今日は天気が良く、近所に買い物に出た。
街路樹の染井吉野がいたるところで老木化したため、切り倒された後の切り株がいたるところにある。
切り株の脇からはヒメジョオン、ナガミヒナゲシ、ブタナが咲き、ちょっとした花壇のようになっている。
世界的にコロナでの自粛疲れなのか、何とも殺伐とした時代だけど、花に心を慰めれば夷狄なんてどこにもいないんだと思う。
暴力は恨みを残すだけで決して世の中が良くすることはない。それは言葉の暴力でも同じだ。
力を入れずしてあめつちを動かせ。
コロナのほうは小池都知事が「夜の街」と言葉を濁していたけど、どうやらホストクラブでクラスターがあったようだ。
ホストクラブというのは日本だけのものなのかよくわからないが、男性が接待する女性用の風俗店は多分どこの国にもあるのだろう。西洋だとマッチョ系の男がビキニパンツで出てきそうだが、日本のホストはアイドル系で会話重視が特徴。
昔の侍が見たらどう思うかって、多分普通に稚児だと思うんじゃないかな。若衆歌舞伎の伝統をどこかで引き継いでいるのかもしれない。
まずシャワー浴びてとせかす下心
空には昼の月が霞んで
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
七十三句目。
友をやまたむ宿ごとのみち
木本ははつ雪ながら消えやらで 満助
雪道は一人で行くには危険が多く、誰か他の人が通りかかるのを待ち、一緒に行くようにした方がいい。
七十四句目。
木本ははつ雪ながら消えやらで
かつ咲く梅に匂ふ朝露 心敬
これは散った白梅を初雪に見立てたものか。
天満本が梅を花になおしているのは、この三の懐紙が花をこぼしているからであろう。当時は花の定座はなく、花は一座三句物で「懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一」とあるだけで、必ず一つの懐紙に花を出さなくてはならないという決まりはない。三句までだから極端な話一句もなくても良いということになる。
七十五句目。
かつ咲く梅に匂ふ朝露
春の野や馴れぬ袖をもかはすらん 修茂
「袖をかはす」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 男女が互いに衣の袖を振りかわす。また、男女が衣の袖を敷きかわして寝る。
※永久百首(1116)秋「袖かはす人もなき身をいかにせんよさむのさとにあらし吹なり〈源顕仲〉」
② 袖がふれるほど近くに並ぶ。袖をつらねる。
※六百番歌合(1193頃)春上・六番「袖かはす階のきはに年ふりて幾度春をよそに迎へつ〈藤原兼宗〉」
とある。
②の意味で梅を見に人が集まってきた様子を述べたものとも取れるが、
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
額田王
のように、恋に取ることもできる。
七十六句目。
春の野や馴れぬ袖をもかはすらん
かすみ敷く江に舟かよふみゆ 宗祇
これも単なる景色とも取れるが、通ってくる舟に愛しい人が乗っているとも取れる。
おそらく金子金次郎はこの句に恋の言葉がないため単なる景色の句として、前句も②の意味にしてしまったのだろう。
七十七句目。
かすみ敷く江に舟かよふみゆ
心なき人の夕べは空しくて 宗悦
これも前句が恋の情なら、心なき人が舟で帰ってきてくれるのを空しく待つ情景になる。この三句は恋に解しておきたい。
金子金次郎はこの「心なき」を霞み敷く江の風流を解さない人をディスった句としているが、それこそ風流ではない。
心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行法師(新古今集)
の歌は、自らをへりくだって言うもので、他人を誹謗中傷するのは風雅の道に外れる。
七十八句目。
心なき人の夕べは空しくて
つとむるかねを寿ともきけ 心敬
これは咎めてにはで、前句の「心なき」を信心の薄いという意味に取り成し、仏道に励む人の撞く入相の鐘に、今日も一日また年取って、死に近づいているんだと悟ってくれ、となる。
これも信心の薄い自分を励ます体であり、信心のない人々をディスっているのではない。「心なき」は自分のことで、自分自身に「寿ともきけ」と命じている句だ。
金子金次郎は、
けふ過ぎぬ命もしかとおどろかす
入相の鐘の声ぞ悲しき
寂然法師(新古今集)
を引いている。
2020年6月7日日曜日
2020年6月6日土曜日
今日は曇っていて夜には雷雨となった。明け方の月は見えなかった。
