2018年10月9日火曜日

 今日から長月。暑いと思っていても既に晩秋。
 それでは「牛部屋に」の巻の続き。

 二十五句目。

   橘さけばむかし泣かるる
 草むらに寝所かゆる行脚僧   丈草

 橘が咲けば悲しくなるから、野宿する場所を変える。
 二十六句目。

   草むらに寝所かゆる行脚僧
 明石の城の太鼓うち出す    去来

 明石城は小笠原忠真の築城で、宮本武蔵もここにいたという。ただ、その後改易が相次いで城主が点々と入れ替わり、天和二年に越前家の松平直明が入城し、ようやく落ち着いたという。(ウィキペディア、「明石城」参照)
 明石市教育委員会のサイトによれば、今日の明石神社には明石城太鼓があり、「明石城築城以来太鼓門に置かれ、時刻を知らせていたものです。」とある。
 明石の太鼓の時を告げるのを聞いて、草むらに寝所を定める。
 二十七句目。

   明石の城の太鼓うち出す
 大かたはおなじやうなる船じるし 野童

 明石は廻船の寄港地で、北前船が大坂と蝦夷との間を通っていた。
 コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」の「船印」のところには、

 「また近世期膨大な数に上った商船や廻船(かいせん)では、船主の家紋や名前を1、2字使用した模様などが、帆や船尾に掲げる旗に描かれた。」とある。北前船の場合は縦に黒い線を入れたものが多く、それが「大かたはおなじやうなる船じるし」だったのか。
 今日では船首と船尾にその国の旗を掲揚することで、どこの国の船かを識別する。今話題の旭日旗も、本来は日本の軍艦である事を示す国際法に基づく軍艦旗で、一九五四年に自衛隊が発足した時に「自衛隊旗」として復活した。ただ、紅白の放射状のデザインはお目出度いということで、漁船の大漁旗やあけぼのの缶詰、朝日新聞、アサヒビールなど企業のマークにも広く用いられている。
 ただ、二〇一二年頃から韓国で「戦犯旗」と呼ばれるようになって、反日キャンペーンに利用されている。
 二十八句目。

   大かたはおなじやうなる船じるし
 ちからに似せぬ礫かゐなき   正秀

 これは印地(石合戦)に転じたか。印地はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「 川原などで、二手に分かれて小石を投げ合い勝負を争う遊び。鎌倉時代に盛んで、多くの死傷者が出て禁止されたこともあったが、江戸末期には5月5日の男の子の遊びとなった。石合戦。印地打ち。《季 夏》「おもふ人にあたれ―のそら礫/嵐雪」

とある。
 石合戦といってもガチに戦えば死者も出かねないので、平和な江戸時代ではたいていは手加減して行われていたのだろう。
 旗を立てて合戦ぽくしてはいても、結局は同じような旗を立てた日ごろの仲間同士。
 印地は夏の季語だが、ここでは印地の文字はない。

 思う人にあたれ印地のそら礫  嵐雪

の句も気になるが、これはどこからともなく石が飛んできて、思う人に当たり、「いでっ」と言ってこっちを振り向かないかな、というものか。
 二十九句目。

   ちからに似せぬ礫かゐなき
 ゆるされて女の中の音頭取   芭蕉

 「音頭(おんど)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「民謡などで全体の進行をリードする者,またはその者が独唱する口説 (くどき) 節の名称。建築や踊りなどで,歌や掛声でこれを指揮する者を音頭取りという。江戸時代後期に口説節が流行すると,盆踊りに取入れられ,1人が独唱し,踊り手が囃子詞を斉唱するために,その歌も音頭の名で呼ばれた。もっぱら地名をつけて,河内音頭,江州音頭,伊勢音頭などと呼ぶ。明治以後に作られた新民謡でも,口説でなくともこの名をつけて呼ばれることが多い。」

とある。
 今日の盆踊りなどで演奏される音頭はもっぱら明治以降の新民謡で、東京音頭は昭和初期。その前身となるような河内音頭でも江戸後期だから、芭蕉の時代の盆踊りがどういうものかはよくわからない。
 盆踊りは普通に行われて秋の季語だったので、音頭という音楽はなくても導入部を仕切る音頭取りはいて、それも秋の季語になったということだろう。
 女の中に男が一人というのは、なんとも間が悪く、笛吹けども躍らず、いわゆる「なしの礫」ということか。
 三十句目。

