいろ違っていても悲しいね、と付ける。
『源氏物語』帚木巻の雨夜の品定めの左馬頭(さまのかみ)によれば、上品は基本的には三位以上の上達部でそれより下の殿上人が中品になるが、成り上がりは上達部でも中品で、没落した殿上人も中品になるという。
参議予備軍の四位は上品に準じ、受領は中品になる。
九十五句目。
品こそかはれ世はうかりけり
目の前にあるを驚け六道 宗悦
品の上下から仏教の六道に持ってゆく。ここでは「むつのみち」と読む。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の上下に較べれば、貴族の上中下の品など何だというわけだ。「驚け」は咎めてには。
九十六句目。
目の前にあるを驚け六道
まなぶはうとき歌のことわり 心敬
六道を詩の六義に取り成す。詩経に、
「故詩有六義焉。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。」
とある。古今集仮名序には「うたのさま、むつなり。」とあり、「そへうた、かぞへうた、なずらへうた、たとへうた、ただことうた、いはひうた、」の六つを言う。
2020年6月10日水曜日
アマビエの巻、名残の表に入り七十九句目。
ふりかえるならみんな陽炎
戦いの記憶も遠い春の海
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
八十九句目。
冬はすまれぬ栖とをしれ
都には雪はあらめや小野の山 宗祇
京都の小野山は大原三千院の東にある。このあたりは日本海の方から雪雲が入り込んでくるので雪が降る。
京都北部までは雪が降りやすいが、南部になると雨に変わることが多く、それゆえに、
下京や雪つむ上のよるの雨 凡兆
ということになる。
小野の山は雪に埋もれて冬は住みにくい土地だが、都の方でも降っているのだろうか、という句で、凡兆の句の「下京や」の上五は『去来抄』によれば芭蕉が考えたものだというから、発想が似ている。多分京都に住んでる人にとっては「あるある」なのだろう。
九十句目。
都には雪はあらめや小野の山
時雨に月の影もすさまじ 覚阿
前句の「あらめや」を反語とし、雪ではなく時雨で、時雨の晴れ間からみる月が寒々としているとする。
月を待つたかねの雲は晴れにけり
こころあるべき初時雨かな
西行法師(新古今集)
たえだえに里わく月の光かな
時雨をおくる夜半のむらくも
寂蓮法師(新古今集)
などの歌がある。
和歌では時雨の月は冬だが、連歌では秋になる。
九十一句目。
時雨に月の影もすさまじ
木がらしの空にうかるる秋の雲 心敬
時雨(冬)の月(秋)を木枯らし(冬)と秋の雲(秋)で受ける一種の四手付けであろう。
秋の雲というと今日では鰯雲や羊雲を言う場合が多いが、江戸時代の俳諧だと、
山々や一こぶしづゝ秋の雲 涼菟
岫を出てそこら遊ぶや秋の雲 北枝
枕出せ裏屋にまはる秋の雲 丈草
のように小さくて定めなく漂う雲というイメージがあったようだ。
ここで言う「うかるる」というのも空一面に現れる鰯雲や羊雲ではなく、木枯らしの澄んだ空に小さくぽっかり浮かぶ雲のイメージのようだ。
九十二句目。
木がらしの空にうかるる秋の雲
かりもうちわび暮れわたる比 満助
秋の空だから雁は当然と言えよう。「うかるる雲」に「うちわぶ雁」を対比させている。
ふりかえるならみんな陽炎
戦いの記憶も遠い春の海
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
八十九句目。
冬はすまれぬ栖とをしれ
都には雪はあらめや小野の山 宗祇
京都の小野山は大原三千院の東にある。このあたりは日本海の方から雪雲が入り込んでくるので雪が降る。
京都北部までは雪が降りやすいが、南部になると雨に変わることが多く、それゆえに、
下京や雪つむ上のよるの雨 凡兆
ということになる。
小野の山は雪に埋もれて冬は住みにくい土地だが、都の方でも降っているのだろうか、という句で、凡兆の句の「下京や」の上五は『去来抄』によれば芭蕉が考えたものだというから、発想が似ている。多分京都に住んでる人にとっては「あるある」なのだろう。
九十句目。
都には雪はあらめや小野の山
時雨に月の影もすさまじ 覚阿
前句の「あらめや」を反語とし、雪ではなく時雨で、時雨の晴れ間からみる月が寒々としているとする。
月を待つたかねの雲は晴れにけり
こころあるべき初時雨かな
西行法師(新古今集)
たえだえに里わく月の光かな
時雨をおくる夜半のむらくも