人種差別の起源は元はといえば対立する部族に対する感情から来ているのだろう。
それが文明が誕生し都市が作られるようになると、様々な部族が同じ街に集まり共存するようになる。都市が形成されると様々な職業が生じ、その職業の中でも上下関係が出来てくるため、そこで差別が生じる。
日本の穢多の場合はおそらく疫病の流行などによって、動物や死体を扱う人々が隔離されたところから始まったのではないかと思う。
下人の起源はよくわからないが、班田収受の法が行き詰った時に農地を失った者が、貴族、寺社、大名田堵に使役されることになったか。
戦争捕虜や債務奴隷などもそのまま本物の奴隷に身を落とし、差別されることもあっただろう。
民族が異なる者同士だと、習慣の違いから意思の疎通を欠くことも多く、そこから話のわからぬ者ということで能力的に劣っているとみなされる。そういうところからも差別は生じる。アイヌ、琉球、在日などはそうした文化摩擦によるものだから、お互いの文化をよく理解できれば解消できる。
今の日本でも様々な差別がある。アメリカの暴動を対岸の火事とするのではなく、我々自身も反省するきっかけとしたい。
不思議なことだがアメリカで起きたのとまったく同じような事件が、日本でクルド人に対して起きている。結局アメリカ人も日本人も一緒なのだろう。
大事なのはお互いの気持ちを理解することだ。みんな同じように泣いたり笑ったりして生きている同じ人間なんだということを忘れないようにしたい。まずは自分の身の回りでそれを行う。それが積もり積もってみんながやれば差別はなくなると思う。
ポルノサイトのアイコン注意
まずシャワー浴びてとせかす下心
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
六十九句目。
くるれば帰る山ぞはるけき
行方もいさ白雲の奥にして 宝泉
「行くかたもいざ知らず」に「白雲」を掛ける。
山の中でガスに巻かれてしまえばどっちへ行っていいかもわからない。夕暮れになったら帰らなくてはならない山だが、果して無事に帰れるものか。
七十句目。
行方もいさ白雲の奥にして
すぎぬる鳥の幽かなる声 銭阿
前句の「行方」を鳥の飛んで行く方とし、その声を付ける。
七十一句目。
すぎぬる鳥の幽かなる声
旅人のこゆる関の戸明る夜に 長敏
夜が明けて鳥が鳴くと、関守も関所の戸を開ける。
夜をこめて鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の関は許さじ
清少納言(後拾遺集)
の歌もある。鳥の音に関所は付け合いと言ってもいいだろう。
七十二句目。
旅人のこゆる関の戸明る夜に
友をやまたむ宿ごとのみち 宗悦
「友をまたむや」の倒置。「宿ごとのみち」は宿を重ねる道、長い旅路という程度の意味か。
朝早く旅立って距離を稼ぎたい所だが、相方はなかなか起きてこない。
人種差別の起源は元はといえば対立する部族に対する感情から来ているのだろう。
それが文明が誕生し都市が作られるようになると、様々な部族が同じ街に集まり共存するようになる。都市が形成されると様々な職業が生じ、その職業の中でも上下関係が出来てくるため、そこで差別が生じる。
日本の穢多の場合はおそらく疫病の流行などによって、動物や死体を扱う人々が隔離されたところから始まったのではないかと思う。
下人の起源はよくわからないが、班田収受の法が行き詰った時に農地を失った者が、貴族、寺社、大名田堵に使役されることになったか。
戦争捕虜や債務奴隷などもそのまま本物の奴隷に身を落とし、差別されることもあっただろう。
民族が異なる者同士だと、習慣の違いから意思の疎通を欠くことも多く、そこから話のわからぬ者ということで能力的に劣っているとみなされる。そういうところからも差別は生じる。アイヌ、琉球、在日などはそうした文化摩擦によるものだから、お互いの文化をよく理解できれば解消できる。
今の日本でも様々な差別がある。アメリカの暴動を対岸の火事とするのではなく、我々自身も反省するきっかけとしたい。
不思議なことだがアメリカで起きたのとまったく同じような事件が、日本でクルド人に対して起きている。結局アメリカ人も日本人も一緒なのだろう。
大事なのはお互いの気持ちを理解することだ。みんな同じように泣いたり笑ったりして生きている同じ人間なんだということを忘れないようにしたい。まずは自分の身の回りでそれを行う。それが積もり積もってみんながやれば差別はなくなると思う。