   ゆるされて女の中の音頭取
 藪くぐられぬ忍路の月     路通

 盆は旧暦七月十五日、満月なので明るくて、こっそり女のもとに通うのには向かない。でも許されて音頭取りになれば堂々と逢いに行ける。

2018年10月8日月曜日

 今日は横浜オクトーバーフェストに行ってきた。
 それでは「牛部屋に」の巻の続き。

 十七句目。

   瘤につられて浮世さり行
 散時はならねばちらぬ花の色  史邦

 花は散る時が来れば散るが、散る時でなければ雨が降ろうが風が強かろうが散らない。散るとしたらそれは寿命だ。
 前句の「浮世を去る」を死ぬこととしたか。ならば「瘤」は腫瘍のことか。寿命がなかったとあきらめるしかない。
 十八句目。

   散時はならねばちらぬ花の色
 畠をふまるる春ぞくるしき   丈草

 前句の悲しげな雰囲気をがらりと変え、花を見に来た人が酔っ払って畠を踏んでゆくマナーの悪さを嘆く。
 二表、十九句目。

   畠をふまるる春ぞくるしき
 人心常陸の国は寒かへり    去来

 前句の「畠をふむ」を麦踏とする。寒の戻る中での麦踏は苦しい。「寒かへり」は「さえかへり」と読む。
 二十句目。

   人心常陸の国は寒かへり
 産月までもかろきおもかげ   野童

 常陸国の鹿島神宮は神功皇后が後の応神天皇を出産した際に帯を奉納したとされている。
 二十一句目。

   産月までもかろきおもかげ
 うき事を辻井に語る隙もなし  正秀

 本当はお産が心配なのだけど、井戸端会議ではついつい強がってしまう。
 二十二句目。

   うき事を辻井に語る隙もなし
 粕買客のかへる衣々(きぬぎぬ) 芭蕉

 元禄六年冬の「ゑびす講」の巻の十五句目に、

   馬に出ぬ日は内で恋する
 絈(かせ)買の七つさがりを音づれて 利牛

とある。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)に、

 「絈は『かせ』と訓ます俗字にして、糸未だ染めざるものなれば、糸に従ひ白に従へるなるべし。かせは本は糸を絡ふの具にして、両端撞木をなし、恰も工字の縦長なるが如き形したるものなり。紡錘もて抽きたる糸のたまりて円錐形になりたるを玉といふ。玉を其緒より『かせぎ』即ち略して『かせ』といふものに絡ひ、二十線を一トひびろといひ、五十ひびろを一トかせといふ。一トかせづつにしたるを絈糸といふ。ここに絈といへるは即ち其『かせ糸』なり。絈或は纑のかた通用す。絈糸を家々に就きて買集めて織屋の手に渡すものを絈買とは云ふなり。」(竹内千代子編『「炭俵」連句古註集』、一九九五、和泉書院より。)

とある。
 前句の「うき事」を恋に取り成し、粕買客との不倫とする。
 二十三句目。

   粕買客のかへる衣々
 硝子(びいどろ)に減リ際見ゆる薬酒 路通

 ビイドロは当時珍しく、長崎でわずかに作られた物か、そうでなければ西洋か中国から持ち込まれた酒瓶くらいだった。醤油の輸出に大量のケンデル瓶が使われるのは、多分もう少し後のことであろう。路通は筑紫を旅しているが、どこかでビイドロを目にすることがあったのか。
 それに対して江戸時代には様々な薬酒が造られていたようだ。粕買が明け方に返るときにこっそりと薬酒を飲んだのか、だがガラス瓶に入ってたため減っているのがばれてしまう。
 二十四句目。

   硝子に減リ際見ゆる薬酒
 橘さけばむかし泣かるる    史邦

 これは『伊勢物語』六十段の本説で、宇佐の使いとして豊前へいった男がかつての妻がそこの役人の妻となっていることを知り、その妻を呼び出して酌をさせ、その時肴となっていた橘を取り、