寂蓮法師(新古今集)
などの歌がある。
和歌では時雨の月は冬だが、連歌では秋になる。
九十一句目。
時雨に月の影もすさまじ
木がらしの空にうかるる秋の雲 心敬
時雨(冬)の月(秋)を木枯らし(冬)と秋の雲(秋)で受ける一種の四手付けであろう。
秋の雲というと今日では鰯雲や羊雲を言う場合が多いが、江戸時代の俳諧だと、
山々や一こぶしづゝ秋の雲 涼菟
岫を出てそこら遊ぶや秋の雲 北枝
枕出せ裏屋にまはる秋の雲 丈草
のように小さくて定めなく漂う雲というイメージがあったようだ。
ここで言う「うかるる」というのも空一面に現れる鰯雲や羊雲ではなく、木枯らしの澄んだ空に小さくぽっかり浮かぶ雲のイメージのようだ。
九十二句目。
木がらしの空にうかるる秋の雲
かりもうちわび暮れわたる比 満助
秋の空だから雁は当然と言えよう。「うかるる雲」に「うちわぶ雁」を対比させている。
2020年6月9日火曜日
アマビエの巻も今日で三の懐紙が終わり。あれから七十八日が経過したということか。
あのときは日本も大変なことになって、ひょっとしたら百日後には生きてないかもなんて思ったが、今のところ死者は九百二十二人で千人に届かず、それでも地震や台風でこれだけ死んだら大惨事のはずだから、たいしたことなかったと言うのはやめよう。命があってよかった。命なりけり小夜の中山。
今日もまた仕事ないまま花を見る
ふりかえるならみんな陽炎
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
八十五句目。
ながれの末にうかぶむもれ木
あふ瀬にもよらば片しけ名取川 修茂
「むもれ木」に名取川は当然と言えよう。
「ながれの末に」は、
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院(詞花集)
のような、流れに引き裂かれながらも流れの末でまた会おうという恋の情につながる。
この場合は滝川の水ではなく埋もれ木なので、別々に流れていても川の狭くなったところでまためぐり合う。「片しけ」は一人寝をしろということになるが、めぐり合うまでは一人で寝るのにも耐えろということか。
八十六句目。
あふ瀬にもよらば片しけ名取川
よそにもれなん色ぞ物うき 銭阿
名取川は「名」がつくので、名が立つ、噂が広まるということに掛けて用いられる。一人で寝ていても噂が立って気が気でない。
八十七句目。
よそにもれなん色ぞ物うき
かいま見もあらはに芦の葉はかれて 心敬
芦の葉に囲まれた苫屋だろうか。芦の葉が枯れればそこに住む女性が他所の男に垣間見られてしまう。「もれる」を噂ではなく、住んでいること自体がもれるとする。
八十八句目。
かいま見もあらはに芦の葉はかれて
冬はすまれぬ栖とをしれ 満助
「栖」は「すみか」。鳥の巣の意味もある。
あのときは日本も大変なことになって、ひょっとしたら百日後には生きてないかもなんて思ったが、今のところ死者は九百二十二人で千人に届かず、それでも地震や台風でこれだけ死んだら大惨事のはずだから、たいしたことなかったと言うのはやめよう。命があってよかった。命なりけり小夜の中山。
今日もまた仕事ないまま花を見る
ふりかえるならみんな陽炎
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
八十五句目。
ながれの末にうかぶむもれ木
あふ瀬にもよらば片しけ名取川 修茂
「むもれ木」に名取川は当然と言えよう。
「ながれの末に」は、
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院(詞花集)
のような、流れに引き裂かれながらも流れの末でまた会おうという恋の情につながる。
この場合は滝川の水ではなく埋もれ木なので、別々に流れていても川の狭くなったところでまためぐり合う。「片しけ」は一人寝をしろということになるが、めぐり合うまでは一人で寝るのにも耐えろということか。
八十六句目。
あふ瀬にもよらば片しけ名取川
よそにもれなん色ぞ物うき 銭阿
名取川は「名」がつくので、名が立つ、噂が広まるということに掛けて用いられる。一人で寝ていても噂が立って気が気でない。
八十七句目。
よそにもれなん色ぞ物うき
かいま見もあらはに芦の葉はかれて 心敬
芦の葉に囲まれた苫屋だろうか。芦の葉が枯れればそこに住む女性が他所の男に垣間見られてしまう。「もれる」を噂ではなく、住んでいること自体がもれるとする。
八十八句目。