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まずシャワー浴びてとせかす下心
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
六十九句目。
くるれば帰る山ぞはるけき
行方もいさ白雲の奥にして 宝泉
「行くかたもいざ知らず」に「白雲」を掛ける。
山の中でガスに巻かれてしまえばどっちへ行っていいかもわからない。夕暮れになったら帰らなくてはならない山だが、果して無事に帰れるものか。
七十句目。
行方もいさ白雲の奥にして
すぎぬる鳥の幽かなる声 銭阿
前句の「行方」を鳥の飛んで行く方とし、その声を付ける。
七十一句目。
すぎぬる鳥の幽かなる声
旅人のこゆる関の戸明る夜に 長敏
夜が明けて鳥が鳴くと、関守も関所の戸を開ける。
夜をこめて鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の関は許さじ
清少納言(後拾遺集)
の歌もある。鳥の音に関所は付け合いと言ってもいいだろう。
七十二句目。
旅人のこゆる関の戸明る夜に
友をやまたむ宿ごとのみち 宗悦
「友をまたむや」の倒置。「宿ごとのみち」は宿を重ねる道、長い旅路という程度の意味か。
朝早く旅立って距離を稼ぎたい所だが、相方はなかなか起きてこない。
2020年6月5日金曜日
月は雲がかかってかすかにしか見えてないが、明日の朝は半影月食があるのかな。
役人の小遣いじゃ援交は無理
ポルノサイトのアイコン注意
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
三裏。
六十五句目。
はてもかなしき天つ乙女子
面影の月にそひしも跡なくて 満助
天女に月というとかぐや姫。永遠の命を持つかぐや姫は月に帰って行き、残された人間は悲しみにくれる。それでもたとえはかない命でも人は力強く生きてゆく。
六十六句目。
面影の月にそひしも跡なくて
人だのめなる小簾の秋風 修茂
秋風が簾を揺らすことで、時折月が見えるが、月にあの人の面影を重ねてみても風が止めば簾が閉まり見えなくなる。「人だのめ」というか風まかせというか。
六十七句目。
人だのめなる小簾の秋風
下紅葉誰に分けよと見えつらん 宗祇
秋風にめくれた簾から見えるのは月ではなく紅葉の下のほうの葉で、この下葉を掻き分けて誰がやってくるわけでもないのに、妙な期待を抱かせてしまう。
六十八句目。
下紅葉誰に分けよと見えつらん
くるれば帰る山ぞはるけき 覚阿
誰も分け入らぬ下紅葉を夜の山とする。暮れてしまえば山は真っ暗で来る人もいない。
役人の小遣いじゃ援交は無理
ポルノサイトのアイコン注意
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
三裏。
六十五句目。
はてもかなしき天つ乙女子
面影の月にそひしも跡なくて 満助
天女に月というとかぐや姫。永遠の命を持つかぐや姫は月に帰って行き、残された人間は悲しみにくれる。それでもたとえはかない命でも人は力強く生きてゆく。
六十六句目。
面影の月にそひしも跡なくて
人だのめなる小簾の秋風 修茂
秋風が簾を揺らすことで、時折月が見えるが、月にあの人の面影を重ねてみても風が止めば簾が閉まり見えなくなる。「人だのめ」というか風まかせというか。
六十七句目。
人だのめなる小簾の秋風
下紅葉誰に分けよと見えつらん 宗祇
秋風にめくれた簾から見えるのは月ではなく紅葉の下のほうの葉で、この下葉を掻き分けて誰がやってくるわけでもないのに、妙な期待を抱かせてしまう。
六十八句目。
下紅葉誰に分けよと見えつらん
くるれば帰る山ぞはるけき 覚阿
誰も分け入らぬ下紅葉を夜の山とする。暮れてしまえば山は真っ暗で来る人もいない。
2020年6月4日木曜日
サツキと紫陽花の季節が来たね。
やっぱり花はいいね。
差別をなくすのは暴力なんかではない。心の花それだけだ。
あの娘は夜の街へと消えて
役人の小遣いじゃ援交は無理
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
六十一句目。
御かりのかへさ野もひびく也
霰ちる那須のささ原風落ちて 修茂
「那須のささ原」はあまり聞かない。普通は「那須のしの原」だが、意味は変わらない。地域にもよるのかもしれない。
前句の「ひびく」を霰の音として、霰に縁のある那須の篠原を登場させる。那須の篠原の霰といえば、
もののふの矢並つくろふ籠手のうへに
霰たばしる那須の篠原
源実朝(金槐集)
であろう。