 さつき待つ花たちばなの香をかげば
     むかしの人の袖の香ぞする

と詠んだという。
 この歌は「古今集」に詠み人知らずとして収録されている。
 減っている酒に橘がこの物語を思い起こさせる。

2018年10月7日日曜日

 多少暑いけど中秋の終りの穏やかな一日。今日は「牛部屋に」の巻は一休みして、教育勅語の解釈の可能性について語っちゃったりしようかな。

 「教育勅語」の復活のことはこれまでもしばしば話題になった。ただ、教育勅語の内容について、実際にはそれほど議論されているわけではない。議論自体をタブーとする風潮があったからだ。
 右翼からすれば天皇の言葉を議論するのは畏れ多いし、左翼からすれば議論すること自体が軍国主義の復活につながるというわけだ。
 その教育勅語というのは、そんなに長い文章ではない。ウィキペディアから引用しよう。

   教育ニ関スル勅語

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽

 これを不敬を承知で現代語にしてみた。

 「朕は考えたんだ。神武天皇やその後継者によってこの日本という国が始まってからというもの、広い範囲にわたって徳を確立することに熱心だったんだなって。
 我が臣下である日本国民は、忠と孝を大事にして有史以来憶兆の人々が心を一つにして、代々美風を作り上げてきた。これが我が国体の美しい花々であり、教育もまさにここに基づいて行われなければならない。
 あなたがた臣下である民は親孝行をし、兄弟仲良くし、夫婦は相争うことなく、仲間を信じ、身を慎み、広く人を愛し、学問に励み、手に職を身につけることで己の能力を啓発し、徳を身に付け、すすんで世のため人のためになることを広め、政治に参加し、憲法を尊重し、法律を遵守し、ひとたび差し迫った事態が生じれば忠義に基づき勇気を奮い起こし、身を公に捧げ、天地開闢以来永遠に変わることない天の営みが続くよう左右から手助けをしなさい。
 そうすれば朕の良く忠誠を誓う臣民だけでなく、これによって先祖から受け継がれた美風をも称えることにもなるんだ。
 この道はまさに我らが神武天皇やその後継者によって残された遺訓であるとともに、子孫である臣民も一緒になって守っていかなければいけないことで、昔も今も間違いのないことだ。これを日本国内のみならず海外にも広め、捻じ曲げることがあってはいけない。
 朕もあなたがた臣民と一緒に両の手で大切に胸に抱えて、みんなでこの徳を一つにすることを心から願ってるよ。

 明治二十三年十月三十日
 ここに名前記し捺印する。」

 先ず問題になるのが「臣民」の概念だが、これは文字通りの意味では天皇家の家臣であることを意味する。ただ、天皇が直接国家を統治した時代ははるかに昔のことで、鎌倉の武家政権の誕生以来、建武の新政の僅かな期間を除けば形骸化し、ただ武家政権に官位を与えることで支配の正当性を保証するだけのものになっていた。
 ここでいう「臣民」の概念は江戸後期の国学者たちによって形成された一君万民思想によるもので、天皇家は形式的な日本の支配者であり、政治は万民の公議によって行うという、民主主義の先駆をなす思想だった。
 このことは慶応三年の「王政復古の大号令」の「諸事 神武創業之始ニ原キ、縉紳武弁堂上地下之無別、至當之公議竭シ、天下ト休戚ヲ同ク可被遊」に現れている。
 臣民であるということは、実力で王となる道を放棄することなので、独裁政治の禁止の側面を持つのだが、戦前の軍部は天皇を拘束し傀儡とすることで抜け道とした。
 今の時代にあえて「臣民」の概念を生かすとすれば、権利の平等と独裁の禁止以外にない。
 もちろんプロレタリア独裁は基本的に日本の国体にはそぐわない。そこが左翼の反発する一つの理由と思われる。

 次に「夫婦相和」だが、ここには異性夫婦か同性夫婦かが明示されていないので、同性婚が認められたとしても矛盾はない。ただ、「國憲ヲ重ジ」ともあるので、憲法24条の改正は必要と思われる。
 「國憲ヲ重ジ」は憲法改正を否定するものではない。憲法が不磨の大典だというのは、「大日本帝国憲法発布ノ勅語」の「現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」に基づくものだが、その大日本帝国憲法第73条に「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」というに憲法改正の規定がある以上、改憲は「國憲ヲ重ジ」に矛盾しない。