かいま見もあらはに芦の葉はかれて
冬はすまれぬ栖とをしれ 満助
「栖」は「すみか」。鳥の巣の意味もある。
2020年6月8日月曜日
バンクシーには今までそんなに興味がなかったが、まあ、作品という意味ではいろいろな解釈が可能なので、一つ遊んでみようかと思う。
Banksy - On racism and Black Lives Matter (June 6, 2020)というyoutubeで公開されたテキストによるが、正直この作品のタイトルでもありアメリカでのデモのスローガンでもあるBlack Lives MatterのMatterのニュアンスがわからない。Matterというと思い浮かぶのは、「What's the matter with you?」でまあ、どうしたの?(問題は何なの?)ということなのか。黒人の死活問題ということなのか。
日本のメディアは「黒人の命も大切だ」と訳していて、これは「すべての人の命が大切だ」ではなく黒人の命だけが軽んじられているから問題だというニュアンスで用いられている。
アメリカの黒人問題に限定するなら、「黒人の命も大切だ」ということでいいのだろう。ただ、差別は世界中にある。白人がほとんどの国では白人同士で差別があり、黒人がほとんどの国では黒人同士で差別があり、黄人がほとんどの国では、日本も含めて、黄人同士で差別がある。
だから、外国人(アメリカ以外の人)がこの暴動を見たとき、それはアメリカの特殊な問題ではなく自分たちの問題でもあると認識するのは自然なことだろう。バンクシーも、
At first I thought I should just shut up and listen to black people about this issue. But why would I do that? It's not their problem. It's mine,
と言っている。
ただ、我々と違うのは、バンクシーはイギリスの白人であるため、おそらくイギリス国内での黒人差別のことを思い浮かべているのだろう。
People of colour are being failed by the system. The white system. Like a broken pipe flooding the apartment of the people living downstairs. The faulty system is making their life a misery, but it's not their job to fix it. They can't, no one will let them in the apartment upstairs.
This is a white problem. And if white people don't fix it, someone will have to come upstairs and kick the door in,
問題は白人のシステムであり、それを配水管に喩えて二階の配水管が壊れると一階が水浸しになるように、白人のシステムの欠陥が黒人の生活を悲惨なものにしているというわけだ。だったら、一階の住人は二階へ押しかけ、ドアを蹴破ることになる。それが今回の暴動だというわけだ。
問題は、白人のシステムのどこに穴があるかだ。それについては言及されてない。でも難しいのは結局そこだろう。それは白人自身も自覚していないし、何をしていいかもわからない。バンクシーも言及しない。
作品は二つの映像で構成されている。
最初のは肩から上の黒い人物の輪郭と白い二つの眼で、黒人を連想させようというのだろうがリアルに描いてはいない。ともすると何か悪霊のようにすら見える。その横に白い花があり、この花が何を意味するのかイギリス人にはわかるのかもしれない。その横には蝋燭がある。まあ、一般的に見れば簡素な形で遺影を祭っているということなのだろう。
二つ目の映像は、その上部が付け加わり、蝋燭の炎の先が星条旗の裾を燃やしている。まあ、イギリス人にとって星条旗は他国の国旗だから、ここは不快感を感じる所ではないのだろう。(ここでユニオンジャックを燃やしていたらどうなるのかは気になる所だが。)
この星条旗は何を象徴しているのだろうか。アメリカ合衆国という国家だろうか、それともアメリカの白人社会に限定されるのだろうか。いわゆる白人のシステム(The white system)のことなのだろうか。