六十二句目。
霰ちる那須のささ原風落ちて
草葉のかげをたのむ東路 長敏
霰の打ちつける中、一面の篠原では防いでくれる木すらない。草葉の影だけが頼りだ。「草葉のかげ」は死んだあとに現世に残してきた人を見守るのに「草葉の陰で見ている」という言い方をするので、取り成しを期待しての言い回しであろう。
六十三句目。
草葉のかげをたのむ東路
見ぬ国の玉とやならむ身の行衛 心敬
「玉」は「魂」のことであろう。見しらぬ国で死して霊魂となってしまうかもしれないので「草葉の陰」を頼むということになる。
旅に死ぬと魂が成仏できずにその地に留まり、道祖神になることもある。その時は社を立てて祀ってくれということか。
宗祇の最期は宗長の『宗祇終焉記』に、
「かく草のまくらの露の名残も、ただ旅をこのめるゆゑならし。もろこしの遊子とやらんは、旅にして一生をくらしはてぬる人とかや。是を道祖神となん、」
と記されている。
心敬はそれよりまえの文明七年四月十六日に大山の麓の石蔵で七十年の生涯を閉じることになる。今の伊勢原市の産業能率大や伊勢原大山ICのある辺りだ。心敬塚古墳もあるが、金子金次郎によれば天保十二年の『新編相模国風土記』に記述のないところから、新しい伝承だという。
六十四句目。
見ぬ国の玉とやならむ身の行衛
はてもかなしき天つ乙女子 宗悦
「天つ乙女子」は天女のことで、各地に羽衣を失って天に帰れなくなるという羽衣伝説がある。この場合も羽衣を失った天女であろう。
やっぱり花はいいね。
差別をなくすのは暴力なんかではない。心の花それだけだ。
あの娘は夜の街へと消えて
役人の小遣いじゃ援交は無理
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
六十一句目。
御かりのかへさ野もひびく也
霰ちる那須のささ原風落ちて 修茂
「那須のささ原」はあまり聞かない。普通は「那須のしの原」だが、意味は変わらない。地域にもよるのかもしれない。
前句の「ひびく」を霰の音として、霰に縁のある那須の篠原を登場させる。那須の篠原の霰といえば、
もののふの矢並つくろふ籠手のうへに
霰たばしる那須の篠原
源実朝(金槐集)
であろう。
六十二句目。
霰ちる那須のささ原風落ちて
草葉のかげをたのむ東路 長敏
霰の打ちつける中、一面の篠原では防いでくれる木すらない。草葉の影だけが頼りだ。「草葉のかげ」は死んだあとに現世に残してきた人を見守るのに「草葉の陰で見ている」という言い方をするので、取り成しを期待しての言い回しであろう。
六十三句目。
草葉のかげをたのむ東路
見ぬ国の玉とやならむ身の行衛 心敬
「玉」は「魂」のことであろう。見しらぬ国で死して霊魂となってしまうかもしれないので「草葉の陰」を頼むということになる。
旅に死ぬと魂が成仏できずにその地に留まり、道祖神になることもある。その時は社を立てて祀ってくれということか。
宗祇の最期は宗長の『宗祇終焉記』に、
「かく草のまくらの露の名残も、ただ旅をこのめるゆゑならし。もろこしの遊子とやらんは、旅にして一生をくらしはてぬる人とかや。是を道祖神となん、」
と記されている。
心敬はそれよりまえの文明七年四月十六日に大山の麓の石蔵で七十年の生涯を閉じることになる。今の伊勢原市の産業能率大や伊勢原大山ICのある辺りだ。心敬塚古墳もあるが、金子金次郎によれば天保十二年の『新編相模国風土記』に記述のないところから、新しい伝承だという。
六十四句目。
見ぬ国の玉とやならむ身の行衛
はてもかなしき天つ乙女子 宗悦
「天つ乙女子」は天女のことで、各地に羽衣を失って天に帰れなくなるという羽衣伝説がある。この場合も羽衣を失った天女であろう。
2020年6月3日水曜日
今日も暑かった。
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
こんなんでいいのかな。黒人というとやはりシャネルズだな。黒人音楽が好きで黒人に成りきろうとした彼らは顔を黒く塗った。
ソウル系というと何となくヤンキーのイメージがついて回るが、アメリカの黒人と日本のヤンキーは立ち位置が近いのかもしれない。
とにかく黒人にあこがれている日本人は沢山いる。差別なんかに負けずに頑張ってほしい。
だからもう結婚なんてしないから
あの娘は夜の街へと消えて
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
五十五句目。
藻塩の床に雁かへる声
一夜のみかれる苫屋にね覚して 銭阿