 左翼が一番問題にするのはおそらく、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分であろう。
 震災などの天災はよほど日本沈没のような大規模な天変地異でない限り、国家の危急存亡とまではいかないから、基本的には「緩急」は戦争と解釈していい。もっとも、複数の原発が次々とメルトダウンするような事態が生じれば「緩急」と言えるかもしれない。
 ただ、戦後は戦争そのものが国際的に「平和に対する罪」となったため、日本が自ら侵略戦争を起こすことはあってはならないし、そこに「緩急」の大義はない。
 緩急の事態があるとすれば、日本が他国から侵略されるか、内戦が起こるかのどちらかであろう。
 おそらく日本が他国に侵略され、支配されれば、右翼左翼関係なくレジスタンス運動が起こるのではないかと思う。左翼が恐れるのは革命が内戦の様相になった時のことであろう。

 「天壌無窮ノ皇運」は天地の窮まりなき運行のことで、太陽が東から上り西へと沈み四季が循環するようなことをいう。何らかの教義を意味するものではない。というのも、明治以降、国家神道の統一の教義を作ろうと試みられたことはあったが、結局実現しなかったからだ。
 我国の神の道はあくまで神ながら言挙げせぬもので、天地はただ語らぬ経を読むものに他ならない。強いて言えばそれ以外の思想宗教は私的なもので、臣民として従うべき教義ではないということだ。これも社会主義とは矛盾する。
 むしろこの一文は、たとえ国家の危急存亡の事態でも、特定の思想や宗教に偏ることなく、いかなる独裁的な権力をも認めず、ただ己の誠の心を持って対処すべしという意味に解釈できると思う。

 「億兆心ヲ一ニシテ」「其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ」の表現も臣民の心を一つにするという意味で、世界を一つにするという意味はない。地球規模での天下統一事業に参加するという意味にしてはならない。
 「一つの世界」を放棄し民族の多様性を認め、侵略戦争の大義はもはや存在しないというその点にさえ注意を払って解釈するなら、教育勅語にはまだ十分可能性はある。

 いかなる私的な思想や宗教にも偏らず、あくまで人間としての自然の道を貫く日本の伝統は十分世界に誇れるものであり、平和的な手段であるかぎり世界に広めてゆく価値がある。たとえば漫画やアニメなどで日本の文化を伝えるような、広義の風流の道に基づくものなら、それは誇るべきものであろう。
 教義なき天地の道を象徴するのが天皇であり、皇道は天地自然の道に等しい。あくまでその象徴の下に日本人は天地の道の臣下として平等であり、政治はあくまで民主的な公議を以って行い、いかなる独裁をも認めないというその美風を非暴力を以って世界に広めるという解釈なら、今日でも教育勅語に意味を持たせることは可能だ。ただもちろん、新しい教育理念を作るならそれでもいい。

2018年10月6日土曜日

 「牛部屋に」の巻の続き。
 十一句目。

   溝汲むかざの隣いぶせき
 なま乾(ひ)なる裏打紙をすかし見る 丈草

 「裏打ち」はウィキペディアには、

 「裏打ち(うらうち)とは、水彩画・水墨画・書など掛軸や額装において、裏側にさらに紙や布などを張り、水分と乾燥による起伏をなくしたり丈夫にすること。
 書を掛軸にする場合などで行われる工程のひとつ。本紙(書画が書かれた紙)より大きめの湿らせた和紙に本紙を重ね、霧吹きや刷毛でシワを取り除き、別の裏打ち用の和紙にのりを塗り裏返した本紙に重ねて貼り付け、最初の和紙を取り除く一連の作業を指す。」