ともするとこの白人のシステムは資本主義と同一視され、社会主義革命に結び付けようとする人たちによって利用されることになる。ただ、黒人差別が資本主義の疎外(仲間はずれ)の問題だとしても、飢餓と粛清の地獄と化した過去の計画経済と富の再分配を再現するのは危険だ。
疎外(仲間はずれ)の問題は仲間に加える、つまり黒人の企業を容易にし、黒人の企業が沢山生じ、黒人市場が市場全体に大きな影響力を持つことで解消する事は可能であろう。これは他の差別についても言える。LGBTもまた起業し、LGBT市場を作り出すという解決策がある。
資本主義は日本にも韓国にもあるし、アフリカ諸国が成長すれば黒人の資本主義も世界を席巻する日が来るかもしれない。資本主義は当然白人限定のものではなく、誰もが参加可能だ。
そうなると、黒人を水浸しの一階に閉じ込めているシステムは資本主義とはまた別にあるのだろう。
あの絵はたとえば黒人を資本主義から疎外された哀れな被害者として、その怒りの炎が資本主義の象徴であるアメリカ国旗を焼いているという解釈も可能だろう。世界中の左翼は多分そう解していると思う。まあ、多分そのあとは灰になった星条旗の場所に中国国旗が掲げられ、黄色い連中があの遺影を蹴っ飛ばしてゆくのだろう。
だが、別の解釈もできる。あの遺影は黒人ではない。黒く塗られ、悪霊化された人間にすぎない。それはどの人種というわけでもない。そして彼は早く火を消すように心の中で叫んでいる。あるいは火を消そうとして念じている。蝋燭は彼の意に反してあの位置に置かれ、星条旗を燃やす罪を擦り付けられたのだ。
誰がそのような魔法を掛けたのか、それが本当の問題なのかもしれない。だから彼に聞いてみることができるなら聞いてみたい。What's the matter with you?
愚案ずるに、白人のシステム(The white system)というのは古代ギリシャ以来続いてきた、理性の支配ではないかと思う。理性を持たぬものは肉体の奴隷であり、元から肉体の奴隷なら奴隷にしてもいいという思想だ。その理性は万人の理性ではなく、あくまでヨーロッパの形而上学に他ならない。
こうして奴隷の労働の上に自由人が君臨する。これは古代ギリシャ以来変わっていない。
空には昼の月が霞んで
今日もまた仕事ないまま花を見る
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
名残表。
七十九句目。
つとむるかねを寿ともきけ
杯をめぐらすまどひ惜しき夜に 長敏
還暦か喜寿か、そういった長寿の祝いの席だろう。夜通し飲み交わし、夜明けの鐘を聞けば、それも長寿をことほいでいるのだと聞くことになる。
八十句目。
杯をめぐらすまどひ惜しき夜に
琴の音のこるあり明の空 宗祇
明け方の琴は『源氏物語』橋姫巻の薫が宇治八の宮を尋ねる場面か。
八十一句目。
琴の音のこるあり明の空
消えもせぬ身をうき人の秋深けて 幾弘
金子金次郎は、
わび人の住むべき宿と見るなへに
嘆きくははる琴の音ぞする
良岑宗貞(古今集)
の歌を引いている。本歌による付け。
八十二句目。
消えもせぬ身をうき人の秋深けて
雲きりいく重すめる山里 宗悦
前句の「消えもせぬ」を「雲きり」で受ける。これによって「消えもせぬ」は身の消えぬと雲霧の消えぬとの二重の意味を持つことになる。
八十三句目。
雲きりいく重すめる山里
五月雨は水の音せぬ谷もなし 心敬
これは心敬の得意なパターンと言うか、水の音はするが水の姿は見えない谷があるということを逆説的に述べたもの。そこで前句の雲霧幾重に繋がる。
八十四句目。
五月雨は水の音せぬ谷もなし
ながれの末にうかぶむもれ木 宝泉
五月雨の増水に、埋もれ木も浮かんでしまう。
「うもれぎ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「①木の幹が、長い間水や土の中に埋もれていて炭化したもの。細工物に用いる。仙台に近い名取(なとり)川のものが有名。
②世間から捨てられて、顧みられない身の上のたとえ。◆中古以降は多く「むもれぎ」と表記。」
とある。名取川のものは長く川底に沈んでいた流木で、数百年数千年腐らず、鉄分などを吸収し黒色化したものをいう。それが時折河原に打ち上げられ採取され、細工に用いられる。
みちのくの名取川の埋もれ木は、
名取川せせの埋れ木あらはれは
いかにせむとか逢見そめけむ
よみ人しらず(古今集)
など歌に詠まれている。
みちのくにありてふ川の埋れ木の
いつあらはれてうき名とりけん