一夜の借り枕とする。打越の「あかしのうき枕」は明石に掛かる月の比喩なので羇旅には含めないのであろう。
藻塩は焼くもので刈るのは玉藻だから、ここは掛けてにはにはなっていない。
五十六句目。
一夜のみかれる苫屋にね覚して
うき身のうへに涙そへぬる 覚阿
苫屋の寝覚めの心情を付ける。述懐への展開で変化をつけようという狙いか。
五十七句目。
うき身のうへに涙そへぬる
父母のおもひをみるもくるしきに 宗悦
「涙そへぬる」は父母の涙とする。
五十八句目。
父母のおもひをみるもくるしきに
いまこんとてぞ捨る世中 修茂
「今来むとて捨てる世の中ぞ」の倒置。
老いた父母の世話をしなくてはならない苦しい時に、今にも死ぬからと言って世の中を捨てられるか、と反語に取るのがいいだろう。
五十九句目。
いまこんとてぞ捨る世中
罪あるを迎の車おそろしや 心敬
金子金次郎の注は仏教の三車火宅の車としているが、この場合は罪のある者を地獄に連れて行く火車のことであろう。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「仏教経典が地獄に関して説く〈火車(かしや)〉の和訓で,猛火の燃えている車。罪人を地獄で責めたり,あるいは罪人を地獄に迎えるのに用いる。初期の経典には〈火車輪〉〈火車炉炭〉などと罪人の責め具として出ているが,のちには命終のとき罪人を地獄に迎える乗物として説かれている。《観仏三昧海経》第五観相品には阿鼻(あび)地獄に18種の小地獄があり,その一種に18の火車地獄があるとして,火車で罪人を迎え,火車で呵責する種々相が描写されている。」
とある。
地獄へは行きたくないから火車が来る前に出家しよう、ということになる。
六十句目。
罪あるを迎の車おそろしや
御かりのかへさ野もひびく也 宗悦
前句の車を牛車のこととする。
狩が殺生の罪であるというテーマは、
罪の報いもさもあらばあれ
月残る狩り場の雪の朝ぼらけ 救済
の句が既にある。
ここでは皇族の狩で立派な牛車に乗ってのものであろう。しかし殺生の罪を思うとそれも地獄へ行く火車のように思えて恐ろしい。野を走る車の音さえ不気味に聞こえる。
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
黒黒黒黒黒黒黒黒
こんなんでいいのかな。黒人というとやはりシャネルズだな。黒人音楽が好きで黒人に成りきろうとした彼らは顔を黒く塗った。
ソウル系というと何となくヤンキーのイメージがついて回るが、アメリカの黒人と日本のヤンキーは立ち位置が近いのかもしれない。
とにかく黒人にあこがれている日本人は沢山いる。差別なんかに負けずに頑張ってほしい。
だからもう結婚なんてしないから
あの娘は夜の街へと消えて
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
五十五句目。
藻塩の床に雁かへる声
一夜のみかれる苫屋にね覚して 銭阿
一夜の借り枕とする。打越の「あかしのうき枕」は明石に掛かる月の比喩なので羇旅には含めないのであろう。
藻塩は焼くもので刈るのは玉藻だから、ここは掛けてにはにはなっていない。
五十六句目。
一夜のみかれる苫屋にね覚して
うき身のうへに涙そへぬる 覚阿
苫屋の寝覚めの心情を付ける。述懐への展開で変化をつけようという狙いか。
五十七句目。
うき身のうへに涙そへぬる
父母のおもひをみるもくるしきに 宗悦
「涙そへぬる」は父母の涙とする。
五十八句目。
父母のおもひをみるもくるしきに
いまこんとてぞ捨る世中 修茂
「今来むとて捨てる世の中ぞ」の倒置。
老いた父母の世話をしなくてはならない苦しい時に、今にも死ぬからと言って世の中を捨てられるか、と反語に取るのがいいだろう。
五十九句目。
いまこんとてぞ捨る世中
罪あるを迎の車おそろしや 心敬
金子金次郎の注は仏教の三車火宅の車としているが、この場合は罪のある者を地獄に連れて行く火車のことであろう。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「仏教経典が地獄に関して説く〈火車(かしや)〉の和訓で,猛火の燃えている車。罪人を地獄で責めたり,あるいは罪人を地獄に迎えるのに用いる。初期の経典には〈火車輪〉〈火車炉炭〉などと罪人の責め具として出ているが,のちには命終のとき罪人を地獄に迎える乗物として説かれている。《観仏三昧海経》第五観相品には阿鼻(あび)地獄に18種の小地獄があり,その一種に18の火車地獄があるとして,火車で罪人を迎え,火車で呵責する種々相が描写されている。」