とある。
 生乾きの紙は向こう側が透けて見えるので、隣の溝汲む風景も見えるということか。わかりにくい付けだ。
 十二句目。

   なま乾なる裏打紙をすかし見る
 いつも露もつ萩の下露      去来

 露が重なっているのが気になる。「下枝」「下陰」とするテキストもあるという。
 ただ、「萩の下露」は決まり文句で、

 秋はなほ夕まぐれこそただならね
     荻の上風萩の下露
            藤原義孝

の歌に由来する。別に一句に同じ字を二回使ってはいけないという規則はない。芭蕉にも、

    堤より田の青やぎていさぎよき
 加茂のやしろは能き社なり   芭蕉

と「やしろ」を二回使っている例がある。
 紙が生乾きなのを秋で露の季節だからという展開なのだろうか。これもわかりにくい。
 十三句目。

   いつも露もつ萩の下露
 秋立て又一しきり茄子汁    野童

 これは萩の下露の季節ということで、立秋と秋茄子を付ける。
 十四句目。

   秋立て又一しきり茄子汁
 薄縁叩く僧堂の月       正秀

 「薄縁」は「一泊り」の巻の脇にも登場した。

   一泊り見かはる萩の枕かな
 むしの侘音を薄縁の下     蘭夕

 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「藺草(いぐさ)で織った筵(むしろ)に布の縁をつけた敷物。」とある。
 前句の「茄子汁」を僧堂の精進料理とする。月が出たので薄縁の上で寝ている人たちを叩いて起こしたのか。
 十五句目。

   薄縁叩く僧堂の月
 分別の外を書かるる筆のわれ  芭蕉

 「分別」がないということは恋を連想させる。
 これよりあとの元禄七年の「牛流す」の巻に、

    朝の月起々たばこ五六ぷく
 分別なしに恋をしかかる    去来

の句がある。僧堂の僧が分別もなく恋文を書いたりするが、僧だけに相手は稚児さんか。
 「筆のわれ」は墨がかすれて線が一本でなくなることを言う。
 十六句目。

   分別の外を書かるる筆のわれ
 瘤につられて浮世さり行    路通

 前句のお寺の情景を離れ、息子と一緒に出家する母を登場させる。男の分別のない恋に愛想つかして、縁切り寺に駆け込んだか。この辺の人情は路通らしい。

2018年10月4日木曜日

 「牛部屋に」の巻の続き。
 四句目。

   酒しぼる雫ながらに月暮て
 扇四五本書なぐりけり      丈草

 酒宴であろう。揮毫を求められた先生もすっかりへべれけになって、扇になんだか分からないようなものを書きなぐっている。
 浦上玉堂が思い浮かぶが、それは一世紀後のこと。元禄の頃にもこういう人っていたんだろう。
 五句目。

   扇四五本書なぐりけり
 呉竹に置なをしたる涼床     去来

 呉竹は淡竹(はちく)ともいう。
 前句の扇四五本書く人物を隠士の位として、呉竹越しの風がよく当たるように涼み床を置きなおすとする。
 六句目。

   呉竹に置なをしたる涼床
 蓮の巻葉のとけかかる比     野童

 野童は去来の弟子。
 蓮の巻き葉は蓮の新芽で、まだ葉が広がる前の状態を言う。「とけかかる」はそれがやがて開くことをいう。
 初裏、七句目。

   蓮の巻葉のとけかかる比
 笈摺もまだ新しくかけつれて   正秀

 「笈摺」は「おいずり」とも「おいずる」とも読む。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 「巡礼などが笈を負うとき、衣服の背が擦れるのを防ぐために着る単(ひとえ)の袖なし。おいずる。」

とある。
 蓮からお寺、お遍路さんの連想だが、直接言わずに「笈摺」で匂わす。
 八句目。

   笈摺もまだ新しくかけつれて
 遊行の輿をおがむ尊さ      芭蕉

 遊行は遊行上人のこととも取れるが、特に誰と言うことでもなく単に諸国を行脚して回る高僧のことを言っているだけなのかもしれない。
 いずれにせよ、まだ発心したばかりの笈摺もまだ新しいお遍路さんが、駆けつけては拝みに来る。
 九句目。

   遊行の輿をおがむ尊さ
 休み日も瘧ぶるひの顔よはく   路通

 「瘧(おこり)」はマラリアのこと。周期的に熱が出るが、熱が出てない日でも顔はやつれて弱々しい。
 『源氏物語』では光源氏がこの病にかかり、

 「きた山になん、なにがしでらといふ所に、かしこきおおなひびと侍(はべ)る。こぞの夏もよにおこりて、人人まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまた侍(はべ)りき。」
 (北山のなんとか寺という所に霊力のある修行僧がいて、去年の夏も大流行して、多くの人が祈祷しても良くならなかったのがすぐに治ったという例がたくさんある。)