源時清(続古今)
の歌ではあれはれては「浮き」と掛けて用いられている。
Banksy - On racism and Black Lives Matter (June 6, 2020)というyoutubeで公開されたテキストによるが、正直この作品のタイトルでもありアメリカでのデモのスローガンでもあるBlack Lives MatterのMatterのニュアンスがわからない。Matterというと思い浮かぶのは、「What's the matter with you?」でまあ、どうしたの?(問題は何なの?)ということなのか。黒人の死活問題ということなのか。
日本のメディアは「黒人の命も大切だ」と訳していて、これは「すべての人の命が大切だ」ではなく黒人の命だけが軽んじられているから問題だというニュアンスで用いられている。
アメリカの黒人問題に限定するなら、「黒人の命も大切だ」ということでいいのだろう。ただ、差別は世界中にある。白人がほとんどの国では白人同士で差別があり、黒人がほとんどの国では黒人同士で差別があり、黄人がほとんどの国では、日本も含めて、黄人同士で差別がある。
だから、外国人(アメリカ以外の人)がこの暴動を見たとき、それはアメリカの特殊な問題ではなく自分たちの問題でもあると認識するのは自然なことだろう。バンクシーも、
At first I thought I should just shut up and listen to black people about this issue. But why would I do that? It's not their problem. It's mine,
と言っている。
ただ、我々と違うのは、バンクシーはイギリスの白人であるため、おそらくイギリス国内での黒人差別のことを思い浮かべているのだろう。
People of colour are being failed by the system. The white system. Like a broken pipe flooding the apartment of the people living downstairs. The faulty system is making their life a misery, but it's not their job to fix it. They can't, no one will let them in the apartment upstairs.
This is a white problem. And if white people don't fix it, someone will have to come upstairs and kick the door in,
問題は白人のシステムであり、それを配水管に喩えて二階の配水管が壊れると一階が水浸しになるように、白人のシステムの欠陥が黒人の生活を悲惨なものにしているというわけだ。だったら、一階の住人は二階へ押しかけ、ドアを蹴破ることになる。それが今回の暴動だというわけだ。
問題は、白人のシステムのどこに穴があるかだ。それについては言及されてない。でも難しいのは結局そこだろう。それは白人自身も自覚していないし、何をしていいかもわからない。バンクシーも言及しない。
作品は二つの映像で構成されている。
最初のは肩から上の黒い人物の輪郭と白い二つの眼で、黒人を連想させようというのだろうがリアルに描いてはいない。ともすると何か悪霊のようにすら見える。その横に白い花があり、この花が何を意味するのかイギリス人にはわかるのかもしれない。その横には蝋燭がある。まあ、一般的に見れば簡素な形で遺影を祭っているということなのだろう。
二つ目の映像は、その上部が付け加わり、蝋燭の炎の先が星条旗の裾を燃やしている。まあ、イギリス人にとって星条旗は他国の国旗だから、ここは不快感を感じる所ではないのだろう。(ここでユニオンジャックを燃やしていたらどうなるのかは気になる所だが。)
この星条旗は何を象徴しているのだろうか。アメリカ合衆国という国家だろうか、それともアメリカの白人社会に限定されるのだろうか。いわゆる白人のシステム(The white system)のことなのだろうか。
ともするとこの白人のシステムは資本主義と同一視され、社会主義革命に結び付けようとする人たちによって利用されることになる。ただ、黒人差別が資本主義の疎外(仲間はずれ)の問題だとしても、飢餓と粛清の地獄と化した過去の計画経済と富の再分配を再現するのは危険だ。