とある。
地獄へは行きたくないから火車が来る前に出家しよう、ということになる。
六十句目。
罪あるを迎の車おそろしや
御かりのかへさ野もひびく也 宗悦
前句の車を牛車のこととする。
狩が殺生の罪であるというテーマは、
罪の報いもさもあらばあれ
月残る狩り場の雪の朝ぼらけ 救済
の句が既にある。
ここでは皇族の狩で立派な牛車に乗ってのものであろう。しかし殺生の罪を思うとそれも地獄へ行く火車のように思えて恐ろしい。野を走る車の音さえ不気味に聞こえる。
2020年6月2日火曜日
東京の感染者が増えている。昨日の花火(見なかったけど)は七回の裏の攻撃の合図か。ここで大逆転ということもある。気をつけよう。
政治家は命より金が大事な人が多いから、自分の命は自分で守ろう。
アメリカでは「暴力をやめて投票しろ」と呼びかけている人もいるが、民主党政権でも黒人大統領でも結局何も変わらなかったからこんなことになったのでは。大事なのは相互理解であって力の行使ではない。
思うに人権思想が開放したのは白人文化に同調した黒人と、男性的価値観を受け入れた女性と、ペニスを持って生まれたLGBTではなかったか。
故郷の便りうれしいけれど
だからもう結婚なんてしないから
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
三表。
五十一句目。
はかなき跡をみるぞ悲しき
千年ともいひしやいつの塚の松 宗祇
前句の「はかなき跡」を千年前の死者の墓とする。いわゆる古墳のことであろう。
金子金次郎は『徒然草』第三十段の、
「果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。」
を引いているが、松が伐採されたからはかなき跡だというのは読み過ぎだろう。千歳とも言われている松の木を眺めながら「はかなき跡」とする方がいい。
五十二句目。
千年ともいひしやいつの塚の松
こころぞひける舟岡の山 心敬
前句の塚を京都の船岡山とする。
船岡山はウィキペディアに、
「古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。一方では都を代表する葬送地でもあり、吉田兼好も『徒然草』137段にて「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と述べている。」
とある。
なおウィキペディアには、
「応仁元年(1467年)、応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して立て籠もった(西軍の陣地となった船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。」
とある。心敬はこのことを知っていたかどうか。
五十三句目。
こころぞひける舟岡の山
霞さへ月はあかしのうき枕 長敏
「うき枕」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 水べや船中などに旅寝すること。浮き寝の枕。
※曾丹集(11C初か)「そま川の筏の床のうきまくら夏は涼しきふしどなりけり」
② (「涙で枕が浮く」の「浮き」に「憂き」をかけて) ひとりねの悲しさにいう語。つらいひとりね。
※堀河百首(1105‐06頃)冬「水鳥の玉藻の床のうき枕ふかき思ひは誰かまされる〈大江匡房〉」
とある。
前句の「舟岡の山」を「舟、岡の山」と分解し、「岡山」のこととしたか。ネットの地名由来辞典によると、
「鎌倉時代より見られる名で、地名の由来は城周辺の小高い丘を『岡山』と呼んだことに因む。」
とある。岡山城は心敬の時代より後の築城だが、その城の立つ前から岡山という地名はあったようだ。
岡山から見れば明石の門は東にあり、そこから昇る朧月は明石に夜泊しているかのようだ。
五十四句目。
霞さへ月はあかしのうき枕
藻塩の床に雁かへる声 宗祇
霞む月に帰る雁、明石に藻塩、四手に付ける。基本的な付け方でこの巻の脇もこの付け方で付けている。
藻塩の床のうき枕は在原行平を髣髴させる。
政治家は命より金が大事な人が多いから、自分の命は自分で守ろう。
アメリカでは「暴力をやめて投票しろ」と呼びかけている人もいるが、民主党政権でも黒人大統領でも結局何も変わらなかったからこんなことになったのでは。大事なのは相互理解であって力の行使ではない。
思うに人権思想が開放したのは白人文化に同調した黒人と、男性的価値観を受け入れた女性と、ペニスを持って生まれたLGBTではなかったか。