と聞いて、あの若紫に出会うことになる。
 十句目。

   休み日も瘧ぶるひの顔よはく
 溝汲むかざの隣いぶせき     史邦

 ただでさえマラリアで弱っている所に、隣からはどぶ掃除のいやな匂いの風が吹いてくる。響き付け。

2018年10月2日火曜日

 今年も日本人のノーベル賞受賞者が出て、イグノーベル賞とダブル受賞になった。ノーベル賞が連歌ならイグノーベル賞はノーベル賞の俳諧というところか。
 本庶さんのT細胞の表面にあるPD-1というたんぱく質の発見が癌免疫療法を実現したというのも凄いが、いろいろな種類のT細胞が擬人化されたキャラになって活躍するアニメ(「はたらく細胞」)が人気を集めるこの国は凄いのではないかと思う。第七話では癌細胞と戦ってたし、本庶さんの功績もアニメにならないかな。
 研究予算は少なくても底辺の広さ、特にオタク層のレベルの高さがこの国の科学を支えているのだと思う。
 オタクは現代の隠士ではないかと思う。会社や役所や大学では発揮できない才能が、日本にはまだまだ眠っている。日本が本当に危機に陥った時は、彼等が山を降りてきてきっと救ってくれるのだろう。

 さて、ここで路通の俳諧をもう一つ読んでみたい。
 「一泊り」の巻の二年後の元禄四年秋、一度は、

 草枕まことの花見してもこよ   芭蕉

と路通を破門した芭蕉も、翌年には許されたのか京都や膳所の連衆とともに興行を行っている。
 その中の一つ、

 牛部屋に蚊の声よはし秋の風   芭蕉

の句を発句とする歌仙を読んでみようかと思う。単にこれが一番路通の出番が多いからだ。
 順番は芭蕉→路通→史邦→丈草→去来→野童→正秀の固定で、路通は常に芭蕉の句に付けることになる。これも嫌われ者の路通への気遣いなのかもしれない。特にうるさそうな去来が来席しているし。多分座席も路通を自分の隣に置き、対角線に去来が座るようにしたのではないかと思う。
 季節はまだ初秋で、匂いのぷんぷん籠るような牛小屋にもさわやかな秋風が吹いて、蚊の声も弱ってきていると、なにやら象徴的な意味があるのかないのか、という句だ。別に路通が蚊だとか去来が蚊だとかそういうことではなくて、いろいろ困難な問題も解決してこの牛小屋にも秋が来たという意味だと思う。
 史邦編の『芭蕉庵小文庫』(元禄九年刊)には、この形で掲載されているが、土芳編の『蕉翁句集』(宝永六年刊)では、

 牛部屋に蚊の声暗き残暑哉    芭蕉

の形に改められている。
 そこで路通の脇。

   牛部屋に蚊の声よはし秋の風
 下樋の上に葡萄かさなる     路通

 下樋(したひ)は牛小屋に水を引く溝だと思われる。葡萄は自生する山葡萄で、溝の上に垂れ下がり鈴生りになっている。
 江戸中期になると甲州で葡萄の栽培が盛んになり、今日のようなぶどう棚が作られるようになる。

 勝沼や馬子も葡萄を食ひながら

は芭蕉に仮託されて伝わっているが、「勝沼ふたみ会&jibun de wine project&勝沼文化研究所」のサイトによれば、江戸時代中期の俳人、松木珪琳の句だという。
 第三。

   下樋の上に葡萄かさなる
 酒しぼる雫ながらに月暮て    史邦

 古代には山葡萄で葡萄酒を作ったともいうが、この時代には作られてたかどうかはよくわからない。早稲の米を布袋で発酵させると、そこから雫が垂れてきて、いわゆる「あらばしり」が取れる。

2018年10月1日月曜日

 「生きづらさ」って一体なんだろうと考えた時、結局それは「生存競争」なんだろうなと思う。
 昔も今もそうだし、洋の東西を問わず、貧しくても裕福でも生きづらさは必ずついて回る。

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮もわら屋もはてしなければ
                蝉丸

 宮廷で暮らしていても藁屋でくらしていても、そこにあるのは過酷な生存競争。たとえ皇子に生まれようとも、皇位争いで命を落とすことすらあるし、だからといって田舎の藁屋が平和かというと、そこでもどろどろとした人間関係が絶えることがない。
 なら人間やめればいいかというと、

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る
     山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
             皇太后宮大夫俊成