疎外(仲間はずれ)の問題は仲間に加える、つまり黒人の企業を容易にし、黒人の企業が沢山生じ、黒人市場が市場全体に大きな影響力を持つことで解消する事は可能であろう。これは他の差別についても言える。LGBTもまた起業し、LGBT市場を作り出すという解決策がある。
資本主義は日本にも韓国にもあるし、アフリカ諸国が成長すれば黒人の資本主義も世界を席巻する日が来るかもしれない。資本主義は当然白人限定のものではなく、誰もが参加可能だ。
そうなると、黒人を水浸しの一階に閉じ込めているシステムは資本主義とはまた別にあるのだろう。
あの絵はたとえば黒人を資本主義から疎外された哀れな被害者として、その怒りの炎が資本主義の象徴であるアメリカ国旗を焼いているという解釈も可能だろう。世界中の左翼は多分そう解していると思う。まあ、多分そのあとは灰になった星条旗の場所に中国国旗が掲げられ、黄色い連中があの遺影を蹴っ飛ばしてゆくのだろう。
だが、別の解釈もできる。あの遺影は黒人ではない。黒く塗られ、悪霊化された人間にすぎない。それはどの人種というわけでもない。そして彼は早く火を消すように心の中で叫んでいる。あるいは火を消そうとして念じている。蝋燭は彼の意に反してあの位置に置かれ、星条旗を燃やす罪を擦り付けられたのだ。
誰がそのような魔法を掛けたのか、それが本当の問題なのかもしれない。だから彼に聞いてみることができるなら聞いてみたい。What's the matter with you?
愚案ずるに、白人のシステム(The white system)というのは古代ギリシャ以来続いてきた、理性の支配ではないかと思う。理性を持たぬものは肉体の奴隷であり、元から肉体の奴隷なら奴隷にしてもいいという思想だ。その理性は万人の理性ではなく、あくまでヨーロッパの形而上学に他ならない。
こうして奴隷の労働の上に自由人が君臨する。これは古代ギリシャ以来変わっていない。
空には昼の月が霞んで
今日もまた仕事ないまま花を見る
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
名残表。
七十九句目。
つとむるかねを寿ともきけ
杯をめぐらすまどひ惜しき夜に 長敏
還暦か喜寿か、そういった長寿の祝いの席だろう。夜通し飲み交わし、夜明けの鐘を聞けば、それも長寿をことほいでいるのだと聞くことになる。
八十句目。
杯をめぐらすまどひ惜しき夜に
琴の音のこるあり明の空 宗祇
明け方の琴は『源氏物語』橋姫巻の薫が宇治八の宮を尋ねる場面か。
八十一句目。
琴の音のこるあり明の空
消えもせぬ身をうき人の秋深けて 幾弘
金子金次郎は、
わび人の住むべき宿と見るなへに
嘆きくははる琴の音ぞする
良岑宗貞(古今集)
の歌を引いている。本歌による付け。
八十二句目。
消えもせぬ身をうき人の秋深けて
雲きりいく重すめる山里 宗悦
前句の「消えもせぬ」を「雲きり」で受ける。これによって「消えもせぬ」は身の消えぬと雲霧の消えぬとの二重の意味を持つことになる。
八十三句目。
雲きりいく重すめる山里
五月雨は水の音せぬ谷もなし 心敬
これは心敬の得意なパターンと言うか、水の音はするが水の姿は見えない谷があるということを逆説的に述べたもの。そこで前句の雲霧幾重に繋がる。
八十四句目。
五月雨は水の音せぬ谷もなし
ながれの末にうかぶむもれ木 宝泉
五月雨の増水に、埋もれ木も浮かんでしまう。
「うもれぎ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「①木の幹が、長い間水や土の中に埋もれていて炭化したもの。細工物に用いる。仙台に近い名取(なとり)川のものが有名。
②世間から捨てられて、顧みられない身の上のたとえ。◆中古以降は多く「むもれぎ」と表記。」
とある。名取川のものは長く川底に沈んでいた流木で、数百年数千年腐らず、鉄分などを吸収し黒色化したものをいう。それが時折河原に打ち上げられ採取され、細工に用いられる。
みちのくの名取川の埋もれ木は、
名取川せせの埋れ木あらはれは
いかにせむとか逢見そめけむ
よみ人しらず(古今集)
など歌に詠まれている。
みちのくにありてふ川の埋れ木の
いつあらはれてうき名とりけん
源時清(続古今)
の歌ではあれはれては「浮き」と掛けて用いられている。
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