故郷の便りうれしいけれど
だからもう結婚なんてしないから
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
三表。
五十一句目。
はかなき跡をみるぞ悲しき
千年ともいひしやいつの塚の松 宗祇
前句の「はかなき跡」を千年前の死者の墓とする。いわゆる古墳のことであろう。
金子金次郎は『徒然草』第三十段の、
「果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。」
を引いているが、松が伐採されたからはかなき跡だというのは読み過ぎだろう。千歳とも言われている松の木を眺めながら「はかなき跡」とする方がいい。
五十二句目。
千年ともいひしやいつの塚の松
こころぞひける舟岡の山 心敬
前句の塚を京都の船岡山とする。
船岡山はウィキペディアに、
「古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。一方では都を代表する葬送地でもあり、吉田兼好も『徒然草』137段にて「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と述べている。」
とある。
なおウィキペディアには、
「応仁元年(1467年)、応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して立て籠もった(西軍の陣地となった船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。」
とある。心敬はこのことを知っていたかどうか。
五十三句目。
こころぞひける舟岡の山
霞さへ月はあかしのうき枕 長敏
「うき枕」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 水べや船中などに旅寝すること。浮き寝の枕。
※曾丹集(11C初か)「そま川の筏の床のうきまくら夏は涼しきふしどなりけり」
② (「涙で枕が浮く」の「浮き」に「憂き」をかけて) ひとりねの悲しさにいう語。つらいひとりね。
※堀河百首(1105‐06頃)冬「水鳥の玉藻の床のうき枕ふかき思ひは誰かまされる〈大江匡房〉」
とある。
前句の「舟岡の山」を「舟、岡の山」と分解し、「岡山」のこととしたか。ネットの地名由来辞典によると、
「鎌倉時代より見られる名で、地名の由来は城周辺の小高い丘を『岡山』と呼んだことに因む。」
とある。岡山城は心敬の時代より後の築城だが、その城の立つ前から岡山という地名はあったようだ。
岡山から見れば明石の門は東にあり、そこから昇る朧月は明石に夜泊しているかのようだ。
五十四句目。
霞さへ月はあかしのうき枕
藻塩の床に雁かへる声 宗祇
霞む月に帰る雁、明石に藻塩、四手に付ける。基本的な付け方でこの巻の脇もこの付け方で付けている。
藻塩の床のうき枕は在原行平を髣髴させる。
2020年6月1日月曜日
家のあたりでは花火はなかったし音も聞こえなかった。雨が降っていたが、鶴見と調布では雨の中上げたらしい。
白菜と葱はあるけど肉はなく
故郷の便りうれしいけれど
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
四十三句目。
春のこころは昔にも似ず
すむ山は日も長からで送る身に 満助
昔は春の日は長いと思っていたが、山に住むようになってから身辺のことを全部自分でやらなくてはならずいろいろ忙しいので、日が長いと感じなくなった。
四十四句目。
すむ山は日も長からで送る身に
はたうつ峯の柴を折りつつ 長敏
その山の暮らしというのは、山の上の畑を耕し、柴を折る生活だ。
四十五句目。
はたうつ峯の柴を折りつつ
哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて 心敬
前句の柴で粟飯を急いで炊く。粒が小さいので米より早く炊ける。
「黄粱一炊の夢」という言葉もある。「邯鄲の夢」のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、
「人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などともいう。中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による。[田所義行]」