 鹿もまた妻を争って争いが絶えない。人間やってくのも大変だが鹿だってやはり大変だ。
 そもそも論を言うなら、有限な地球で無限の生命の繁栄は不可能なのだから、誰かが排除されなければならない。
 ただ、生存競争を考える時間違ってはいけないのは、人は生きるために争っているのではないし、子孫を残すために争っているのでもないということだ。
 この「ために」というのはラマルキズムであって、ダーウィニズムではない。人はたまたまご先祖様が子孫を残すことに役だった遺伝子を受け継いで生まれてくるだけだ。
 そこには様々な感情や欲望や衝動が含まれ、別に生き残ろうだとか子孫を残そうだとか思わなくても、自然とそういう行動を取ってしまうだけだ。
 だから別に傷つけるつもりはなくても、互いに傷つけあってしまう。それが「生きづらさ」だと思う。
 生存競争の基本は排除だ。有限な地球で無限の生命が繁栄できない以上、生命も有限になるように調整しなくてはいけない。そのために闇雲にライバルを排除しようという欲求が生じる。
 理由は何でもいい。自分より弱い奴は排除しやすいし、自分より強ければ、それはそれで自分が排除される危険があるから、やられるまえにやっておきたい。だから人間は弱いものいじめもすれば、強いものに強烈な嫉妬心を抱いたりもする。
 馬鹿だからっていじめられたりもすれば、頭が良すぎるからっていじめられることもある。マイノリティーはいじめられるが、マイノリティーの集団の中に少数のマジョリティーが紛れ込めばそいつもいじめられる。要するに理由は何でもいいのである。
 救いがあるのは、われわれは争うために生まれてきたんじゃないということだ。たまたま生まれてきて、いやおうなしに生存競争に巻き込まれているだけだ。
 だから別にガチに勝ちに行かなくても、そこそこの所で余裕もって生きることもできる。この生存競争から目覚めた意識、それが風雅の誠ではないかと思う。
 戦ってばかりでは疲れてしまう。そこそこ勝利を手にしたら、あとは笑おうよ。生存競争をなくすことはできなくても、それくらいならできる。
 「生きづらさ」は確かに政治では完全な解決できないかもしれない。実際、誰も傷つかない社会なんて無理だし、そんなことをしようとすれば、恋も友情も禁じられたディストピアになりかねない。
 ただあまりマジに生きるのをやめてそこそこ遊ぶようにすれば、それだけ生きづらさを和らげることはできる。それを支援するくらいなら政治でもできる。
 前に書いたことをちょっとまとめると‥。
 均質な人間に向けて均質な商品を作っているだけでは市場は成長しない。
 多様の人間に向けて多様な商品を作ってゆくことで市場は発展してゆく。
 それゆえLGBTはミクロでは行政サービスの非効率を生み出すことはあっても、マクロ的には生産性を高める。LGBTへの新たなサービスは市場の拡大に繋がるからだ。
 LGBTがそれぞれ独自のファッションやライフスタイルを生み出して行けば、彼等もそれだけ生きやすくなるし、異性愛者もそれに乗っかれば遊びの幅が増え、社会全体が楽しくなると思う。テレビだってオネエがいないテレビは退屈だ。
 障害者にしても、十分な職が与えられ経済力をつければ、新たな消費を生み出す。たとえばお洒落な高級車椅子や高級義足なんかがあってもいいのではないか。
 雇用を促進するだけでなく、政府はベンチャービジネス育成の一環として、LGBTや障害者の起業を支援すべきである。LGBTが自ら起業してLGBTのための商品を開発し、それが成功すれば、自ずとそこに新たな雇用も生まれる。障害者の場合も同じだ。
 そしてそれで社会全体が楽しくなるなら一石二鳥と言う以外にない。
 必要なのは排除ではない。一緒になって遊ぶことだ。
 ただ、民族の問題は文化の維持の問題が関わるので、LGBTや障害者と同列に論じることは難しい。
 文化の維持には一定の規模の集団が確保されなくてはならないので、ごちゃ混ぜにするよりはある程度の棲み分けを残す必要がある。
 民族的マイノリティーの問題は一つの世界に組み込むことではなく、むしろ独立を支援し、多様な世界を作ることで解決すべきだ。
 世界にたくさんの文化があったほうが見てても楽しいし、多様性は一つの文化が行き詰った時の保険にもなる。
 それぞれに独自の消費文化があることで市場規模の拡大にも繋がるし、また消費文化の違いが外資に対して一定の障壁となる事で独占を防ぐことができる。