とある。
この故事にちなんだ展開を期待したか。季節は秋に転じる。
四十六句目。
哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて
まくら程なき露のかり伏し 宗祇
「黄粱一炊の夢」の故事にちなんで粟に枕は付け合いということになるが、その方向では話を膨らませてない。
邯鄲の夢を見るような立派な枕ではなく、旅の野宿で用いる枕はあまりに小さすぎる。
粟飯をさっと炊いてさっと食って、ひと寝したらまた旅の続きがある。文字通りスルーした形になる。
まあ、出勝ちだから別に宗祇に振ったわけではなく、誰もうまく展開できなかっただけだろう。
四十七句目。
まくら程なき露のかり伏し
廻りきて故郷出し夜はの月 修茂
秋が二句続いたのでここは月を出すところだ。
旅立って一ヶ月経ったかという句で、前句の「まくら程なき」を短い旅の意味にする。
四十八句目。
廻りきて故郷出し夜はの月
わすれぬ物を人や忘れん 長敏
旅立って一月、私はまだ忘れてないのにあなたは忘れてしまったのでしょうか、となる。
四十九句目。
わすれぬ物を人や忘れん
かはらじのその一筆を命にて 心敬
「かはらじ」と書かれた手紙を信じるけな気な女を描いてみせる。
五十句目。
かはらじのその一筆を命にて
はかなき跡をみるぞ悲しき 満助
「はかなき跡」は一筆のこととも取れるが、ずっと待っていたのに既に亡くなっていた取ることもできる。展開の大きさとしては「はかなき跡」を墓所のことと取る方がいい。
白菜と葱はあるけど肉はなく
故郷の便りうれしいけれど
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
四十三句目。
春のこころは昔にも似ず
すむ山は日も長からで送る身に 満助
昔は春の日は長いと思っていたが、山に住むようになってから身辺のことを全部自分でやらなくてはならずいろいろ忙しいので、日が長いと感じなくなった。
四十四句目。
すむ山は日も長からで送る身に
はたうつ峯の柴を折りつつ 長敏
その山の暮らしというのは、山の上の畑を耕し、柴を折る生活だ。
四十五句目。
はたうつ峯の柴を折りつつ
哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて 心敬
前句の柴で粟飯を急いで炊く。粒が小さいので米より早く炊ける。
「黄粱一炊の夢」という言葉もある。「邯鄲の夢」のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、
「人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などともいう。中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による。[田所義行]」
とある。
この故事にちなんだ展開を期待したか。季節は秋に転じる。
四十六句目。
哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて
まくら程なき露のかり伏し 宗祇
「黄粱一炊の夢」の故事にちなんで粟に枕は付け合いということになるが、その方向では話を膨らませてない。
邯鄲の夢を見るような立派な枕ではなく、旅の野宿で用いる枕はあまりに小さすぎる。
粟飯をさっと炊いてさっと食って、ひと寝したらまた旅の続きがある。文字通りスルーした形になる。
まあ、出勝ちだから別に宗祇に振ったわけではなく、誰もうまく展開できなかっただけだろう。
四十七句目。
まくら程なき露のかり伏し
廻りきて故郷出し夜はの月 修茂
秋が二句続いたのでここは月を出すところだ。
旅立って一ヶ月経ったかという句で、前句の「まくら程なき」を短い旅の意味にする。
四十八句目。
廻りきて故郷出し夜はの月
わすれぬ物を人や忘れん 長敏
旅立って一月、私はまだ忘れてないのにあなたは忘れてしまったのでしょうか、となる。
四十九句目。
わすれぬ物を人や忘れん
かはらじのその一筆を命にて 心敬
「かはらじ」と書かれた手紙を信じるけな気な女を描いてみせる。
五十句目。
かはらじのその一筆を命にて
はかなき跡をみるぞ悲しき 満助
「はかなき跡」は一筆のこととも取れるが、ずっと待っていたのに既に亡くなっていた取ることもできる。展開の大きさとしては「はかなき跡」を墓所のことと取る方がいい。
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